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「逆ウラシマって何?」
おでんというのは最低でも半日くらい煮込んで味を染ませた方が美味しいから、今夜はカレーで我慢しろと言いかけたゾロだったが。坊やがしょんぼりしょげたのを見かねて"しようがないな、サンジなら何とかしてくれる"と言い出して。そしてそのサンジが口にしたのが、この"逆ウラシマ"というフレーズだ。
「だから。…お前"ウラシマ効果"ってのを知ってるか?」
もうすっかりと使い慣れて来たらしいルフィの家のキッチンのガスコンロ前。明るい照明の照らし出す中で、下茹で用の鍋の底に大根を並べていたサンジに直接聞くと、エプロン姿に腕まくりの彼は、そんなことを逆にルフィへと訊いて来た。ルフィはぷるぷるとかぶりを振って、
「ん〜ん。浦島太郎なら知ってるけど。」
茶化すつもりは毛頭ない、大真面目なお返事をする。サンジの方でもそれは承知。…というか、
「その"浦島太郎"から来ている理論なんだよ。」
「???」
昔々、あるところに浦島太郎という若い漁師がいた。ある日、浜辺で………。
"おいおい、全部をさらう気か?"
あはは、それはメモリーの無駄遣いですよね。(笑) つまり、
「ウラシマ効果っていうのはな。物凄い高速で動く物体は時間の制約から解き放たれて、それが影響を受ける"時間"の進み方が遅くなるっていう論理なんだ。」
「???」
「浦島太郎が竜宮にいたのは、ほんの何日だか何カ月だかくらいな筈なのに、故郷に戻ったみたらばそっちでは何十年も経っていた。まま、寿命が恐ろしく違うよな時代に編纂されたお伽話だから、何十年って数値は後から増えたのかもしれないが、それでも世代が代わってるほどに時間が経っていた。そういうお話だよな?」
「うん。」
おでんを煮込む方の大鍋には、水を張って、昆布と鰹節にいりこを晒し布で作った袋に入れたものを投入して待っていた彼であり。加熱を始めたそれが沸騰しかかるのを見極めながら、白い指にて構えた長い菜箸をちょちょいと宙で振って見せ、
「光の速さ、光速を越えるようなロケットが出来たとする。それに乗って1年ほどの宇宙の旅に出たとしようや。それから戻って来たら、乗ってた人たちは1歳しか年を取ってない。だがだが、なんと地球上では…1年どころか何年も経ってるんだよな。」
「え? なんで?」
―――えっと。
これに関しては…これ以上突っ込んだ話をするとなると、
相対性理論とかローレンツ短縮とかが出て来て、
タイムマシンの作り方だとかいう
SF世界の方へ話が広がってしまいますので。
“そういう理論なのである”
ということで。
"…おいおい。"×3
ありゃりゃ、作中の方々からまで呆れられてしまったですね。(笑) ま、それはともかく。
「俺たちは、坊主たちよかはちょっとだけ、時間への融通が利く身だ。」
正確には"空間を重ねることによる双空間同居が出来る身"なのだが、それが可能なのは、時間という座標軸が存在する高次元の住人だから。
「だから、例えば食材を誰かに預けて光速でどっかへ駆け出してもらうとな、その食材の賞味期限が数倍伸びる。」
う、うんまあ、そういう理屈にはなりますわなぁ。
「遠くたって俺らに"距離"は関係ないも同然だから、例えば数日後、そいつが居るところへ手ぇ伸ばして"預けてたの借りるぜ"って引き取れば、足の速い代物でもまだまだ充分新鮮なままに使えるって寸法だ。これが"ウラシマ効果"で、それとは逆の現象を起こさせる調理方術のことを"逆ウラシマ"って言うんだよ。もっともこっちは自然現象じゃないからな。俺らの一族に伝わる特別な方術が要るんだがな。」
…サンジさんの一族って、封咒関係の総帥一族だってことじゃなくて、お料理関係の一族であることが先に来るのだろうか?(笑) 何だか専門的でややこしい説明であり、
「???」
さっきは左、今度は右に、小首を傾げ倒しているルフィであり。その幼いとけなくも愛らしい様子へと、ついつい小さく…やわらかく口許をほころばせたサンジは、
「ま、要は味の染みた旨いのが出来りゃあ良いんだろ? 任しとけっての♪」
美味しいものに理屈は要らない。少なくとも、供す相手にくどくど言って聞かせるものではない。自信満々な笑顔を見せてやり、
