月夜見 ホワイト・クリスマス B


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 昼前に3人で遊んだ草原を通り過ぎたもう少し高台の木立ちの手前。古びた教会は確かにあって、規模としてはそんなに小さくはなかったが、とにかく古く、しかもどこかくすんだ雰囲気がある。中心の礼拝堂や庫裏
くりなどの建物も、それらや前庭を形ばかり取り囲む塀も、長年にわたる潮風による侵食を受けてかあちこち崩れていて、塀なぞは残っている部分を数えた方が早いくらい。
「…ホントに誰かいるのか?」
 教えてくれた町の人は"神父様がおいでだ"と言っていたが、人の気配や生活感というもの、活気や生気という気配がしない。ルフィは腕からチョッパーを降ろすと、建物の周囲をキョロキョロと見回した。
「今日はクリスマス・イブだのにな。」
 そう。選りに選って聖なる日…の前夜だというのに。明日の準備だとか、いやそれ以前に、何日も前からそれなりの用意をし、もう少しくらいは華やいでいてもいいのではなかろうか。やはり誰もいない廃墟なのだろうかと顔を見合わせたルフィとゾロだったが、
「いや…居るぞ。」
 頭上へ立てていた鼻先をひくひくと動かして何かを嗅ぎ取ったらしいチョッパーは、そう言うとルフィの腕を下から引っ張る。人目につく場では、トナカイの形態でいるか縫いぐるみの振りをするか。こんな里近くに、それも旅人がトナカイを連れているのは不自然なので、縫いぐるみの真似に戻ろうと思った彼であるらしい。
「あ、ああ。」
 再び彼を抱え上げたそのタイミング、
「どちら様かな?」
 そんな声が横手の方、庫裏の方からした。あわててそちらを見やると、
「…あ。」
 所謂"神父服"というそれだろうか、首に沿った高い襟の黒っぽい上着を着た初老の神父様が姿を現したのだった。


 庫裏の裏手にはそれこそ見上げんばかりという大きな樹が確かにあったが、
『昔はこの樹を飾ったものだがね、若い人々がふもとへ下りて行ってしまったから、もう久しく飾ってはいないねぇ。』
 ここいらには人家はない。港の店屋とは別に、もう少し奥まった辺りに昔からの農業や牧畜を営む家々の集まった小さな村があるそうで、この教会はそれらの中間地点に位置しているというところか。だが、クリスマスというこの時期は、畑仕事の手を休め、港の方へ移り住んだ息子や娘のところへ降りて、降誕祭の祝いを過ごす人が殆どだという。魔海の只中だとはいえ、航海技術の発達もあって商業が発展しつつある土地である。こつこつとした農業や牧畜も勿論大事な産業だが、成長著しいものへ関心が集中し、携わる人の数がどうしても偏ってしまうのは否めないこと。この小さな教会の寂れようは、まだ"過疎"とまでは至っていないながらも信者たちの数が激減したこと、住民たちの生活基盤の移り変わりから来ているものであったらしい。そうと説明してくれた年老いた神父様は、穏やかな物腰の人で、
『雪も昔はたまに降ったそうだがね。私がここに赴任してからというものはもう何十年も見てはいないねぇ。』
 そのまま庫裏へと導き、お茶の支度をして下さる。お構いなく…と一応は辞退したのだが、
『まあまあ。こんな年寄りには遠出も出来ず、お出でになる方々からのお話しが楽しみなもの。ご迷惑でなければ、お茶の間だけで良い、話相手になって下さいな。』
 ほっこりと微笑まれたやさしい笑顔には逆らえなくて。それからルフィたちの目的をあらためて訊かれた神父様であり、まるで我がことのように残念そうな声音になって、申し訳無いね、すまないねぇと眉を下げて見せた。単なる通りすがり、得体の知れない若者たちだというのに、そんな彼らに向けられた穏やかそうな笑顔は、たいそう静かにやさしくて。だがそれは、聖職についている人間だから色々蓄積されて身についたもの…というのではなく、もっと奥深いところに元からあったものが、少し熟
れたことで何にでも馴染みやすくなった…というような。少し力ない、だが、優しく沿うような感覚がして、何とも心地いいものだった。意欲や若さや、それらの勢いが余った地団駄などにあふれた、精気余りある仲間たちとずっと居たから忘れていたが、
"何だろう。何か…。"
 さわさわと、懐かしい何かが胸の奥底から込み上げて来そうだとチョッパーは感じた。見るからにはち切れんばかりの力に満ちた押し出しではないから、子供にはなかなか察し切れなくて。弱々しく…悪く言うと"貧相"に見えなくもないその奥底には、覗いたくらいでは見透かせないほどの深い想いや芯の張ったやさしさを秘めた、そう、どこかで接した覚えのあるやさしい感触。だが、これって? ドラム島に残して来た"くれは"もまた、花の百三十代の女盛り?を楽しむ、たいそうエネルギッシュな人物だった。そう、彼女ではない。とすると…?
「………。」
 その青い鼻をひくひくと震わせて、じっとじっと見やっていたが、それだけでは収まらなくなったらしい。
「神父さんは一人で住んでるのか?」
 どこかむずむずしていたチョッパーがつい口を利いてしまったから、

