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   浦戸心中後篇

 


 目覚し時計の音に飛び起きた悠一がブラインドを上げると、列車は西ノ宮駅を通過するところであった。悠一は服を着て廊下に出、公衆電話のある車両へ向かった。列車は大阪駅のホームに滑り込んだ。サンライズ号には大阪からも十数人の乗客が乗り込んできた。大阪で遅く迄飲んでから東京へ帰ろうとする者、寝転べるようになってはいるが寝台料金の要らない指定席を使って旅費を浮かせる魂胆の者など、各々自分の床に潜り込もうとするうちに、列車は再び東へ向かって走り出した。悠一が電話機にテレホンカードを差し込んだ時には、列車は既に鉄橋を渡り始めたところであった。
 「かなんなあ。折角坂出の駅で電話したったのに、まだ新宿で遊んどるから十二時頃電話してくれやて・・・。あ、もしもし、美弥子さん。帰ってたんだね。」
 「うん、五分程前に帰ったの。」
 「僕は今、新大阪辺りかな。」
 「ねえ、昨日もおとといもどうして電話してくれなかったのよ。」
 「そんなこと言ったって・・・。」
 「だからプライベート用の携帯買いなさいよ。」
 美弥子は仕事上の些細なトラブルのことで悠一に相談したかったのであったが、そういう時に限って悠一が高知へ行っていたのが不満な様子であった。美弥子の愚痴はやがて取り留めのない雑談になり、もうテレホンカードがなくなると悠一に言われて、渋々諦める迄続いた。
 「じゃあまた明日電話してね。」
 「うん、おやすみ。」
 「おやすみなさい。」
 「あーあ、ほんまにかなんなあ。」
 列車は滋賀県に入ろうとしていた。
 悠一は部屋に戻ると浴衣に着替え、ベッドに寝転んだが、すぐには眠れず、この三日間のことを考えた。そしてこの三ヶ月のことを、それからこの二年間のことも。伸子は何を考えているのだろうか。由美子はどうなるのだろう。文子は幸せになれるだろうか。そして美弥子と自分は一体どうなるものなのか・・・。
 列車が木曽川を渡る頃、悠一は再び眠りに就いた。
 翌朝、悠一は目覚めるとすぐブラインドを開け、声を上げた。
 「あ、しもた。」
 列車は川崎駅を通過するところであった。悠一は横浜で降りて一旦寮に戻り、それから会社へ出るつもりであった。東京駅から折り返しても間に合うが、悠一は面倒になって直接会社へ行くことにした。悠一は東京駅で弁当を買うと、京葉線に乗り換えて八丁堀で降りた。
 早朝のオフィス街は人通りも殆どなく、空気が澄んでいた。
 「たまには早起きしてこんな時間に来るのもええなあ。」
 いつもはぎりぎりの時間に駅に着いて小走りに会社へ向かう悠一であったが、この日はゆっくりと、少し遠回りして会社に着いた。会社の前の自動販売機で烏龍茶を買うと、悠一はカードでドアのロックを開けて、会社が入っている雑居ビルの通用口を入って行った。弁当を食べ終わると、悠一は由美子にメールを打つことにした。

   ありがとうございました
人使いの荒い伸子さんの妹の由美子さんへ
この度は皆様に色々とお世話になりありがとうございました。
昨日伸子さんにこき使われてお店の模様替えをしてた時、由美子さんがデジカメで撮ってくれた伸子さんとのツーショット、早くメールで送って下さいね。
ちょっと未練がましい伊藤より



 

   画像・伸子
一回送ったらエラーでした。伸子さんの重量オーバーでしょうか? 伊藤さん
お疲れ様でした。列車の旅はどうでしたか。ちゃんと連絡しました?
お約束どおり伸子さんとのツーショットお送りします。
野場に三島さんや伊藤さんと撮った写真スキャンして送ってみようかな。その前に現像出さなきゃ。十二時現在でメールが来てないということは、とっちめられてるんでしょうか。さあ、どういう反応か分かり次第お知らせします。
今宵はHPの更新をしようとパソコンをいじっていたユミコより

   画像転送
三島社長と野場さんの対決がどうなるか楽しみな由美子さんへ
伸子さんとのツーショットの写真を転送しておきました。村上さんにね。
寝台車でゆっくり寝ようと思って坂出で乗る前に電話してみたら、まだ新宿で遊んでるから十二時半頃家に電話してくれだって。目覚ましを掛けて、大阪辺りで電話したもんだから、あまり眠れなかった・・・。ところでその後大阪方面からの情報はどうですか。
今夜五日振りに逢い引きする伊藤より

