旅の出来事はまだ続いてく...
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〜 旅での出来事・思い出や感じたことなど 〜

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中華レストラン

食べられません


胃薬

手紙好き墨国人

むすんで

ビルマ人じゃないよ

新しい国

アメリカ人
韓国人の旅人

キューバのガイド

キセル

感想ノート

カキエ売り

アカ族は黒い

リキシャのつり銭


ミャンマー特集



 
チャイニーズ・レストラン

ホンジュラス(テグシガルパ)にて。
夕食はチャイニーズ・レストランでとることにした。

フォークとナイフで食べていた。
店員は東洋人の私を見て私に尋ねた。
「お、使いますか?」
をお願いした。
「お願いします。」
- やはり箸の方が使いやすい。 -
店員の気遣いが嬉しかった。


翌日も同じチャイニーズ・レストランでランチを食べることにした。
この日はカレーを注文した。(そこのレストランにはカレーもメニューに載っていた。)
レストランの店員は私のことを覚えていてくれたらしく、この日は何も言わずを出してくれた。
折角の好意だったので断れず、でカレーを食べた。

 
食べられません

一年ぶりにミャンマー(ビルマ)の村人たちと再会。
今回は日本から土産を持ってきた。
土産は、ミャンマー人の口に合いそうなものをいろいろ私なりに考え、「味付のり」にしていたのであった。
袋ごと、ミャンマーの友達に渡した。

しばらくすると、一人が吐き出した。
「なんだこりゃ!!」
彼が口にしたものは、「味付のり」の防湿剤だった。
防湿剤には「たべられません」と書かれてあったのだが
.......日本語、読めるわけないよね。

全く私の不注意から起きた"事故"である。
ごめんなさい。

 
胃薬

「日本の胃薬は海外ではあまり効かない」
「現地で下痢した場合は現地の薬が効く」
とよく言われている。

実際に私も経験したことがある。 
グアテマラで強烈な下痢に見舞われたとき日本から持ってきた胃薬は全く効果なかった。 しかし現地の薬(ロモティル)を飲んだら怖いくらいにピタッと止まったのである。 あの効き目には驚いた。

それでも実は旅行をするときは、殆ど毎回日本の胃薬を持ってきている。
同じくグアテマラで高熱にかかってダウンしたときのこと。 現地の薬を服用したら、それが相当胃に刺激を与えたらしく、腹がピーピー状態になってしまった。
そのとき、現地の強力な胃薬を服用するのはかえって副作用が怖かったので日本の胃薬にしておいた。 薬の副作用によるピーピーくらいなら日本の胃薬の方が安心に思ったのである。

すなわち、私は現地の解熱剤などを服用するときに腹を壊さぬように日本の胃薬を飲むことにしており、下痢そのもののために日本から持ち込んでいるのではない。

 
手紙好きメキシコ人

E-Mailがまだメジャーになっていない1990年代前半、旅の途中で海外の友達ができた場合、その後のコミュニケーション手段は手紙が主流だった。

メキシコ人はフレンドリーな人が多く、メキシコのあちこちで話し掛けられた。
そして住所の交換をよく求められた。
たとえば数分間話をしただけの人からも手紙の約束を求められたこともあった。
しかし実際には、約束をしただけで手紙が来ないことの方が多かった。

それでもメキシコ人と手紙のやりとりが始まると結構長続きしたものだった。

 
むすんで〜ひらいて〜

夕方、私は現地人の友達の家から帰るところだった。
見知らぬ人がやってきて言った。
「うちの子、日本語の唄、歌えるんだ。」
彼が連れているのは4歳前後の幼児。
「じゃ、聞かせて。」
その子は歌いだした。

「む〜す〜ん〜で〜 
    ひ〜ら〜い〜て〜
       て〜を〜うって〜 ・・・・」

童謡の『むすんで』だった。
ところどころ、自信なさそうに歌ったり、間違えたりしていた。
日本ではゼーッタイ童謡なんか歌わない私であったが、その子をフォローするように笑顔を作って一緒に歌ってしまった。
ビルマでの話でした。

