わが故郷は漆黒の闇


【三十】


「あらあら、そんなにエレベーターの加速が怖かったの? でも、もう大丈夫よ。エレベーターはもう止まってるからね」
 ユリがどうして悲鳴をあげたのか、ケイトは充分に承知している。秘部をシートベルトでおむつカバーの上から押さえてユリの感じやすい部分に対する刺激が続くようにした上で、エレベーターをいつもよりも激しく加速させたのだ。これまでずっと我慢していたおしっこをユリが漏らしてしまったとしても、なんの不思議もない。そのことを承知していながら、瞳を潤ませているユリに向かって、わざととぼけて訊くケイトだった。
「……」
 それに対してユリは何も応えられない。まさか、おむつを汚してしまったと自分の口から言えるわけがない。
 けれど、ケイトの方は何があったのか手に取るようにわかっている。ケイトは片方の眉を吊り上げると、納得顔で頷いた。
「そう。エレベーターが怖かったわけじゃないの。じゃ、これが原因ね」
 ケイトはユリの足首と腿を固定しているシートベルトを手早く外した。そうして、ユリの上半身をバックレストに押しつけている固定具を外すことなく、座席のリクライニングレバーを引く。
 微かな電動音が聞こえ、ユリが座っているシートのバックレストがモーターでゆっくり仰向けに倒れ始めた。同時に、ユリが足を乗せているフットレストが床から離れて、バックレストの動きに合わせて徐々にせり上がってくる。
 耐Gシートだった座席がフルフラットの簡易ベッドに姿を変えるのに、さほど時間はかからなかった。
「な、何をするんですか!?」
 いいようのない不安を覚え、ユリは涙に潤む両目を大きく見開いてケイトの顔を見上げた。
「すぐにすむからおとなしくしててね。ユリちゃん、聞き分けのいいお利口さんだから、ちゃんとしてられるよね」
 ケイトは本当の幼児をあやすような口調で言って、簡易ベッドに横たわるユリのスカートをお腹の上まで無造作に捲り上げた。パステルピンクの生地にハローキティのプリントをあしらったおむつカバーが丸見えになる。
「や、やだ!」
 突然のことにユリは慌ててスカートを押さえようとするのだが、肩口から肘のあたりまでを固定具に押さえつけられているせいで、指先は虚しく宙を切るばかりだ。
「駄目よ、暴れちゃ」
 ケイトは甘い声で囁きかけて、ユリのお尻を包み込んでいるおむつカバーの裾にそっと右手を差し入れた。
「やだってば、本当にそんなことやだってば!」
 ユリは後頭部をバックレストにこすりつけんばかりにして激しく首を振った。けれど、固定具のせいで僅かに身じろぐことしかできない。
「あらあら、何をむずがってるのかしら、ユリちゃんてば。私はユリちゃんのおむつが濡れてないかどうか確かめてあげているだけなのに」
 ケイトは、おむつカバーの中に差し入れた右手をもぞもぞと動かしながらユリに言って聞かせる。
 そのケイトの言葉を、座席に座ったまま所在なげにしていたカタンとボビンは聞き逃さない。
「え? おもらししちゃったの、ユリちゃん」
「ユリちゃん、おむつにおもらしなの?」
 二人はぱっと座席から立ち上がると、ユリが横たわる簡易ベッドに向かって駆け出した。
 と、二人そろって体が大きく跳ね上がり、もう少しで頭をエレベーターの天井にぶつけそうになってしまう。
「ほらほら、二人とも気をつけないと危ないわよ。ここまで来ると、重力はすごく小さいんだから」
 手足をばたつかせてかろうじて頭を天井にぶつけずにすんだ二人の様子に、ケイトは苦笑交じりの声で言った。今、エレベーターが停止している位置は、直径60メートルの浮遊部分のすぐ外側だ。疑似重力は作用しているものの、直径3kmに及ぶコロニー円周での疑似重力に比べると、その強さは2パーセントしかない。そんな微少重力しか作用していない場所では、身動き一つ一つに気をつけないと、とんでもないことになる。
 どうにか床の上に戻った二人はエレベーター内部のあちらこちらに設置してある取っ手をつかんで、今度は慎重な足取りで簡易ベッドのそばにやって来た。
「ケイト先生、ユリちゃん、おもらしなの?」
 トイレへ行く時にボビンがそうしたのを真似て、カタンは幼児言葉でケイトに尋ねた。
「そうよ。ほら」
 おむつカバーの裾から右手を引き抜いたケイトは、おむつカバーの前当てに指をかけて軽く引っ張った。
 さほど力を入れていないようなのに、おむつカバーの前当てと横羽根とを留めているマジックテープが、ベリリッとエレベーター内の空気を震わせる音をたてて外れた。
「ね? フィールドキャンセラーを使っていないのに、マジックテープが感嘆に外れたでしょ? これは、おむつカバーの中がぐっしょり濡れているからよ」
「でも、どうして? ユリちゃん、先生と一緒にトイレ行ったでしょ? トイレ行ったのに、どうしてまたすぐにおもらしなの?」
 カタンは好奇心満々の幼児を演じながら重ねて訊いた。
 エレベーターに乗る前、カタンとボビンに続いて、ユリもケイトに連れられてトイレへ行っている。トイレで何があったのかを知らないカタンとボビンにしてみれば、ユリがケイトに手伝ってもらっておしっこをすまたものだと思いこんでいるから、それから殆ど時間が経っていないのにすぐまた粗相をしてしまったのが不思議でならない。




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