   報告
さっそくの逢い引きでルンルンの伊藤さんへ
デートは楽しかったですか。
十八日にグローソフトは皆さん揃って居酒屋へ行ったそうです。そこでみんなの前でM社長に公表されてしまったそうで・・・。彼も大変ですな。
月末の京都での逢い引きの計画を立てている由美子より

   返信 報告
月末のデートが楽しみな由美子さんへ
デートは楽しかったかって? 十八金のハート型の枠に土佐の黒ダイヤをはめ込んだペンダントをお土産に渡しながらも、わざとちょっと冷めた態度で接してみたら、今夜また彼女の部屋へ行くことになってしまいました。もし明日以降メールが届かなかったら、伊藤は大火傷で死んでしまったと思って下さい。仕上げに伸子さんとツーショットの写真を彼女に送っておきました。吉と出るか凶と出るか・・・。
今夜でゲームオーバーになってしまうかも知れない伊藤より

 ゲームオーバーというのは、恋愛関係の破綻のことである。高知で由美子が悠一と話していた時、どちらかが終わってしまったら、ゲームオーバーだと報告することにしようと言ったのであった。

   ドライフラワー
心は既に京都にある由美子さんへ
よくわかりません。終わってしまったかも・・・。薔薇は昨夜の内に捨てられてしまったのであろうか・・・。
僕は大火傷で動転してたのに、ヤケに冷静で無口だった彼女の心情を測りかねている伊藤より

 その夜悠一は、美弥子が以前悠一に贈られた薔薇をドライフラワーにしているのに気付き、感極まって嫌がる美弥子の唇を強引に奪ってしまったのであった。そのままベッドに押し倒そうとしたが激しく抵抗され、もう終電の時間よと言われて、諦めて帰ることにした。それでも美弥子は悠一を駅迄送ってくれた。悠一はまだどきどきしていたが、美弥子は不気味な位冷静だったのである。



 

   お見舞い
大火傷だけど生きている伊藤さんへ
どれぐらいの具合なんでしょうか? 黒ダイヤって黒曜石のことなんですね。
お見舞いに合宿の写真送っておきます。
心は京都? でも村上さんに邪魔されそうで怖い由美子より

   終わらせようかな
僕も京都へ行って邪魔してみたくなった由美子さんへ
あのあと電話があって、結局三日連続逢うことになってしまいました。無謀な賭けは一応成功したようではありますが、相変わらず生殺しのまま。何か疲れて来ました。いっそ、僕のほうから突然・・・。でも・・・。
突然どうにかなってしまいそうな伊藤より

   なんでそんな・・・
邪魔するったってどんなことするのでしょう? 伊藤さんへ
んな。気の迷いですよ。疲れた? 急ぎすぎましたか?
そのうち低温火傷になったりして・・・。
これから歯医者へ行く由美子より

   また生殺し
東京の居酒屋の同い年の人はどうなったのか知りたい由美子さんへ
急ぎ過ぎですか。そうかも知れません。僕は結婚迄考えているのですが、彼女はそれにはまだまだクリアしなければならない問題が沢山あるとか言って、手を握ることすら拒むんです。それ程障害があるとは思えないのですが、やはり前の人が忘れられないのか・・・。僕もおとなしくしてるのですが、酔うとつい危なくなって。僕は大火傷なのに彼女は案外平気で・・・。結局のところまだ生殺しです。
低温火傷ですか。このままだったらきっとそうなるでしょうね。でも今度彼女の部屋へ行ったら突撃して憤死してしまうかも知れません。
最後のゴールデンウイークは充実してたけど、最後の夏は一体どうなるのかなあ。来世はきっといいことがあると信じることにしましょう。
二股掛けてどっちにしようなんて贅沢は言わないけど、一度でいいからちゃんとまとまってみたかった伊藤より

   事態悪化
伊藤さんへ
こちらも大変なことになりそうです。野場氏はグローソフトをひょっとしたらクビになりかねない状況です。今度逢う時はルンルンデートではなく、話し合いのようです。
同い年の人は、この間一ヶ月ぶりに電話してみました。変わりなしです。
最後って、世紀末でも信じているのでしょうか。来世を祈ります。
二股はまだ掛けてない(?)、雲行きが怪しい由美子より

