3− エノロジー その1

 前回まででワイン用のブドウとそれを作るために必要な作業について述べたが,このようにすればどこでも素晴らしいワインができるわけではない.ブドウが風土に合っていなければ決して良質なワインはできないのである.
 先日,バブル期に世界各地のワイナリーに投資した会社の社長の講演を聴く機会があった.その講演では,アメリカやオーストラリアでは伝統にとらわれず自由にワインをつくれるので努力しただけ報われるが,フランスには伝統的な格付けが厳然として存在するため,格下のワイナリーでいくら努力してもあまり利益を上げることはできないと話していた.実は7年前にその社長のワイナリーを訪れたことがあるが,ここは明らかに気候にも土壌にも問題があった.土壌は水はけが悪いし,気候の関係でブドウが十分に熟すことが稀であり,格上のシャトーとは歴然とした差があったのである.もちろんこれでもある程度いいワインはできるだろうし,現にかなりのものはできているが,いくら頑張ってもここで最高のワインができることはない.30m客土した上に,畑全体をドームで覆って気温,降水量と照度を人工的に調節すれば話は別であるが・・・.
 それはさておき,どんな畑でもそれなりのブドウは採れる.今回はその収穫したブドウを醸造する話であるが,具体的な醸造法は次回に譲り,基本的な話から始めよう.

収穫されたブドウの成分
 ブドウには水が最も多く含まれるのは当然として,次に多いのが糖分である.主な糖はグルコースとフラクトースで,ヴェレゾンのころにはグルコースがフラクトースの2倍程度の比率であるが,収穫期にはほぼ同量か数%少なくなる.その他の単糖類・少糖類も微量含まれる.
 その次に多いのが有機酸で,ブドウに特徴的なものは酒石酸である.これは代謝されにくく,ブドウの成熟過程でもワインの醸造・熟成過程でもほとんど変化しない.もう一つ重要なのはリンゴ酸で,これはブドウの成熟とともに減少するが,温度が低い年にはあまり減少せず,ブドウの未熟さの原因となる.これら2つで有機酸の90%を占めるが,他にクエン酸をはじめ種々の有機酸も微量含まれる.糖と酸は果肉の部分に含まれ,果汁の主成分となる.
 その他の成分は量は少ないが,主として果皮に含まれる有色ポリフェノール(アントシアン等)と各種香気成分,果皮の他に種子等にも含まれる無色ポリフェノール(タンニン等)やペクチン,固相にも液相にも存在する窒素化合物,ビタミン類,無機質等があげられる.

果汁成分の調整
 理想的なワインをつくるにはまず果汁に適度な糖分と有機酸が含まれていることが肝心である.糖は通常不足している.酸は多すぎることも少なすぎることもある.一定の範囲内でこれらの成分を調整することが認められていて,何万円もする高級ワインでも行われていることである.
 糖が足りない場合,手っ取り早いのが補糖である.タンクから発酵途中のもろみを引き抜き,桶に受けてショ糖を溶かし,再びタンクに戻す.あるいは果汁の一部を濃縮したり,別に濃縮した果汁を加える方法もある.何れの方法でも糖度を上昇させ得る限度が厳密に定められている.
 酸が高すぎる場合,酒石酸二カリウム,炭酸カルシウム,炭酸水素カリウムで中和する(除酸)が,これも1g/l(硫酸換算)以内の酸度減少に限られる.
 一方酸が低すぎる場合,1g/l(硫酸換算)以内で酒石酸を添加する(補酸)ことが認められている.あるいは未熟なブドウを加えるとか,後に述べる亜硫酸を多めに加えて固相からの有機酸抽出を高めるなどの方法もある.
 以上に述べた補糖,除酸,補酸の作業はいかなる場合もひとつしか行ってはならない.除酸と補酸を同時に行うのはナンセンス.補糖と同時に除酸する必要があるブドウはあまりにも未熟であるし,補糖と補酸が必要であるとすればそれはあまりにも希薄な果汁であり,いずれの場合もワインにしてはならないのである.

