わが故郷は漆黒の闇


【三七】


「承知しました。主席監察官、統括技官、主任出納官のお三方が揃って身元引受人ということでしたら何の問題もありません。LP2−C1から地球に帰還した三名の幼児、カタン、ボビン、ユリに対する入国審査は問題なく終了したものとします」
 入国審査官はあらためて敬礼をして、三人を解放した。まずは、民政局の目論見が的中したと言っていい。
「それでは、私はこれでコロニーに戻ります。子供たちのこと、くれぐれもよろしくお願いいたします」
 カタンがマッチバリー夫妻、ボビンがハー・リヤマ夫妻、ユリがユ・ビヌキ夫妻のもとに引き取られたのを確認し、ケイトは事務的な口調で言って、くるりと背を向けた。
「待ちたまえ、保護官。そんなに急いで帰ることはないだろう。せっかくだから、入園式の様子を見てからコロニーに戻ってもいいんじゃないのかね? どうせ、シャトルの出発まで二十四時間も待たなければならないのだし」
 ゲートの奥に向かって歩き出そうとするケイトをマッチバリーが呼び止めた。たしかに、援助物資や燃料の積み込み、機材の点検などで、LP2−C1に向かってシャトルが再び飛び立ちまでには二十四時間の準備時間が必要になる。これまで何度もユリは、その二十四時間の虚しい時間を特別待機室に閉じこもって過ごしていたのだった。
「し、しかし、私には地球への入国資格が……」
 マッチバリーからの思いがけない申し出に思わず足を止め、ケイトは戸惑いの表情を浮かべて振り返った。
「いや、そのあたりは実に曖昧な事情になっているようだが、建前としてはコロニーは全て連邦の直轄領ということになっているから入国資格の審査を受ける必要などないという意見もあるし、ま、これも私たちが身元引受人になるということでなんとかなるんじゃないかな。――どうだろうね、入国審査官?」
 訝るケイトに向かって穏やかな表情で言って、マッチバリーは入国審査官に見解を求めた。
「あ、はい。お三方が身元引受人になられるのでしたら……」
 実のところ、ケイトの地球への入国についてはおおいに疑義がある。それでも、自分とは比べものにならないほど地位の高い三人から迫られれば異を唱えられるわけがない。入国審査官は自分の責任にならないよう語尾を濁すばかりだった。
「ということだ。これまで何度も子供たちと一緒に地球へ来ているのに、ゲートも通らずにコロニーへ帰ってばかりの辛い旅だったのだろう? 一度くらい、入園式に参加して子供たちの晴れ姿を見届けてからコロニーに戻ってもいいと思うがね」
 マッチバリーは渋く笑って言った。
「でも、どうしてですか? どうして、コロニー自治行政院の職員である私に対して、そんな気遣いを?」
 これまでもどんなにか子供たちを地球に送り届けた後の様子を自分の目で確かめたかったろう。ずっと地球にいるのは無理でも、せめて入園式の様子だけでも(それが高官たちにとっては新しいペットの品評会でしかないにしても)両目に焼き付けてコロニーへの帰途につきたいと願ったことだろう。ことさら今回は、コロニーの住人の思いを託された三人が特殊工作を成功させる様子をこの目で確認したいという思いが胸の中に満ちていた。けれど、どうしてマッチバリーがそんなことを言い出したのかその真意がわからず、なかなか返事ができないケイトだった。
「君たちが私たちに対してどんな思いを抱いているか、それくらいのことは充分に承知しているつもりだよ。それと同時に、君たちは、私たちが君たちが何かしでかさないかと疑っているという事実を知っている。互いに、疑心暗鬼どころか、はっきりした敵意を持っているわけだ。けれど、そんなことは子供たちとは何の関係もないことだと信じたいんだよ、私は。君たちはこの子供たちを育ててくれた。今度は私たちがそれを引き継ぐ。せめて、その引き継ぎの瞬間だけは、両者が立ち会ってもいいと思わないかね? 私たちのためではなく、君たちのためでもなく、ただ、子供たちのために。別に、君に対して気遣いをしているわけではない。君の後ろ姿を寂しそうに見送るしかない子供たちに対して気遣いをしているだけだよ、私は」
 マッチバリーは、わざとのような事務的な口調でケイトに言った。
「……わかりました。入園式に立ち会わせていただきます」
 少し迷って、けれどケイトは大きく頷いた。


 首府機能を搭載したメガフロートの南の端から更に20kmほど離れた海上に建造された宇宙港から首府の中心部分までは、イオンクラフトで二十分ほどの行程だ。
 大気圏に突入する際に発生する高熱から機体を保護するためにシャトルには窓がなく、宇宙港では慌ただしい移動を余儀なくされたため、カタンたち三人が地球の光景をゆっくり目にすることができたのは、イオンクラフトに乗り込んだ後だった。透明なキャノピーを備えた中型イオンクラフトが宇宙港の一角から静かに上昇するにつれ、どんどん視界が広がっていって、初めてカタンたちは、宇宙港を取り囲んでどこまでも広がる青い海原を目の当たりにしたのだった。
「すっごーい。これ、全部お水なのかな?」
「すごいねすごいね。お水が青くてお空も青くて、それで、あの白いのが雲っていうのかな」
 隣どうしの席についたカタンとボビンは、キャノピーにおでこを押しつけるようにして、眼下に広がる大海原とキャノピーの上に無限に続く青空とを何度も見比べて嬌声をあげ続けた。それは、好奇心旺盛な幼児を演じているというよりも、初めて目にした地球の光景に魅せられて、心の底から自然と湧きあがってくる感嘆の声だった。




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