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   浦戸心中前篇

 


 その年の夏は暑く、四国では水不足が深刻になっていた。高知県のある山村を水没させて造ったダムの水位が下がり、かつての村役場の建物の上部が姿を現した様子がテレビのニュースで全国に放映されていた。しかし秋になると、一転して立て続けに台風が西日本を襲い、水不足どころか水害が心配される程になってきた。一方、関東では厳しい残暑が続いていた。
 その日、悠一は東京電算機本社に用があって、勤務先の東算プロモーションの近くの八丁堀駅から地下鉄に乗った。銀座駅で降りて階段を上り、ハンカチで汗を拭きながら銀座通りを歩き始めると、突然後ろから声を掛けられた。
 「おう、八丁堀の旦那。」
 「あ、村上さん、こんにちは。どうしたんですか。」
 「二時から本社で会議や。君も何か野暮用か。」
 「はい。二時半からパソコン教室の打ち合わせで。」
 「ところで高知、えらいこっちゃなあ。」
 「何や、えらい雨が降ったそうで。」
 「市内が半分位水に浸かって、土讃線迄流されたそうや。」
 「え、ほんまに。」
 「ほんまや。嘘やと思たら今晩ニュースか夕刊見てみ。」
 「吉田さんとこ、大丈夫やろか。」
 「さっき電話してみたら大丈夫やった。」
 「そりゃ良かった。」
 話しているうちに、二人は本社ビルの玄関に着いた。
 「村上さん、会議は何時頃終わりますか。」
 「五時過ぎには終わるやろ。銀座で一杯やってこか。」
 「今晩は新橋でパソコン教室で、終わったら七時過ぎですわ。」
 「そりゃちょっと遅いなあ。また今度にしよか。」
 その夜、悠一が仕事を終え、駅前のコンビニで弁当を買って寮へ戻ったのは九時前のことであった。悠一は冷蔵庫から缶ビールを取り出し、テレビを点けた。関東地方の天気予報が終わると、九時から全国のニュースが始まり、台風の被害の状況を伝え始めた。高知市内は半分は大袈裟にしても、かなり多くの区域で浸水し、土讃線は繁藤辺りで起きた土砂崩れのため不通になり、復旧の目途が立っていないということであった。
 悠一は弁当を平らげると、パソコンに向かった。まず、インターネットで台風の情報を一通り確認すると、由美子のアドレスにメールを送ることにした。

   台風はどうですか
吉田由美子様
その後皆様お変わりありませんか。
テレビを見たら、凄いことになってますね。土讃線も止まったようで、心配しています。でも村上さんの話では、そちらは大丈夫とのことで何よりです。
皆さんにもよろしくお伝え下さい。
ではまた。
伊藤悠一

 吉田電器店のホームページは由美子が管理しており、業務用のメールアドレスは由美子の個人用と兼用されていた。吉田夫妻や伸子の世代では友人とメールの遣り取りをするような機会が少なく、個人用のアドレスを持っていなかったので、要するにアドレスはこれ一つしかなかったのである。
 翌日、返事が来た。

   すごい雨でしたよ
伊藤様
こっちは大丈夫です。でもすごい雨で、すぐ近くでも浸水の被害が出ています。
吉田家一同、あいかわらず元気にやっています。またパソコンのことを教えて下さいね。
吉田由美子

 二人の文通はここから始まったが、最初はそれ程頻繁ではなく、やや他人行儀な遣り取りに過ぎなかった。



 

   愛媛遠征
妹にしそこなった由美子さんへ
先日仕事で愛媛へ行きました。駅に坂本龍馬が「待ちよったぜよ」と言っているポスターがあり、昨秋の台風で不通になった土讃線が年末には復旧したことを知りました。帰りに洒落で特急しまんとに少しだけ(多度津から坂出迄)乗ってみました。特急料金はたったの三百十円でした。
ではまた。
悠一