   返信 事態悪化
若くして様々な人生経験をしている由美子さんへ
野場さんがクビになるって? もしかして由美子さんのことでじゃないですよね。でも恋のために仕事も何もかも投げ出すなんて羨ましいような気もする・・・。と書いたら、結婚は愛だけでは出来ない、ちゃんと人生設計を考えて貰わないと困ると言う彼女の声が聞こえてきた・・・。
同い年の人は相変わらずですか。まあ、選択肢は多く残しておいたほうがいいですね。
最後って、世紀末じゃなくって、来年死ぬような気がするって言ったでしょ。
由美子さんの三股目になってみたいなと、ふと考えた伊藤より
(でも今夜また逢う・・・午後はメール送ってもいないよ!)

   歯も悪化
午後はいないから午前中です。伊藤さん
もともとの原因は私のこと、それがらみのことのようです。仕事を投げ出すのではなくて、G社に投げ出される恐れありということで・・・。まあ、どこまでほんとか・・・。でもなるようにしかならないってことですね。
お蔭でこの連日電話してます。が、この家はギャラリーが多い! なぜかしら人が集まって来てゆっくり話が出来ない。携帯で良かったと思いつつも、ウロウロしながら話しています。
じゃ、デート楽しんできてね。
今日も歯医者の由美子より



 

 その夜、悠一は美弥子と二人で京橋のレストランで開かれる食事会に参加した。二人が再会した夜に初めて一緒に食事した店である。悠一が店に入った時にはまだ数人しか客が入っておらず、美弥子もまだ来ていなかった。悠一は席に案内され、美弥子を待つことにした。悠一から見て左隣のテーブルは一人用にセットされ、悠一の筋向いの位置に四十位の男が座っていて、独りシャンパンを飲んでいた。
 悠一もソムリエに勧められてシャンパンを飲み始めると、美弥子が入ってきた。
 「伊藤君、お待たせ。」
 悠一が立ち上がり、美弥子を案内して来たボーイがテーブルを動かして、美弥子は奥の席に着いた。すると隣の席に独りで座っていた男が美弥子に声を掛けた。
 「奥さん。」
 「あら、田鶴見さん。お一人でいらしたんですか。」
 「ええ。」
 「伊藤君、こちら主人のお友達で田鶴見さん。田鶴見さん、こちら私の同級生の伊藤君です。最近仕事でお付き合いが出来て、時々ご一緒するんです。」
 「はじめまして、伊藤です。」
 「はじめまして。」
 二人は名刺を交換した。
 「ねえ、田鶴見さん、お一人だったらご一緒しません? 伊藤君、いいでしょ。」
 悠一は美弥子の言う意味が良く分からなかったが、美弥子はボーイを呼んで、二つのテーブルをくっつけさせてしまった。奥に田鶴見と美弥子が並んで座り、悠一が下座に控える格好になった。
 食事中も美弥子はすぐ横に座っている田鶴見と歓談することが多く、位置が遠い悠一は蚊帳の外に置かれてしまった。田鶴見がトイレに立った時、悠一は美弥子に言った。
 「何だよ、僕をほったらかしておいて二人で仲良さそうに話して。」
 「何よ、いいじゃない。」
 「今夜は折角二人でゆっくり話せると思ったのに。」
 「だって、田鶴見さんお一人でいらしてお気の毒じゃない。」
 「一人で来たのはあの人の勝手じゃないか。僕に十万円も払わせておいて何だよ。」
 美弥子が何か言い返そうとした時、田鶴見が戻って来て、二人の喧嘩は中断した。
 何事もなかったかのように食事会は終了し、田鶴見は先に帰ってしまった。悠一と美弥子は気不味い雰囲気で店を出ると、タクシーで東京駅迄行った。改札を入ってから二人の喧嘩が再開した。
 「何よ、十万円くらい払ったからって。それなら私が払います。」
 「そんなことを言ってるんじゃない。」
 「私はお金でお付き合いする女じゃないのよ。あなたのお母さんと一緒にしないで。」
 二人はそのまま中央線ホームに上がり、快速列車に乗り込んで並んで座った。電車が発車する前から声は低くしているものの、激しい口論になり、悠一は何度も電車を下りて東海道線で帰ろうかと思った。発車してからも口論は続き、神田で、御茶ノ水で、そして四谷で、電車が停まるたびに悠一は降りたい衝動に駆られながらも、とうとう新宿迄来てしまった。悠一は無言のまま小田急線に乗り換える美弥子を見送ると、憮然とした表情で山手線ホームの階段を上って行った。
 「あっ。」
 その時悠一は初めて、田鶴見とは反対側のテーブルで悠一と美弥子の喧嘩をじろじろ見ていた女性が、ワイン好きで知られる有名な女優だったことに気付いたのであった。



