旅 で の 出 来 事
〜 旅での出来事・思い出や感じたことなど 〜

出来事(1) (2) (3) (ミャンマー)

マンダレー近郊
 いろんなところを訪れてみたい

 いろんな人に出会ってみたい

 ちょっとだけの現実逃避...




高山病

英語 in Asian Hotels

ベトナム料理

美味しい料理

写真

「覚えてるよ」

国内線飛行機

チェ・ゲバラTシャツ

割り箸の思い出

アトランタ

「歩き方」の使い方

デジカメの威力

ミャンマーのナブー...

博物館の展示物

変わった料理

まだまだ続く



 
高山病


チリ・アリカを訪れたときのこと。
泊まってたホテルの旅行代理店で『チュングラー湖への日帰りツアー』を申し込んだ。

アリカは海抜0b、チュングラー湖は海抜4,600bである。 (もちろん登山ではなくバスに乗ってのツアーである。)

そのツアーにはいろいろな人が参加していた。 チリ人、スペイン人、フランス人、アメリカ人、デンマーク人....総勢20人くらい。 バスの中で自己紹介などをし合って多くの人と打ち解けることができた。

バスはぐんぐん山を登っていった。
昼食後まもなく、ペルー人の女性が高山病のためダウン。
それを皮切りに、ダウンする人が次々でてきた。

我々を乗せたバスがやっと海抜4,600bのチュングラー湖へ到着した。 どうやら私は高山病に関しては無事であったようだ。
「何だ、海抜4,600bなんて余裕じゃん。」

私は、普通に歩いたりツアー仲間と話したりした。
しかし、だんだん息切れがするのを感じた。
山を降りる時間になり、バスに乗った。

「しまった。 油断してた。」
一気に標高の高い地へ来たのだから、そこではじっとしていなければならないのに、私はハシャギすぎたようだ。
帰りのバスの中で、高山病になったのだとわかった。
症状は頭痛と車酔いを合わせたようなものだった。

山へ行ったときに、この高さなら大丈夫だと思っても、降りるまで油断してはいけないということを身をもって学んだ。


 
英語 in Asian Hotels


ラオスは英語が通じにくい。 
そのラオスで地方へ行くとさらに英語が通じなくなる。 外国人と接する機会の多いホテルですら、英語が通じなくなることもある。 

ラオス・ムアンシンで宿泊したホテルがそうであった。
数字すら英語が通じない。 外国語といえば、ホテルの従業員に1人タイ語の通じる人がいただけである。 ちなみに私はタイ語は話せない。
それでもホテルの人たち(従業員も宿泊客も)は皆いい人だったので、快適だった。

ミャンマーはラオスに比べれば英語は通じ易い。 それは旧英国植民地だったり政府が観光に力を入れているからかもしれない...(?)。
しかし、ミャンマーもヤンゴン・マンダレー・バガン・ニャウンシュエなどの外国人観光客の多い場所から外れると、英語通用度はぐっと低くなる。

ミャンマー・チャイントンで宿泊したホテルでは、英語の通じる人は1人いるだけだった。 しかも、その人は常時ホテルの中にいるわけではない。

日本のホテルの英語はどうだろう。
埼玉のホテルに泊まっているカナダ人に、そのホテルのスタッフは英語がきちんと話せるかどうか聞いてみた。
きちんと話せる人はいないが挨拶程度の英語なら話せるとのことだった。

ということはそのホテルは、英語に関してムアンシン以上・チャイントン以下のレベルなのだろう。

(でも私にとっては、英語の通じないホテルの方が楽しかったりする。)


 
ベトナム料理


私はベトナムには行ったことはないが、ベトナム料理の話を耳にすることが非常に多くなってきた。

ミャンマーで日本人の旅行者とラオスの話をしていたときである。
彼は言った。
『ベトナムからラオスへ渡ったとき食事が不味くなったのを感じた。』
私は驚いた。 私にとってラオス料理は、今まで訪れた国の中でも最も料理が美味いと感じる国の一つなのに...。
彼は続けて言った。
『ベトナムの食べ物って、屋台の安い料理ですら、感動的に美味かった。』

ベトナム料理って、いったいどんなものなのだろう!?