   大阪遠征
伊藤さんへ
いつも笑える宛先ですね。
こちらも先日大阪へ行って来ました。東京電算機のパソコン商談会です。
わざわざって?
自分の用事のついでです。
あ、そうそう。グローソフトの三島さんに飲みに連れてってもらいました。ワインを結構飲んでしまいました。
ところで、フランスの自由の女神ってまだいるんですか?
妹になりそこなった由美子より

 悠一はパソコンの前に座っていた。
 「三島さんか、懐かしいなあ。」
 グローソフトというのは大阪のソフトウェア製作会社で、東京電算機のパソコンにもソフトを供給している。そのグローソフトの三島社長は吉田社長の古い友人であり、悠一も高知で一緒に飲んだことがあった。吉田社長同様、実に気さくな人物で、悠一とも友人のように付き合ってくれていたのである。
 悠一はすぐに返事を打った。

   返信 大阪遠征
由美子さんへ
パソコンの新製品はどうでしたか。
そういえば、三島さんが、お父さんから娘らにパソコンのことを教えてやってくれと言われているっておっしゃってましたよ。しっかり教わって下さいね。
ところでワインと言えば、僕もお父さんみたいにグルメになりたいなと思って、ワインの通信講座を受け始めました。最初のテキストが百ページ以上あって、問題と格闘している途中に、もう次のテキストが来てしまいました。おまけにその二冊目のテキストがもっと分厚くて、ちょっとうんざり。でも頑張って一通り勉強してみます。
フランスから来た自由の女神はお台場にいるようですが、いつ迄かは知りません。フランスの自由の女神といえば、ドラクロワの絵も上野に来るそうですね。見に来ませんか。
由美子さんの東京遠征があったら、僕も何か御馳走しましょう。
伸子さんに振られた悠一より

   ドラクロワ
伸子さんに振られた悠一さんへ
ドラクロワって何でしたっけ。まあ、どうせなら両方見てみたいですね。何か行く用事がないかなあ。やっぱり三月の情報機器展ですね。それ迄自由の女神像があればいいのですけど。
もし行けたら御馳走のほう、よろしくお願いします。
由美子



 

 既に二月も終わりに近付いたある休日の昼下がり、悠一は東京行きの東海道線に乗っていた。新橋駅で降りてゆりかもめの駅へ向かった悠一は、すぐには切符を買わず、駅で無料で配布している情報誌に目を通した。
 「そうか、連休明け迄あるのか。」
 悠一は切符を買うと、ゆりかもめに乗り込んだ。この線は無人運転の、電車でもなければモノレールでもないような不思議な列車が走っている。悠一が香港へ行っている間に開通したので、彼はこれに乗るのは初めてであった。
 列車は始発の新橋駅を出ると、工事中の新駅を通過し、大きく曲がりくねって竹芝駅に着いた。竹芝から日の出駅、その次の芝浦ふ頭駅迄は緩やかにカーブしているだけであるが、芝浦ふ頭を出ると、列車はほぼ一回転してレインボーブリッジへと登って行った。
 「立派な橋やなあ。瀬戸大橋みたいや。」
 橋を渡り終え、お台場海浜公園駅に着くと、悠一は列車を降りた。
 お台場は幕末に江戸湾に侵入する外国の軍艦を防ぐために築かれた大砲の土台であったが、バブル期には臨海副都心計画で開発が進められた。しかし、都市博の中止に象徴されるように、この計画は完全に失敗に終わり、現在ではこの区域は都心のリゾート地として若者に人気のスポットとなっている。その中にあるお台場海浜公園に、パリのセーヌ河の中州に建てられた自由の女神像が、日本におけるフランス年の催しの目玉として、数ヶ月の契約で貸し出されて来たのである。
 「意外と小さいもんやなあ。」
 悠一は像を見上げてつぶやいた。
 この像はニューヨークの自由の女神像の原型になったものであるが、パリの女神像は遙かに小さいものであった。

