わが故郷は漆黒の闇


【四一】


 一人の女の子が顔を真っ赤にし、もう一人がおかしそうに笑っている間に、アナウンスはいよいよユリの名前を呼んでいた。
『最後に、三番目の新しいお友達を呼びましょう。最後の新しいお友達は年少さんのユリちゃんです。はい、年少さんのユリちゃん、出てらっしゃーい』
 みたびスポットライトの光にアーチが浮かび上がった。
 これで最後だと思うと園児たちが呼ぶ声も自然に大きくなって、「ユリちゃん」「ユリちゃん」という甲高い声が講堂中に響き渡る。 その中を、ユ・ビヌキー夫婦に手を引かれて、ユリがよちよちとステージの奥から歩み出た。その足取りは本当に「よちよちと」と表現するのがぴったりな、頼りなく、おぼつかない歩き方だった。先に登場した二人と同じく地球の重力に体を押さえつけられてという理由もあるけれど、ユリの場合は、それに加えて、スカートの下に身に着けているのがショーツではなくおむつだという理由も大きかった。おむつカバーがぷっくり膨らむほど厚くあてられた布おむつのせいで両脚をちゃんと閉じることができないからどうしてもお尻を後ろに突き出すようにした姿勢で脚を開きぎみにして歩くことになって、余計に自分の体重を支えるのが難しくなり、それこそ、よちよち歩きを始めたばかりの幼児みたいなおぼつかない足取りになってしまうのだった。
「あ、見て見て。今度は年少さんのユリちゃんまで出てきたよ」
 自分が年中までおねしょをしていたことを友達に知られて顔を真っ赤にしていた女の子が、話題をそらそうとするみたいに、ステージの一番前までよちよちと歩いてきたユリを指差して大声で言った。
「ほんとだ。カタンちゃん、ボビンちゃん、ユリちゃん。私たちが知ってる子ばかりだね。幼稚園、楽しくなるね」
「そうだよね。でも、年少さんのユリちゃんも落第なのかな。年少さんから年中さんに上がるの、難しくなんてなかったよね?」
 カタンとボビンを保護官ではなく育児センターの幼児教育機関の園児だと思い込んでいた二人だから、もちろんのこと、ユリもそうだと思い込んでいる。もっとも、特にユリの場合、カタンとボビンよりも更に小柄で、担当する年少クラスの園児並みに背が低かったから、先輩の保護官であるケイトの目から見てもどうにかすると園児と間違えるくらいだったから、二人の女の子を責めるわけにはゆかない。
「うん。何もしなくても年中さんになれたよね、私たち」
 二人は揃って胸の前で腕を組み、互いに顔を見合わせて、もういちどユリの姿を見上げた。
 と、どちらからともなく、あっという声を出して、くすっと笑い合った。
「うん、わかった。あれじゃ、年中さんになるのは無理だよね」
「うんうん、絶対に無理だね。この幼稚園じゃ、年少さんの中にもおむつの子なんていないよ。ひょっとしたらユリちゃん、年少さんのクラスにも入れてもらえないかもしれないね」
「でも、年少さんより下のクラスってあったっけ?」
「えーとね、今は入ってる子はいないんだけど、二歳児クラスっていうのがあるって、一度だけ先生から聞いたことがあるよ」
「ふーん、そんなクラスがあるんだ。でも、それだったらユリちゃんにはお似合いかもね。だって、おむつのユリちゃんだもん」
 片方の女の子がそう言って再びユリの方に顔を向けると、もう一方の子もあらためてユリの方に向き直った。
 ただでさえ幼児用のセーラースーツは丈が短いのに、ユリが着ているセーラースーツは、特にスカート丈が短い仕上げになっていた。そこに持ってきてぷっくり膨らんだおむつカバーだから、ショーツに比べてスカートの裾が少し捲れ上がる感じになってしまう。そんなわけで正面から見てもスカートの裾からおむつカバーがほんの少しだけ見えてしまうものだから、ステージの上にいるユリを斜め下から見上げる位置に座っている園児や高官たちの目には、淡いレモン色の生地に大小さまざまなキャンデー柄をプリントしたおむつカバーが丸見えだった。
 そのおむつカバーを目にして、二人はユリにおもらし癖があるのを知った。そうして、そのおもらし癖が原因で年少クラスから年中クラスに上がれなかったんだと思ったわけだ。まさか、そのおもらし癖というのが、ユリが正体を怪しまれないようにするためケイトに強要されて、訓練で身に付けさせられた恥ずかしい癖だとは知らないで。
「でも、私たちが育児センターにいた時、ユリちゃん、おむつだったっけ?」
 しばらくの間ユリの下腹部を包むおむつカバーに目を凝らしていた二人だが、ふと気がついたように片方の女の子がもう一方の子に囁きかけた。
「あれ? どうだったかな? ユリちゃん年少さんのクラスにいたからよく憶えてないけど、お洋服のお尻のとこ、あんなに膨らんでなかったと思うよ」
「だよね。だったら、私たちが地球に来てからユリちゃんのおもらし始まっちゃったのかな。でも、ま、どっちでもいいや。おむつのユリちゃん、とっても可愛いね」
「うん、とっても可愛いね。それに、ほら、あんなに大切そうにガラガラなんて持っちゃって。ほんと、二歳児クラスがぴったりなんじゃないかな」
「そうだね。カタンちゃんやボビンちゃんと同じで背がちっとも伸びてないから、この幼稚園の年少さんの中でも一番小っちゃいみたいだし、二歳児クラスに入れてあげたいね。他の年少さんがお姉ちゃんみたいだもんね、ユリちゃんと比べると」
「そうだよ。あんなよちよち歩きじゃ、他の年少さんと一緒に遊べないよ、きっと」
 そんな園児たちの会話がステージの上のユリに聞こえるわけがない。それでもユリには、会場のあちらこちらで何やら囁き合っている園児や高官たちの姿を目にするだけで、それが自分のことを話題にしているのだということが痛いほど感じられた。セーラースーツの下の恥ずかしい下着と、しっかり握りしめた幼児用の玩具のことを囁き交わしているのだという屈辱に満ちた確信が、たとえようもなく烈しい羞恥と共に、ふつふつと胸の奥深くから湧き起こってくるのを止められないでいるユリだった。




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