 
美味しい料理

海外で食べた料理で涙が出そうなくらい感動した料理、それはメキシコのレストラン「ミカド」で食べたカツ丼と味噌汁だった。
初めての海外旅行中、久しぶりに食べた日本食だった。
あれほど美味しく感じられた食べ物はかつてなかった。

やはり日本食が一番好きである。


 
写真

「写真を撮られると魂まで取られる」
と信じている民族は世界中にいる。
(「魂を取られる=寿命が縮む」ということかな?)

チリのアイマラ族もそのひとつである。

アイマラ族がアルパカの毛織の民芸品を売りに観光客のところへ寄って来る。
観光客は、写真を撮らせて欲しいと頼む。
アイマラのおばさんはそれを拒む。
それでも観光客はチップを渡してなんとか撮らせてもらう。

私も帽子を買うから一枚撮らせて欲しいと頼んだ。
アイマラのおばさんはOKしてくれた。
しかしおばさんの背中に背負っている赤ん坊は写真に写らないようにして欲しいと言う。
自分の魂は取られても、赤ん坊の魂は奪わないで欲しいということだろう。

そのアイマラのおばさんは自分の魂を売ってお金をもらっていることになる。
恐ろしいことかもしれない。


 
「覚えているよ」

過去訪れた国に再訪したときに地元の人から
「覚えているよ。」
って言われるとすごく嬉しい。

ホテルの人に言ってもらったり、町や村を歩いていて言われたり、観光名所を訪れて言われたり。

名前を言ってやっと思い出してもらったこともあったり、「I remember you! Because I love you.」と言われた(自慢)こともあったりした。

中でも最も記憶力がいいと思えるのはミャンマー人だ。
ちょっと会っただけの人でも、結構覚えてくれている。
本当に覚えているのか確認するため、前のことをいろいろ質問をしてみたが、確かに本当らしい。


 
国内線飛行機

ガイドブック「地球の歩き方」によると、ラオスのヴィエンチャン-ルアンナムタ間の国内線飛行機は日本の外務省から「注意喚起」が出されているそうだ。
それは小型プロペラ機だった。壁からドライアイスの気体が出てきたり水滴が落ちてきたりした。 機内はあちこち中国語の漢字が書かれていたので、中国製の飛行機なのだろう。

キューバでも可愛い飛行機に乗った。
ハバナからサンティアゴへの飛行機の予約のとき
「その飛行機、落ちない?」
とカウンターの人に言ってみると、怖い顔して
「キューバの飛行機は落ちない!」
と言われた。 プライドを傷つけてゴメンナサイ。

サンティアゴからハバナへの帰りの飛行機は更に可愛い飛行機だった。
今まで乗った中で一番小さい飛行機だと思う。 小型軍用機を無理やり旅客機にしたような感じのものだった。 機内の造りはシンプルで可愛かった。 座席も手作りで「一生懸命作りました」という感じがあってとても良かった。 もちろん落ちなかった。


 
ゲバラ・Tシャツ

チェ・ゲバラはキューバでは英雄的な人物である。
キューバに行くとゲバラの似顔絵入りのTシャツや帽子などがたくさん売られている。 記念にそれを買って帰る外国人観光客も大勢いるだろう。

久々にグアテマラのパナハチェルを訪れた。
そこでもゲバラ・Tシャツがたくさん売られていた。
何故、グアテマラで売られているのか?

ゲバラ・Tシャツがキューバで外国人観光客向けに売られるのはわかるが、果たしてグアテマラで売れるのだろうか?
いったい誰が買うのだろうか?
もし日本で例えたら、外国人が日本の京都・奈良の有名なお寺で毛沢東Tシャツをお土産に買って帰るようなものだ。(売っていないだろうけど。)

確かにゲバラといえば強国USAと勇敢に戦った人物で、ラテンアメリカの人々の中には「ゲバラ好き」は多いであろう。

もしかしたら、外国人観光客向けではなくグアテマラ国内消費者向けの商品だったのだろうか。

「グリンゴ(外人)・テナンゴ(地域)」と呼ばれていたこの村では、以前はメインストリートの殆ど全ての店がグリンゴを対象にしたものだった。
そして私が再訪したときには、グリンゴの姿が少なくなっていた。 代わりにグアテマラの都市部からの国内旅行者の姿が多くなってきていた。

