天使の片翼 〜月夜に躍るW B

          *このお話は『月夜に躍る』の続編にあたります。

       〜夏休み企画・2003〜
 

 
          



 結局のところ、逆探知がかかるのを恐れての"小刻みに"という忙
せわしさにて、一晩見張ってみた問題のアドレスには、その後もメールは届かなかったし、そこから発信されたものもなく。
「う〜ん。」
 ルフィ坊やの不可解への好奇心は、却って深まってしまったようだった。

  「やっぱ、他のメールサービスを使い分けてたのかなぁ。」

 店のフロアの床掃除。何かを追い回すように軽快にたかたかと駆け回って、いつもならあっと言う間に終わる筈が、今日は半分も終わらぬうち。カウンター前の止まり木、スツールの1つに眠たげに腰掛けて。立てたモップの柄の先へ手を載せ、顎を置き、杖のように凭れて…独り言をつぶやきながら思索中。
「何の話だ?」
 こちらはカウンター奥の厨房にて、今日のお薦めメニューへの下ごしらえを手掛けていたサンジが、器用そうな白い手に万能包丁を握ったまま、独り言を呟いた弟へと顔を上げて来たのだが、
「あ、ううん。何でもない。」
 慌てたように"ぴょいっ"と立ち上がって、お仕事しなくちゃとばかり、モップを杖に再びフロアを駆け回り始めるルフィであり、
「???」
 隠しごとの下手な弟で、はっきり言って"何か隠してます"と言わんばかりな態度なのは明白なのだが、今のところ…あの憎々しい緑頭の怪盗の手伝いに関すること以外に、ああまで気を取られるほどに何か関心を向けている事なんて無さそうな彼だしと、思い当たる節がないので"作り態度"の向こうが見えない。ただ、
"メールサービス?"
 下ごしらえに戻りつつ、今日のランチの"ハーブ風味のポーク・ジンジャー"のメイン、豚ロースを切り分けていた手が、つと…止まり、
「おい、ルフィ。」
「何?」
 ホールの端っこから折り返しかかっていたこちらからは、少し斜めになった体の向き。しかも手元を見下ろしている兄だから、長い前髪の陰になった端正なお顔はよく見えないのだが、
「お前、まさか昨日の…。」
 何事かに気づいたらしきその言いように、
"う"………。"
 ルフィの側の感応器官が警戒すべき気配をビビンと察して、その背条が勢いよく跳ね上がる。だって何だか…普段は坊やにも至ってやさしいお兄様の背負っている雰囲気が。ちょっとばかし揮発性の高いそれへ、ゆらゆらと変わりつつあるような。
「な、何の話だよ。」
「惚けてんじゃねぇよ。」
 だんっと振り下ろされた包丁の下、適度な薄さにスライスしていた筈の肉が、トンカツ用くらいの厚さで…だが、見事なまでの一刀両断、それは滑らかに切り離された。集中していなくたってこの手捌きだ。刃物の扱いの腕前では、どうかするとゾロと張り合えるくらいなのかもしれないお兄様であり、
「例の件は放っておくことにしたって話は、お前にもちゃんと聞かせたろうがよ。」
 曖昧で怪しきものには近寄らないに限ると、そうと方針が決まったその場に一緒にいた彼なのに、
「まさか、あのアドレスにちょっかい出したんじゃなかろうな。」
「えと…。」
 ちょっかいなんて出してないと、一言言えば良いものを。そこはやっぱり…この世に唯一の肉親が相手。嘘で誤魔化すのは気が引けたのか、ちょっとばかり言い淀む。そしてそんな態度がそのまま、
「そっか、要らないことをしたんだな。」
 肯定していることになり、
「でもなっ、こっちからの接触は分かんないやり方ってので…。」
「うるさいよっ。」
 再び"だんっ"と振り下ろされた包丁は、今度は…まな板に刃先が食い込むほどの勢いに乗っていたらしくって。
「お…。」
 包丁が持ち上がらないことで、ようやっとまな板の上の惨状に気づいたサンジであるらしく、
「………。」
 カッカと来ていた自分に気づいたついでに、我に返りもしたのだろう。肩を落とすように大きな溜息をついてから、
「なあ、ルフィ。」
 打って変わって、今度は…ちょいとばかりしんみりとしたお声を出す。
「俺はな、お前には真っ当な仕事について真っ当な人間になってほしいんだ。」
「う…。」
 これはこれはもしかして、
「お前は気性も素直で、人懐っこくて明るい子だし、今時の色々なことへも好奇心が向く、なかなか利発な子でもあるし。これからの先々、勤め人にだってスポーツ選手にだって、学者にだって何にだってなれると思うんだ。」
「あ〜、と…。」
 しまったなぁ、と。もしもふかふかな黒髪の中に猫耳がついてたならば"うにゃ〜い"とばかりに寝てしまったろうほど、随分としょっぱそうなお顔になったルフィである。頭から怒鳴られるなら、その場でドカンと爆発して"はい終しまい"と運ぶから、いっそ後腐れもないのだけれど。こんな風に切々とした"語り"に入ると、そこから小一時間ほどの長い説教が延々と続く。サンジ兄ちゃんからのお説教は、ルフィがゾロの弟子になってからはずっとこの路線ばっかなので、
"もう内容も覚えちったのにな。"
 たった一人の弟だからこそ、行く道を間違えたりしないようにと。先々のこと、大切にしろよと色々考えてくれてるのはありがたいことだと思うけど。今の今、お熱を上げて集中していることへ水を差されると、そこはやっぱり…まだ子供な部分がついつい刺激されてしまって。裏の世界をよくよく知っているサンジからの苦言・辛言は、どれも正当なご意見だという理解をしながらも、それとは裏腹、だけれど反抗したくなるというか、素直に聞き入れられなくなるというか。
「聞いてるか?」
「うう…。」
 モップを片手に、一応は神妙にうつむいたままなルフィだが、こちらさんとしても…そこは慣れたもの。弟の発している"また始まった"という気配をビビンと感じ取ったのだろう。手際よく食材を片付けたサンジは、そのまま煙草を咥え、この困った坊ちゃんはよと、どう料理してくれようかという顔になったのだが、

