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破邪に限らず、彼らのような"他次元世界へ跳べる"までの能力を持つ高等精霊は、その多くが他からの転生者、若しくは一般精霊からの昇格者である。ナミなど"天使長"レベルの神格・準神格クラスや、サンジのように最初から特別な能力を有する一族として存在するケースもありはするが、その他の大半、天聖界の住人たちは、地上で言うところの一般人。他次元世界へ行けるまでのパワーや能力はない。次元の境目というのはそうそう簡単に通り抜けられる代物ではなく、幾ら高次元の側の住人であっても、特別な方術に通じているか、あるいはそんなものを物ともしない途轍もないパワーがなければ、次界間移動は到底無理なことなのだそうな。
――― そんな天聖界にある日突然、
誰の係累か、何者なのかも判らない和子が現れた。
その右腕でもある"和道一文字"と共に現れたのだと、サンジもナミから聞いたことがある。
『あたしも先代から聞いた話なんだけれどもね。』
関係部署だけではどうしても対処も回避も出来ない、とんでもないまでの事態が生じた際に、他の事象を担当する天使長たちが一堂に会しての最高議会が開かれるのが“ヴァルハラ”神殿という神聖な場所。その中にある“雲の回廊”の奥まった辺り。多層結界である“合ごう”という強固な封咒を幾重にも張り巡らせた、御神木のとねりこの樹の根元に、いつの間にか…白鞘の日本刀と共に小さな幼子がいた。天聖界でのその始まり、同座した者はもういないというほどの昔に、最初の代の天使長たちが作り上げた白亜の宮殿。その奥向きという厳重な警備のなされている場所で。何人たりとも踏み込めない聖なる場所で。そんなところにいたのが、赤子にしては太々しい、泣きも笑いもしない緑髪の子供であったのが…誰にもどうにも説明のつかない奇跡。何かしら起こるという予兆なのか、だとしてそれは幸いなのか、それとも凶事なのか。お偉い方々が額を寄せ合い、探求や議論を交わしていなさったその只中にあって、
《何かしら決まるまで ずんとかかりそうな気配だが、だからと言って、この子をずっと放っておく訳にもいかないでしょうよ。》
戦いといかづちと嵐を司る天使長がそのまま引き取って手元で育てていたと聞く。それが今の姿にまで成長して人々の前に再び現れたのが、ナミが"破邪"たちを統括する座に着いた時。愛想は教えなかったが頼もしいからアテにしなさいと、戦の天使長にしてはおっとりした先代からの言伝てを詰めた宝珠を持参して現れた彼であり、
『そんくらいの話なら、俺だって師匠から聞いてるよ。』
自分にも関心がなかったゾロは、この話になるとそう言ってそっぽを向いたものだった。そのお師匠様ならもっと詳しいところもご存知だったのかもしれないが、先の"聖魔戦争"にて薨みまかられたので聞きようがない。先代たち、この天聖界の始まりからを整えた方々は、その戦いにて殆どが亡くなられている。巨大にして圧倒的なまでの力を持つ邪精に襲われた天聖界を守るための、相打ち覚悟というほどの悲壮で壮絶な戦いだったそうだ。………よって。ゾロは自分が何者なのかを、自分でも知らない。
世界の大半を埋める"一般"から掛け離れた存在であるのは、他の"破邪"のその大半の面々も同じこと。強いて違いを言えば、持ち得るパワーの桁が並外れていることくらいのもので、あとは…他の破邪たちとも、どこがどうという飛び抜けた差異はない。よって、畏怖の目で見られることはあっても冷遇されるでなく、されたとしたってそのような差別化を感じたり、その上で臆したりするような彼ではなく。気が遠くなるような長い長い歳月の間、指示された使命をコンスタンツに消化するだけの単調な日々を、さして面白そうでもないままに送っていた。その折々には様々な人間の様々なドラマを見ても来たが、文字通りの他人事。人間という生き物は、フレキシブルな"生まもの"だのに理性という"型"に嵌まりたがり、更なる成長や変化を求めながら、それと同時にホメオスタシス…恒常性にもこだわってる。そういった矛盾が絡まり合った結果、感情というものにより理不尽な事態が起こる…とか。複雑だったり繊細だったり、はたまた情熱に熱く激しかったりと、そういったあれやこれやを何となく理解はしても、ゾロにしてみれば…やはりどこかで他人の話。どんなに心揺さぶられる事態事象であれ、酌量してやれる判断材料としての予備知識や判例でしかなかったものだ。思えばそういう冷めたところからして、人間や一般精霊からの転生組ではないからだろうなと、これまた自分で冷静にも納得していたくらいだ。
