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 それから一ヶ月程の間、悠一は三日と置かず美弥子とデートを重ね、毎週のように成城の家へも遊びに行っていたが、事態は一向に進展していなかった。二人で談笑したり食事したりするのは良いが、悠一が美弥子を求めると、美弥子は激しく抵抗した。悠一は亡夫のことが忘れられない美弥子がもどかしかった。そして既にこの世のものではないライバルと闘うことの難しさに困惑していた。ドリンク剤では体力を維持できなくなって精神安定剤を服用していた悠一が、時々睡眠薬の処方を受けるようになったのはこの頃からであった。
 悠一の誕生日に、美弥子は悠一を部屋に招いて、手料理とワインでもてなしてくれた。そしてプレゼントはフランス製のタイピンとカフスのセットであった。悠一は美弥子にプレゼントされるのが初めてで、とても嬉しかった。
 「これも欲しいな。」
 悠一は美弥子を抱き締めて唇を重ねた。美弥子は嫌がる素振りは見せたが、いつも程激しくは抵抗しなかった。悠一は美弥子のブラウスの裾から手を入れ、胸をまさぐった。立ったまま半分裸にされかかった美弥子はなされるがままにしていたが、ソファに押し倒されると、はっと我に返ったように激しく抵抗し始めた。結局この夜もそれだけであった。
 由美子の誕生日も同じ頃であった。その日は野場は高知へは来られなかったが、花束を送って来た。由美子は嬉しくてたまらず、花束の写真をデジタルカメラで撮って、悠一に送って来た。
 七月になって、悠一の許に由美子から野場の高知顔見世興行の報告が届いた。

   野場とロダン
火傷が重症な伊藤さんへ
二日連続デートしちゃいました。高知城にも上り、桂浜にも行き・・・。生憎の雨でしたが、二日目は雨も上がったので、ほっとしました。ロダン展も見に行ってきました。
一日目の晩にうちでご飯を食べて、飲まされて、眠くなって・・・ちょっと居眠りして、ちゃんとその後のびごんとホテルまで送って行きました。
後で聞いたら、私が眠っている二十分位の間、彼は「ゆみこお、ゆみこお」って言ってたそうです。し、し、知らないよお。
市内の某所でもお姉ちゃんの友達に見られて、後で報告が来ました。ありゃ。
毎日冷やかされてる由美子より

 「由美子ちゃん、いよいよまとまりそうや。羨ましいなあ。」
 この頃から美弥子の仕事は段々と忙しくなり、悠一と逢うのは大抵夜九時頃からになっていた。悠一は横浜駅からタクシーで帰ることが多くなった。
 八月のある日曜日、珍しく仕事のない美弥子が久し振りに悠一を家に招いた。いつものようにワインで乾杯し、美弥子の手料理で夕食を済ました二人は、ハーブティーを用意してソファに並んで座った。ティーカップ片手に美弥子が言った。
 「何だか最近疲れて肩凝ってるみたい。」
 「じゃあ、揉んであげよう。」
 悠一は美弥子の素肌に触れたい下心もあり、立ち上がって美弥子の後ろに回り、肩を揉み始めた。悠一は一瞬、あるいは美弥子が触られるのを嫌がるかと心配したが、美弥子は気持ち良さそうに目を閉じていた。
 「伊藤君って肩揉むの上手ね。」
 「そう。ありがと。」
 悠一は美弥子がいとおしくなって、顔を美弥子の頭に近づけた。
 「あ、白髪が一本ある。」
 「え、ほんと。抜いて。」
 「いいの。痛いよ。」
 「いいから抜いて。」
 「じゃあ、抜くよ。せえの、ぶちっ。」
 悠一は二人が段々夫婦になって行くような気がした。悠一は美弥子の横に座るとハーブティーを啜りかけて止め、カップを置くと美弥子を抱き締めて唇を奪おうとした。美弥子は激しく抵抗した。悠一はさっと立ち上がると、何事もなかったかのように再び美弥子の肩を揉み始めた。美弥子は苦笑していたが、すぐに気持ち良さそうに目を閉じた。



 

