わが故郷は漆黒の闇


【五四】


「ほら、あれが何なのか、ユリちゃんにもわかるわよね?」
 ユ・ビヌキーの妻は、大きく開いた窓を通して、バルコニーで揺れる洗濯物を差ししめした。
 洗濯物は、水玉模様や動物柄など様々な模様の布おむつが三十枚ほどと、おむつカバーが二枚だった。
「どうしてママがおむつとおむつカバーを洗濯しなきゃいけなかったか、ユリちゃんにもわかるでしょう?」
 ユ・ビヌキーの妻は、横抱きにしたユリの顔をそっと見おろして言った。
「……どうしてって……」
 おむつを洗濯する理由は一つしかない。おむつが汚れたからだ。じゃ、誰がおむつを汚したのかしら? ユ・ビヌキーの妻にそう訊かれるとわかって、ユリは力なく口を閉ざした。
「そう、ユリちゃんが汚しちゃったからよ。幼稚園の入園式が終わってから病院へ行ってお家に帰ってきたんだけど、ユリちゃんてば病院で麻酔のお注射をしてもらったらすぐねんねしちゃって、それから今までおねむだったのよ。病院でねんねしたのが昨日の午後四時頃だったから、もう十八時間くらいもおねむだったことになるわね。小っちゃい子は寝るのも仕事って昔から言うけど、そんなにおねむだと、お目々がなくなっちゃうわよ」
 少しおどけた仕種でユ・ビヌキーの妻は言った。
「それで、その間にユリちゃんがおねしょで汚しちゃったのが、あのおむつよ。特にたくさん出ちゃったことが二度あって、その時はおむつカバーも取り替えなきゃいけなかったのよ。なのに、ユリちゃんたら、何も気がつかない様子ですやすやおねむ。おねしょが出ちゃっても目を覚まさないし、おむつを取り替えてあげる時も気がつかない。そんな子が赤ちゃんじゃなくて何かしらね」
「……私、そんなに眠り続けて……」
 ユリはぽつりと呟いた。呟きながら、口の動きが妙にぎこちないのが改めて気にかかる。そして、ユ・ビヌキーの妻が『麻酔』という言葉を口にしたことに不意に気がついた。
「入園式の後、病院へ連れて行ったって言ったけど、何のため? 私の体に何をしたの?」
「あらあら、そんなに怖い顔をしちゃって。駄目よ、可愛いユリちゃんにはそんな顔ちっとも似合わないわよ。ほら、早く可愛らしいユリちゃんに戻ってちょうだい」
 ユ・ビヌキーの妻はくすっと笑ってユリの頬を人差し指の先でちょんとつついた。
「何をしたの? 教えてよ、私の体に何をしたのか、早く教えてよ!」
 不安にかられて、ユリは激しく首を振った。
「そんなに知りたいなら教えてあげる。簡単なことよ……」
 ユ・ビヌキーの妻は意味ありげに少し間を置いてから、にっと笑って続けた。
「……ユリちゃんのお口を赤ちゃんのお口に作り変えただけなんだから」
「赤ちゃんの口……?」
 ユ・ビヌキーの妻が何を言ったのかわらかなくて、思わずユリは聞き返した。
「そうよ、赤ちゃんのお口。ユリちゃんのお口にはちゃんと白い歯が並んでいたわよね? ちゃんとした大人みたいに三十二本じゃなくて小さな子供と同じで二十本だけど、それでも白くて硬い歯が並んでいたわよね。でも、それじゃ可愛くないのよ。ママのおっぱいしか飲まない赤ちゃんには硬い歯は似合わないの。だって、力を入れてママのおっぱいを吸っていて間違って噛んじゃうかもしれないもの。だから、ユリちゃんのお口から硬い歯を抜いちゃうことにしたの。それで、手術をしてもらうために病院へ連れて行ってあげたのよ」
 ユ・ビヌキーの妻はすっと目を細めてユリの顔を、ことさらに口元をまじまじとみつめた。
「でも、歯を抜いちゃうと、唇がしぼんじゃうのね。今じゃ滅多にいないけど、入れ歯を外したおばあさんみたいな口元になっちゃうの。それじゃ可愛くないから、抜いた歯のあとに、歯茎から上に出る部分を柔らかいゴムで作った人工の歯を埋めこんでもらったのよ。そうやって、口元の形は元の可愛いままでも、固い物は食べられない赤ちゃんと同じお口にしてもらったの。ね、簡単なことでしょう?」
 こともなげにユ・ビヌキーの妻は言った。
 ユリは慌てて口の中の様子を舌で探ってみた。麻酔の効き目が残っているせいでぎこちない動きになってしまう舌の先に、表面が妙につるんとした感触の歯が何本も触れた。その感触は、確かに、自分の歯の少しざらりとした感触とは異なっていた。しかも、歯を噛みしめると、まるで抵抗なく上の歯と下の歯がくにゅっと形を変えるのがわかる。
「わかったわね? もうユリちゃんは固い物を食べることができないのよ。柔らかい歯しかない赤ちゃんのお口だから、ママのおっぱいを吸うことしかできないの。練習したら離乳食くらいは食べられるようになるかもしれないけど、それはもっとずっと先のこと。今はママのおっぱいだけなのよ」
 ユ・ビヌキーの妻はそう言うと、サイドレールを倒したベビーベッドの隅に腰をおろし、横抱きにしたユリの体を膝と腿で支えて、ブラウスのボタンを上から四つ手早く外した。そうして、はだけた胸元にすっと右手を差し入れると、ブラのフロントホックを片手で外して、改めてユリの体を胸元まで抱き上げた。
「はい、いいわよ。シャトルの中で機内食を食べてから、まだ何も口にしていなかったんでしょう? お腹も空いているし喉も渇いているんでしょう? よく我慢してたわね。でも、もういいのよ。さ、ママのおっぱいをたくさん飲みなさい。ママ、子供がいないから本当はおっぱいなんて出ないんだけど、ユリちゃんが地球へ来る一週間前に手術してもらったのよ。手術してもらって、合成ホルモンをもらって、それでおっぱいが出るようにしてもらったの。だって、ママのおっぱいが出なくてユリちゃんがお腹を空かせたままじゃ可哀想だものね」
 ユ・ビヌキーの妻の乳房は、乳首のまわりを中心にしてしっとり濡れていた。外したブラの内側がうっすらとシミになっているのも見える。どうやら、ユ・ビヌキーの妻が言ったことは嘘ではないようだ。ユリに母乳を飲ませるために、自らの意思で特殊な手術を受けたというのは本当らしい。
「さ、たくさん飲んでちょうだい。昨日からおっぱいが張って痛いのよ。うふふ、ユリちゃんに飲んでもらうためにママの体がたくさんおっぱいを作りすぎたみたいね」
 ユ・ビヌキーの妻はユリの後頭部を掌で包み込むようにして、自分の乳首をユリの唇に押し当てた。ぴんと勃った乳首が、麻酔の残るユリの唇をこじ開けて侵入してゆく。




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