「おうっ! 美味しいのっ!」
あっと言う間に坊やの頭上に垂れ込めかかっていた暗雲を吹き払ってやった。ザルに並べてポットの湯を回しかけて油抜きした厚揚げや練りもの各種や、ゆで玉子にゆでタコ、面取りして一つまみの米と一緒に下茹でした大根。サンジ謹製のロールキャベツに、
「ああ、こらこら。餅入り巾着とはんぺんは後々。」
「え? なんで?」
「餅が溶けっちまうんだよ、早々と入れちゃうと。はんぺんもな、重くなるから後だ。」
さすがは本格派だなと。ふ〜んと感心しつつ、具材の確認を再開する。
「………あれれ?」
板こんにゃくがないなぁと、トートバッグの中を捜したルフィだが、レシートや商店街のご利用カード、ブルーチップに割り引きクーポン。駅前で配ってたらしい銀行のポケットティッシュなどなどを、全部を出してもどこにもない。厚揚げはあるのに、木綿豆腐もあるのに、同じお店屋さんで買えた筈なのに、おでんには付きものなのに。またまた小首を傾げているルフィから、そそくさと視線を逸らした人物がいて、
「…あ、もしかしてゾロ、わざと買って来なかったな。」
お隣りのリビングに退却し、ソファーに腰掛けながら白々しくも新聞を広げていたりする破邪様は、
「いいだろ、別に食わんでも。こんなに具材あるんだし。」
下手な言い訳をするもんだから。ルフィはむうと膨れたが、その肩をとんとんと突々く手があって、
「心配すんなって。ちゃんと買っといた。」
サンジがにんまり笑って見せる。具材の到着が遅いと怒ってた割に、そういう手回しはしてあったのね。(笑) パッケージから取り出した板こんにゃくを、お塩で揉んでざっと洗いつつ、
「自分が嫌いだからって子供みたいなことすんなよな。」
「あ。やっぱりそうなんだ。」
サンジがぺろっと暴露したのへ、坊やがこちらも心当たりがありそうな声で応じた。
「筑前煮にもけんちん汁にも入れないしさ、すき焼きにもシラタキ入れないしさ。かやくごはんに入ってる、こ〜んな小さいのだって避けちゃうんだぜ?」
ルフィは親指と人差し指で輪を作り、Cの字をほとんどOになりそうなほどに指先を近づけて見せる。それへはさすがに、ご本人も一言言いたかったらしくて、
「…そこまで小さくはなかっただろうが。」
………な、何だかちょっと。ねぇ、皆さんたら。
いきなりの場面転換と、交わされてる会話のあまりの和やかさに、恐らくはお客様方も混乱なさっておられるのではなかろうか。こんなアットホームなシーンになだれ込む前に………何か忘れてはいませんか?
◇
という訳で、少々お時間を逆上らせていただきます。逆ウラシマ、えいっ。(笑)
冷たい夜陰の立ち込める道端。空気中から滲み出すように現れた、金髪碧眼の聖封精霊が、向こうの女性の傍へとやはり宙から現れたらしい女の子へ、いやに親しげな声をかけたものだから、
「何だ、知り合いか?」
「まあな。」
さして逼迫してはいない声を交わし合うお兄ちゃんたちを見上げて来る、ルフィの大きな眸が黒々と、その潤みの中に冬の星座を映し始めている。その愛らしさに気がついて、先程は開口一番に怒鳴った聖封様も、ついつい苦笑混じりに眸を細めて。
「久し振りだな。おでん、食いたいって?」
「うん。でも…。」
好きで足止めされてる訳じゃないんだもんと、再びゾロの胸元へ頬をくっつける。
"お店屋さんでつまみ食いさせてもらってて良かったなぁ。"
そうだねぇ。お腹ぺこぺこのままで対峙するのは、何か辛いもんがあるからねぇ。何となくホッとして"きゅ〜ん"とどこか甘えるような顔をした坊やへと、
「ほれ。」
サンジが気を利かせてくれた。その長い腕を振った途端、頭上の高みから淡い光のベールがオーロラみたいに降って来て。それにくるまれると、
「………あ、寒くないや。」
さすがは"封印"の専門家。外気からのシールドを張ってくれたのらしい。だが、
「………。」
それへと"ちろん"と。ゾロが眇めた視線を相棒に投げたのは、もしかしたらば"余計なことをしやがって"という意味だったのかもしれない。そういや彼もまた簡単な結界くらいなら張ることが出来る身だ。(『星屑散歩』参照) それに…確か天使長のナミさんが言ってましたっけ。
『不思議なことには、攻撃オンリーなバカ剣士だったのが、