   自由の女神
自由な女神(?)の由美子さんへ
自由の女神像がいつ迄あるのか誰も知らなかったので、新橋のゆりかもめの駅で調べて来ました。
五月九日迄あるので、ゴールデンウイークでも大丈夫だそうです。念のため、お台場迄行って見て来ましたが、確かにお台場海浜公園で海のすぐ側に建ってました。
ドラクロワはフランスの有名な画家で、フランスフランの紙幣にもなっています。上野は桜も有名ですが、桜が咲くころには絵はもうルーヴル美術館へ帰っています。やっぱり情報機器展の時がいいでしょうね。
不自由な悠一より

   日本におけるフランス年
結構自由な伊藤さんへ
わざわざすみません。
海から見たら、まるでNYにいるようです。結構ゆっくりとしていくのですね、女神さんも。
ドラクロワはどんな絵かわかりました。その絵、切手になってますね。しっかり持っていましたよ。かなり大きいものらしいですね。実物を見てみたい気がする。
三月いっぱい迄しかいないようですし、今ならまだ早割が取れそうなので、大至急考えてみます。
上野の桜は三月の終わりに見たことがあります。でも、高知のほうが早いので、しかも桜はどこでも見られるのでいいでしょう。
ゆみこ

 この年の桜が二人にとって最後の桜となることを、悠一と由美子はまだ知らなかった。



 

 二月末のある日の夕方、八丁堀のオフィスに、企画会社の社長と名乗る一人の女がパソコン教室の話で訪ねてきた。応対に出た悠一は思わず声を上げた。
 「あ、しぎ、じゃなくって富山さん。」
 「あら、伊藤君じゃない。久しぶり。ここにいたんだ。私はもう鴫沢でいいのよ。」
 この女、悠一の大学の同窓生で鴫沢美弥子という名であった。悠一とは単なる友達であったが、卒業後も暫くは会うことがあったし、悠一は実は秘かに美弥子に憧れていたのである。ところが、美弥子は七年前、ある大銀行の頭取の息子と結婚し、富山という姓になっていた筈であった。
 「鴫沢でいいって、どういうこと。」
 「私、未亡人になっちゃったの。」
 二年前に美弥子の夫が不慮の事故で急死し、富山家にはもう一人男子があったので、美弥子は里に帰されたのであった。悠一は美弥子をどう慰めて良いか分からなかったが、美弥子は以前のように明るかった。悠一はつい口が滑って、彼としては無謀と思われることを口走ってしまった。
 「じゃあ、独身どうし、食事でもしようか。」
 「いいわね。そうだ、京橋にいいレストランがあったわ。あそこ行きましょう。」
 かくして悠一は、気が付いたらかつて憧れていた美弥子と食事の約束をしてしまっていたのであった。
 美弥子はもう一箇所寄るところがあると言う。悠一は美弥子が行こうというレストランを知らなかったので、地下鉄京橋駅の上の食料品店の前で、七時に待ち合わせることになった。悠一は六時半過ぎには京橋に着いてしまい、食料品店の中を覗くことにした。店には欧米の食品や食材が所狭しと並んでいた。悠一は最近興味を持っているワインを見ようと店の奥へ入って行った。そこには活字でしか見たことのない高級ワインがずらりと並んでいた。
 「こんなもん、なかなか自分で金出しては飲めんなあ。」
 悠一は七時五分前には店を出て、美弥子を待つことにしたが、美弥子が現れたのは三十分近く経ってからであった。
 「ごめんなさい。遅くなっちゃって。随分待ったでしょう。」
 こう言いながら歩き始めた美弥子の後ろ姿に、悠一は聞こえないように呟いた。
 「君を何年待ったことか。」
 二人がレストランに入ると、丁重に一番奥のテーブルに案内され、すぐにシェフソムリエが現れ、美弥子に深々とお辞儀した。
 「いらっしゃいませ。お久しぶりですね。食前酒は何になさいますか。」
 「シャンパーニュは何がありますか。」
 「本日はポムリー・ブリュット・アパナージュ、メルシエ・ミレジメ九二年、それからモエ・テ・シャンドン・ロゼをグラスでご用意できますが。」
 「じゃあ、私はメルシエ・ミレジメ。伊藤君は。」
 「僕も同じで。」
 ソムリエが運んできた金色のラベルのシャンパンを見て、美弥子は嬉しそうにしていたが、悠一はミレジメとは確か高いシャンパンのことだったと考えながら、気が気ではなかった。
 「お料理はシェフにお任せにしない。」
 「うん、そうしよう。」
 悠一は慣れないフランス料理のメニューから突然解放されてほっとした。
 「ワインは如何致しましょうか。」
 再びソムリエが現れて、悠一に分厚いワインリストを手渡した。一難去ってまた一難、興味はあってもさっぱり分からないなと思っていると、美弥子がワインリストを取って、ソムリエと話し始めた。メインが鹿のステーキということで、コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエのミュジニー八三年を選んだ。
 ワインがサービスされると、悠一は通信講座で覚えたことを思い出して言ってみた。
 「これって、白もあるんだっけ。」
 「あら、伊藤君、良く知ってるわね。」
 悠一はミュジニーだけは赤ワインの他に白もあると丸暗記していただけであって、唯一そのミュジニーの白をつくっているのが、このヴォギュエ伯爵家であることなど知る筈もなかった。
 昔話が弾み、食事は四時間以上に及んだが、その後悠一が勘定書の桁数に驚いたことは言う迄もない。店を出る時に時計を見て、悠一は再び驚いた。既に東海道線の終電の時刻を過ぎていたのである。二人はタクシーで東京駅へ向かった。駅にアナウンスが流れていた。
 「お知らせいたします。本日常磐線の特急列車に遅れが生じたため、京浜東北線〇時二十六分発桜木町行きは、本日に限り大船行きとなります。」
 「助かった。」