  「まあま、そんなに頭ごなしに怒ってやるな。」

 助け舟の声がして、まだ"準備中"の札がかかっている表からのドアがキィと開いた。
「ゾロっ。」
 選りにも選って…こちらさんも、昨夜の坊やのアクセスにあんまりいい顔をしてはいなかった筈の、翡翠の眸の偉丈夫さん。そんな彼が苦笑混じりにフロアへと入って来たのへ、救世主現るとばかり、ぱたぱた…とその傍らまで駆け寄ったルフィであり、
「…あれ?」
 傍らまで寄ったことで気がついたのが、そんな彼と一緒にいた、
「ナミさん?」
 大きな背中の陰に隠れて見えなかった、連絡係のナミさんもご一緒であったらしい。
「昨夜の坊主のPCでのアクセスの話をな、朝一番にこいつに持ってったんだ。」
「何だと? 貴様、ルフィの暴挙を制
めなかったばかりか、ナミさんの寝込みを襲っただと?」
「…お前も、ちっとは落ち着かないか。」
 まったくである。
(笑)



            ◇



 ナミさんが手づから淹れたハーブティーにて、カッカとしていたサンジお兄様をひとまず落ち着かせて、さて。
「実はね、あたしもちょっと気になってて。」
 まずはナミが、そうと口火を切った。勿論、昨日のあの謎めいたメッセージの話だ。でもさすがに…直接触れるのは危険だろうからと、あのアドレスへの接触なんて事は考えなかった彼女で、
「ルフィみたいな高等技術はあいにくと持ってないしね。」
 くすっと笑って、隣りのスツールに腰掛けたルフィのやわらかそうな髪を撫でてやり、肩越しに親指を立てて見せ、
「だから あたしは、こいつに通じてるコネクションを、ぐるって洗い直してみていたのよ。」
「指を差すなっての。」
 この"大剣豪"こと、ロロノア=ゾロへ何かしら盗んでほしいと依頼するには、幾つかのチェックポイントを通過しなければならないという、煩雑な"手続き"が要る。その各所に立つ"通過地点
ゲート"にあたる仲介者は、人間であったり、PCや伝言板などへのアクセスによる"ちょっとした謎解き"であったりするのだが、そのポイントを通るという"手続き"により、こちらからもその人物や周辺への探査が可能になるという訳で。当然のことながら、仲介者には出来るだけ信頼のおける顔触れを据えており、

  「え? ちょっと待ってよ。」
  「なんだ、ルフィ。」
  「だってさ、昨夜だったか、
   この世界では"信用"なんて言葉はあって無きがものだってな風に、
   誰かさんが言ってなかったか?」

