2− ブドウ栽培学 その2

 先日故あってある造り酒屋を調査することになった。ここは兵庫県には違いないが、灘からは百km近く離れた南但の山の中である。こんな所で一体どんな清酒ができるのだろうかと思いつつ、紙パック入りの酒から大吟醸まで買い集めて飲んでみると、これがどれもこれも実に素晴らしい。あまりの旨さに筆者は当初の目的を忘れて毎夜飲み耽ることになってしまったのであった。
 清酒は米と水が原料である。水は確かに難しいが、何も宮水や白菊水でなければならないわけではない。日本全国至る所に良質な水はあるもので、京浜工業地帯内某所の工業用水で仕込んだ酒が入賞したなんてことも昔はあったという。一方、米はどこかから良いものを買ってくればよい。あとはある程度の設備と資金、熟練した杜氏の技術、そして何よりも酒造りに対する情熱があれば素晴らしい酒が出来るに違いない(と簡単に言い切ったら酒造りに命を懸けている人たちに叱られるかも知れないが)。
 ワインの場合はそうは行かない。ワインはその土地で採れたブドウを潰して殆ど何も加えずにつくる。気候風土の影響をまともに受けるので、設備や技術や情熱(勿論それらも必要であるが)だけではどうしようもない。そういうわけで、ワインの場合は無名の産地で思わぬ名酒に出会う可能性は日本酒に比べて非常に低いのである。
 さて、話を進めよう。

植栽法
 皆さんはブドウ畑というとどういう風景を思い浮かべられるであろうか。棚があって、ところどころ地面から長い幹が伸び出し、頭の上一面に枝が広がっている・・・・・・これは日本の話であって、フランスではまずあり得ない。フランスのブドウ畑の多くは遠目には本邦の茶畑がごとき景観を呈する。ブドウ樹は1ha当たり5,000から10,000本植えられており、高さは低いものでは足の長い人がまたげる程度である。ここでは日本で「垣根栽培」と呼ばれている方法の一例を紹介しよう。
 まず畑の両端に長さ2m弱の杭を、例えば1.5m間隔で打ち込み、高さ1m強に揃える。畑の途中にも数m毎に杭を打ち、1.5m間隔の杭の列を作る。この各列の杭の上端近くおよび地面から40cmの位置にステンレス製の針金を渡す。これでブドウのつるがからみつく「垣根」が完成した。この針金の下に1m置きにブドウの苗木を植えれば、1ha当たり6,667本のブドウが植えられたことになる。
 3年程でブドウ樹は十分に生長するので、冬季に図1(a)に示したように剪定する。春になってブドウ樹が活動を始めるころ、図1(b)のように長いほうの枝を折り曲げ、針金に縛りつける。夏には図1(c)のようにつるが伸びるが、上下の針金の中間辺りで両側から別の針金で押さえて、つるが横に広がらないようにする。収穫が終わって落葉した後、図1(d)のように剪定すると、ほぼ図1(a)と同じ形になる。以後これを毎年繰り返せば、幹が少しずつ太くなる以外は数十年にわたって同じ形で栽培できるのである。この方法をtaille Guyot simpleと呼ぶ。枝を一方ではなく両側に均等に伸ばした形はtaille Guyot doubleと呼ばれる。他にも幹を横に伸ばし、その幹から短い枝を何本も生やした形のCordon de Royat等もあるが、遠目には幹が太くなっている以外はGuyotと同じように見える。
 なお、「長い枝」と書いたのは4芽以上、「短い枝」は2または3芽残して剪定したものを指す。
 さて、このようにブドウを植えるとブドウ樹1本当たりの葉が茂っている面積たるや、1m2にも満たない。ブドウの苗木だって安いものではないのに、どうしてこれほどまでに密植するのか疑問を持たれる方も少なくなかろう。その上密植すれば樹が多い分労働コストもかさむ。しかしそれ以上にブドウの、そしてそのブドウからできるワインの品質が上昇する。多くの国では産地毎に1haあたり最低植栽本数を法律で定めているのである。
 ところで5年前の話であるが、日本のあるワイン関係の学会の講演会で、どこかの農試の人がシャルドネ(フランスはブルゴーニュ地方原産の高級ワイン用ブドウ品種)を垣根栽培し、ワインをつくった結果を報告していた。ところがその垣根は畝間2m、樹間4m、高さ2.5mくらいの大きさで、ちょうど日本の棚を縦にしただけのようなものであり、1ha当たりの植栽密度は千本ちょっとである。しかるにその講演では、本場ブルゴーニュのワインほど美味しいのはできなかったので、やはり日本でワイン用のブドウ栽培は難しいのだと結論づけていた。つい最近まで、日本では研究者でさえこの程度の認識だったのである。