 「…☆」「こ、こらっ!」

 ルフィはともかく
あはは、まだどちらかといえば常識派なゾロの胸中を底上げしたパニックはただならぬものだったが、
「おやおや、その子はお人形ではなかったんだね。」
「え…?」
 意外や意外、神父様は…少しばかり眸を見張られただけで、さして驚きもなさらない。そればかりか、
「長く生きていればね、色々な経験もするし、色々な生き物とも会うよ。そうか、悪魔の実を食べたんだな?」
 気味悪いと怖がるでなし、手を伸ばして"おいで"と招かれて、そのままそぉっと膝へと抱えて下さった。
「おお、まるで赤子のような重さだねぇ。しっかりしたお声だったが、幾つなのかな?」
「えと、もう十五歳だ…です。」
「ほほう、それは…子供扱いしては失礼かな?」
「………っ☆」
 ぶんぶんぶんと音がしそうなほど首を横に振るチョッパーに、
"…十五歳だって?"
 てっきり十歳かそこらのガキだと思っていたゾロが少々愕然としていたが、それはさておき。(Morlin.もびっくりしました。そういや7年もくれはさんのところで修行してたんだものね。)

  "………。"

 ふわりとした暖かさに、チョッパーはやっと思い出す。

  "…ドクターと同んなじ匂いだ。"

 7年も経った今でさえ、一番大好きなあのDr.ヒルルクは、どちらかと言えばたいそう元気で快活で。性格を言えば、むしろルフィにおっつかっつな破天荒さに満ちてもいたが、それでも…人としての深み、子供だった自分では察することさえ出来なかった奥深さの醸すものだろう、それはやさしい肌合いがこの穏やかそうな神父様と同じだった。あれほど…実の息子のように可愛がっていたにもかかわらず、嫌われても憎まれても良いからと、銃まで持ち出して死期の近い自分からチョッパーを遠ざけようとしたり、その逆に、悲しませぬよう重荷にせぬよう、ただそれだけのために自分で自分の命の幕を引いたり。

  "ドクター…。"

 クリスマスには色々な奇跡が起こると、同じ船に乗っている皇女様がいつだったか話してくれた。もしかしたら、この神父様との出会いもそんな"奇跡"の一つなのかも知れないなと、鼻の奥がツンツンして来たのを誤間化すように"うふふ"と小さく笑ったチョッパーだった。



