天使の片翼 ~月夜に躍るⅣ ⑤

          *このお話は『月夜に躍る』の続編にあたります。

       ~夏休み企画・2003~
 

 
          



 カウンターの上、数枚の資料やら写真やらを並べる彼女に、だが、
「…はあ?」
 小さなテーブル越しに向かい合っていたゾロが、その男臭い顔立ちの中でも最も鋭角的な目許を思い切り眇めたのは言うまでもなくて。

   『あなたにお願いしたいのは、
    失踪した私の伯父、N卿の行方を捜すことなんです。』

 うてな嬢はそうと言ったが、
「ちょっと待てよ。俺は盗みを請け負う盗賊だぞ? 探偵じゃねぇ。」
 そうだよねぇ。相手の職種が分かっていて言っているのかと訊き返すと、
「ええ。ちゃんと分かっています。」
 うてな嬢も大真面目な顔をする。
「伯父様は、私たちの一族に古くから伝わる"シャンディアの天使"の謎を解くことに生涯を懸けていた人です。」
「"シャンディアの天使"?」
 何だか曰くありげな名前が出て来て意表を突かれたか、困惑気味にギュッと寄せられていたゾロの眉が少しばかり緩んだ。
「はい。私どもの祖先が遥か昔に隠したとされている財宝の伝説です。鍵となる天使像があって、それをどこかに隠されたもう1対の"天使"に引き逢わせれば、莫大な財宝の眠る岩屋が開くと、ずっとずっと昔から言い伝えられて来た伝承なのですが、そんなものは実在の話じゃあないとこれまでの誰も本気にしなかった。本家の掲げる紋章が天使の図柄ですから、それを説いたただの逸話だと。」
 そっとうつむいたのは、語る彼女自身もそんな夢のような話と信じないでいたクチだったからなのだろうか。
「ところが、伯父様は考古学者としての研究を積み重ねた末に、その鍵の方の天使の像をやっとのことで手に入れることが出来ました。」
 そうと言って彼女がついと示した一枚の写真には。銅像なのか、それとも金むくか。背中に広げかかった翼を持つ長衣を着た天使らしき像が写っていて。
「財宝を守る一対の天使のいわば片翼。これを見つけたことで伯父様の意欲は尚増して。伝承は真実だとばかり、随分と研究は進んだらしいのですが、その調査の途中で…情報を得るのに、あの…。」
 言い淀んだ彼女の様子へ、ゾロは少々皮肉っぽく笑って見せて、
「裏の世界の情報網にも手を出した。」
 言いにくそうなフレーズを代わりに言ってやる。彼ら"裏世界の人間"を前にして、それを"厄介な手合いだ"と面と向かって表現するのはさすがに気が引けたのだろう。先回りして察してもらったことへ…だが、それだとやはり"胡散臭く思ってます"という心情を読まれたことでもあると、やや恐縮してか首をすくめてしまったお嬢様だが、
「…はい。」
 小さなお声で返事をし、
「どこのどういう筋合いの人なのか、それこそ私には分かりません。ただ、伯父様がそんな情報を集めていることへ、向こうからも関心を示されてしまって。」
 随分と詳しい彼女であるのは、そんな風変わりな伯父様に可愛がられていたからなのかも。