 

   ゲームオーバー
早く清算してしまえ、そうすればもう一度僕が、なんて言って見たい由美子さんへ
さて、僕のほうの話。些細な行き違いの積み重ねから、二人の間の溝が段々と深まっていました。昨夜新宿で彼女と気不味い雰囲気のまま別れた二十分後、彼女が電車で寝てて乗り過ごさないよう、いつものように携帯に電話を入れました。険悪な状態で話していて、僕のほうの終電車が来たので電話を切ることになりました。いつもなら「おやすみなさい」と言った後、お互い一言ずつあってから切るのですが、僕は無意識のうちに「さようなら」と言って、すぐに切ってしまいました。きっと来週あたりまた掛かって来ると思いますが、もう逢うこともないでしょう。でも、もしかして大逆転が・・・彼女が豹変して、私を見捨てないでと縋り付いて来るとか、空しい期待を抱いてしまう自分が情けない。
この三ヶ月で失ったもの。お金。百万円も使ってないから、こんな事は別にどうでもいい。健康。精神的にずたずたになっただけでなく、極度の睡眠不足のため完全に過労状態です。もしかしたら今夜あたり気が緩んで急性くも膜下出血とかで倒れて楽になれるかも知れない。若き日憧れていた素敵な女性の想い出。そう、あの頃の彼女は輝いていた。
彼女に歯医者へ行けと言われながら、とうとう行かないうちに終わってしまった伊藤より

   リセット・再スタート
ええええええ? もうゲームオーバー? 最近のはすぐリセットがきくようになってる筈だけど・・・。
些細な行き違い? 伊藤さんは結構、意外と感情型ですね。だから乗せられやすいのかも・・・。
「さようなら」だって? さようならは別れの言葉じゃなくて、再び逢うまでの約束でしょ。この土日、明日はまだ金曜か・・・で何とかしましょうよ!
百万円、それだけあれば・・・。あたしもかなり使わせてるかなあ。宿泊代といい食事代といい・・・。このままで行くとただの金食い女? 広島で泊まったところは広島城がすぐ見える、お殿様よりも高いところのとっても良いリッチなホテルでした。
歯医者は早いほうが精神的にも楽ですよ。
京都へ持ってく土産を考えている由美子より

   覆水盆に還らず
取り敢えず幸せそうな由美子さんへ
リセットですか。元に戻れないことはどうしようもないのです。この土日? 土日は先方は仕事です。凶は、あ、縁起でもない変換違い、「今日は」これから出張、明日から会社の旅行です。これも運命の巡り合わせです。それから、僕は午前中出掛けてて、帰って来る数分前に彼女から電話があったというので、一応掛けてみたけど繋がらない。これもそういう運命なのでしょう。
由美子さんも金食い女? 男ってそういうことにはどうしてもお金を使ってしまうものなのですよ。僕も一度女性とどっかに泊まってみたかったなあ。
歯医者? あと一年足らずの命なら痛み出すこともないでしょう。
来年どころか、極端に体調が悪くて、このまま死んでしまいそうな気がする伊藤より

 悠一がこのメールを発信し終わった時、彼のデスクの電話が鳴った。



 

   死にに行ってきます
気が付いたらこの世で唯一心を開ける人になっていた由美子さんへ
さっき彼女から電話があって、話があるので十分でもいいから逢いたいと言うのです。東京駅迄来るそうなので、話を聞いてきます。別れ話なんて電話かメールで済ませてくれればいいのにねえ・・・。いよいよこれですべて終わりです。恨み言は言わずに別れるつもりです。
意外にも落ち着いた気分の伊藤より

