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 6月1日付でインターネット営業室が開設され,丹羽部長が室長を兼任した。また,7月1日付で執行役員制を導入することと,9月1日に社名をアイティソリューション食品株式会社に変更することが社内外に発表された。そしてe−コマースを実行する販売子会社であるアイティエスネット販売株式会社が9月1日に設立され,7月から執行役員となる丹羽部長が同社の社長を兼務することも同時に発表された。そして,営業部の部員と地方の支店から異動して来た者数人がインターネット営業室に配属され,アイティエスネット販売の役員や役職者を兼務することになった。しかし,亜土子が異動する辞令はなかなか発令されず,営業部での勤務を続けていた。
 6月初めのある日の夕方,仕事を終えて会社を出ようとした亜土子は,同期入社で情報システム部に所属している緑とばったり逢った。
 「あ,亜土子,久しぶり。」
 「あ,緑じゃない。そうそう,私,シスアド受かっちゃった。」
 「え,何,それ?」
 「何って,情報処理技術者試験の初級システムアドミニストレータよ。」
 「あれ,亜土子ってSEだったの?」
 「・・・・・。」
 富屋食品では情報システム部とは名ばかりで,実際のシステム開発・運用・保守はすべてシステム会社に委託していた。情報システム部は単なる連絡窓口であり,また事務処理を行う部署であった。部員に情報処理に関する専門的な知識を持つ者はおらず,パソコンの基本的な使い方の説明が出来る者が数人いる程度であった。彼らはシステムの内容については素人には分からないものであると最初から決めて掛かっており,完全にシステム会社の言いなりになっていたのである。
 そのため,情報システム部は今回のe−コマースのプロジェクトにも殆ど関知していなかった。亜土子がこのプロジェクトに参加することを聞いていた緑は,てっきり亜土子がSEの専門教育を受け,資格を取ったと勘違いしたのであった。

 7月になって,恒例の人事アンケートが行われた。これは社員の能力や希望を参考にして人事異動のための資料にするものである。これには各人が取得済の資格を記入する欄があったので,亜土子は取りたての初級シスアドを書くのを楽しみにしていた。アンケート用紙をよく見ると,「情報処理(特殊,一種,二種)」とあった。亜土子はよく分からなかったが,特殊に丸を付け,下に初級シスアドと記入した。
 亜土子が生まれた少し後から平成の初めまで,特殊ならぬ「特種」情報処理技術者試験が行われていたことなど,亜土子は知る由もなかった。一方,富屋食品の人事部も情報システム部も,特種情報処理技術者とはどういうものであるのか全く理解していなかったし,現在では情報処理技術者が十三区分に細分化され,特種情報処理技術者試験は行われていないことも把握していなかったのであった。
 「ところで,この職能等級って言葉,何とかなんないの?」
 富屋食品では社員の給与体系は職能等級というもので規定されていた。しかし,これは営業や製造などの職能別に等級が定められているものではない。職能という言葉の意味を理解していない人事部長が,年功序列賃金を正当化するために,在職期間によって「職務遂行能力」が上昇し,給与の等級が上がるという制度を作ったものなのであった。
 
