わが故郷は漆黒の闇


【三三】


「やだ、ケイトってば。おむつを取り替えるたびにそうやって意地悪ばかり言うんだから」
 ベビーベッドの上でユリは頬をピンクに染めた。
「なにを言ってるの、意地悪なんかじゃないわよ。ユリ、本当におむつとベビーベッドがお似合いで可愛いからそう言ってるだけなのに」
 ケイトは軽くウインクしてみせてから、ユリのおむつカバーに指をかけた。
「だけど、だけど……」
 訓練が始まってすぐの頃のようにケイトの手から逃げ出そうとはしない。それでもユリは恥ずかしそうに身をよじって弱々しく首を振った。
「あらあら、なんだかご機嫌斜めね、ユリ。いいわ、おとなしくさせてあげる」
 ケイトはくすっと笑うと、一旦おむつカバーに伸ばした手を引っ込め、ベビーベッドの下から備品バッグを取り出してファスナーを引き開けた。
「あ、ベビーパウダーとか新しいおむつなら私たちが用意するから言ってくれればいいのに」
 ケイトが備品バッグに手を突っ込むのを見て、カタンが慌てて言った。
「そうね、おむつやベビーパウダーは、最初にエレベーターに乗った時から二人に用意してもらっているものね。でも、それは後。今は別の物をユリに渡そうと思ってバッグを開けたんだから」
 ケイトは意味ありげな笑みを浮かべてカタンの申し出をやんわりと断った。
「ユリに渡す物?」
 興味深そうに訊くのはボビン。
「そう、とってもいい物よ。――ほら、これでユリのご機嫌なんてすぐに良くなる筈だから」
 悪戯めいた表情でそう言ったケイトがバッグから取り出したのはプラスチック製のガラガラだった。
「ほら、ユリ、ちょっとこの音を聞いてごらん。すぐにご機嫌になるから」
 カタンとボビンが幾らかきょとんとした顔つきで見守る中、ケイトは、ユリの顔の上でガラガラをそっと振った。
 からころ。
 からころ。
 幼児用の玩具のかろやかな音に居住エリアの空気が優しく震える。
「お、おむつとベビーベッドだけでも恥ずかしいのに、その上そんな物で、どれだけ私を子供扱いする……」
 どれだけ私を子供扱いすれば気がすむのよ!? そう言って抗議の声をあげようとしたユリだけれど、途中で言葉が途切れてしまう。
 不思議に思ったカタンがユリの顔を伺うと、目がとろんとして、抗議の声をあげかけていた唇が半ば開いたままになっていた。そうして、ケイトがガラガラを差し出すと、ユリの手がおずおずと伸びて、かろやかな音をたてるガラガラをきゅっと握り締めた。
「どういうことなの、ケイト?」
 子供扱いされるのを嫌がっているユリが何の抵抗もなく幼児用の玩具を受け取ったのを見て、わけがわからず、ボビンは呆れたような顔でケイトに訊いた。
「実は、今朝、あなたたち三人が地球に潜入して施す特殊工作の概要が決定したの。これからその内容を話すから、よく聞いていてほしいの」
 不意に、思いがけない話題をケイトが口にした。
「え? それは、まぁ、聞いておきたいけど……」
「でも、それがこのガラガラとどういう関係があるっていうのよ?」
 突然のことに呆気にとられた顔つきでカタンとボビンはケイトの顔を振り仰いだ。
「うん。実は、このガラガラが特殊工作のために技術局が総力を挙げて開発した武器なのよ。ただ、エネルギーも資材も余裕はないから、武器は一つしか用意できなかったらしいんだけどね」
 ケイトは最後の方は少し悔しそうに小さく溜息を漏らして二人に言った。
「このガラガラが特殊工作用の武器ですって?」
 ユリが小さく手を振るたびにからころと音をたてるガラガラを見つめるカタンとボビンの顔に困惑の色が浮かぶ。
「そう、これが、あなたたちのために用意できた唯一の武器なの。じゃ、工作の概略を話すわね――」
 ケイトは、ユリの手に自分の右手を添え、大きくガラガラを振りながら、上層部から伝えられた特殊工作の概要を説明し始めた。
 その説明を要約すると、特殊工作は、三人が地球に到着するとすぐに開始して、極めて短い時間の内に終了させる短期決戦的なスケジュールで進めることになったらしい。地球に潜入した三人が時間をかけて幾つかの示威的な行動を起こした後にその結果を連邦政府に突きつけて交渉を開始するといった手順ではなく、潜入とほぼ同時にかなり決定的な破壊活動を行い、連邦政府が動揺する隙を衝いて一気に交渉の主導権を握るという方針に基づいた工作スケジュールを採るというわけだ。
 具体的に説明すると、破壊活動の決行日時は、三人が地球に到着した日の午後一番ということになった。カタンたちを乗せてコロニーを出発したシャトルは、十二時間の飛行の後、連邦標準時の午前十一時に連邦首府の宇宙港に到着する予定になっている。宇宙港で簡単なボディチェックを受けた後、三人は地球での養親に引き会わされ、そのまま、首府にある幼稚園に到着する。幼稚園に到着したカタンたち三人を待っているのは、入園式という行事だ。形式的には普通に幼稚園で行われる入園式なのだが、実のところは、コロニーから引き取られて地球の飼い主のもとにやって来た新しいペットの品評会またはお披露目の場といった意味合いが強い。要するに、新しく養親になった高官夫婦が「これが今度うちが飼うことになった新しいペットです。これまでに地球にやって来たペットも可愛いけど、うちのもなかなかのものだと思うから、よろしくお願いしますよ」と他の高官夫婦たちに披露するのが、入園式の本当の目的だ。入園式には、今度は誰がどんなペットを飼うことになったのかを見ようとして、手が空いている高官は殆どやって来る。その数は全高官の内の20パーセントくらいにも達するのが通例だ。多くの高官が夫婦で参加するその入園式の場で生物兵器を使用するというのが三人の行う特殊工作の概略だった。




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