やはり、ゲバラ・Tシャツは国内旅行者向けとしか考えられない。

グアテマラで、レジャーを楽しむ国民が増えてきたことはとても良い事だ。
しかし、グアテマラの観光地でゲバラ・Tシャツが売り買いされなくても...。


 
割り箸の思い出

ミャンマーの食堂へ行くとテーブルに『箸』が置かれていることがある。
しかし、ミャンマーでは、置かれている箸を使ったことは(記憶では)今までない。

置かれている箸を使おうとすると、いつも店の人がわざわざ新しい割り箸を私にだけ出してくれるのだ。
中には、割り箸を割ってから差し出してくれることもあった。

その上、『湯呑』にしても、その店では前の人が使用した湯呑はセルフサービスとして自分で洗わなくてはならないところを、私にだけ特別にきちんと洗ってから出してもらったこともあった。
旅先の「親切」にメチャメチャ弱い私は、そんなことされるとついつい通ってしまいたくなる....。

さらには、朝飯に2日連続で通った市場の食堂でのこと。
食事しながら店のおばちゃんに
「きょう、これからこの町を出発して別の町へ行くんだ。」
と言ったところ、そのときの食べたウドンの料金の支払いを
「無料でいいよ。」
と言われたこともあった。

ミャンマーで『箸』の置かれている食堂(すなわち麺フード系の食堂)は何故こんなにも日本人に親切なのか不思議である。

...ん? いや、一軒だけ麺フード系の食堂で怪しい店員がいたような気がする...。 あの『おやじ』はちょっと信用できなかったなぁ。 勘違いかもしれないけど。



 
アトランタ

ラテンアメリカを訪れるとき、経由地としてUSAに立ち寄ることがしばしばある。

アトランタに行って驚いた。
人々の気質がまるでラテン系であった。(民族がラテン系ではない。)
気さくで人懐っこく、とても親しみやすい。
たくさんの人が話し掛けてくる。
道を尋ねると嬉しそうに教えてくれる。
目が合っただけでハローと挨拶される。
"大都会"で!
一昔前のメキシコ市を思い出す。
しかし、ここはUSA。

ロサンゼルスもマイアミもそれなりに良かったが、
アトランタがUSA内で最高だと思った。


 
「歩き方」の使い方

日本語で書かれた海外旅行のガイドブックの中で最も有名なもの-それは『歩き方』だと思う。
『歩き方』を持って旅する日本人旅行者は少なくはないと思う。
そして『歩き方』で紹介された途端日本人が集まるようになったホテルもある。
今では韓国語版が韓国で発行されているらしい。

そのガイドブックについては良くも悪くも様々なことが言われている。
だが私としては結構使えるガイドブックだと思う。

『歩き方』に関して、短所は省略することとして、長所を挙げてみる。


* 「日本語で書かれている」
語学力のない私は外国語のガイドブックを読むと、かなりカロリーを消費してしまう...。
その点『歩き方』は日本語で書かれているので楽に読める。また(情報源としてだけではなく)読み物としても面白いと思う。

* 「いろんな国を扱っている」
「日本語」の旅行系のガイドブックでは、メジャーな国以外はあまり紹介されていないが、『歩き方』シリーズはその中では頑張っていると思う。

* 「たまに現地語表示がある」
『歩き方』にはアルファベットやカタカナだけでなく現地語表記もたまにあるので、地元の人に道を尋ねるときに、『歩き方』を見せて行き先をわかってもらえることがある。

* 「日本人に会う(/日本人を避ける)のに使える」
旅先で多くの日本人と知り合うのも楽しいと思う。
とくに地元の人がドライな地域だったりすると日本人に会いたくなる。
そんなとき『歩き方』を引っ張り出して日本人が泊まってるかもしれないホテルを宿としてしまうこともあった。
また、「せっかく来た海外」ということで、日本人同士固まるのは今回は辞めておこうというとき、『歩き方』に紹介されていないことを確認してホテルを探すこともあった。
しかしこの方法は、「出会う日本人の量の調節方法」として、必ずしも上手くいってはいない....。

