第3章 日本のワインマーケット


 日本においてワインが前章に述べたような作り方をされるのは、単にメーカーの責任だけではなく、消費者の側にも問題がある。但し言う迄もなく、メーカーがその消費者を啓蒙する活動を怠ってきたことの責任は軽からず、批判を免れるものではない。

1.日本の消費者の知識と意識

1) 女子大生の場合
 ワインを飲む層がどういうものであるのかと云う議論はさておき、若い女性がワイン販売のターゲットとして有望であることにはさして異論はあるまい。今手許に、その昔若気の至りで、さる女子大の食品学の講義でワインの話をした時に、学生から集めたアンケートの集計結果がある。
i)通常赤ワインに甘口がないことを知っていましたか?
 はい 26.9%  いいえ 73.1%
ii)赤ワインは澱があるので瓶をあらかじめ立てておくなどの準備が必要になる場合があることを知っていましたか?
 はい 30.8%  いいえ 69.2%
iii)コルクを抜くときに音をさせてはならないことを知っていましたか?
 はい 46.2%  いいえ 53.8%
 大体がこんなものである。ii)の「はい」はむしろ多すぎるくらいであろう。澱が出るようなワインに接する機会が今時の金持ち(あるいは金持ちを手玉にとっている)女子大生には意外と多いのかもしれない。あいにく、筆者はたいして金持ちでもないので、女子大生をレストランに連れて行って年代物の高級赤ワインを一緒に飲むような機会に恵まれたことはないが...
 ともあれ、女子大生にしてこの程度であるから、国産ワインを買うような無知な消費者にこのようなワインの知識を望むべくも無く、その結果、前章5.のような悲劇、否、喜劇とさえ云うべき現象が見られるのである。こんな話はまだ序の口である。ワインに対する誤解、偏見、その他、枚挙に暇がない。
2) ワインとフランス料理に対する意識
 日本の消費者は、未だにフランス料理やワインを正しく理解していない。否大きく誤解していると言うべきであろう。何せここでは馬鹿高いホテルのインチキ料理に気取った偽紳士偽淑女が集まるが、彼らは本当の良い料理良いワインを楽しもう等とは考えず、ただ格好を付けたいだけなのである。したがって、料理はじっくり煮込んだソースを使った、見てくれの悪いものなどは許されず、盛り付けにばかり気を遣った自称フランス料理であり、そしてなぜか英国風の堅苦しいマナーを重んじるのである。
 この国はレストラン・ロジェ・ヴェルジェが僅か1年半しか存在出来なかった国なのである。本物のフランス料理を楽しむために百キロ以上も車を飛ばして一人でやって来て、昼間っからアラカルトで注文し、上等なワインにフロマージュ迄平らげて、3時間も粘って帰って行くような酔狂な客は、筆者以外にはいなかったようである。

2.ワインは工業製品か?

1) ワインは農産物である
 毎年季節になると出回る、果物や野菜を思い浮かべていただきたい。
 「今年は天気が良かったから大きくて甘い○○が出来た。」
 「今年は天候が不順なせいか、△△の出来が良くない。」
 四季の変化に敏感な我々日本人は、昔からこのように農産物の出来具合を話題にして来た筈である。ところが、何故か国産ワインとなると、やれ去年買ったのと味が違うだの、色が違うだのと、やたらと苦情が来るのである。
 ワインは毎年一回、ブドウから作られる。ブドウは果物である。したがって、毎年ワインの出来も違うし、価格さえ異なって然るべきなのである。諸外国では、たいして高級でないワインでも、どこそこの地方は天気が良かったから良いワインが出来たといって少し高めの価格で取引されたり、今年のワインは色が濃いと誉めたり、逆に雨が多くて品質的に劣るからと値段が下がったりするのが当たり前である。ところが、日本のワインは毎年同じ銘柄のワインが、同じ品質(のつもり)で、同じ価格(時折値上げすることはあるが)で、そして何と驚いたことには(販路拡大や販売不振の見込みがない限りは)同じ本数が発売されるのである。
 改めて言う。ワインは農産物であって、工業製品ではない。
2) 日本酒造りの伝統
 本邦に於てワインがこのように工業製品の如くに作られるのは、恐らくは日本酒の伝統が災いしているのであろう。米の出来は毎年違うし、更にその蔵元に入荷する米の品質は常に同じであろう筈がない。また、水の成分や、仕込時期の気温なども毎年微妙に違って来よう。それを醸造の個々の過程の中で微妙に調整し、毎年同じ質の酒を造るのが杜氏の技術なのである。
 日本のワイン作りを見ていると、日本酒造り(ここで賢明な読者は気付かれたであろう。筆者は「ワイン」は農物であって、工場で製するものではないと考えているので、「ワイン造り」とは書かないのである。)の、それも戦中戦後の酒造りの影響を強く受けているのである。「割り水」、「段掛け仕込」、「発酵後の糖や酸の添加」、「過度の濾過や活性炭の使用」など、みな日本酒造りではごく普通のことであり、諸外国の正統なワイン作りでは殆ど見られないことなのである。