図1 Taille Guyot Simple 法


ブドウの生育と手入れ
 収穫が終わり落葉すると、冬の間ブドウ樹は休眠するが、この間に図1(d)のように剪定する。春になるとブドウの根が水を吸い上げ始め、枝が柔らかくなって、剪定の切り口から滴が出てくるようになる。このとき図1(b)のように枝を折り曲げ、針金に縛りつけるのである。やがて芽が膨らみ、葉の形が現れ、葉が広がり、ブドウの房の形のつぼみが現れる。なお、図1で丸く描いた芽以外の位置から芽が出たり、複数の芽が出たりしたときは不要な芽を取り除く作業を怠らない。なお、房の数が多すぎるときは適宜切除して、法律で定められた反収を守るのである。
 初夏に開花を迎える。ブドウの花はお世辞にも美しいとは言えないが、見慣れると愛らしい。花が散った後、果粒が徐々に大きくなり、段々ブドウらしくなってくる。肥大がある程度まで進むと、今度は成熟が始まる。果粒は柔らかくなり、緑色が薄れて黒ブドウの場合色づきが始まる。この大きな変化が起こる10日前後の期間をveraisonと呼ぶ。日本語訳は学派によってまちまちのようで、筆者はそのままヴェレゾンと呼ぶことにしている。
 以後果汁の糖度が増し、酸度が低下する。高品質のワインをつくるためには糖度が高いことが必要であり、間違っても畑に水を撒いたりしてはならない。例えば3日後が収穫の最適期だと判断していても、明日大雨が降るとなれば、あわてて収穫してしまうことさえあるのである。
 収穫の少し前まで、適宜消毒が行われる。殺虫剤や殺菌剤で病害を防除するのである。また、余分な葉や生長点を切除する作業も行われるが、これは適量のブドウを最高の品質で収穫するために必要な適量の葉を残すためである。また房の周囲の葉を必要に応じて取り除き、病害を防除したり、色づきをよくしたりする。
 ところで東洋のある国では大企業の農地所有が厳しく制限されているため栽培と醸造が分離されていて、農民がワイン会社にブドウを売るシステムになっている。そこでは農民は雨が降るのを待ってブドウを収穫するという。そうすれば多少品質(単価)が下がっても、ブドウが水膨れして重量が増し、収入が増えるのである。その国にはもちろん単位面積当たりの収量制限の法律など存在しない。

収穫
 開花から100日前後で収穫を迎える。収穫時期は経時的にブドウを分析することによって判定される。ブドウは成熟にしたがって糖度が上昇し、酸が減少する。収穫期を判定するためには様々な指標が用いられるが、代表的なものとして糖酸比が挙げられる。ブドウ果汁中の糖分をS[g/l]、硫酸換算の酸度をA[g/l]として、S/Aの値が一定値(例えば40)に達したところで収穫期に達したと判断するのである。他にもブドウ糖と果糖の比(ほぼ1:1が目安)や、総有機酸(成熟にしたがって低下)に対する酒石酸(ほぼ一定)の割合なども指標として用いられる。いずれにせよ、十分なアルコールを得るために必要な糖度を得た上で適度な酸が残っていることが重要であり、収穫時期の値はその年の気候によって変わってくるのである。
 最高級ワインのブドウは1房ずつ手作業で収穫され、選別される。ある程度コストを考えざるを得ないワインでは機械で収穫される場合も多い。機械収穫では葉や茎が多少は混入するのでワインの品質を低下させる。しかし十分に手入れされた健全な畑ならそのデメリットは比較的小さい。いちばん悪いのは手入れの悪い畑を機械収穫することで、腐敗した房、弱った葉や茎などが多量に混入してワインの品質をますます低下させる。手間暇お金を掛けるほど良質なワインが得られることは確かなのである。

   
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