今考えるとちょっと恥ずかしい。

このような恥ずかしい行動、いわゆる『旅の開放感』からくるものなのだろうか...。
言い換えると、例えば、普段ナンパされても付いていかないような身持ちの硬い日本人女性であっても、ハワイやバリとかのリゾート地などに飛び出した瞬... あ、いえ、やっぱり何でもないです。。。
えーと、あ、そうそう、その国(ビルマ)のオリジナルの歌についてだけど、全体的に日本の演歌に近い感じがしたなぁ。
そういえば、演歌『北酒場』のビルマ語バージョンを聞いたことがある。

でも私個人としては、ビルマの歌はあんまり好きじゃない...。
ニンニンウェイシェイという歌手のカセットテープを買って日本に持ってきたのだが、日本では殆ど聞いていない。あるビルマのお坊さんが言っていたが、そのニンニンウェイシェイのカレシは日本人だとか。
ちなみに私のお気に入りの音楽はプンタやメレンゲ(洋菓子の名前ではない)のような中米のもの。

  (注)2004年にビルマを再訪したときには西洋風な音楽も多かった。

 
私はミャンマー人じゃありません

またまたミャンマー(ビルマ)での話。
私が初めてミャンマーを訪れたときは、ロンジー(ミャンマーの腰巻)を穿かずにジーンズを穿いていた。 そのため私は何処から見ても外国人であった(と思う)。

ある遺跡寺院で、3人の女性と会った。 2人は日本人で、もう1人はミャンマー人のガイドさん。
まず初めに、そのガイドさんが私に「こんにちは」と日本語で話し掛けてきたのである。
そのガイドさんは、客ではない私にも、ついでにその遺跡寺院の説明を聞かせてくれるという親切な人だった。
お言葉に甘えて、その説明聞かせてもらうことにした。

しかしガイドさんは私にこんな質問をした。
「日本人のかたですよね。」(日本語で)
  「も、もちろん。」(さっき日本語で「こんにちは」と話しかけてきたじゃないか)
「あなた、ミャンマー人に似てます。」
  「はぁ、そうですか。」
「本当に日本人のかたですか。」
  「本当に日本人です。」
「お父さんもお母さんも日本人ですか。」
  「100%、日本人です...。」

そこまで疑われてしまった。

 
新しい国

私がスロバキアを訪れたのは1993年秋。 チェコとスロバキアが分裂してからあまり月日が経っていなかった頃である。

持っていたガイドブックは、スロバキアのものではなくチェコ=スロバキア。
スロバキア『地域』の情報は極端に少なかった。
ガイドブックにはチェコ語の必須用語集は載ってたものの、スロバキア語のものは付いていなかった。 

困ったのは通貨。
『チェコ=スロバキア』時代に使用されていた貨幣は、どんどん廃止にされつつあった。
廃止され使えなくなったお金は、つり銭などとして、事情のわからぬ外国人に渡されることになっている。
私はかなりその使えなくなったお金を手渡された。

つり銭をもらうとき、たまにハッタリで『NO!』というと、「バレたか」という顔して慌ててつり銭を取り替えてきたということもあった。

 
アメリカーノ

私は米国人は好きである。 とくに自国を離れて旅してる米国人はフレンドリーな人が多い感じがする。

しかしラテンアメリカにおいて、地元住民・欧州人旅行者たちからあまりよく思われていないようだ。

 ・ 以前、私の目の前で、ある欧州人が、ある女性に国籍を尋ね、その人が「米国」と答えた瞬間あからさまに嫌な顔をしたことがあった。 かなり失礼に見えた。
 ・ 以前、市場で値段の交渉をし、その値段に対し私が「OK」(OKは外来語としてスペイン語にもなっていると思うのだが)と答えると、「俺は米国が嫌いなんだ、英語を使うな。」と言われたこともあった。


米国人は威張っているイメージが強いらしいのだ。
でも私から見た感じでは、ラテンアメリカを旅している米国人に、威張ったような感じの人は殆どいなかったと思う。
威張ったイメージは『米国政府』のためだろうか。 仮にそうだとしたら個人の性格とは関係ないので気の毒に思えるのだが。


米国人は、地元住民や欧州人旅行者から時々冷たくされる為だろうか、日本人を見つけると積極的に話し掛けてくる。
日本人は親切な人が多いから、米国人が英語で話し掛けてくれば、たとえ下手くそでも英語で答えようとする。 大半の日本人は、ラテンアメリカでは数少ない彼らの理解者なのかもしれない。
 
