わが故郷は漆黒の闇


【三九】


 入園式の会場に当てられている講堂にチャイムの音が鳴り渡って、間もなく入園式が始まることを知らせるアナウンスの声がこだました。
 それまで友達とお喋りに興じていた園児たちが先生に注意されて静かになり、あちらこちらで噂話に忙しかった高官の妻たちも自分の席に戻ると、講堂が一瞬、静寂に包まれる。
 待つほどもなく、開会を告げるアナウンスがあって、かろやかなリズムを刻むBGMが流れ始めた。そのリズムに合わせて園児たちが手拍子を打ち始め、少し遅れて、高官たちも園児に合わせて両手を打ち鳴らし始める。
 やや間があって緞帳が左右に開くと、ステージの上に、いかにも園児たちが手作りしたらしい、紙の造花を幾つも鏤めた半円形のアーチがせり上がってきた。どうやら、そのアーチをくぐって新しく入園する子供たちが順番にステージに姿を現すという進行手順になっているらしい。
『本日の入園式では、年長クラス、年中クラス、年少クラスにそれぞれ一人ずつ新入生を迎えることになっています。ご父兄のみなさまも園児たちと一緒に温かい拍手でお迎えくださいますようお願いいたします』
 と高官たちに向けた落ち着いた口調のアナウンスがあって、その後、同じ女性の声が今度は園児たちに語りかけるようなアナウンスを行った。
『それじゃ、今から新しいお友達の名前を呼びます。私が名前を呼んだら、その後、みんなも名前を呼んであげてね。そうしたら新しいお友達が、みんなの作ってくれたアーチをくぐってステージに上がってくるからね。みんな、わかったかな?』
 アナウンスに対して、園児たちが一斉に大声で、はーいと返事をする。あまりの元気のよさに耳を押さえて苦笑する高官たちの姿が、いかがわしい空気を少しだけほのぼのさせる。
『はい、元気なお返事ありがとう。じゃ、一番目の新しいお友達を呼びます。年長さんのカタンちゃんです。さ、みんなも名前を呼んであげようね。年長さんのカタンちゃーん』
 アナウンスに合わせて、園児たちもカタンの名を大声で呼んだ。
 それと同時にステージ上のアーチにスポットライトの光が当たる。
 スポットライトを浴びて浮かび上がったアーチをくぐって、マッチバリー夫婦が、カタンを真ん中にしてゆったりした足取りで奥の方からステージの一番手前の端まで歩いてきた。マッチバリー自身は四十歳くらい、妻の方はそれよりも三つほど年下といったところだろうか、二人とも、首府の他の住人と同様、背が高く引き締まった体つきをしている。地球でも首府以外の地域に住む人々が栄養事情の悪さのせいで貧相な体つきなのとは対照的だ。そんな二人の間にはさまれてステージの手前に進み出た小柄なカタンの姿は、誰の目にも幼児そのものだった。しかも、ステージの奥から手前まで歩いてくる間に脚がもつれて倒れそうになり、そのたびにマッチバリー夫婦に手を引かれてようやく尻餅をつかずにすむといったことを何度も繰り返しているから、尚更のこと、まだ足取りもしっかりしない幼児に見える。
「ほーお、主席監察官、なかなか可愛らしいお嬢ちゃんを手に入れたじゃないか。このぶんだと、うちの娘にももう少し磨きをかけないといけないかな。出世競争は五分五分だから、このへんで差をつけてやらないとな」
 一人の高官がぽつりと呟いた。
 そこへ、顔見知りらしい少し若い高官が声をかける。
「それにしても、あの女の子、年長クラスのくせに足取りがおぼつかないと思いませんか? なんだか、まだあんよも上手にできない、もっと小さな子供みたいな歩き方ですね」
「ああ、君のところはまだコロニーから子供を引き取っていないんだったな。それじゃ知らないだろうが、コロニーから到着したばかりの子供はみんなあんなふうなんだよ。コロニー内部の疑似重力は0.3Gしかないから、地球へ来る前に訓練はしていても、思うように歩けないんだよ」
「あ、そうなんですか。でも、そのままで大丈夫なんでしょうか?」
「心配することはないよ。私が引き取った女の子は、三週間もすると、地球で生まれ育った者と同じくらい元気に走りまわれるようになったからね。なんといっても育ち盛りの子供たちだから、特にカルシウムとアミノ酸を含む栄養豊かな食事を与えて運動をさせれば、じきに骨密度も上がるし筋力も高まるさ」
「そうですか。それで安心しました。いや、今度、うちも妻がどうしても子供を引き取りたいって言い張るもんだから様子を見にここへ来てみたんですが、歩くことも満足にできない手のかかる子を引き取ることになったらどうしようかと心配になったもので。いや、これで一安心です」
「おやおや、そんなことを心配していたのかい。心配性だね、君も。もしも万が一だが、本当にそんな手間のかかる子に当たった場合はコロニーに『返品』すればいいんだよ。そんな『不良品』を送りつけてくるのはコロニーの責任なんだから、こちらとしては毅然とした態度で臨めばいいのさ」
「たしかに、言われてみれば、そんなものですかね」
「そういうものさ。コロニーが我々に逆らえるわけがないんだから」
 高官たちがそんな会話を交わしながらひとしきり笑い合っている頃、園児たちの席の一角では、年長クラスの女の子が二人、不思議そうな顔をして囁き合っていた。
「ね、ね、あのカタンちゃんだけど……」
「あ、やっぱり? うん、私も変だなって思ってたの」
「そうなの? やっぱり、私たちが育児センターの年中さんだった時に年長さんだった、あのカタンちゃんなのかな」
「うん、そうだと思う。あの顔、絶対、あのカタンちゃんだよ」
「でも、変だよね。私たちが年中さんの時に年長さんだったのに、私たちが年長さんになってもまだ年長さんだって。どういうことかしら?」
「うん、どうしてだろうね」
 LP2からやって来た二人の女の子は、自分たちが育児センターの年中クラスにいた頃に保護官として面倒をみてくれたカタンの顔を今でもはっきり憶えている。ただ、カタンは他の住人よりもネオテニー化が進んでいて、成人しても年長クラスの幼児くらいの体格しかないから、面倒をみてもらった女の子たちはカタンのことをケイトのような保護官だと意識したことはない。ただ、なんとなく、いろいろ面倒をみてくれる優しいお姉ちゃんだなとくらいにしか思っていず、カタンが主に年長クラスを担当していて年長クラスにいることが多かったため、いつとはなしにカタンのことを年長クラスの園児だと思いこむようになっていたのだ。そんな事情で、自分たちがまだ年中だった頃に年長だった(と、二人は思い込んでいる)カタンが、それから一年近く経って自分たちが年長になった今になって連邦首府の幼稚園にまた年長クラスの園児として入園することになったのが不思議でたまらないというところだ。




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