 

   上京予定
御馳走してくれる伊藤さんへ
東京に行きます。三月十二日頃から。
ドラクロワ、すごく宣伝してますね。多分混んでいると思いますが、是非見てみたいです。
よしだゆみこ

   熊本遠征
御馳走してあげたかった由美子さんへ
三月十二日頃から熊本へ出張になってしまいました。十五日の朝には戻りますが、いつ迄いらっしゃいますか?
吉田家の方々とはすれ違いの運命かも知れない悠一より

   あらら
おごってもらおうと思っていた伊藤さんへ
あらら、残念ですわ。
十五日までいますが、その日は会う人がいるもので・・・。
今からもう一日延ばそうかなあ。
ところで長ったらしい差出人名いいですね。
当てにしていた由美子より

   熊本遠征予定
すれ違いになりそうな由美子さんへ
熊本遠征は十三日の朝出発しても間に合いそうです(眠いけど)。十二日の夜でよかったら何とかなりますが、どうでしょうか。時間に余裕があれば、十六日以降のほうがいいとは思いますが。
ところで最近とんでもない飲み友達が出来たので、かなり散財しそうです。何でも東京中の高級レストランがみんな行きつけみたいな感じですね。先日もちょっと古いブルゴーニュの特級を飲んで、七万円くらい使っちゃいました。電車が遅れてなかったら、更にタクシー代が一万円以上掛かるところだった・・・。今度自宅の地下セラーのワインを見に来いなんて言われてるので、古いワインを飲ませて貰うつもりです。散財ついでだから、由美子さんとも景気良くやりたいですね。
ちなみに十九日には長野県でパソコン教室をやって、翌日とんぼ返りで東京で仕事。次の週は福島と、日本中でパソコン教室をやってます。由美子さんから頼まれたら喜んで高知でパソコン教室をやりますよ!
安住の地を見いだせず、放浪する宿命の悠一より

