わが故郷は漆黒の闇


【四五】


「あら、いいわね、カタンちゃんはママに抱っこしてもらって。じゃ、うちもボビンちゃんが拗ねないうちに抱っこしてあげましょうね」
 そう言う声が聞こえたかと思うと、ハー・リヤマの妻の手が伸びてきて、有無を言わさずボビンの体を抱き上げてしまった。
「離して、離してってば。どうして私があんたなんかに抱き上げられなきゃいけないのよ!」
 ハー・リヤマの妻はれっきとした女性だが、トレーニングジムでのエクササイズを欠かしたことがない。ほっそりした体つきながら、筋力はマッチバリーの妻と互角かもしれないほどだ。ボビンは激しく身をよじるのだが、絡みついた手は一向に離れない。
「うふふ、ボビンちゃんは私のリクエスト通りで勝ち気な子なのね。でも、その言葉遣いは直さなきゃいけないわよ。芯が強くて自分の思ったことをはっきり言うのは大事だけど、もう少し優しい言葉遣いをするよう教えてあげなきゃいけないみたい。幸い、うちは女どうしのユニセクシャリティー夫婦だし、優しい言葉遣いはパパとママの二人で教えてあげられるわね」
 ハー・リヤマの妻はボビンにそう言って、夫に向かって艶然と微笑みかけた。
「そういうことだね。私たち二人でしっかり教えてあげなきゃいけないね」
 ハー・リヤマは、ボビンが身をよじるたびにスカートの裾が舞い上がってアニメキャラのショーツが見えたり隠れたりする様子を面白そうに眺めながら頷いた。
「あらあら、年長さんのカタンちゃんと年中さんのボビンちゃんがママに抱っこしてもらったんじゃ、年少さんのユリちゃんを放っておくわけにはいかないわね。はい、ユリちゃんもママが抱っこしてあげようね」
 マッチバリーの妻とハー・リヤマの妻がそれぞれカタンとボビンを抱き上げると、ユ・ビヌキーの妻もユリを抱き上げようとして腰をかがめた。
 と、ユリがおずおずと腰をひく。憎むべき高官の妻の手から逃げようとするのは無理からぬことだけれど、体の動きがどこかぎこちない。
 ユ・ビヌキーの妻は微かに首をかしげたが、じきに何か気がついたような顔つきになって、ユリのすぐ前に膝をついて目の高さを合わせた。
 慌ててユリは目をそらそうとするのだが、ユ・ビヌキーの妻が両手を前に差し出し、ユリの頬を左右の頬で包みこむようにして首の動きを押さえつけてしまう。
「駄目じゃない、ユリちゃん。ちっちしちゃったらすぐママに教えなきゃ、お尻が気持ち悪いでしょ?」
 ユ・ビヌキーの妻はユリの目を正面から見据えて、たしなめるような口調で言った。
 途端にユリの顔が真っ赤になる。
「ちっち、しちゃったんでしょ?」
 真っ赤な顔で何も応えないユリに向かって、ユ・ビヌキーの妻は繰り返し言った。
「……し、してないわよ、おしっこなんて。そ、それに、私は大人なんだから、ちっちなんて子供に言うみたいな言葉遣いはよしてちょうだい」
 ユ・ビヌキーの妻の手で頬を押さえらて下を向くことも顔をそむけることもできず、おどおどと視線だけを落として、ユリは弱々しい抗議の声をあげた。
「あら、ハー・リヤマおばさまが言った筈よ。ちょっとおいたが過ぎたけど、三人は私たちの子供だって。その証拠にほら、カタンちゃんとボビンちゃんはママに抱っこしてもらってるでしょ? だから、ユリちゃんもママの可愛い娘なのよ。まだおむつの外れない小っちゃな娘だもの、おしっこじゃなくて、ちっちがお似合いなの。わかったら、ちゃんとママに教えてちょうだい。ユリ、ちっちしちゃったって」
 それこそ、聞き分けの悪い幼児に教え諭すようにユ・ビヌキーの妻は言った。随分と若いのに母性本能が発達しているのか、それともユリを子供扱いするのが面白くてたまらないのか、どちらが本当なのかはわからない。わからないけれど、まるでユリが本当の幼児ででもあるかのように接するその様子が、ユリの胸の中に激しい羞恥をかきたてる。
「だから、してないってば!」
 癇癪を起こした子供みたいにユリが喚いた。
「そう、ちっちしてないの。だったら、これはどうしてかしら?」
 強情に言い張るユリに呆れたように言って、ユ・ビヌキーの妻は、セーラースーツのスカートをぱっと捲り上げた。
「ほら、これ。おむつカバーが重そうにしているわよ。どうしてなのかしらね」
 ユ・ビヌキーの妻の右手が頬から離れたおかげで、ようやくユリは顔を自由に動かせるようになった。けれど、やっとのこと自由になった顔を下に向けた途端に目に映ったのは、あまりに恥ずかしい光景だった。ユ・ビヌキーの妻がスカートを捲り上げているせいで自分の下腹部を包み込んでいるおむつカバーカー丸見えになっていたのだが、それが、いかにも重そうにずり下がりぎみになっている様子がユリの目に飛び込んできたのだ。
 もうごまかせない。
 ユリは観念するしかなかった。
 シャトルが大気圏に突入する前にケイトにおむつを取り替えてもらってからこれまでの間だから、帰還準備室においてケイトに強要された訓練のせいで一時もおしっこを我慢できない体にされてしまったユリにしてみれば随分と長い間おもらしせずに頑張ったと言っていい。けれど、いよいよ作戦決行という緊張も相まって、ガラガラを振った瞬間、とうとう我慢しくじってしまったのだった。が、ユ・ビヌキーの妻にそのことを指摘されても、みすみす事実を認めることはできなかった。しかし、それでも、こんなふうにあからさまに証拠を突きつけられては観念するしかない筈だった。
 なのにユリは未練がましく首を横にふるばかり。
「あらあら、まだそんなふうなの、ユリちゃんは。見かけによらず強情なのね。でも、ま、いいわ。こうすればもっとちゃんとわかるから」
 ユ・ビヌキーの妻は、右手でスカートを捲り上げたまま、左手をおむつカバーの中に差し入れた。




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