コリアン・バックパッカー

ここ数年の旅行において、韓国人のバックパッカーに会う機会が増えてきた。
(私が旅を始めた頃は韓国人の旅行者に会うのは皆無だったのに。)

韓国語版の『歩き方』も発行されている。
メキシコで見せてもらった。 日本語版ではメキシコの情報は『メキシコ編』で一冊になっているのに、韓国版は『メキシコ&中米編』になっており、情報がやや少なめなのが可哀想だった。 まだ、日本人と比べればバックパッカーが少ない為であろう。

旅先で出会った韓国人は、皆フレンドリーだった。 日本人と韓国人は顔が近いので第3国では親近感がお互い湧くためであろうか。
それから旅先で出会った韓国人は、何故か日本語の勉強をしたことがある人が多かった。 



ミャンマーで、ある韓国人バックパッカーからこんな話を聞いた。
旅先で「どこから来たのか?」という問いに「コリアから。」と答えると、多くの人が「ノースか、サウスか?」と聞いてくるのだそうだ。
「ノースのバックパッカーなんかいるわけないのに。」とのこと。

さらにミャンマーで、ある変わった一組のカップルと会った。
男性は白人で、女性は日本人と思える人。 二人の会話は日本語だった。
そのため、私はその女性を日本人だと思ったのだが、実は韓国人であった。白人の方ももちろん日本人ではない。(確かアメリカ人だったような気がする。)
なぜ二人の会話が日本語だったかというと、その二人は日本の日本語学校で知り合ったからとのことでだった。
お互い日本語を母国語としない二人の共通言語が日本語っていうのは、変な感じがした。

また、ラオスで出会った韓国人女性は、生まれてはじめての海外が何とそのラオスの一人旅だという変わった人だった。

今後の旅でも今まで以上に、韓国人と会う機会がもっともっと増えそう。
 
キューバン・ガイド


キューバで何度か『日帰りツアー』を申し込んだことがある。
サンティアゴで申し込んだあるツアー・ガイドから「質問があれば言って下さい」と言われたので、いろいろ質問をした。
しかし、いろいろ質問してみたものの、そのガイドからは「それはキューバの国家秘密だから言えません」と何度も言われた。
- なんか、秘密が多すぎる。-
自分の知らないことに対しては「知らない」と言えず、「国家秘密だから」と言って誤魔化しているように思えた。

 
キセル

スロバキアの首都ブラチスラバにて。
ツーリスト・インフォメーションでホテルを紹介してもらった。
紹介してもらったホテルは、トローリー・バスを使わなくてはたどりつけない所にあった。
初めての土地でバスや地下鉄に乗るのはプレッシャーがかかる。 しかもそこは言葉の通じないスロバキア。

ちょっとビビりながら、トローリー・バスに...。
- 乗車券の買い方が判らない。 -
他の人がどうやって乗車券を買っているのか観察してみることにした。
なんと、誰も乗車券を買っていない。
皆、定期券を持っているようだ。

- 買わないことには乗車できない。 -
- どうしようか。 -
- いいや、乗っちゃえ。 -
- 捕まって怒られれてもいいや。 -
- 乗らないとホテルに行けないもん。 -
- それに悪気がある訳ではなく、買い方がわからないだけだもん。 -
- 買い方わからないのは外人だから仕方ないじゃん。 -
- スロバキア語で怒られても、怖くないし。 -
- 悔しかったら、英語で怒ってみ。 -
- 本当に英語で怒られたら、その後でこの街の穴場観光ポイントとか質問しちゃおうかな。 -

トローリー・バスを乗車券ナシで何度も乗ったが、大丈夫だった。
でも乗っているうちに乗車券の買い方がわかってきたので、真面目に買うことにした。


...キセルは犯罪です、やめましょう。

 
博物館の感想ノート

外国の博物館や美術館などでは、たまに出口付近で感想を求められる。
そういった博物館や美術館の訪問客は皆、ノートに感想を書き込んで帰る。
この習慣、私にとっては困りものである。
もともと感想とか意見を書くの苦手だし、外国語で書くのなんか無理に近い。
それなのに、入館料が無料の場合、何か書かないと悪いのではと感じてしまう。
私の場合は大抵、『とても興味を持った』という内容を一言書いて逃げて帰っている。