        4

 お茶を頂きながら、昔の写真を見せてもらったり、クリスマスの由来話を聞いたりしているうちにも、時はあっと言う間に過ぎゆきて、
「おや、引き留めてしまったね。港まで戻らにゃならんのだろう?
 早く丘を下りないと暗くなってしまうよ?」
 窓の外の明るさからそうと気づいた神父様がそんな言葉をかけて下さる。少ぉし残念そうなお顔に見えたが、もうお別れなのが残念なのはこちらもで、
「あの、ごめんなさい。お仕事とかお有りだったでしょうに、お喋りいっぱいしてしまって。」
 ルフィの腕へと戻されたチョッパーが、たどたどしいながらもそんなお詫びを言うと、
「おやおや。」
 神父様は、まるで幼い子供が一生懸命に格式ばったご挨拶をしたのを聞いたような、それはそれは微笑ましげなお顔になられた。わざわざ門口まで送って下さり、
「よいクリスマスをお迎えなさい。」
 彼らのために十字を切って祈って下さった。特にキリスト教徒ではない彼らだったが、何だか敬虔な気持ちになったから不思議。深々と頭を下げると、心残りは胸の奥に重いながらも淡い夕映えの始まりかかった空の下、小さな教会を後にする。ルフィに抱えられた格好のチョッパーには、掴まっていた肩の上から遠ざかる後方がずっと真っ直ぐ見えていて。いつまでもいつまでも中へ戻らず佇んでいらっしゃる神父様の姿が、何だかじわじわぼやけて来てしまい、
"ふにゃ。"
 慌てて顔を引っ込めて、小さな蹄
ひづめで目許をこしこしと拭った。…と、
「おお〜い、兄さんたち。港までなら乗ってきな。」
 かけられた声に振り返ると、近づいて来たのは一台の荷馬車。馬を御していたのは黒々とした口ひげの見事な、どこかで会った覚えのある男の人で。
「あ。酒屋の…。」
 ああ、そういえば。
おいおい
「兄さんたちんトコへの配達はもう済んでるよ。綺麗なお姉さんに代金も頂戴したし。今は丘の上の方への配達の帰りでな。」
 人の善さそうな笑顔は、やはり地のものなのだろう。歩くことが苦になるような柔な彼らではなかったが、屈託のない温かな笑みについつい笑い返し、お言葉に甘えて荷馬車の後方、空の荷台に乗せてもらうことにした。時折石でも跨ぐのか、がたがたと弾む荷台はちょっとした遊具のような楽しさもある。そんな乗り心地へくすくすと笑う彼らに、
「ありがとうな、兄さんたち。」
 若主人が唐突にそんな言葉を掛けて来た。んん?と小首を傾げて肩越しに御者台の方を見やると、
「あの神父様は何度お勧めしても町へは降りて来て下さらんでな。敷地の中に息子さんの墓があるからだそうだが、いつもお一人で寂しかったろうから、あんたらが訪ねてくれて、俺も嬉しいんだよ。」
 彼の側でもこちらをちらっと見やってそんなことを言うから、
「あ、いや、えっと…。」
 珍しくも恐縮してしまう元・海賊狩りさんだったりする。一方で船長殿は素直なもので、にっこにこと満面の笑みを浮かべていたりするのだが。そんな彼らのやり取りには加わらないまま、
"………。"
 チョッパーはぼんやりと物思いの真っ最中。今でも誰より一番好きな人だから、無論のこと、忘れていた訳ではないのだが。新しい仲間たちとの航海の日々は、毎日毎日が忙しくて楽しくて。そういえばこのところは思い出す暇が無かったような気がする。

"ドクター、海賊って凄いんだ。"

 毎日のように何かしらの騒動が起こったり、大声でのとんちんかんなやり取りも楽しく、とにかくもうもう賑やかで。そうかと思えば…抱き枕扱いされながらも、のんびりとした昼寝で一日を潰すような穏やかな日もあったりして。以前のドクターのようによく肩車をしてくれる無邪気な船長と、そんな彼の相棒で…こちらは大人びてそれはそれは逞しい副長は、山のように大きな海王類相手に喧嘩を売っては、叩き斬ったり殴り飛ばしたりする頼もしい男たちで。口利きは乱暴だがおいしいご飯を作ってくれるシェフもいれば、珍しいお話を聞かせてくれるきれいな皇女様とその友達のカルガモも、一杯一杯ワクワクする冒険話を披露してくれる発明家もいる。風や潮騒の言葉が分かるのか、すぐさま雨や嵐が来るのを当てられる、とっても凄い航海士もいる。そんな嬉しい毎日の上に、今日みたいな日もあって、


  "ねぇ、ドクター。俺、とってもシヤワセだよ?"

  

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