 九月一日に富屋食品工業はアイティソリューション食品と社名を変更し,カンパニー制の導入に伴う組織改革が実施された。しかし,その実態は単なる名称変更と,部長級の力関係のバランスから以前に分割された部の統合,あるいは統合された部の再分割を繰り返すだけで,長期的視野に立った経営方針を反映したものとはとても言えないものであった。
 秋の上級シスアド試験の準備も大詰めに近づいた十月一日付で,亜土子にもインターネット営業室へ異動する辞令が下った。大卒総合職として入社後十年を過ぎた亜土子は名目上係長待遇になっていたが,部下はいなかった。そして,インターネット営業室では最年少で,一番下っ端であった。
 インターネット営業室で亜土子に与えられた仕事は以前の営業部時代と全く同じで,専らコピーや書類の整理であった。丹羽室長が集めたスタッフは彼の息が掛かった中堅営業マンばかりで,亜土子は所詮お茶汲みのOL扱いだったのである。
 秋の上級シスアド試験直前の水曜日から金曜日まで,亜土子は年次有給休暇の利用を申請したが,何の抵抗もなく認められた。亜土子は準備論文の推敲と記述式試験の対策に全力を注ぎ,土曜日の午後には,既にやることだけはやったという満足感を得ていた。
 上級シスアドの試験会場は,なんと有明の国際展示場であった。試験当日,少し早めにゆりかもめの有明駅に着いた亜土子は,すぐには会場がどこなのか分からず,警備員に尋ねて会場の建物に辿り着いた。初級シスアドの時のように大きな大学全体が試験会場なのとは違って,建物の一部が会場になっているだけであり,入り口に腕章を付けた係員がいて案内をしていた。試験場は一階のバンケットルームを二つに仕切った会場にそれぞれ三百数十人ずつと,上の階の会議室十室ほどに数十人ずつ,合計千人余りが受験することになっていた。亜土子の席は一階のバンケットルームであった。
 「でも,この有明会場全体で合格するのは四十人くらいなのよね。」
 亜土子は苦笑しながら席に着いた。試験開始十分前になると,試験官が説明を始めるとともに,数人の係員が一斉に問題用紙と解答用紙を配り始めた。この頃の午前試験は四問択一式の問題が八十問出題され,二時間半で行われていた。例年,第一問は集合の問題が出題されたのであるが,この年は状態遷移図で,犬と羊と菜を船で運ぶ問題に会場の雰囲気が和んだようであった。
 午前の試験が終わると昼食休憩で,亜土子は弁当とお茶を取り出した。受験票には会場内に食堂がないので弁当を持参することと書いてあったが,国際展示場にレストランがない筈はない。しかし,亜土子は一時間しかない昼休みに慌ただしくするのも嫌なので,弁当を用意しておいたのであった。食事を終えると,亜土子は準備論文の原稿を取り出して読み始めたが,回りには論文の準備をしている者の姿は全く見られなかった。合格率七パーセントと言われる試験である,本気で準備して臨む者は半分もいないのだろうと考えると,亜土子は少し安心した。
 午後はまず,長文を読解し問題点や改善案を指定の字数で記述する設問が数問ずつある問題を,四題の中から三題選んで一時間半で回答する試験があった。この試験はかなりの難関で,ここで諦めて帰ってしまう受験生も何人か見られた。亜土子もやっとのことで解答欄を埋め,時計を見ると試験終了五分前であった。
 最後に論述式の試験があった。与えられたテーマに従って,自分の経験と考えに基づいて四千字以内で論述する小論文試験である。亜土子は色々なテーマに対応出来るように何度も論文を書く練習をしていたので,納得行く論文を書き上げることが出来た。最後に試験官の指示に従って,予め記入しておいて持参した業務経歴書を答案用紙に貼り付け,提出した。
 亜土子は確かな手応えを感じつつ,会場を後にした。会場を出てすぐのところにバス停があったので,ここから東京駅行きの都バスに乗り込んだ。
 「なぁんだ,ゆりかもめなんか乗らなくても,二百円で帰れるんじゃないの。」
 
 翌日の月曜日から,再び亜土子を待っていたのは平凡なOL生活であった。
 「ちょっと,亜土ちゃん,これどうやって見るの?」
 「えーと,このアイコンをダブルクリックして下さい。」
 「アイコンって,この絵のこと?」
 「そうです。」
 「あれ,ダブルクリックって難しいな。」
 「じゃあ,一回クリックして,エンターキーを押して下さい。」
 「あ,なるほど。」
 丹羽室長がインターネット営業室に集めたスタッフは,旧来の問屋やスーパーを回る営業しか知らない人間ばかりで,とにかく彼の言う通りに動く者を選んだのであった。こうして集められた者達は,インターネットやマーケティングに関する基本的な知識すら持っていなかった。また,このようにパソコンの操作が不自由な者も半分くらいいたのである。
 もっとも,このようにパソコンの使い方を尋ねられるのは,亜土子にとっては一応シスアドらしい仕事が出来るということでもあり,ささやかな満足感も感じていた。しかしながら,亜土子の主な仕事は相変わらず書類のコピーや整理が殆どであった。
 そのようにしてe−コマースプロジェクト関係の書類を一通り目にして,また訪問して来た業者等の様子を見ているうちに,亜土子はこのプロジェクト自体に疑問を抱き始めた。
 インターネット営業室のスタッフが誰も何をすればいいのか分からない状況にあって,実際の業務は怪しげなコンサルタントと広告代理店,そしてベンダの言いなりに進めていたのである。コンサルタントはカタカナやアルファベット三文字の略語をさも高尚なもののように振り回すが,その中身が大した物でないことは,上級シスアドを目指す亜土子にはすぐに分かった。
 そして,大胆な販売計画に基づく予算が疑問であった。年商五百億足らずのアイティソリューション食品が,ネット販売だけで初年度年間五億円の売上を上げることを前提にして,三億円以上を投資する計画だったのである。亜土子の目から見れば,ちょっと工夫すれば数万円で出来そうなことや,効果が未知数の広告媒体に対し,何の疑問も感じることなく百万円単位の金を平気で支払っていた。亜土子でも作れそうなページデザインが五十万円であったり,百万円掛けたバナー広告で集めた会員が数十人であったりは珍しいことではなかったのである。
 これらはみな,スタッフが無知なのを良いことに,コンサルタントや代理店,ベンダにいいように毟り取られているとしか考えられなかった。
 当初の計画では,十月には販売を開始することになっていたが,システムのことが分からないスタッフが時折的外れな要求をするし,ページがほぼ出来上がったところで丹羽室長が,デザインが悪いだのこういう機能が欲しいだのと,毎回のように口出しをするため,常に進捗が遅れていた。販売は一応十二月に開始することが出来たが,最低限の機能で暫定開業した感は否めず,非常に分かりにくく使いにくサイトであった。すべての機能が一応完成するのは翌年春になってしまった。
 亜土子にある程度の発言力があれば,もっと迅速にかつ低コストで満足の行くページを作る自信があったのであるが,このようなことに一介のOLが口出しすることは許されなかった。



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