護壁能力を付け出しているのよね、あいつ。』
よって、防寒用のシールドくらい、ゾロもまた簡単に張ってやれた筈。うっかり忘れていたのか、いやいや…もしかして。このくらいの寒さなら、くっつき合ってしのいだ方が良いとか何とか、甘いこと考えてたんでしょうかしら♪
"うるせぇよっ。"
あはははは♪ まま、それはともかくだ。何だか不承々々という風情なままの連れの腕を引きつつ、こちらの方へと歩みを運んで来た女性二人。そちらへと意識を向けることにする。
「ネフェルタリ=ビビといいます。」
ニコッと笑って会釈を見せたのは、腰まである長い髪を頭の後ろにキュッと堅く結って、ポニーテイルに垂らした愛らしい少女。ショートコートの下にはモヘアのセーターとツィードの上着にフレアの利いた長めのスカート。全体的に淡い色調でコーデュネイトされているフェミニンないで立ちをしているが、面差しはどこか溌剌としていてお元気そうだ。知的だが行動派といった雰囲気のあるお嬢さんで、
「俺んトコの封咒一族の良いとこのご令嬢だよ。」
サンジが気さくそうな口調でルフィやゾロへと紹介してくれた。続いて自分の側の連れを、
「こっちがゾロ。そいから、この坊主がルフィ。前にちらっと話したろ?」
そ、そんだけかい。(笑) ビビはくすくすと綺麗な声で微笑っていて、
「彼女、何でも今度、新しい"破邪"のパートナーと組むことになったらしいんだが…。」
そこまでしか話が通じてはいなかったらしいサンジからの視線へ、その無言の示唆へと応じるかのように、やはりにぃっこりと笑って見せる。
「それがこの"たしぎ"さんなの。」
ビビ嬢は自分の連れを、手を述べて紹介してくれたのだが。
――― ………あれ?
"…たしぎって。"
どっかで聞いた名前だなと小首を傾げたゾロの傍ら、
「………っ!」
バサドサッとその小さな肩からデイバッグを滑り落としたのがルフィだ。
「そんな…そんなのって。」
「? おい、坊主?」
「たしぎお姉ちゃん、死んじゃったの?!」
………あ。
そっか、思い出した思い出した。こらこら 確か…このお話の一番最初。ゾロがルフィのお父さんを"暗示"で誤魔化した時に出て来た名前だ。
『だって、秋田のタカシ叔父さんのとこには、
くいなお姉ちゃんとたしぎお姉ちゃんしかいねぇもん。』
つまり。ルフィのホントの従姉妹の名前と同じで、
「お顔もよく見たら似てるかも…。」
「おいおい。」
今頃になって何を言い出すかな、あなたは。どこか呆れたような声を出すゾロへ、
「だって、お姉ちゃんとはこの何年か会ってないんだもんっ。知らないうちに事故とかで亡くなってたとか、そういうのかもしんないもん。死んじゃったら前世のこと、忘れちゃうんでしょ?」
それほどに思い残すことがない人だったら、化けて出はしないと思うんですけど。…あ、いやいや、幽霊じゃないのか、この場合は。何だか あわあわと落ち着きがなくなった坊やに、
「…あのな。」
ゾロがますます呆れたような顔になって大きく溜息をついて見せ、それを"まあまあ…"とサンジが苦笑混じりに執り成した。そして、
「お前の従姉妹のお姉ちゃん本人じゃないから安心しな。」
「…え?」
そんな風に言うサンジの傍ら、ゾロもうんうんと頷首しているところを見ると、どうやら"今頃になって気がついたんかい"という方向で呆れていた彼ではなかったらしい。
「魂の再生ってのに関しては、人間へと口外しちゃあなんない最重要"タブー"事項なんだがな。」
いろいろな宗教で様々な御説がありますしね。それに、もっと具体的な実際の話、そうまで遥かなる"先々"が判ってしまっては、人の生き甲斐にも響くだろうから、タブーとされているのだろうが、
"まま、このお元気坊やには影響も出るまい。"
ちょっと乱暴な判断かもしれないが、それよりも…自分の親族への不安の方を晴らしてやらねばと思ったサンジだ。表現を探してだろう、口許へゆるく握った拳を寄せて考えることしばし。うんと小さく頷いて、
「例えばとして言えることが一つある。」
そんな風に切り出した彼である。
「昨日今日どころか、数十年数百年レベルのサイクルでも、死者の魂がすぐさま人間やそれに近しい者へ復帰するようなことはないんだよ。」
「?」
