わが故郷は漆黒の闇


【五七】


『あなたったら、いつまでもそんな古いカメラを使ったりして。いいかげん、新しいのに買い替えたらどうなんですか。せっかくケイトちゃんの写真を撮るのに、ピントがぼけちゃわないかしら』
 妻は、夫が構える旧式のカメラを目にして呆れたように言った。けれど、ようやく手に入れることができた”愛娘”と一緒に写真に写るのがとても嬉しいようで、口元がほころんでいる。
『いやいや、最新式のカメラは綺麗に写りすぎて駄目なんだ。写真には味わいというものが必要なんだから、このくらい古めかしいのが丁度いいんだよ』
 幾らか言い訳めいた口調で言い、旧式のデジカメの表面を撫でまわしながら高等助言官は二人の前に立ってシャッターボタンを押した。
 逆光を補正するためだろう、大光量のストロボが自動的に光を放って、二人は思わず目を閉じてしまった。
『駄目じゃないか、目を閉じちゃ。もう一枚いくから、今度はちゃんと目を開けているんだよ』
 そう言って再びカメラを構えかけた高等助言官がケイトの異変に気づいた。高等助言官の目の前で急にケイトが両脚を擦り合わせ、体を小刻みに震わせ始めたのだ。
『あ、ひょっとして……』
 すぐに妻もケイトの異変に気づいたようだが、異変の理由にも心当たりがあるのか、さして慌てるふうもなく、ケイトの正面にまわりこむと、紺の吊りスカートをぱっと捲り上げて下腹部に目をやった。
『……やっぱりだ。ケイトちゃんてば、何回しくじったら気がすむのかしら。もう少しで、せっかく入学式のために用意したスカートまで汚しちゃうところだったわよ』
 高等助言官の妻は、スカートを捲り上げたために丸見えになったケイトのパンツをまじまじとみつめて呆れ声を出した。
 ケイトの下腹部を包み込んでいるパンツは、ケイトがカタンやボビンに穿かせたのと同じような、アニメキャラのバックプリントが付いた女児用のショーツだった。小さな子供はお腹を冷やしやすいから、それを防ぐためにまたがみが深く、腿のあたりを小さなフリルで縁取った木綿のショーツだ。そのショーツが、下から半分ほどがぐっしょり濡れて、クロッチのところからはぽたぽたと雫が滴り落ちている。
『本当に困った子だね、ケイトちゃんは。昨日の入園式で見たユリちゃんみたいな幼稚園の年少さんならともかく、小学一年生にもなっておもらしが治らないんじゃ、上級生のお姉さんたちに笑われちゃうぞ』
 高等助言官は苦笑混じりに言った。困った子だと言葉では言いながらも、とてもではないが、実際には困っている様子はまるでない。むしろ、この状況を楽しんでいるようにしか見えない。というか、事実、高等助言官はこの状況を思う存分に楽しんでいた。コロニーに不穏な動きがないかどうか情報を収集するとともに、高い地位にいる高官たちがコロニーから養子を迎え入れるその準備のために走りまわっているうちに、高等助言官自身も子供というものを持ってみたくなっていた。彼自身がというよりも、彼がコロニーに単身赴任しているために寂しく思っているだろう地球に残した妻のために、その寂しさをまぎらわせてくれるようなペットとしての子供を手に入れたいと思うようになっていたというのが正確だろうか。だが、いくらコロニーでは権力をかさにきて威張りちらしている高等助言官といっても、連邦政府内部の地位はさほど高くない。ユ・ビヌキーの妻がユリに言ったように、養子を迎え入れられるような身分ではないのだ。希望がかなえられるわけがないということは自分自身がよく知っていた。なのに、それが、特殊工作員に抜擢されたカタンたちを連れて地球にやって来た途端、カタンたちが工作に失敗しマッチバリーたちに取り押さえられる場面に立ち会うことになって、その結果、マッチバリーの計らいで、特殊工作チームのリーダーともいうべきケイトを好きなようにしていいという許可を得ることができたのだ。カタンたち三人に比べれば大柄なケイトだが、地球住人の感覚でいえば、せいぜい小学生くらいの体つきしかない。そこで高等助言官は妻の希望も容れて、ケイトを小学一年生の少女に仕立てることにしたのだった。ケイトの実際の体格からいえば四年生くらいが妥当なところだが、子供たちの地球への帰還が始まったのが三年前で、その時にコロニーが試験的に送り出し始めた年中クラスの子供が今は小学二年生ということで、首府の小学校は今のところ二年生が最上級生という事情があり、ケイト一人だけのクラスを設けるのが無理ということだったからだ。もっとも、それは高等助言官がケイト話して聞かせた内容で、決して真実ではない。真実はいたって簡単。コロニーでことごとく自分と対立していた保護官をできるだけ小さな子供扱いしていたぶり、羞恥と屈辱に身悶えする様子を楽しみたいからという、それだけのことだった。
 そうして高等助言官はケイトに、いかにも小学校に入学する少女といういでたちに身を包み、小学生であることを象徴するランドセルを背負うことを強要しただけでなく、更にケイトを屈辱のどん底に落としいれる方策を講じたのだった。
「ケイトがおもらし……? でも、どうして、そんな……」
 ユ・ビヌキーの妻の乳首を吸いながら、ユリがくぐもった声で呟いた。
「保護官――ケイトちゃんはね、ユリちゃんのお口を赤ちゃんのお口に作り変えてもらったのと同じ病院の他のお部屋で、ある手術を受けたのよ。ユリちゃんの手術が終わるのを待っていたら、高等助言官と奥さんが待合室に入ってきて、いろいろ話してくれたわ。ケイトちゃんがどんな手術を受けているのかについてね。ユリちゃんも手術の内容を聞きたい?」
「……教えて。ケイトがどんな手術を受けたのか」
 ひょっとすると聞かない方がいいかもしれないと一瞬は思ったものの、けれど、ユリは反射的に頷いていた。




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