 悠一と美弥子は様々な点ですれ違うことが多かった。生活時間帯などの物理的な問題だけでなく、人生全般に対する考え方の違いから衝突することも多かったのである。その夜も午前二時を過ぎても二人は電話でとりとめもない話を続けていた。
 「ねえ、いつもこんな長電話ばかりしてないで、早く一緒に住もうよ。」
 「駄目よ。」
 「固い女だなあ。ちゃんと結婚するつもりなんだから、何がいけないんだよ。」
 「結婚するにはまだまだ解決しなければならない問題が沢山あるじゃないの。」
 「何だよ、それ。」
 「だって、生活するって随分とお金が掛かるものよ。」
 「今のほうがよっぽど使ってるんじゃないの。」
 「そんなことないわよ。それに両親のこととかも考えると、心配で心配で。」
 「立派な家があるし、お金だって七千万位はあるじゃないか。それに僕だって今迄倹約してたから、結構持ってるのは知ってるだろ。一体何が不足なんだよ。」
 「だって、例えば両親のどっちかが重い病気にでも掛かったらどうするのよ。今のお金じゃ心配だわ。」
 「何言ってんだよ。世間には何十万円かの医者代だって心配している人が少なくないのに、一体どんな病気したら一億円も使えるんだよ。」
 「そんなこと言ったって、どんなことがあるか分からないわよ。それに私達の老後のことも考えると、やっぱり何億円かないと安心できないでしょ。」
 「年取ってからそんなにどうやって使うんだよ。住むところがあって、地下にワイン迄あったら、月十五万もあれば衣食は十分に足りるだろ。」
 「私、そんな生活したくない。年取ってから貧しいって惨めじゃない。」
 「別にそんな生活しろとは言ってないよ。君は金銭感覚が浮世離れしてる。お嬢様はほんとに困ったもんだ。」
 「そんなことないわよ。うちは普通の庶民よ。周りにはもっと凄い家が一杯あって、みんなお金持ちばかりだもん。」
 「そりゃ、成城だからだよ。」
 「そんなことないわよ。学生時代のお友達だってみんなそうよ。」
 「確かにうちの大学はお金持ちの子が多かったけどね。それに美弥子さんは高校迄は私立のお嬢様学校だもんね。でも、本当の庶民は中学からそんな高い授業料払ったりはしないんだよ。」
 「それは払えない人が悪いんじゃない。ちゃんと人生設計してないからよ。」
 「はいはい、僕は稼ぎの悪い計画性のない大馬鹿者ですよ。」
 「そんなこと言ってないわよ。」
 こういう調子で毎晩のように長電話する二人であったが、美弥子の仕事が忙しくて、暫く逢えない日が続いた。悠一は美弥子が仕事に熱中し過ぎるのが不満であった。
 「仕事仕事って、もう少し人生を楽しむことも考えたらどうだい。」
 「人間はやっぱり立派に仕事してなきゃ駄目よ。特に男の人はね。」
 「安サラリーマンで悪かったね。」
 「そんなこと言ってないじゃない。」
 そうこうしているうちに、二人同時に午後から休める日が出来て、悠一は成城へ行くことになった。とは言うものの、美弥子の仕事が片付かないので、午後五時頃成城学園前へ来いということになった。悠一はそろそろはっきりさせてやろうと覚悟を決めていた。

   明日半月ぶりに出陣します
文子さんの結婚式の時の和服姿の由美子さんの写真も伸子さんの写真(実物も可)も送って欲しい由美子さんへ
表題の通りです。再び笑いを取れるか、それとも・・・。
明日討ち死にするかもしれない伊藤より

   いざ出陣!
甲冑も似合いそうな伊藤さんへ
実物(伸びごん)もまだ可ですか? デジカメで取ってないのでちょっと送れませんね。
ところで東京電算機の展示会があるんですって?
旅行しようと企んでる由美子より

   展示会
一人旅も似合いそうな由美子さんへ
実物を転送する際は演歌歌手風の和服姿で!
さて、展示会ですが、十月に東京と大阪でやるそうですよ。
これでお別れかも知れない伊藤より



