わが故郷は漆黒の闇


【三一】


「あのね、ユリちゃんはね、トイレでおしっこできなかったのよ」
 ケイトは、おむつカバーの前当てをユリの両脚の間に広げて置きながら、カタンに向かって小さく首を振ってみせた。
「どうして? どうしてユリちゃん、トイレでおしっこしなかったの?」
 これは何? どうしてそうなるの? それが小さな子供の口癖だ。今度はボビンがそんな幼児を真似てケイトに訊く。
「ううん。しなかったんじゃなくて、できなかったの」
 ケイトはボビンの言葉をやんわりと、けれど、ユリの耳にもちゃんと届くようにはっきりした声で訂正した。
「だって、ほら、ユリちゃんは年少さんでまだおむつが外れないでしょう? だから、ちゃんとトイレでおしっこできなかったの。まだトイレのお稽古は早かったのね、おむつのユリちゃんには」
「あ、そっかー。カタンお姉ちやんは年長さんだし、ボビンは年中さんだからちゃんとトイレでおしっこできるけど、年少さんのユリちゃんはまだ小っちゃくておむつだから、トイレちゃんとできないんだね。そうだよね、ちゃんとトイレできたら、おむつバイバイだもんね」
 ボビンは、年中のちょっとお姉さんふうに胸を張ってみせた。
「うん、そういうことね」
 ケイトは言って、前当てに続き今度は左右の横羽根を外して、ユリの腰の両側に広げて置いた。
 おむつカバーの前当てと横羽根が広げられてしまうと、ユリの下腹部をくるんでいる布おむつがすっかり丸見えになる。
「あ、ほんとだ。ユリちゃんのおむつ、ぐっしょりだぁ」
 まだおしっこが出てしまって間もないため微かに湯気のたっている布おむつを見て、カタンが大声を出した。
「や、やだ、カタン、そんなこと言わないでよ。私たち同期でずっと友達なのに……そんなひどいこと、口に出して言わなくてもいいじゃないよ」
 ユリはぎゅっと両目を閉じて、羞恥に震える声で弱々しく言った。
「違うもん。カタンは年長さんでユリちゃんは年少さんだもん。同じじゃないもん。ね、ケイト先生?」
 くすくす笑いながら、カタンは盛んに幼児を演じてみせる。最初は自分の恥ずかしさをまぎらわせるためだったのが、いつのまにか、ユリを手のかかる妹分扱いするのが面白くてたまらないというふうになってきているみたいだ。
「そ、そんな……でも、ボビンは私の味方だよね? カタンみたいにひどいこと言わないよね?」
 ユリは両目の瞼を閉じたまま、すがるようにボビンに言った。
「ボビン、年中さんだよ。年少さんでおむつの取れないユリちゃんとは違うよ。ボビン、ちゃんとトイレでおしっこできるお姉ちゃんだもん」
 カタンに調子を合わせて、ボビンも幼児を演じることを忘れない。
「はいはい、お喋りはそれくらいにして、おむつを取り替えましょうね。いつまでも濡れたおむつだとお尻が気持ち悪いでしょ? お姉ちゃんたちが見ててくれるから寂しくないわね」
 三人がやり取りする様子を面白そうに眺めていたケイトが、ユリの両方の足首をまとめてつかんで高々と差し上げた。
「い、いやぁ……」
 不意に足首を持ち上げられて、ユリは再び激しく首を振った。けれど、上半身を固定具に押さえつけられ、両手も自由に動かせないユリには、ケイトの手から逃れる術はない。
「あらあら、なにをむずがっているのかしら、ユリちゃんてば。せっかく新しいふかふかのおむつに取り替えてあげるのに」
 ケイトはわざと不思議そうな表情を浮かべて、更にユリの足首を高々と差し上げた。もともとユリの体が幼児並みに小さいのに加えて、疑似重力が小さな地点にいるから、さほど力は要らない。
 ケイトがユリの足首をつかんで持ち上げると、簡易ベッドとユリのお尻との間に少し隙間ができる。ケイトはその隙間を使って、ぐっしょり濡れてユリの下腹部にべっとり貼り付く布おむつを手元にたぐり寄せた。
「カタンちゃんとボビンちゃん、先生のお手伝いをしてくれるかな?」
 ケイトは手元に引き寄せた布おむつをそっとつかみ上げると、二人に向かって優しい声で言った。
「はい、先生。カタン、年長さんだからお手伝いできるよ」
 先に返事をしたのはカタンだった。
「そう。じゃ、先生が座っていたシートの横に置いてあるバッグを開けて、その中から透明のビニール袋を持ってきてちょうだい」
 ケイトは布おむつを手にしたまま、自分が座っていた座席の方を目で指し示した。
「はーい」
 カタンは短く応えると、最後尾のシートに歩み寄って、ケイトの言う通り、透明の袋を持って戻ってきた。
「ね、先生、これ、何の袋?」
 好奇心旺盛な幼児そのまま、カタンは、取ってきたばかりの透明の袋を開けてケイトの方に差し出した。
「これはね、ユリちゃんが汚しちゃったおむつを入れておく袋なのよ。濡れたおむつ、そのままバッグに入れてなんておけないものね。この袋に入れて持って返って、リサイクルセンターに渡すのよ。そうしたら、おむつが吸い取ったユリちゃんのおしっこが綺麗なお水になるの」
 その説明の通り、ケイトが備品バッグに入れて持ってきていたのは、防水性と気密性に優れた保存袋だった。ユリが汚した布おむつをこの中に入れてジッパーを閉じると、少々手荒く扱っても、おしっこが漏れ出すことはない。そして、この袋に入れたまま布おむつをリサイクルセンターに持っていけば、飲用にもできる水に再生してくれるのだ。トイレに排泄した尿がリサイクルセンターに集められて再生処理を受けていることは、コロニーの住人なら誰でも知っている。布おむつが吸い取った幼児のおしっこが再生されていることも民政局職員であるユリは知っている。けれど、自分が汚してしまったおむつがリサイクルセンターに持ち込まれて、おしっこが飲料水に生まれ変わり、誰かが口にするのかと思うと、身震いするほどの羞恥に体中を包まれるのを止められない。




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