わが故郷は漆黒の闇


【四四】


「さて、もう気はすんだかね、特殊工作員のお嬢ちゃんたち?」
 盛んに湧き起こる笑い声と拍手の中、ステージ上で立ちすくむ三人に向かって、マッチバリーが声をひそめて話しかけた。
 三人は、はっとしたような表情でマッチバリーの顔を見上げた。
「おや、私が君たちの正体を知っているのが、そんなに不思議かね? だけど、私だけではなく、ハー・リヤマもユ・ビヌキーも最初から知っていることだよ。もちろん、妻たちもね」
 マッチバリーは芝居がかった仕種で、自分の背後に控えている五人を順に掌で指し示してみせた。
 その言葉に、三人の顔がみるみる蒼褪める。
 その様子をおかしそうに眺めて、マッチバリーは含み笑いを漏らして続けた。
「もっとも、他の高官や幼稚園の職員たちには、君たちの正体を知らせてはいないよ。彼らはみな、君たちのことを、見た目通りの、コロニーからやって来た新入生としか思っていないということだ。これで少しは安心かね?」
「で、でも……でも、どうして?」
 カタンが声を振り絞って訊いた。
「どうして私たちが君たちの正体を知っているのか、その理由を知りたいようだが、さほど不思議なことじゃないよ。我々の情報網を甘く見ない方がいいという、ただ、それだけのことさ」
 こともなげにマッチバリーは応えて、会場の最後尾の席に座っている高等助言官に向かって目配せをした。
 気配を察したケイトが慌てて席を立とうとするところを、高等助言官が肩を押さつける。
「君たちのチームリーダーであるケイト保護官の身柄は高等助言官が拘束したようだ。君たちもおとなしくするんだね。なにせ君たちは、とっても聞き分けのいい素直な子供たちの筈なんだから」
 マッチバリーは勝ち誇った顔で笑いを噛み殺した。
 ケイトが高等助言官に肩を押さえつけられる様子は、カタンたちも目の隅にとらえていた。三人の顔に絶望的な表情が浮かぶ。
「潜入先で工作に失敗した特殊工作員か。地球で生まれ育った工作員なら自ら命を絶つ場面だね」
 皮肉めいた口調で言ったのはユ・ビヌキーだった。
「だけど、コロニーで生まれ育った人間は、自分で自分の命を絶つようなことは絶対にしないんだってね。そんなことも僕たちは知っているんだよ。マッチバリーが忠告した通り、連邦の情報網を甘く見ない方がいいよ。もっとも、そう忠告したところで、もう手遅れだけどね」
 ぎりっと奥歯を噛みしめて三人は顔を見合わせた。
 ユ・ビヌキーが指摘した通り、コロニーの住人が自らの命を絶つことは絶対にない。外皮一枚隔てればそこは宇宙空間というコロニーで、しかもエネルギーも食糧も生存許容量を満たすかどうかというぎりぎりの過酷な環境で生きる者は、異様に発達した生存本能を身に付けている。とにかく生き抜くことが絶対条件だという意識が遺伝子レベルに刷り込まれていると表現しても大げさではない。そんなコロニーの住人にとって、ただ一つの例外、新しい世代の糧となるべく自らの意思で安楽死施設に向かう時以外には、自らの命を絶つ行為など、想像することさえかなわない。
「つまり、君たちは、意に反して、このまま地球で生き続けなきゃいけないわけだね。君たちが憎悪してやまないこの地球でね」
 ハー・リヤマが面白そうに言った。
「ああ、先に言っておくけど、私たちは君たちを収容所に送ったり強制労働に就かせる気はないからね。むろんのこと生命の保証はするよ。その上で、居心地のいい住居に住まわせてあげるし、栄養たっぷりの食事もあげる。だって、君たちは、私たちの可愛い養女なんだからね」
「そ、それは、どういうこと?」
 思いがけないハー・リヤマの言葉に、ボビンが戸惑いながらも気色ばんだ声で聞き返した。
「どうもこうもないよ。君たちは私たちがコロニーから迎えた可愛い養女だから、予定通り私たちの家で一緒に暮らすんだよって、それだけのことさ。おいたがちょっと過ぎたかもしれないけど、そのくらいのことで見放しちゃ、養親としての資格に欠けるからね。ま、もう二度とおいたをしないように少しだけお仕置きはするかもしれないけど、それは君たちがちゃんと育ってくれるよう躾けるためだから仕方ないよね。――わかるかね? 実際は子供などではなくれっきとした大人である君たちがこれからずっと、幼児扱いされて生きていくことになるんだよ。それも、この地球で、この私たちの手の中でね。それが特殊工作に失敗した君たちの宿命なんだよ。投獄されるよりもよほど惨めでよほど屈辱的だろうね。あまりの羞恥に泣き叫ぶ日々になるかもしれないね。でも、逆に私たちは、ネオテニー化の進んだ住人をメンバーに抜擢した特殊工作チームが編成されそうだという情報をつかんで以来、この日が来るのをずっと待っていたんだよ。私たちは普通の幼児を養子に迎え入れるくらいじゃ満足できない性質でね、君たちのような存在が現れるのをずっと待っていたんだからね」
 しれっとした顔でハー・リヤマは応えた。
「そ、そんな……嫌よ、あなたたちの思い通りになんてなるもんですか!」
 カタンは激しく首を振って、ステージの奥に向かって走り出した。
 けれど、地球の重力に馴染んでいない体で逃げ切れるわけがない。すぐにマッチバリーの妻につかまって、そのまま軽々と抱き上げられてしまう。
「やれやれ、困った子だな、カタンちゃんは。コロニーにはおとなしい女の子をと頼んでおいたのに、実際に来てみればこんなにお転婆さんだったなんて。これは、ママに厳しく躾けてもらわないといけないね」
 しとやかそうに見えるマッチバリーの妻だが、元は男性だ。小柄なカタンがどんなに手足をばたつかせても、その手から逃げ出すことはかなわない。
「本当にそうですわね、あなた。カタンちゃんには私のお手本になってくれるようなおとなしくておしとやかな女の子に育ってもらわなきゃいけないから、これからたっぷり時間をかけて躾け直すことにしますわ。前評判通りの素直で聞き分けのいい、ボビンちゃんやユリちゃんのお手本になれるような、年長さんのお姉ちゃんになれるようにしなきゃいけませんことね」
 わざとらしい女言葉で言って、マッチバリーの妻はほほほと笑った。けれど、胸の高さまで抱き上げたカタンの顔を見おろすその目は、まるで笑ってなどいなかった。




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