 
十一

 その日、悠一は午前中出社し、午後は有給休暇を取って会社を出た。取り敢えず新宿へ出た悠一は、デパートの地下食品売り場の隅にある喫茶店へ入った。ここはフランスの有名なレストランと提携していることが売物であるが、値段は手頃で人気がある店である。悠一は昼の定食と、グラスワインを一杯取った。決して高いものではないが、そのフランスのレストランの地元の町で出来る、珍しいワインであった。
 ゆっくりと昼食を済ませても、まだまだ時間があるので、悠一はデパートの中を見て回ることにした。まずは食品。こういう惣菜を買って、美弥子とどんなワインを飲んだら楽しいだろうかな。ワイン売り場。一年前はよく分からなかったのに、今では殆どのワインがどういうものか分かるようになった悠一。美弥子はどのワインを飲みたがるかな。アクセサリー。どんなのをプレゼントしたら美弥子は喜ぶだろうか。婦人服を一人で見るのは恥ずかしい。紳士服。どんな服とネクタイにしたら美弥子が喜ぶかな。食器売場。これは美弥子が揃えてたなあ。こんな食器も揃えておくと二人の食事が楽しくなるだろう。別館から本館と、デパートの中を一回りするうちに、時計は四時を回り、悠一は小田急線の改札口へ向かった。
 悠一が成城学園前駅に着いたのは四時四十分過ぎのことであった。悠一は早速美弥子に電話した。
 「もしもし、今駅に着いたけど。」
 「え、もう着いたの。まだ家の中も片付いてないのに。」
 「別に片付いてなくていいよ。水臭いなあ。」
 「そんな訳には行かないわよ。そうだ、駅前のスーパーでクッキーでも買って来てよ。二人でお茶飲むだけだから、小さいのね。それからゆっくり来てね。」
 悠一がクッキーを買って鴫沢邸に着いたのは五時過ぎであった。美弥子は悠一を出迎えると早速紅茶を用意し始めた。二人はソファに座ってクッキーをつまみながら紅茶を味わった。美弥子は何時になく余所行きの格好をしていた。
 「今日はヤケに綺麗だね。でもそんなにお洒落してどうしたの。」
 「近くにいいレストラン見付けたから、今日はそこへ行こうと思って。」
 「え、ここで御馳走してくれるんじゃないの。」
 悠一は肩透かしを食った気分であったが、二人は駅前でタクシーを拾ってレストランへ向かった。美弥子によると、最近急に評判になった店とのことである。
 このレストランは意外にも大きく、美しい庭があった。料理の値段は手頃で、二人は七千円のコースを取ることにした。前菜も主菜も数種類の中から選べるので、二人は別々のものを注文し、いつものように分け合って食べた。悠一が選んだシャンパンも、美弥子が選んだエシェゾーも美味しく、すっかりいい気分になってしまった。デザートの時にシェフが挨拶に出てきた。驚いたことに、この評判のシェフは二人よりも若かった。
 悠一が深夜に帰宅すると、メールが届いていた。

   展示会
まだ今のところは生きているだろう伊藤さんへ
展示会、行きたいですね。さあ、東京まで出掛けましょうかね。(何で大阪じゃないの?)
昨日は大阪に電話はしたけど、メールを書かなかった由美子より

   またまた生殺し
東京へ来たら何か飲ませてあげたい由美子さんへ
完璧に読まれて外されてしまいました。結局表題の通りです。低温火傷が重症だ・・・。
昨夜タクシーで帰ったのに、今夜も九時に約束してしまった伊藤より

   ふふふ
やっぱり生きていた伊藤さんへ
あらららら、彼女のほうが上手ですね。はっはっは。
ちょっとこっちも野場ちゃんにメール控えてみようかと悪巧み(?)を考えている由美子より



 
十二

 悠一が新宿駅西口で美弥子と待ち合わせ、ある高級ホテルの最上階近くのバーの席に着いたのは午後九時半のことであった。二人はシャンパンと、簡単な食事を注文した。丁度バンドの演奏が始まって、二人は余り話が出来なかった。特に話し合うべきことがある訳ではなかったが、美弥子とゆっくり語り合おうと思っていた悠一は少し不満気であった。
 「私、仕事が終わるの遅いから、こういうところでよく食事するの。」
 バンドの音が大きくなったのを幸いに、悠一は返事をしなかった。そして激しい疲労を感じて目を閉じた。
 終電の時間近くになって二人は席を立った。悠一が勘定を済ましていると、美弥子が言った。
 「シャンパン飲んであれだけ食べた割には安いでしょ。」
 デパートで買う数倍の値段のシャンパン、一人前二千円のサンドイッチに、生演奏のバンドのチャージとサービス料迄入った勘定が、彼の一日分の稼ぎに匹敵することを、悠一は説明する気もなかった。
 悠一と由美子のメールの遣り取りは続く。