  「………そして、伯父様が失踪なさったと。」

 彼女の伯父様と、その伯父様がのめり込んでいた"シャンディアの天使"とやらにまつわるあれやこれやは、はっきり言って…当事者本人でなければ、真実かどうかを断じるのはかなりがところ曖昧な事象たちかもしれない。だが、そういった此処までの流れを一気に鮮明にする"事実"が、その伯父様の失踪という事態として立ち上がった、と。そうなんだなと確認を取るように訊いたゾロへ、うてな嬢はこくりと頷き、
「もしかしたら誘拐かも知れません。どこからも何の要求もありませんが、伯父様自身に用向きがあるのなら、連絡して来なくても不思議はないでしょう?」
 これが子供の誘拐ならば、身代金目的の営利誘拐がその最たる動機だが、対象が大人の場合は本人にこそ用向きがある"拉致"という場合の比率がぐんと高まる。
「で?」
「自分で言い出すのは滸
おこがましいことですが、私どもの一族は一応の評価を受けております企業の主家筋。そこに事件が起こったとなれば、経済世界に及ぼす影響力というものもありましょうからと、滅多なことを口外する訳には参りません。表向きには、伯父様は旅行に出たことにされています。」
 グラスの中で大きな氷が解け始めたのに揺らされてか、話に入ってからは手もつけないままなのに、白いストローが独りでにからんと回った。それをぼんやりと見やっていたうてな嬢は、
「伯父様が旅行に出たというのは本当です。もう随分と調査の方も大詰め、佳境に入っていたとかで、馬鹿にしていた人たちを見返してやれると、親しい人に話していたと聞きます。自分の意志から出掛けて、もしかしたらその出先で攫われたのかもしれない。」
 よほどのこと心配なのだろう、お膝の上、白いハンカチをぎゅうっと握りしめる。だが、そんな彼女へ、
「さっきから攫われたのかもしれないって言ってるのは、どんな確証があってのことなんだ?」
 これほど気を揉む彼女だというのに、ゾロは敢えて淡々と、そんなことを訊いてみた。
「脅迫状も要求も、何ひとつ伝わっては来ないのだろう? 本人の意志からの失踪なのかもしれないじゃないか。」
 頑張って追及していた伝承が、でもやはり突き止められず。失意のままに姿を消したとか。そんなことを言い出すゾロへ、
「旅先から私へのメールがあったからです。」
 書類の中から差し出されたのはそれをプリントアウトしたらしきコピーで、

  《 約束していた素敵なプレゼント、もうすぐ うてなに見せてあげられそうだ。
    でも良いかな? これは二人だけの内緒だからね。
    決して誰にも話してはいけないし、
    殊に、足元を見られるんじゃないよ? わかったね?》

 何とも…妙な文面だ。優しい伯父様が子供へと話しかけていたものが、最後にやけに蓮っ葉な言い回し。発信先のアドレスは何処ぞのインターネットカフェであるらしく、
「だのに、これを最後に、連絡はおろか足取りや消息さえぷっつりと途絶えてしまったのです。」
 鮮やかな手管を使いこなす"大剣豪"を捜し当てるのに、こうまで精力的な手配をし尽くしたほどだ。伯父様の予定のうちだった旅先というのにも、一応の手は回して調べさせた彼女であるのだろう。
「そこで、伯父様の行方を捜すには、シャンディアの伝承をどこまで調べたのかを知る必要があるのです。」
「成程な。そこへと出向いた彼であるのかもしれない。もしかして誘拐されたのだとしたら、やはりその場所を白状しろと強要されているやもしれない。」
 そこへも行けるものなら行って探したいと。せめて…それが何処であるのか。国なり地方なりの名前や位置が、多少なりとも記されている資料があるのならば。財宝云々ではなく伯父様の行方の方ならば、考古学には素人の自分でも探索のしようもある。それでその手掛かりがほしい彼女であるらしいのだが、
「ただ。」
 語勢が少々弱まって、
「旅行に出ている身とされている伯父様ですが、そのお屋敷や書斎は厳重に監視がなされています。私がこんな風に案じているほどなのですから、父や祖父、大人たちもまた、伯父様の研究が目当ての胡亂な輩が接触を取ってくるやも知れないと睨んでおります。直接何かを要求してくるかもしれないことも踏まえての厳戒態勢にあるので、子供扱いの私が調査したいと言い出したところで相手にしてはもらえませんし、資料が残された書斎にさえ近づくことは出来ません。」
 よほどに口惜しく、だが、抗い切れないことでもあるらしく、それまでは毅然と振り上げていたお顔を、心なしか伏せてしまったお嬢様であり、


  「だから、私があなたに依頼したいのは、
   伯父様の行方を示すヒントを書斎で見つけ出して、
   それを何とか持ち出して来てほしいということなのです。」


「…ふ~ん。」
 ゾロがついついその目許を眇めたのは、これもまた彼が常に冷静であればこそ。ここまでのお話をお浚いするならば。かなりの大仕掛け、怒涛の人海戦術まで繰り出して。そうやって捜し出した天下の大泥棒に依頼するのは…親戚の伯父様の家の書斎への侵入だってか? ということになるのだからして、
「言っちゃなんだが、そんなのは俺じゃなくても構わないんじゃないのか?」
 やっぱり畑が違うみたいだぜと、眺めていた彫像の写真をテーブルの上へと滑らせて、関心なさげな声を発する。
「俺に辿り着くまでに、色々と、そう…探偵だの便利屋だのって職種の人間たちとも、それなりに接触なりしたろうによ。」
 それも、裏世界にしごく融通が利きそうな手合いの。つまりは…金次第で非合法なことだって何だってやってのけるという、世間に内緒な依頼へは実に頼もしい顔触れがよと、咬み砕いて言って聞かせて、
「それより何より、主家筋のご令嬢が大好きだった伯父様の書斎に入ってみたい、なんてのは。そうそう突っぱねられるような無体な"おねだり"じゃなかろうによ。」
 何もわざわざ天下を騒がす怪盗"大剣豪"に依頼するほどのことじゃなかろうと、彼にしてはこれでも丁寧に、筋道立てて説明して差し上げたのだが、

