日本のワイン作りの現状と問題点(1993年版)



 この文章は、私がワイン作り(この時はワインは「造る」ものではなく、「作る」ものであると強く主張するため、この字を用いている)を志して山梨県のあるワイン会社に入り、当時の日本のワイン作りに失望して山梨を去る時に、現地の友人に託した文章である。今日においても、この文章は日本のワイン業界においては理解されないかも知れない。日本史上において、本当のワイン作りは播州葡萄園でしか行われたことがないという現状は、未だに変わっていないようである。
 なお、本稿はかなり怒った状態で一気に書き上げたので、相当に痛烈な批判となっている。かなり問題のある部分も残したが、業界の人間と喧嘩になりそうな部分は一部削除した。何れにせよ、10年前に一青年が思ったことをそのまま書いた文章としてお読み戴きたい。


  序   そもそもワインとは何であるか?

  第1章 日本のブドウ栽培の現状

  第2章 日本の醸造の問題点

  第3章 日本のワインマーケット

  第4章 虚偽、虚勢

 

 そもそもワインとは何であるか?
 「ワインとは醸造用ブドウ即ち、Vitis vinifera L.のうち、小房小粒の醸造専用品種を醸造に適した方法で栽培し、それを収穫した土地で破砕し、発酵させたものである。」
 少なくとも筆者はこうであると信じているし、心ある者ならば、毫も異論はないと確信している。もし異論を唱える者あらば、それが何人であろうとも、筆者は毅然としてこう告ぐるに躊躇しない。「汝ワインの何たるかを知らず」と。
 実際、今日ではヨーロッパのワイン先進国のみならず、アメリカやオセアニアでも、ワインは醸造専用のブドウを使い、その収穫地で作られているのである。但し、その収穫地というのはその地域内ということであるが、高級ワインはほぼ例外なく栽培者が醸造し、大抵は瓶詰までするし、生産者元詰が一種のステイタスになっている。Mis en bouteille au chateau (ou a la propriete), Erzeuger abfuellung, estate bottled等の表示は高級ワインを標榜する際の一つの勲章となるのである。ちなみにフランスではキャップの上部に瓶詰者が生産者であるか、ネゴシアンであるか、組合であるかを表示することになっている。
 また、破砕したブドウを発酵させてから瓶詰に至るまでも、ワイン先進国ではその無理や誤魔化しのないこと、見事なものである。これらの国々では、ワインの品質を守るための法律が整備されているし、そんなものがなくても、皆良いワインを作ろうと努力している。
 Chateau Bonalgue。この名を御存知の方などいらっしゃるまい。実は筆者が初めて訪れたシャトーである。ここのオーナーがこんなことを言っていた。
 「我々の土地と云うものは先祖から与えられた物で、これはどうしようもないものだ。我々がここでなすべきことは、この与えられた土地で出来得る最高の物を作ることである。そして、私はそれに成功したと思う。」
 実際、Chateau Bonalgueは決して偉大ではないが、とても素敵なポムロールである。私はワインに詳しいことを鼻に掛けようとは思わないが、このワインを知っていることについてだけは優越感を持っているし、自慢したくなるのである。
 このように、ワイン先進国では超高級ワインから廉価な日常消費用ワイン迄、それぞれに精一杯作られ、金持ちも貧乏人も皆、各々にふさわしいワインを楽しんでいるのである。とは言うものの、聖人君子ばかりが住む国でもないから、時折悪いことをする者もいる。しかし、そのような悪事は一度発覚するや、法律によって厳重に処罰されるばかりでなく、社会的にも厳しい制裁を受けるのである。
 筆者は心ならずも1年余り、日本のワイン作りに拘ってきた。今、日本のワイン作りを省みるに、その出鱈目なこと、全く赤面するを禁じ得ない。このような所業に手を汚したことを恥じてさえいる。
 ここに、至らぬ乍ら僅かなりとも罪滅ぼしをせんと、何時の日か本邦において真のワイン作りが始まる日の来たらんことを信じつつ、後世の為にこの小冊子を書き残すものである。


2653年7月3日  農学博士 本多 忠親



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