   展示会
また渋谷に泊まろうとしてるだろう由美子さんへ
展示会は品川駅の近くのホテルでやります。羽田からも近いし、品川に泊まることをお勧めします。僕としても方角が同じなので、遅く迄飲んだくれても帰りやすいことだし。
二日目の晩は仕事が入ったので、一日目の晩か、前日の夜どうですか。
由美子さんが電話の繋がらない居酒屋の人と二股の日程調整をしなければならないように、僕としても彼女との兼ね合いで日程を調整する伊藤より

   行けませんのでよろしく
何だか事情をよく知っている伊藤さんへ
展示会は伸びごんの一言で却下されました。悪しからず。
あああ。ダリ展も見たかったのに。
ほんとに電話繋がりませんよ、最近。何でかなあ。
と言いながら、野場は明日から社内旅行でグアムへ行くからと、二時まで長電話してた由美子より

   それは残念
東京でついでに遊ぼうとしているのを伸びごんに見破られてしまった由美子さんへ
のびごんの意地悪!
ところで、こちらも何だか電話繋がらなくなっちゃいましたよ。どこをほっつき歩いてるのかなあ。
由美子さんと浮気できなくて残念な伊藤より

   秘密
今日あたりデートですか? 伊藤さん
見破られてなんかいませんよ。でも浮気できなくて残念ですね。
昨日深夜、渋谷方面と電話繋がりました。一応生きていたようです。よさこいで逢って以来だな・・・。
野場は今ごろグアムの海。
野場の夢は見たことがないのに、東京人が夢に出て来てしまう由美子より

   台風はどうですか
まだまだ迷いがある由美子さんへ
高知の台風の雨は由美子さんの涙か、それとも・・・。
渋谷の居酒屋を教えて貰えれば、彼女と偵察して来てあげますよ!
もっとも最近彼女と逢ってないなあ。僕も何か不安になって来ちゃった。二月に突然彼女と再会して、こういうことになっているんだけど、彼女は果たして誰の夢を見ているのだろう・・・。
だからあの時言ったでしょ。グローソフトのほうにするのなら、東京のほうは一思いにとどめを刺してあげなさいって。
かつて由美子さんに一突きで殺されてしまった伊藤より



 
十三

   また大雨
そちらも雨ですか? 伊藤さん
台風は去年のような被害の心配はなさそうですね。
その後彼女はどうしてますか。私はメール書くのサボってほったらかし。向こうもくれないから何時まで続くかな。実験実験。
大雨の中を銀行に行かなくてはならない由美子より

   頑張れ!
雨女の由美子さんへ
負けちゃ駄目ですよ。先にメールを出したら負け! なんてね。彼女がメールくれないから僻んでるんですけどね。ほんと、メールは絶対にくれないし、写真もくれないし、本当に世話になっている人には紹介してくれないしで、何だかいつ僕を捨てても自分は傷付かないようにしてるみたい。最近全然逢ってないし、電話も繋がらないことが多い・・・。
電話しなくても睡眠不足の伊藤より

   私も眠ってない
戦友の伊藤さんへ
雨女? 誰が?
今のところ負けてはいないんですが、あんまりほっとくと・・・。いいのかなあ。
しょうがないから浮気相手に電話でもしようかしら。それだったら電話しろって?
電話にでんわ。ぎゃふん。
音信不通であたまいかれてます。
睡眠薬飲んで寝よっと。
明日は文子ちゃんと浮気する由美子より

   僕も仲間に入れて!
運命の歯車がどっちに噛み合うのか楽しみな由美子さんへ
電話にでんわというのは野場さんですか、浮気相手ですか。僕に電話してくれれば出るんだけど。
由美子さんと文子さんの浮気の仲間に入りたいなあ(両手に花!)。
さっき珍しく電話が掛かって来て、また夜九時に逢いたいと言うので、つい断ってしまいました・・・。
芥川を読み始めた伊藤より

   もったいない
折角誘ってくれたのに断ってしまった伊藤さんへ
私はまた長電話。
芥川と言うと誕生日が一日違いで、東京にいる人が読んでたなあって思い出した由美子

   蜃気楼
鵠沼で一緒に蜃気楼を探してみたい由美子さんへ
鵠沼方面に友人は何人かいるけど、誰も芥川の小説を知らないし、蜃気楼が見えるなんて聞いたこともないと言うのですが・・・。高知でも蜃気楼は見えますか。
芥川と太宰の後輩(学部は違うけど)の伊藤より