  「それがそうは行かないのです。」

 うてなお嬢様、ますます口惜しそうに唇を咬んでしまった。
「伯父様が行方不明だという現況は決して世間に広めてはいけない事実。だから、あなたを探していた時とは違って、滅多な人には話せません。それに、風変わりな考古学者であるという肩書以外の方面では知名度の薄い伯父様で、普段名乗ってらっしゃるお名前も一族には関わりのないものだったから。事件に巻き込まれたとしたならその方面からに違いない、そんなところへ私などが訪問しては、主家との関わりを詮索されてしまうからと。せめて事態が落ち着くまでは寄らぬようにとそれはキツく禁令がかけられております。」
 大好きな伯父様なのに関わってはいけないだなんてと、そんな処遇にされたのが余程のこと口惜しいのか。細っこい肩を震わせて、溜め息を一つついた彼女は、
「ただ言葉の上で禁止されただけでなく、伯父様のお屋敷には厳重な監視と共に、極秘に依頼された手ごわい警備がつけられているのです。」
 理不尽さが悲しいと言わんばかりの声を出した。あまりに痛々しい様子にほだされたのか、
「手ごわい警備?」
 ルフィがこそっと訊いてみると、
「はい。」
 うてな嬢はこくりと頷き、
「外国で誰だかに紹介されたという"SSS"という会社で、何でも…随分と荒っぽい対処が有名だとか。」
 その名前にはゾロも、そしてルフィも重々覚えがあるらしい。思いがけない名前に、その表情を硬くして、
「"スーパー・シビリティ・システム"か。」
 severity。シビア、激しいとか厳しいとか苛酷とかいう意味の言葉であり、
「確か。賊を発見したら、ただ警察へ通報するような対処で済ますような、甘い警備ではないって聞いてるよ。」
 そうと言いつつ、ルフィが真摯なお顔になったところを見ると、その場で完膚無きまでの制裁を食らわすほどの、乱暴な手合いであるらしく。
「不用意に近寄る者は片っ端から犯人扱い、か。」
 そんな具合に、難攻不落の警備が取り巻く屋敷に侵入し、シャンディアの天使にまつわる資料を持ち出す…となると。
「成程な、まんま…財宝目当ての誘拐犯がしでかしそうな"窃盗"って犯行には違いねぇもんな。」
 たとえそれが主家のお嬢様の仕業だとしても、もしかして一味の者かと疑われかねない所業だろうし、そうともなれば…本物のお嬢様かどうかという問い合わせもないままに打ちのめされるのがオチかもしれないほど、迎え撃つ相手もまた札付きの乱暴な警備陣だと来て、

  「つまり、敵はその"SSS"であり、
   盗み出してほしいのは、N卿が研究の成果として突き止めたろう、
   もう一方の"天使"がいる場所を示す資料。」

 成程、それならこの"大剣豪"さんに依頼したいと感じても無理はなかろうと、ここでようやく理解に至った大怪盗さんと致しましては、

   「……………。」

 ちょいと黙りこくって思案をして見せる。挑むこととなった相手が強いの難儀だのというより前に、こんな形での依頼だということ自体、異例も異例。彼女が色々と"此処で自分の身に何かあったら云々"と話していたこととて何するものぞと、非情な話、彼女の息の根を止めたところで…そういう世界だ勘弁なと通りそうなことだのに。軽く眸を伏せて考え込むこと…数刻。



   「判った。引き受けよう。」






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  *前章に引き続き、理屈こねこねの章でごめんなさいです。
   お馬鹿な癖に凝った話を書こうとするから、
   こういうボロが出てしまうんでしょうね。
くすん
   このシリーズは、ホント、理屈に走ると途端に難しくて手を焼きます。