 悠一が東京駅八重洲南口に着いたのは十二時五分前のことであった。すぐに美弥子が現れた。悠一は美弥子の目を見ないようにして言った。
 「どうする。まずお昼を食べなきゃ時間がないよ。」
 「ご一緒してもいいの?」
 悠一は無言のまま地下街へ降りて行き、美弥子も従った。二人は角のスパゲッティ屋に入り、一番奥の席に座った。
 「伊藤君、ゆうべはごめんなさい。」
 「何食べようか。」
 二人はそれぞれ違うパスタを注文し、途中で皿を交換して食べた。その後コーヒーを注文した時には、二人は何事もなかったかのように談笑していた。美弥子は京橋から帰るというので、二人は地下街を出て、オフィス街を仲良く散歩してから別れた。
 悠一が会社に戻ると、由美子からメールが届いていた。

   おかえりなさい
どうなりました?
最近宛名と差出人を修飾するのをサボる由美子より

 「おかえりなさいてどういうことや。あ、そうか。死にに行ってきますの返事やからや。」

   ただいま
優しく出迎えてくれた由美子さんへ
巧みに生殺し状態を継続されてしまいました。明後日の夜にまた逢う約束をしてしまいました。
死に損ないの伊藤より

   笑い!
まだまだ健在の伊藤さんへ
ははははははははっははっははっはあはっははははっはははははっははは・・・。
笑っちゃいました。お幸せに
いそいそと準備するユミコより

   笑わないで!
笑い転げている由美子さんへ
でも、ぎりぎりの結論なんですよ。彼女も僕がはっきり言えばそれでゲームオーバーだと覚悟していた訳だし、でも僕にもまだ未練はあったし、これが終われば坊主にでもなるしかないしで、結局のところ生殺しで笑えることになってしまったのです。今日は昼休みを勝手に前後に二十分ずつ延長してしまった。
「さようなら」は相当効いたみたいで、彼女は眠れずに睡眠薬を飲み、たまらず翌日押し掛けて来た訳ですから、やっぱり僕が突然いなくなってしまったら淋しいんですね。それならもう少し親密にして欲しいけど・・・。
暫くは生殺しに甘んじることにしましょう。でもあんまり長引かせると二人ともズタズタになってしまうので、早く決めないと。
では、由美子さんの京都の報告を楽しみにしています。
五月は結局デート十二回の生焼け伊藤より



 

 ムーンライト高知号は朝日を浴びながら京都駅に到着した。化粧もせず、髪を後ろに束ねたままの由美子がホームに降り立った時には、丁度午前六時半になっていた。
 「由美子。」
 「あれ、野場さん、来てくれたん。八時半頃京都駅の前で逢う言うたのに。」
 「由美子に逢いとなって、早起きして飛んで来てしもたんや。」
 「それは嬉しいけど、私まだ化粧もしとらんし・・・」
 「ええがな。素顔を知らん仲でもないんやから。」
 由美子は少し不愉快な表情になったが、野場は気付いていない様子であった。二人はとにかく朝食を済ませようと、駅ビルの中の喫茶店に入ることにした。
 「由美子、どこ行きたい。」
 「そうやね。まず京都タワー登ってみて考えよか。」
 「あほ、京都タワーなんか金出して登らんでも、駅ビルの屋上からよう見えるわ。」
 「え、そうなん。」
 「十何階建てやったかのビルで、エスカレーター乗り継いで行けば、一番上迄行けるんや。」
 二人は朝食を終えて、店を出た。
 「私、ちょっとお手洗い。」
 「僕も。」
 野場はすぐに用を足してトイレから出てきたが、由美子は十五分程経ってから、やっと戻って来た。
 「遅いなあ、何やってたねん。あれ、見事に化けたなあ。」
 「化けたて何よ。折角綺麗にして来たのに。」
 由美子は綺麗に化粧をしていて、見違えるように美しかった。
 「流石四国の女や。ポンポコポン。」
 「狸と一緒にせんといて。」
 二人は駅ビルが開くのを待って、エスカレーターを幾つも乗り継いで、屋上迄上がって行った。
 「足元見てみ。」
 「何?」
 「東本願寺に西本願寺や。」
 「あ、ほんま。こんなすぐ下なんや。」
 「あそこが金閣寺、あっちが嵐山や。ほんで左のほうが嵯峨野。」
 「嵯峨野か。嵯峨野行こか・・・。」
 二人は地上へ下りた。
 「車取って来るからここで待っとって。」
 野場は駐車場へ向かった。すっかり変わってしまった京都駅の前で、由美子は昔のことを思い出していた。修学旅行で来た京都。金閣寺。新京極。セーラー服姿の由美子と並んで歩くのは学生服姿の隆二。隆二はその後東京へ出てフリーターをしていて、今は渋谷の居酒屋でアルバイトをしているのである。情報機器展で東京へ行った時、由美子が悠一と食事した後に急いで渋谷へ向かったのは、隆二と逢うためなのであった。
 「由美子、どうしたんや。」
 野場に声を掛けられて初めて、由美子は自分の目の前に銀色のカローラが停まっているのに気付いた。
 この日は快晴で、初夏の嵯峨野は実に爽やかであった。二人は車を駐車場に預け、暫く散策することにした。新緑が眩しい山道を歩いて行くと、ところどころに寺院がある。まだ人通りはそれ程多くはなかった。ふと通り掛かった寺の本堂の中で、機械の大きな音がしていた。
 「何やろ、あれ。」
 「あ、坊主が掃除機掛けとる。」
 「はははは。」
 二人は寺を見るのは後回しにして、山道を散歩した。周りに人影はない。不意に野場が由美子を抱き寄せ、唇を重ねた。由美子は目を閉じてじっとしていた。
 坂道を下りながら野場が言った。
 「この先が綺麗な庭で有名な天竜寺や。入ってみよか。」
 「テンリュウジ・・・。」
 由美子は天竜寺という言葉の響きから、再び隆二のことを思い出してしまった。そんなこととは知らぬ野場は拝観料を二人分払って、由美子を連れて天竜寺へ入って行った。
 「どうや、立派な庭やろ。」
 「うん・・・。」