亜硫酸添加
 亜硫酸に関しては以前にも少し書いた(1)が,改めて詳しく述べておきたい.亜硫酸はワインを醸造する際に,あるいはワインを保存する際に必須のものであり,これを加えないと変質した不自然なワインしかできない(2)
 亜硫酸はSO2のボンベや10%水溶液で,あるいはK2S2O5(通称メタカリ)の形で発酵前の果汁および発酵後のワインに加えられる.また,樽を殺菌するために中で硫黄を燃やしたりもする.この亜硫酸の効能は:
 1)抗菌作用:Saccharomyces cerevisiae等は亜硫酸耐性,多くの野生酵母や細菌は感受性であるため,発酵が円滑に進む.またワインの微生物による変質を防ぐ.
 2)果汁の清澄化:発酵の開始が遅れることにより,懸濁物質の沈殿を確実にする.
 3)抗酸化作用:還元作用があるほか,オキシダーゼを抑える.またアセトアルデヒドと結合して不快臭を消す.
 4)酸度増強:ブドウの細胞からの有機酸抽出を助けるほか,リンゴ酸の分解を抑制する.
 なお,亜硫酸は果汁中にSO2あるいはイオンの形で溶けている遊離亜硫酸と,糖などのカルボニル基に結合した結合亜硫酸とがある.ワインの変質を防ぐためには遊離亜硫酸が十分な量存在することが必要である.
 ワインのタイプによって必要な亜硫酸量は異なり,フランスでは上限値をワインの種類別に細かく定めている.ワインが亜硫酸を含むのは当然であり,添加物として表示することはない.一方日本では食品添加物(酸化防止剤)として添加量を一律に定めているため,世界中で楽しまれている高級ワインが日本にだけ輸入できないことがある.
 亜硫酸の添加量を減らすために抗酸化作用のあるアスコルビン酸,あるいは再発酵を抑制する作用のあるソルビン酸を加えることがあるが,これらはあくまでも補助的なものであり,亜硫酸をゼロにすることはできないのである.

アルコール発酵
 糖分がエタノールになるまでは読者の皆様には説明の必要もなかろう.ここでは発酵に関わる酵母について述べることにする.表1に代表的な酵母の特徴について記した.ブドウを破砕して放置すると,最初はK. apiculataT. stellataが発酵を始めるが,すぐにS. cerevisiae (ellipsoideus)が優先するようになる.ワインにとって好ましくない代謝をするK. apiculataは亜硫酸で抑えることができる.発酵が進んでエタノール濃度が高くなると次第にS. cerevisiae(bayanus)が優先してきて,残りの糖分をすっかり発酵してしまうのである.
 ブドウ畑やワイン醸造場には酵母や胞子がうようよしていてブドウを潰すだけで発酵が始まるが,より確実にするために培養酵母を用いることも多い.菌株によってワインの香味に差が生ずるのは清酒の場合と同様である.

表1 ワイン醸造にかかわる主な酵母

別名胞子形成SO2耐性エタノール生成能特徴
Saccharomyces cerevisiaeS. ellipsoideus++17 (vol %)醸造中に糖の大半を発酵する酵母.
Saccharomyces cerevisiaeS. bayanus, S. oviformis++17以上発酵の最終段階で活躍、再発酵の原因にもなる
Saccharomyces bailliiS. acidifaciens+++10甘口ワインの再発酵の原因となることがある
Saccharomyces roseiTorulaspora rosei8〜14高糖度の果汁を徐々に発酵できる
Kloeckera apiculataHanseniaspora uvarum (2n)4〜5発酵効率低く、揮発性脂肪酸を生成
Torulopsis stellata
10〜11腐敗果に多く見られる


マロラクチック発酵
 マロラクティック発酵(fermentation malolactique,略称F.M.L.,日本では英訳のmalolactic fermentationの略でM.L.F.と呼ばれることが多い)は多様な乳酸菌の作用によってリンゴ酸が乳酸に変化する反応である
(3).F.M.L.が起こりやすい条件を列記すると,pHは4前後(ワインはもっと低いので,pHは高いほどよいことになる),温度は20℃前後,酸素も亜硫酸も極力少ないほうがよい.また,糖分が残存していると他の反応が同時に起こってワインに好ましくない成分を生成するので,アルコール発酵が完了してからF.M.L.を起こすことが肝要である.
 ワインのタイプによっては以下のようにF.M.L.を行うべきものと,避けるべきものとがある.
 F.M.L.を行うワイン:長期間熟成させるワイン(赤・白とも),発泡性ワイン.いずれも安定性が高まる.
 F.M.L.を避けるワイン:新鮮な酸味を楽しむタイプ.甘口ワイン(糖分があるのでF.M.L.を行うのは危険,通常は亜硫酸を高濃度に加えてF.M.L.を防ぐ).
 以上のことは味の点からも理にかなっている.長期熟成させるワインはまろやかさが身上であるし,一方発泡性ワインは炭酸の酸味が十分にある.また甘口ワインは甘味とのバランスで(4)ある程度の酸味が必要なのである.

1)本多忠親:化学と生物,31, 430 (1993)
2)城アラキ,甲斐谷忍,堀 賢一:ソムリエ vol. 4-26,集英社 (1997)
3)本多忠親:化学と生物,31, 816 (1993)
4)本多忠親:化学と生物,32, 194 (1994)

   ワイン講座目次   ホームページへ   次へ