わが故郷は漆黒の闇


【四六】


「や、やめて。そんなことしちゃやだってば」
 温かい掌がおむつカバーの中を這いまわる感触に、ユリはびくんと腰を震わせて悲鳴をあげた。
「ちっち、しちゃったんでしょう? ちゃんとママに教えてくれたら、おむつカバーから手を出してあげる」
 ユ・ビヌキーの妻はわざと意地の悪い口調で言った。
「してない。おしっこなんてしてないんだから……」
 いよいよ根負けしてきたのか、ユリは今にも泣き出しそうな声で言った。
「そう、まだそんなことを言うの、ユリちゃんは。だったら、これは何かしら」
 ユ・ビヌキーの妻は左手を少し引いておむつカバーの裾に指先をかけ、二重になっているギャザーを親指と人差指の先でひねるようにして、ユリの太腿の膚との間に小さな隙間をつくった。
 紙おむつだと、吸水帯の高分子物質がおしっこを吸って二度と滲み出ないようにゼリー状に固める仕組みになっているのだが、布おむつは生地がおしっこを吸収するだけだから、立ったままだと、どうしても下の方に吸い取れなかったおしっこが溜まりやすい。それが横漏れするのをギャザーが防ぐようになっているのだけれど、ユ・ビヌキーの妻がしたようにギャザーと太腿の肌との間に僅かでも隙間ができると、そこからおしっこが漏れ出てしまう。流れ出すように勢いよく溢れ出ることはないものの、小さな雫になって、皮膚の上を伝い落ちるようにしてぽたぽたと滲み出てくるのだ。
「あ……」
 太腿の内側をおしっこの雫が伝い滴り落ちる感触に、ユリは唇を半ば開きっ放しにして弱々しい声を漏らした。
「さ、これは何かしら? ちゃんとママに教えてちょうだい。ユリちゃんのあんよを伝って落ちているのは何なの?」
 さすがに、もう言い逃れはできない。
「……お、おしっこです……」
 打ちひしがれ、力なく顔を伏せて、ユリは小さな声で呟くように応えた。
「そう、おしっこね。でも、さっきも言った通り、まだおむつの外れていないユリちゃんには、おしっこよりも、ちっちの方がお似合いね。もういちど訊くけど、これは何?」
 ユ・ビヌキーの妻は、ユリの太腿の皮膚に残るおしっこの跡を指でなぞりながら言った。
「……ち……ち、ちっちです……」
 屈辱にまみれた表情でユリが応える。
「そうね、ちっちね。じゃ、誰のちっちかな?」
「わた、私の……ちっちです……」
「駄目よ、それじゃ。小っちゃい子はね、自分のことを名前で呼ぶの。私なんていうのは、お姉ちゃんになってからよ。はい、誰のちっちか、ママに教えてちょうだい」
「ユ、ユリの……ユリのちっちです」
「はい、よくできました。それじゃ訊くけど、ちっちしちゃったら、どうすればいいと思う?」
「……」
「あら、わからないの? ちっち出ちゃったらママにお願いするんでしょ? 『ママ、ユリのちっちのおむつ取り替えて〜』ってお願いするんじゃないかしら?」
 ユ・ビヌキーの妻はおむつカバーの上からユリのお尻をぽんぽんと叩いて言った。
「……い、言えません、そんなこと……」
 ユリは胸の前で拳をぎゅっと握りしめ、ぷるんと首を振って言った。
「そう、言えないの。でも、言えなかったら、いつまでも濡れたおむつのままでお尻が気持ち悪いわよ。それに……」
 ユ・ビヌキーの妻は思わせぶりに言葉を途切った。
「それに……?」
 嫌な予感を覚えて、ついついユリは聞き返してしまう。
「……ちゃんと言わないなら、会場に来ている人たちにユリちゃんの正体を教えちゃおうかな。こんな格好をしているけど、三人とも本当は大人なんですよ。大人なのに幼稚園児の格好をして、ユリちゃんなんて、おむつまで汚しちゃうんですよ。なんて恥ずかしい人たちなのかしらって」
「い、いやぁ。そんなの、それだけは許してください。お願いだから、それだけは……」
 がんぜない子供のように、何度も何度もユリは首を振った。せっかく地球に潜入できたのに、工作活動には失敗し、その上、大勢の連邦の高官たちに正体をあかされるのは屈辱以外の何物でもない。しかも、潜入するために幼稚園児のふりをしていたなんて知られたら、どれほどの羞恥なのやら想像もつかない。
「そうね。今ならユリちゃんたちの正体を知っているのは私たちだけ。他の人たちは何も知らない。今も、ちゃんと寸劇を演じ終えたユリちゃんたちを私たちがねぎらっているところだと、みんなは思っているでしょうね。ユリちゃんさえママにちゃんとお願いしてくれたら、これ以上の恥ずかしい目には遭わなくていいのよ」
 ユ・ビヌキーの妻は噛んでふくめるように言った。
「で、でも……」
「さ、どうするの?」
 ユ・ビヌキーの妻はユリの顔をねめつけた。
「……い、言います。言うから、私たちの正体は……」
「約束は守るわよ。へたに正体をばらしちゃったらユリちゃんたちは連行されるに決まってる。そうなったら私たちも楽しみが減っちゃうもの、できればばらしたくないのよ、本当のところは」
 ユ・ビヌキーの妻は悪戯っぽく笑ってみせた。
 ユリはすっと息を吸い込むと、意を決したような表情を浮かべておずおずと唇を動かした。
「……ま、ママ、ユリの……ユリのちっち、ちっちで汚れたお……おむつを取り替えてください。……お願いします……」
「よく言えたわね、ユリちゃん。やっぱりユリちゃんはお利口さんだわ。そう、ユリちゃんはママにおむつを取り替えてほしいのね。じゃ、すぐに取り替えてあげる。このままじゃお尻が気持ち悪いし、おむつかぶれになっちゃうものね」
 ぱっと顔を輝かせて早口にそう言うと、ユ・ビヌキーの妻は夫に向かって目配せをした。




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