わが故郷は漆黒の闇


【四八】


「なるほど、あれを持ってきてくれるよう指示したわけか。たしかに、おむつのユリちゃんにはお似合いだね」
 職員たちが運んでくる荷物の正体に気づいて、ハー・リヤマが意味ありげな笑みを浮かべた。
「そう思うだろ? ユリちゃんのおむつを取り替えるなら、絶対あれがお似合いだと思ったから頼んだんだよ。今、クラスは閉鎖状態だけど、備品はいつも手入れしてすぐに使えるようにしているらしいということを聞いていたからね。それに、コロニーからの情報じゃ、ユリちゃんはいつもあれと同じようなのでおむつを取り替えてもらっていたそうだからね。少しでも慣れた環境に置いて気分をやすらげてやろうと思うのが親心というものだよ」
 そう言って、ユ・ビヌキーもにやりと笑い返した。
 ユリがコロニーの帰還準備室でおむつを取り替えられるたびにお世話になっていたのと同じような物――そう、職員たちが講堂に運び込んできたのは、白塗りの木製のベビーベッドだった。ユ・ビヌキーは、該当する年齢の園児が今のところいないため閉鎖状態になっている二歳児クラスの部屋から、備品であるベビーベッドを運んでこさせたのだった。

「ありがとう、ここでいいよ。重い物を運ばせて申し訳ないね。――いいよ、ユリちゃんを連れてきてあげなさい」
 園児たちの席と高官たちの席とを隔てる中央通路の中ほどにベビーベッドを置いてから所定の持ち場に戻る職員にねぎらいの声をかけて、ユ・ビヌキーは、ユリを抱いてステージをおりてくる妻に向かって手招きをした。
 と、それまでとろんとしていたユリの瞳に生気が戻ってきて、木製のベビーベッドを見るなり、はっと両目を大きく見開いた。どうやら、ユ・ビヌキーが職員にベビーベッドを置く場所を指示している間はガラガラを鳴らさずにいたため、正常な思考力と判断力が戻ってきたらしい。
「いや。こんな所で、いや!」
 目の前のベビーベッドが何のための物なのかすぐに理解したのだろう、ユ・ビヌキーの妻に体を抱き上げられたままユリは激しく首を振った。すると、ちょうど胸の高さに抱き上げられていたものだから、ユリが首を振ると、偶然、頬を乳房のあたりに押しつけるような格好になってしまう。
「あらあら、そんなにママのおっぱいが欲しいの? でも、もう少しだけ我慢してね。おっぱいの前におむつを取り替えないと、おむつかぶれになっちゃうからね」
 ユ・ビヌキーの妻は、自分の乳房に頬を押し当てて体を固くしているユリに向かって、おどけたような口調で言った。
「お、おっぱいなんて欲しくない。それに……それに、お、おむつを取り替えるなんて、そんなの嫌なんだから!」
 ユリは慌てて身をよじった。そのせいで、せっかく吸収していたおしっこをおむつから絞り出すような力が加わってしまい、おむつカバーのギャザーから水滴が幾つかユリの太腿の肌を伝って滴り落ちる。
「おやおや、せっかくのママの晴れ着をおもらしで汚しちゃうなんて、お行儀の悪い子だね、ユリちゃんは」
 妻が着ている薄手のブラウスの袖口にうっすらとシミができるのを、ユ・ビヌキーは半ば呆れたように言って、面白そうに眺めていた。
 それを、妻がやんわりと訂正する。
「なんてことをおっしゃるんですか、あなたは。ユリちゃんはまだ小っちゃな子供なんですよ。まだおむつの外れない小っちゃな子がおもらししちゃっても、ちっとも困ったことじゃありませんよ。子供のおしっこを汚いと思うような母親なんているわけがないじゃないですか。これだから、男親は何もわかってないって言われるんです。少しは反省してください。――ね、ユリちゃん。本当に困ったパパね。でも、きちんとママが叱っておいてあげたからもう大丈夫よ。おもらしでおむつを汚しちゃっても、ちっとも恥ずかしくなんてないんだからね」
 最初はユ・ビヌキーに、最後の方はユリに向かって言い、それからユ・ビヌキーの妻はユリの耳元に唇を寄せて、まわりの者には聞こえないような小さな声で囁きかけた。
「とは言っても、本当は随分と恥ずかしいわよね? 本当の子供ならともかく、二十一歳にもなるれっきとした大人がおむつをあてられて、しかも、おしっこでおむつを汚しちゃったんだもの、恥ずかしくない筈がないわよね。でも、まだまだこんなものじゃないわよ。本当に恥ずかしいのはこれから。みんなが見ている中でおむつを取り替えられる恥ずかしさはどんなでしょうね。私だったら自分で舌を噛み切って死んじゃうかもしれないわね。でも、あなたたちは自殺なんてできないのよね。想像もつかない恥ずかしさをたっぷり味わいながら、これから先、私たちの娘として生きてゆくのよ。特殊工作に成功していればコロニーに帰って普通の生活に戻れたんでしょうけど、任務に失敗したあなたたちを待っているのは、羞恥と屈辱に満ちた毎日なのよ。特にユリちゃん、あなたは、おむつの外れない恥ずかしい格好で生きてゆくことになるのよ。たっぷり可愛がってあげるから楽しみにしているといいわ」
 ユ・ビヌキーの妻のそんな囁き声に、ユリの顔には激しい怯えの色が浮かぶ。厳しくも恥ずかしい訓練に耐え、生物兵器の容器になっているガラガラの取り扱いにも慣れてきた頃には、ユリたちは三人とも、任務の成功を信じて疑わなかった。まさか連邦の内偵要員がコロニーにいて情報を収集し、しかもガラガラに細工を施すことまでしていたとは想像もつかず、よもや任務に失敗するなどと夢にも思ったことのないユリたち三人とケイトだった。だから、いざこうして敵の手の中に落ちてしまうと、どうしていいのかまるでわからない。窮地を逃れ出ることを想定した訓練は全く受けていないのだ。
「いや! こ、こんな大勢の人の目の前でお、おむつを取り替えられるなんて、そんなの、いやぁ!」
 逃れる術など何一つ持っていないことを痛いほど身にしみて思い知らされたユリには、感情にまかせて泣き叫ぶことしかできなかった。




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