3.ワインの銘柄

1) 日本のワインの銘柄
 日本ほどに量的にも質的にもブドウ畑が貧弱な国は世界的に見ればそれほど珍しくはないが、日本ほどにワインメーカーの数に対してワインの銘柄の多い国は恐らく世界中に存在しないであろう。そして、毎年夥しい数の新製品が開発・発売され、また、消えて行くのである。これは前述のようにワインを工業製品と考える過ちによるところが大きい。もう一度言う。ワインは農産物である。本来、新しいブドウ畑を開くか、あるいは既存の畑の樹を別の品種に植え替えるかしない限りは新しい銘柄が出来る筈はないのである。しかしながら、日本のワイン会社はブドウ畑などには見向きもせず、出鱈目なブレンドやインチキ技術で次々に新製品を出し、それを馬鹿っ高い値段で売ろうとするのであるから、消費者がなべてそっぽを向いてしまうのも無理からぬことではある。
2) 日本の風土と国民性
 このように次々と新製品が発売されるのは、日本の消費者の移り気な性格にも原因がある。日本の消費者は目新しいものに飛びつく傾向があり、ビール戦争などは起こるべくして起こったと言えよう。日本の自動車のモデルチェンジの頻繁さと、新車が廃車になるまでの期間の短さなども、世界的に例を見ないものであるが、これは単に消費は美徳と云う二昔前の思想の延長ではない。
 私見であるが、これは日本の高温多湿な気候と日本古来の木造家屋のせいではあるまいか。日本の気候は様々な廃物を迅速に分解し、また頻繁にかつ多量に降る雨が廃物を洗い流してくれる。そして木造家屋はこの気候の中では遠からず朽ち果てていき,殆どのものは数十年を経ずして建て替えられる運命にある。そのため、古来日本人は万物は疾く移ろい行くものであると考えてきたのである。その点、ヨーロッパでは廃物の分解は遅く、また石造りの建物は二千年を経てなお確固たる姿をとどめている.大都市の普通のアパートが築後二百年などと云うのはごく当たり前のことなのである。そのヨーロッパの文化を日本の風土に持ち込むこと自体がそもそも無理なのかも知れぬ。

4.本物のワインは受け入れられる

1) 日本の甘口ワインの起源
 日本のワインメーカーは、中途半端な甘口ワイン(大抵は後から加糖したインチキ製品)を、これが日本人好みの味だと言って売っている。そのように考えるのにも無理からぬ理由があるが、しかしこれは大きな誤解である。
 ワインが日本に入って来た時、多くの日本人はその味を受け付けなかった。果物を食べる習慣さえ殆どなかった日本人の伝統的な味覚にとって、酸味の強いワインはただ酸っぱくて不味い物に感じられた筈である(若い読者には信じられないかも知れない。しかし、昔の日本人にとっては、非常にまろやかな味わいのワインでも酸っぱ過ぎるのである。その証拠に筆者の母はかなりの酒豪であるにも拘らず、ワインは一滴も飲めないのである)。そして、戦争中の酸敗葡萄酒(軍事用に使用するためワインから酒石酸を抜き、その結果酢酸菌が繁殖して半分ワインヴィネガーになったようなもの)の印象が重なって、ワインは酸っぱくて不味いと云う評価が定着してしまったのである。このような逆境の中で、日本のワイン会社はワインを売るために、戦前から劣悪なワインに砂糖を多量に加えてきた(ついでにアルコールを加え、保存性と、酒としての実用性を高めた)。甘味は酸味を打ち消すし、甘いものを不快に感じる人間はいない筈である。こうして甘味葡萄酒が飲まれて来たのである。
2) 正統なワインは受け入れられる
 今や日本人にとって、辛口の正統なワインが酸っぱ過ぎると云うことはない。筆者の経験では、ワインを殆ど知らない人にヨーロッパの決して高価ではない辛口白ワイン(ボルドー白、マコン等)を飲ませて、美味しいと感激されたことこそあれ、酸っぱくて飲めないとか、不味いとか言われたことは一度しかない(前述のように、筆者の母は大正生まれで昔の日本人の味覚を持っているので)。例えば、筆者が講義した女子大で、Bourgogne白(Chardonnay)、ドイツやや甘口(Wehlener Sonnenuhr Kabinett)、Sauternes(Ch. Rayne Vigneau)を飲ませたところ、Bourgogneは辛口であるが、結構美味しいと言って貰えた。そればかりか、これが一番好きだと答えた者も少なくなかったのである。また、ワイン会社に入った時に研修で甘口ワイン(前年の新酒の売れ残り、白とロゼ)を売れと言われて、渋いワインと並べれば甘口が売れるだろうと思い、カベルネ(安いバルク物)を一緒に試飲させたことがあるが、予想に反してカベルネばかりが売れてしまった。筆者はその時、あまり高級ではない新興住宅街に住む消費者の舌を見くびっていたことを、非常に恥ずかしく思った次第である。
 今や日本人の味覚は欧米人とさして変わりがない。欧米で美味しいとされるものは、日本人にとっても大抵は美味しいのである。正統な作りの辛口ワインや赤ワインは、酸味が強くてもタンニンが多くても、必ずインチキ甘口ワインよりも消費者に受け入れられるものと確信している。



第2章へ   第4章へ

日本のワイン作り目次   料理とワインのページ   ホームページ