 なのに、信頼のおける顔触れなんて言ってて、それって矛盾してないかという突っ込みが入りましたが。
「まあ確かに、あたしたちがいる裏世界は、誰もが我が身だけ大事にしている世界だけれど。」
 ナミがくすすと苦笑って見せて、
「でもね。唯一、信頼を示すゲージってのがあるのよ。」
「? 何それ?」
「契約よ。」
「??」
 訳が判らず、おでこに張りついた眉を…お兄様に負けないくらい"ぐぐっ"とコイル状に寄せてしまったルフィへ、ナミはもう少し噛み砕いて説明してくれた。
「だからね。依頼されて条件を刷り合わせて。その上で、正式に"契約"を結んだら、その仕事はきっちりと完遂させる。この"約束"だけは破っちゃいけないとするのが、裏切り上等な裏世界でも唯一通ってる、暗黙の裡
うちのルールなの。」
 まま、下劣な安物ってクチの輩には話が別だけれどねと細い肩をすくめて見せて、
「そうすることで、腕前を保証されるし、次の仕事への宣伝にもなる。逆に、ちょっと危なかったから勝手に手ぇ引いた…とか、自分の命には代えられないからって依頼した人のことをあっさりバラしたなんて事をやらかせば、信用はガタ落ち、悪くすれば"あいつは裏切り者だっ"なんていうレッテルを張られて、この世界自体にもいられなくなるわ。それは分かるわよね?」
 それと…この部分はナミの采配のせいなのだが、依頼料が高額な仕事しか請け負わない"大剣豪"なので、そんな彼へのコンタクト・ゲートという役割は、秘やかなるステータスにもなるし、多大なマージンも入る。そういったことから、担当の皆さん、どんな買収や懐柔、圧力等々にも負けず、きっちりと役目を果たして下さっているのだそうで。

  「それに関しちゃあ、一遍、話をつけたいと思ってたんだがな。」
  「何よ。」
  「お前、もしかしてボってねえか?」


 【ぼる;boru】

     不当な利益をせしめる。法外な費用や物品を要求すること。暴力バーなどの法外な料金のことを言うのによく使われる"ぼったくり"は、この"ぼる"と"引ったくり"とを合体させた言葉かと思われる。


  「仕事に波があるのは、料金設定が法外だからじゃねぇのかって言ってんだよ。
   お高くとまって仕事を選んでるような、キザな奴と一緒にされるのは迷惑だ。」
  「言っておきますけど、あたし、あんたには報酬は"七:三"で振ってるのよ。」
  「お前が七か?」
  「そうして欲しけりゃ、そうしても良いのよ?」
  「う…。」
  「しかも、その"三"の取り分から、仲介役への手数料も出してるんですからね。」
  「…判ったよ。」

 大人の会話だなぁ。
(笑) それはそれとして。
「………ところが。そのチェックポイントには、この数日ほど何の接触の気配もないの。ストレートな"依頼"のアクセスだけじゃなく、こいつの正体のせめて尻尾だけでも掴もうっていう輩の、良からぬ気配さえもね。」
 ナミはいかにも鹿爪らしい顔つきになってそうと言い切ったが、
「だってのに。この店へピンポイントでビンゴしちゃってるのは、一体どういう訳なんだ?」
 2本目の煙草に火を点けたオーナーシェフ殿は、さっきの弟さんと同様、眉間にしわを寄せ、眉をグニグニ曲げた不審顔になっている始末。何しろ此処は、ゾロとの直接のアクセスを取れる店、言わば"最終地点"なのだから、中間経路をすっ飛ばしてそうそう辿り着ける処ではない。そんな疑問を呟いたサンジに成り代わり、
「残った可能性はただ一つ。」
 ナミはピンっと人差し指を立てて見せ、
「さあさあ、キリキリ白状なさいっ。一体どういうドジを踏んだの?」
 丁寧なケアの行き届いている長めの爪の先をビシッとばかり。切れ上がった配置も鋭い、翡翠の眸と眸の間に突きつけたもんだから、
「なんで俺に訊くっ。」
 一気に憤慨する"大剣豪"さんだったりするのだが、
「だって。ルフィに正体がバレちゃったことといい、ここんトコのあんたって、どっか甘いというか抜けてるというか。冷酷卑怯な怪盗の面影もすっかり無くなっちゃってるじゃないのよ。」
「…お前ね。」
 ちなみに、それも言うなら"冷酷卑怯"じゃなく"冷酷非情"です、ナミさん。だがまあ、彼女の言いようにも一理ある。
「あんたに用向きがある人間からの接触が、この店へ直接ビンゴ出来ちゃう、此処があんたと繋がりのある場所だと知られちゃうだろう経緯
いきさつはそんなにない。あんたかルフィのどちらかが、正体を見極められた上で、此処への出入りもチェックされでもしない限りわね。」
 さあさあ白状なさいとばかり、二人をビシッと指差したナミが力強くもそうと言ってのけたその時だ。

   「そんなに責めないであげて下さいな。」

 取り交わしていた話題が話題だったのでと、先程改めて鍵を下ろした筈の正面のドアがかすかに"きぃっ"と軋みながら開いて。そこから入って来た人影が一つ。その人物をひょいと見やった皆が皆、

  「あ…。」
  「あんたは…。」

 唖然呆然と、少なからず驚いたのも無理のないこと。昨日と同じ、どこか大人しめのワンピース姿の少女。そう。問題のメッセージを残した彼女、本人だったのである。





 

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 *話がなかなか進みません。
  頑張ってはおりますが、
  この先少々理屈まるけになりますので、どうかご容赦を。