………だが。
この小さな少年に出会って。自分の中に何かが沸き立った。最初は気がつかなかったほどの細波だったものが、ほんの数日で…何よりも彼のことをまず考えるようになっていた自分に愕然とした。非力で小さな、甘えん坊で人懐っこい、そんな彼だから仕方のないことなのだと、強い者には当然の性さがのようなものなのだと割り切ろうともしたのだが。屈託なく"大好きだよ"と言ってのける明るさや、幼いとけない仕草、お日様みたいな無垢な笑顔に。胸の底からぐんぐんと、否応無く惹かれた。何も知らない、伸びやかな健やかな子供。そう思って、だったら何故、こうまで惹かれるのかが判らなくて。そして………それだけではない彼なのだと知って。ああもう離れられないと悟ったゾロだった。邪妖に組み敷かれていた痛々しい彼を見て、常の冷静さや冴えた判断力が一気に灼熱にまで焼き切れて。感情が高まるとそれが勝手に体を動かすこともあるのだと初めて知った。切ないとかいう気持ちに胸が苦しくなったり、愛惜しさに身の裡が暖かくなったり。融通というものを知らない彼だったものが、この坊やのためにだけなら機転を利かせ、撓しなやかに対応出来るようになったのへ、
『…やっぱり恋ってのは偉大だよなぁ。』
相棒が…いつもの皮肉や揶揄も忘れて、心から感嘆していたものだった。
◇
「ぱふっ、お腹いっぱいだっ!」
3人分とは思えない量の大鍋いっぱいあった おでんは、お見事な食いっぷりの坊やが一人で半分ほどを平らげてしまい、
「おいおい、大丈夫なのか?」
さしものサンジでさえ、ちょいと心配になったほど。だが、
「大丈夫なんだよ、こいつは。」
ゾロが"気持ちは判る"という苦笑を乗せた表情で応じた。
「どういう新陳代謝をしているんだか。大の大人の2人前くらい平気で平らげて胃もたれもしないし、そんなに物凄い運動をこなしてるって訳でもないのに全然太らない。」
こちらは、おでんは適当に摘まんだ程度。それとなく気を利かせたらしいサンジが持って来ていた"サザンカ14号"とかいうコニャックの方を味わっているゾロで。
「俺も最初のうちは、どんな欠食児童なんだよって驚かされたもんさ。」
もしかしてお腹に虫でも居るとか?(今の時代のお嬢さんたちには判らない話でしょうねぇ。/笑)
「むむう、失敬だな、お前。」
あやあや。またまた叱られてしまいましたです。(笑) 筆者とのMCはともかくも。お気に入りの番組があるのか、テレビを置いてある居間の方へと席を立って行ったルフィであり、
「あれ? 今日って月曜だよな。」
「ああ。」
「時代劇やってないぞ。なんか歌番組やってる。」
「年末だからだろ。」
「うう〜っ、つまんねぇっ!」
渋い趣味なんだね、ルフィくん。リモコンをいじってチャンネルを変えている無心な横顔に眸をやってから、
『知らなかったとは言え、大変な失礼をしました。』
『本当にお騒がせしました。』
たしぎとかいう新しい破邪さんもそうそう偏屈なお嬢さんではないらしく、自分の非はちゃんと認めて実に素直に頭を下げた。そんな新米破邪さんとその相棒の封咒精霊さんが、恐縮そうにぎこちないお辞儀をしながら、あっちの世界へと戻って行って。
"………。"
だが、それだけでは済まなかったものだから。お互いに口に出せないものがあって、それがための微妙な沈黙と緊張感のようなものが二人の間に立ちはだかっている。話題として蒸し返せば、それを真っ向から認めてその上であれこれと取り沙汰しなくてはならないから。それを思うと何となく気が重い。聞き流してしまって良いことだと、こっちがデンと構えていれば、坊やも安心するのではなかろうか。そう思って平然と構えているものの、ならば…彼と直接何を話題に取り上げれば良いものやら、ちょいと落ち着けない自分であるのにハッとする。気にしていないと言いつつ、しっかり気にしている自分なんだろうか。
"…ったく。"
柄じゃねぇよなと、出かかった溜息を飲み込んで。グラスの中、濃い褐色を織り成す深い芳香のエキスをゆらゆらと回すとくいっと一気にあおって飲み干した、いつにも増して口数の少ない破邪殿であった。
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