   ゆらゆらと
文学部へ行ったほうがよかったかも知れない伊藤さんへ
蜃気楼は見えませんねえ。見てみたいですが。
あれ? 太宰でした! 芥川と太宰って同じイメージがあるんで間違ってしまいました。正しくは太宰と一日違いです。
昨日久し振りに浮気の電話したら、なんと当人は高知にいてびっくりしてしまいました。でも今日早朝に車で帰ってしまったので逢えませんでしたが。
蜃気楼のようにゆらゆらしている由美子より

   二連敗
昨夜無性に人恋しくなって、写真をしみじみと眺めてしまった由美子さんへ
日曜日百合ヶ丘に用があったので、土曜日にメールを打って、日曜は早く終わるから電話すると言っておいたのに、出掛けてて留守でした。携帯も繋がらないし、折角成城迄行ったのに、また町田迄降り返して帰る羽目に・・・。
今日はかなり前から逢う約束してたのに、電話が掛かって来てドタキャン。
この世の全てを呪い始めた伊藤より

   返信 二連敗
呪術を始めるかも知れない伊藤さんへ
彼女もそろそろ冷めたんでしょうか。うーん。
私も逢おうと言うのをお金ないからと断ってしまいました。
このままメールアドレス変えて、携帯も買い換えたら・・・なんて一瞬考えて・・・。
久し振りにギター弾いてみた由美子より



 
十四

ギターを聞かせて欲しい由美子さんへ
実は今日逢うことになってるけど、昨日彼女は休みだったのに逢ってくれなくて、今日はまた夜九時過ぎになって、結局取りやめと言うことでしょう。
由美子さんと同時ゲームオーバーしたい伊藤より

   返信
件名が無くなってしまった伊藤さんへ
何だか今週末に逢うことになりそうです。どきどきっ! (どう言う意味でだろう。)
何かほんまにこのままでいいのかなあ・・・。
雨降りの秋に考える由美子より

   三連敗
連勝中(?)だけど悩んでいる由美子さんへ
予想通り、今日もキャンセルです。そちらはこの週末に、いよいよすっきりさせてしまいますか?
負け癖の付いた伊藤より

 月曜の朝になっても由美子から返事は来ていなかった。

   週末はどうでした
週末にとうとう決着を付けてしまったかも知れない由美子さんへ
どうでした?
空しい週末を過ごした伊藤より

   それが・・・
決着を期待していた伊藤さんへ
週末は家でおとなしくしていました。つ、つまりは誘いを断ってしまったのです。
悩める由美子より

 悠一も既に一ヶ月以上美弥子と逢っていなかった。次の週、悠一は二日連続下北沢で仕事をすることになった。美弥子は丁度休みを取っていたので、夜逢おうと連絡しておいた。ところが一日目は家の用事をしたいし、二日目は約束があるから駄目だと言われてしまった。一日目の仕事が終わった後、悠一は下北沢から小田急線で成城学園前迄行き、美弥子に電話を掛けた。
 「はい、鴫沢でございます。」
 「こんばんは。」
 「あ、伊藤君、こんばんは。どうしたの。」
 「今仕事終わって成城にいるんだけど。」
 「え、成城へ来ちゃったの。」
 「だって通り道だもん。ねえ、これから出られない。」
 「駄目よ。今夜は両親とゆっくり食事する約束なんだから。」
 「明日も駄目なんだろ。」
 「ええ。」
 悠一は再び小田急線に乗って帰って行った。

 その夜、由美子は携帯電話を目の前に置いて、ぼんやりと考え事をしていた。野場のこと、隆二のこと。いくら考えても堂々巡りをするばかりで、結論など出る筈もなかった。
 由美子がふっと溜め息を付いた時、突然携帯電話が鳴り出した。
 「公衆電話からて、誰やろ。もしもし。」
 「もしもし、由美子さん。伊藤です。」
 「伊藤さん、どうしたんですか。」
 「由美子さん、まあ聞いて下さいよ。」
 悠一はこれ迄の経緯を話した。そして、由美子の近況の話になり、三十分近く話し込んでしまった。
 「由美子さん、由美子さんが僕の背中をちょっと押してくれたら、もう明日きっぱりと片付けられるんですけど、押して貰えませんか。」
 「じゃあ、押しますよ。ポン。」
 「ありがとうございます。これで明日はやっとゲームオーバーや。」
 悠一が寮に帰ると、美弥子から留守電が入っていた。
 「もしもし、鴫沢ですけど、こんばんは。明日お仕事終わったら携帯に電話下さい。お願いします。では、失礼しまーす。」