「そんなことをしたら、前世の人生で育んだ個性やら気性気質、あと記憶の数々などなど、その人物の"痕跡"が新しい"生命"のどこかに滲み出てきかねない。よって、自我や意志のある生き物の魂は、途轍もないほど長いスパンで無機物やその他の存在としての旅をすることになっているんだよ。」
この理屈…というか決まり事は、彼らにとっては"水栓コックを開ければカランから水が出る"くらい当然の常識だったために、ゾロが"おいおい"という顔をした…という事なのだろう。
「簡単に言やあ、人間の魂ってのはな。転生するとしても…まずは草木や岩石、それから寿命が短めな昆虫や魚なんてな生き物なんかを辿ってからでないと、人や高等精霊なんていうような"意志"のある存在にはなれないんだよ。」
「あ、でも…。」
そうは言われても、やはりどこかで自分の知っているお姉さんに似てるんだけど…と、ルフィはたしぎを見やっては小首を傾げている。子供ながらも精霊を認視出来る、気配を感知出来る身だ。最初は気がつかなかったとはいえ、そうと言われて気づいた"似ている"という把握は、姿だけではなく雰囲気なども含んでのものならしくって。違うと言われても…今度はこちからこそ"違わない"とばかり、まだ納得がいかないらしい。そんなルフィへ、
「まあ…もしかして、その従姉妹のお姉さんの遠いご先祖様だっていう可能性はあるけどな。」
サンジとしても"全然関わりがない"とまでは断言出来ないこと。そんな風に付け足した。
「質の良い魂ほど浄化も早い。それに"破邪"ってのは始終人手不足状態な部署なんでな。相性的なもんが引き合えば、結構早めに転生処置を取られる…って、聞いたことがあるようなないような。」
さすがに、ご本人様を…しかもレイディを前にして、あまりつけつけと言って良いことでもないよなと。それをふと思い起こしてか、サンジの語調にも微妙にブレーキがかかって、少々曖昧な言いように変わったりして。
「名前が同じだってのも、ほれ、お祖父さんやお祖母さんなんていう、何代か前の親族の名前をつける例は多いからさ。」
つまり、ルフィの従姉妹である側の"たしぎ"さんが、その名を継いだ大元のご先祖様かもしれないと?
「そういうこと。」
「…ふ〜ん。」
何となくながらも納得したらしいルフィは、まだ何か訊きたいらしく。その気配へ、
「何だ?」
サンジせんせーが声をかけてやると。うっと…と、ちょびっと躊躇を見せたが、案外とすぐ後に、
「あのね。ゾロのことを知らないと“新入り”なの?」
あああああ、こらこら。そんなくっきりと言ったら、
「…っ。/////」
ほらほら。彼女、真っ赤になっちゃったでしょうが。
「やっぱ図星だったらしいな。」
ゾロさんもっ。偉そうに鼻先で笑わないの。
"相手が女性でも容赦ないな、こいつ。"
お仲間のサンジまでもが呆れたが(笑)、なあなあと見上げて来る“知りたがりやな坊や”からの視線に気づくと、
「ああ、まあな。」
一応の説明をしてあげる。
「何たって、選りに選って人間の坊やにメロメロになっちまったショタ・コンの破邪といやあ、向こうでも知らん者はないって…。」
おいおいおいおい。(笑)
「………っ(怒)」
無言のままに手元に和道一文字を呼び出しているゾロであり、
「判った判った。」
サンジも苦笑をしつつ"悪かったよ"という顔をする。…漫才をしてどうすんだ、あんたたち。気を取り直して、さて仕切り直し。
「ランクというのか何というのか、ゾロだけはな、最初から“破邪”に生まれついた者なんだ。」
「え?」
「だからさ。そもそも“破邪”ってのは、莫大な力を持ってるのと同時に、相手がどんな奴にせよその存在を絶つっていう特別な事を執行する者だから、そう簡単になれる格や役職じゃあない。そんなせいで、他からの転生者、若しくは昇格者がつく部署なんだがな、こいつだけは最初から“破邪”として生まれ出た存在なんだと。」
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*そういえば。
ゾロさんてナミさんにタメグチ利いてる特別な格だったよねと思い出したりして。
今回、そこにもちょこっと触れてみますね。
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