 
カキエ売り

ミャンマーのバガンでは、外国人旅行者にカキエを強引に売ろうとする者がたくさんいる。
(カキエとは、布に描いた地元の伝統的な絵である。)


カキエ売り「ねえ、見るだけでいいから、カキエ、見て」
私     「興味ないから、見ない」
カキエ売り「ほんの少し見るだけでいいから
私     「でも、絶対買わないよ」
カキエ売り「買わなくてもいいから見て」
私     「じゃ、いいよ。 見るだけだけど」
 - カキエ売りがたくさんのカキエを広げて見せる
 - カキエ売りが絵の説明を始める
 - そして全部のカキエを見せ尽くす
私     「ありがとう。綺麗な絵だね。 それじゃ、バイバイ」
カキエ売り「えっ、買わないの?」
私     「うん、見るだけ。ありがとね、バイバイ」
カキエ売り「いろいろ絵の説明したじゃないか」
私     「うん、こっちも聞いてやったよ、君の為に。」
カキエ売り「安くするから...」
 - 私は自転車を漕ぎ始める
 - カキエ売りは広げたカキエを仕舞わなくては
   ならないので私を追いかけて来れない
私     「でもね、君の絵、綺麗な絵だったよー....」
 - 私はカキエ売りの前から姿を消した。


もっと性質の悪いカキエ売りの話:
私     「すみません、ナガーヨン寺院はこの辺ですかね〜」
 - 私は不覚にも、カキエ売りに道を尋ねてしまった
   カキエ売りだとは、全く気づかなかったのだ
カキエ売り「ナガーヨン寺院はあそこだ」
 - カキエ売りはすぐ近くの寺院を指差した
私     「ありがとう。(こんなとこだったのか)」
 - カキエ売りは私の後を付いてくる
 - 寺院の前に到着
カキエ売り「カキエ買わないか?」
私     「さきほどは有り難う。 でも買わない」
 - カキエ売りはたくさんのカキエを広げて見せる
私     「ごめんなさい。 絵は買わない」
 - 私は、ナガーヨン寺院の位置が地図とちょっと違ってると思った
私     「本当にここはナガーヨン寺院?」
カキエ売り「ナガーヨン寺院だ」
 - カキエ売りは、石に刻まれた文字を指差す。
私     「ナガーヨン寺院って書いてあるの?」
カキエ売り「そうだ」
私     「そんなわけ、ねーだろ」
 - 私は、きちんとはミャンマー語の文字を読めるわけでは
   ないが、ナガーヨンの『ナ』ぐらいはわかる。
 - しかもそのカキエ売りが指差したのは、ミャンマー語の数字であった
 - 私は、その「数字を読めない」カキエ売りに数字を読んで差し上げた
カキエ売り「ナガーヨン寺院だったら、あそこの道をもう少し真っ直ぐ...」

人を騙してでも、商売をしようとするカキエ売りには腹が立つ。
もちろん、真面目できちんとしたカキエ売りもいる。

 
アカ族は黒い

東南アジアに住む山岳民族・アカ族の民族衣装は黒い。
帽子も黒い。 結構派手である。

また、ずっと奥地では上半身をはだけてるアカ族もいた。
女性ですら堂々と胸をさらけだしていたりする。
目のやり場に困る。
...でも頼むから、胸しまってくれよ。そこのおばちゃん!

 
つり銭あるよ

バングラデシュに行けばリキシャ(人力の自転車タクシー)に乗る機会があるだろう。バングラデシュのリキシャは乗車前に運賃の交渉をしておけば、後々もめることは少ない。(噂に聞くインドのものより良心的。)
ただ、隙あらば何とかしてお金をより多くもぎ取ろうとするリキシャが多いのは事実。
「つり銭がない」と言ってつり銭を払ってもらえなかった経験のある人も多いと思う。そんなとき、リキシャ引きの胸ポケットを強引に探って見るのも手だ。リキシャ引きの胸ポケットから小銭が出てくる出てくる。私はこの方法で何度もつり銭を払わせた。







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旅での出来事(ミャンマー特集)


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