 
十五

 翌日の夜、下北沢でパソコン教室を終えた悠一が会場のビルから出ようとした時、入口にある公衆電話が目に付いて、一瞬立ち止まった。悠一は雑念を振り払うかのように首を左右に振り、外へ出ようとしたが、また振り返って、結局テレホンカードを取り出して受話器を上げた。
 「もしもし。」
 「あ、伊藤君。私、今下北沢の駅に着いたところよ。」
 「えっ。」
 一ヶ月振りに逢った美弥子は髪を少し短くしていた。二人は駅前でパスタと簡単な料理を食べ、安いワインを一本飲んだ。外に出ると、秋の夜風が少し冷たかった。
 「ここにでも入ろうか。」
 悠一がたまたま目に付いたショットバーを指差すと、美弥子はにっこりした。
 「いらっしゃいませ。何になさいますか。」
 「コニャックの面白いのありませんか。」
 「では、レイモンラニョーのレゼルヴドラファミーユなど如何でしょうか。」
 「グランドシャンパーニュか。じゃあ、それお願いします。」
 「私はアマレット。ロックでダブル。」
 「かしこまりました。」
 美弥子はかなり酔ったようで、店を出るとふらふらと歩き始めた。悠一が支えようとすると、美弥子は突然悠一の腕にしがみ付いて来た。悠一は美弥子に腕を組まれるのは初めてであった。
 下北沢駅のホームに降りると、各駅停車が入ってきた。座席に座るなり、美弥子は悠一に寄り掛かって眠ってしまった。悠一はそっと美弥子の手を握った。

   人生是不可解也
背中の押し方が弱かった由美子さんへ
異常事態です。一体何がどうなったのだろう・・・。
豆鉄砲を食らった鳩が狐につままれたような状態の伊藤より

   不可解?
女狐に化かされた(?)伊藤さんへ
背中の押し方? あれえ、弱かったですか?
異常事態と言うと、思惑と違った方向へ行ったのかしら?
次回は東京へ行くのは断念して一人だけ逢うことにした由美子より

   大阪?
まだまだ片付けそうにない由美子さんへ
異常事態だけど、よく考えたら結局何も進展してないなあ。
仕事が終わって会場を出た時、既に最寄駅迄来ていた彼女に翌日帽子とバッグを買ってあげた、整理整頓の苦手な生殺し伊藤より

   生殺し?
またしても! の伊藤さんへ
帽子とバッグ? 誕生日のプレゼントですか? 「ひゅーひゅー。」
と、村上さんに冷やかされた由美子より(冷やかさなくてももう秋なのに)

   帽子とバッグ? ロレックスですよ!
安上がりな由美子さんへ
そんな程度で済む筈がありません。誕生日には百万円近い時計を御所望のようです。
夕べまた大喧嘩して、終わらせようと覚悟を決めた瞬間懐柔されてしまった、永遠に生殺しから開放されない伊藤より

   時計
寿命が伸びてる伊藤さんへ
百万円近い時計? まあ、凄いこと。こないだ文子ちゃんが十万円近くする時計を一生ものだと言って買ったというのにも驚いているのに・・・。
百万円あったら何回往復出来るのかと考えてしまった由美子より

   昔話
よく考えたら他人のような気がしない由美子さんへ
八年前のことです。ある用件で知人に紹介されて僕を訪ねて来た同い年の女性が何だか思わせ振りなので、打ち合わせのついでに食事に誘ってしまいました。三回目位には、何だか僕に甘えるような素振り迄見せるので、思わず手を握ってしまいました。次に逢った時には唇を奪ってしまい・・・。
八年前と言ってもお互い二十八です。思い切ってプロポーズしましたが、彼女はなぜか煮え切らないのです。実は彼女には学生時代から付き合っていた男がいて、やっぱりそっちの方が良かったみたいで、結局半年程で振られてしまいました。
いっそ由美子さんと無理心中してみたくなった伊藤より



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