* 「その他」
『歩き方』を目立つように持ち、他の(バックパッカーになりたての)日本人から
「あっ、コイツ、旅の初心者だな!」
って思わせといて、いろいろ話をしてみるとこちらの方が旅慣れてたりしてて、相手を「ギャフン」と言わせることができる。
(...って、何のメリットもない...。)
ごめんなさい。嘘です。こんな真似するはずありません。


長所は他にもいろいろあろう。

実は私にとって『歩き方』の最大の長所は「写真が多く載っている」ことである。
退屈して『歩き方』を見てたとき地元の人が「見せて欲しい」と言って来て話をするきっかけになったこともあった。
地元の人と話をしていて話のネタがなくなったとき『歩き方』を一緒に見て話を再度盛り上げたこともあった。
写真が多いからこそできたことである。

(また、ある目的地へ人に聞きながら行くとき、目的地の名前が長くて発音するのが面倒な場合でも、写真を見せるだけで目的地をわかってもらえることもあった。)

...ということで、私は旅するときは大抵は日本から『歩き方』を持ってきている。


 
デジカメの威力

アジアの一部の山岳民族の中には、
写真を撮られるのを嫌がり、
全く拒絶したり或いはチップを要求したりする人がいる。
(別に『ケチだから』写真を嫌がる訳ではなく『恥ずかしいから』とも思える。)

しかしデジカメの場合、寛容になることが度々あった。
何かを撮影してそれを画像として見せる。
するとそれに興味を持ち、
画像を見せるのなら撮ってもいいという人がたくさんいた。

ミャンマーのチャイントン郊外のパラウン族の集落でのこと...
デジカメで写真を撮らせてもらって画像を見せた。
パラウン族のおばあちゃんは大感激した。
そのおばあちゃんは、帰りに手に抱えきれない程たくさんの
お土産(きゅうり)を渡してくれた。


 
ミャンマーのナブーな人々

ミャンマー人の男から、『付き合っている女性の数』の自慢話をしばしば聞かされる。 彼らは、二股どころか四股、五股など当たり前のように話す。
複数以上の女性と付き合っているのは、特にタクシーの運転手に多いようだ。
例えば、付き合っている人がヤンゴンに一人、バガンに一人、マンダレーに一人、カローに一人...など、タクシーの運転手は浮気がバレ難いとのこと。

そんな『女ったらし』のことをミャンマー語で『ナブー』という。

ミャンマーのバガンあたりに行ったときにタクシーの運転手を見かけたら、「ナブー」って声をかけてみて! ドキっとする顔が見られるかもしれないから。


 
エルサルバドルの博物館の展示物

首都サンサルバドルの国立博物館には歴史的なものが展示されていた。
古いものではマヤの時代の石碑が展示されていた。

それと、SONYのベータのビデオカセットも展示されていた。


 
変わった料理?

「海外でどんなゲテモノ料理食べた?」とよく聞かれる。

私がラテンアメリカを旅行した限りではゲテモノ風のものは殆ど見かけていない。
強いて言えば、メキシコのオアハカで昆虫のバッタを見かけてそれを食べたくらいである。
しかし日本でもイナゴを食べるので、バッタは別にゲテモノという感じはしない。

また、変わった料理として、アンデスのレストランではクイ(Cuyes)がメニューに載ってることもあった。(クイとはネズミの仲間である。)
しかし、注文をしようと思ったもののUS$10もする上に調理で1時間近くもかかるというので諦めたことがあった。

ラテンアメリカでは変わった料理に恵まれなかったが、アジア・ラオスで食べるのにちょっと勇気の要る料理にやっと巡り会えた!

市場を歩いていると、焼きネズミや焼きコウモリ、焼きタガメが売られていた。焼きネズミは食べなかったが、焼きコウモリと焼きタガメは食べた。
焼きコウモリは鶏肉の様な食感・味でまずまずのものだった。しかし骨っぽくて食べるところが少なかった。
焼きタガメは(表現の難しい味であるが)2度と食べたくない。とくに腹の部分が気持ち悪かった。




出来事(2)  出来事(3)

旅での出来事・ミャンマー特集へ



(Top Page.)


Copyright© Masa M.