 

   へへん、楽しかったよ! 村上さんに邪魔されず
火傷の治療中の伊藤さんへ
京都の宿泊先? 京都ホテルです。景色がとっても良かったよ! 大阪では・・・内緒にしとこ。
さて、とうとう向こうの家に顔見せに行ってきました。かなり突然の訪問(当日言ったらしい)で、お父様には会えませんでしたが。偵察偵察。
今度は向こうがこちらに顔見世興行(看板は自分で書いてくること!)するらしいです。
それ以上のことはまだなあんにも決まってませんけどね。
とりあえず一ヶ月に一回は逢ってる由美子より

   グローソフトはどうなりました?
毎月火傷してルンルンの由美子さんへ
村上さんに邪魔されなくて良かったですね。大阪の夜の話も聞きたいな!
随分話が具体的になってきたようですね。グローソフトをクビになったら吉田電器店で雇えばいいんですよね。顔見世興行に合わせてまた合宿をやりましょう!
ところで修正報告。五月は十三回です。
生殺しでボロボロ、今夕万歳突撃するかも知れない伊藤より

   万歳? 漫才?
お手上げの伊藤さんへ。足まで上げて転ばないように!
バンザイ推奨の由美子より

   ノチェッロ
先月は浦戸で一緒に色々と飲んだくれた由美子さんへ
あの時由美子さんがサイドボードから出してきた、クルミの栓の付いた丸っこい瓶のリキュール、あれって彼女が大好物だというのであちこちで注文してみるのですが、なかなか置いてません。地下街の酒屋で見つけたので一本持って遊びに行ったら随分と喜んでくれました。
その割には優しくして貰えない伊藤より

   ノチェッロ、はあ、あれですか
甘すぎるんじゃないですか、伊藤さん
私は最近日本酒を(デートの時)よく飲みますね。最近はワインはちっとも、あ、家で御馳走になった(昼間っから)。高いのではないですが。
高い? ところはよく行きましたよ。そごうデパートの屋上ビアガーデンを見下ろせる部屋とか、梅田の空中庭園とか。煙と何とかは高いとこが好きだというのも・・・。両方煙ではないということですが。
リキュールかあ、と考え込む由美子より

   明日は休んで・・・
日本酒を飲んでもリキュールのような甘い愛を語り合って高い所へ舞い上がっている由美子さんへ
甘すぎますか? 確かに完全に奴隷状態ですね。
明朝以降メール打ってもいませんよ!
明日は二人とも休んで、どこかへ行ってしまう伊藤より
(今月はまだたったの二回目だよ!)

 こうメールを打ちながらも、悠一の表情は冴えなかった。美弥子との電話を終えた後で、時計は午前三時を回っていた。悠一は精神安定剤の瓶を取り出し、数錠飲むと、コニャックを呷ってベッドに潜り込んだ。



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