   予定
散財している悠一さんへ
わたくし、十五日には帰高してしまいます。十二日の夜ですか。遅くならなければオーケーですよ。しかし、その飲み友達、私には考えられない世界ですね。違う意味で恐ろしい友はいますが(潰すという)。
景気良くやりましょう?
ところでお土産は何がいいですか? 伸子さん(禁句かな?)なんて言わないで下さいよ。ちょっと重たいですから。
あちこち飛んでますね。私もどうやら今月はそうなりそうです。
そうですね。パソコン教室もしなければ。
それより、明日はビアガーデンのオープンです。今年も日本一早いか?
勝手に仕事を作って良く遊び回る由美子より

   返信 予定
遊び回っている由美子さんへ
十二日の夕方、どこか予約しておいてパアーッとやりますか?
ところで例の飲み友達、数年ぶりに会った同級生で、実は未亡人です。今のところ別に何でもありませんが、もしかすると危ないかも。運命の流れに身をまかせます。
お土産ですか? 伸子さんは重たいので、軽い由美子さんだけで結構です! 実際、翌朝から熊本遠征なので生ものは困るし、気を遣って戴かなくて結構ですよ。
最近ちょっと投げやりになっている悠一より

 このようにして、由美子が情報機器展で東京へ来るための打ち合わせをしている内に、二人は毎日メールの遣り取りをする習慣が付いてしまったようであった。



 

   ビアガーデン
やり投げ(?)な伊藤さんへ
晴海から戻って来なければいけないから、六時か六時半ですね。場所はどこでもいいです。探して行きますよ。
ところで伊藤さんもスミには置けませんね。今のところ別に何でもありませんというのが、かえって怪しい。
三月五日は日本一早いビアガーデンのオープンの日なので行って来ました。
NHKにドアップで映った由美子より

   ドアップ?
ドアップにたえられる由美子さんへ
まだちょっと予定がはっきりしませんが、十二日もし予定が合えば晴海で半日くらい一緒に回りませんか? 十二日の予定を教えて下さい。
メールの件名を見て、ビアガーデンに行きたいのかと思った。まあ、銀座辺りの高級レストランにでもしましょう。スミに置けないって? でも情報機器展会場で若い美女と待ち合わせて銀座で食事するほうがよっぽどスミに置けませんよ。
十三日以降は村上さんにおごらせて下さい。
やり投げが下手な伊藤より

 村上には由美子からも悠一からも既に連絡してあり、由美子が滞在している週末に村上が横浜のみなとみらい地区を案内する予定であった。
 悠一は結局、十二日は朝から情報機器展へ行くことにして、羽田空港で由美子を出迎えて一緒に晴海へ行くことになった。由美子は何故か渋谷にホテルを取っていた。

   情報機器展
情報を聞きたい由美子さんへ
荷物もあるだろうし、羽田迄迎えに行きましょう。十三日の朝は早いので、夜は渋谷迄は送れないかも知れませんが。
駄洒落の下手な悠一より

   情報聞き展?
す、すごい、一瞬わからない駄洒落をいう伊藤さんへ
パソコンはフリーズした。そのすぐ後にブレーカーまで落ちるしで、ちょっとした怪奇現象を味わってしまいました。
荷物はそんなにはないけど、どっかに預けないと。どないしましょ?
あまり飛ばない由美子より

   待ち合わせ
羽田へ飛んでくる由美子さんへ
羽田九時ちょうど着の全日空便でしたよね。空港の出口で待ってます。荷物は持ってあげますから、晴海で預けましょう。
女にはもてないけど、荷物なら持てる悠一より

   到着予定
荷物持ちの伊藤さんへ
寝坊しなかったら羽田に九時に着きます。そうですね、荷物は晴海で預けましょう。ところでメールの話をしていて、伊藤さんのファンが出来ました。私との掛け合い漫才が面白いとつぶやいています。
十三日の予定を考えている由美子より

 このようにして、悠一と由美子のメールの遣り取りは、由美子が東京へ来る前日迄続いた。悠一は、この時はまだ、由美子が考えている十三日の予定というのは、村上にどこへ連れて行って貰おうかということだとばかり思っていた。



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