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選挙カー 華僑のおばちゃん 犬 乗馬トレッキング レターを読ませる 王家の子孫 ロンジーを穿こう シンガポール航空 |
バングラデシュから ロン・ミエル こんなガイドがいたら 大和撫子伝説 空港第2ビル駅(成田) 言葉通じないのに ある民族の過去 New! 中国の英語 |
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選挙カー バングラデシュの田舎の選挙カーは、リキシャにスピーカーを付けたものだった。 混雑した道を人の歩くスピードで走るものだから、自分と同じ方向に進まれると大迷惑。あの大音響がたまらないので、早歩きをしてそのリキシャを追い越してずっと先に進もうと思っても、混雑した道ではなかなか先に進むことができないのだ。 |
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華僑のおばちゃん 強烈なおばちゃんだった。タイ北部の田舎に住む台湾出身のおばちゃん。食堂で働く店員さん。ちなみにお母さんが大阪にいるらしい。 同じゲストハウスの日本人に連れられて、その食堂へ入る。我々二人がテーブルにつくと、おばちゃんも我々のテーブルに来て座り込む。 おばちゃんが我々に話し掛ける。 何やら解からないことを話しているが、よく聞いてみれば、それは日本語だった。 おばちゃんは話し続けるが、はっきり言っておばちゃんの日本語はよく聞き取れない。しかも、話があっちこっち飛んでしまうこともあって、3〜4割くらいしか話を理解できなかった。 それでも、おばちゃんは話し続ける。話は面白いといえば面白いのだが、おばちゃんの日本語を理解するのは疲れる。 おばちゃんが昔のことを語る。 「...昔、よく男から殴られてたよ。」 (おばちゃん、辛い過去があるんだな。) 「...それからね、若いころ日本に住んでて... そして飲み屋で働いてて... ...... ...その飲み屋はね、コーラ1杯で 30万バーツ、90万円もしたのよ〜。」 (ちょっと待った、それって"ぼったくりバー"じゃないか!) 「...タイに居てもね、毎晩アメリカ人に買われてたの。」 ( .....。 ) とんでもないおばちゃんだったが、今はこの田舎の食堂で真面目に働いている。 だけど、このおばちゃんのこの食堂での存在意味がよくわからない。というのは、注文した料理を作るのは他のおばちゃん。料理を運んできたのも、料理を作ったそのおばちゃん。台湾出身のこのおばちゃんはただ客と話をするだけ。スナックなどのホステスと同じ存在? ちなみにこの食堂は、ごく普通の食堂で、値段や味もゲストハウスのものより安くて美味かった。 |
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イヌ ラテンアメリカやアジアで、むかつくのが『放し飼いの犬』。 見知らぬ人が通ると、ワンワンと吠えつける。 別に吠えるだけなら、五月蝿いだけでそれ程むかつかないのだが、『放し飼いの犬』は集団でこちらへ向かってくる。 そんなの気にせず通り過ぎようとすると、後ろから「がぶっ」。 (て〜め〜、かかってくるんだったら正面から来い!) だいたい、犬はこちらが正面を向いているときはただ吠えるだけ。 先に進もうとして後ろを見せると攻撃開始する。 実際、こちらも蹴飛ばし返したいのだが、地元の人が見ている前では手出ししにくい。 |
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乗馬トレッキング タイで初めて馬に乗った。いや乗っただけならエクアドルでもあったが、長い距離乗ったのはそのタイがはじめてだった。 背の低い馬で、残念ながらエクアドルのときのようなかっこいいのもではなく、歩く速さも人間並み。 馬は私を乗せて、坂道を登り続ける。しかも暑い。 馬はピタッと足を止めた。馬はそうとう参っているようだ。 小柄なタイ人より重いと思えるこのときの私の約70キロの体重は、一年でもっとも暑い4月にはきついのかもしれない。(もっと重いと思える欧米系の人だったら、どうなったのだろう。) 仕方ないから、馬から降りて自分から歩いて登った。 はっきりいって乗馬トレッキングの意味なし。それでも、別に歩くのが嫌で、乗馬トレッキングを選んだのではなく、ただ単に馬に乗ってみたかったからなので、上り坂を歩くことは別に問題ない。それどころか、歩いたほうが気持ちがよかった。 |
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レターを読ませる スリランカでは、自称タクシー(兼ガイド?)によく声をかけられる。彼らは、自分を信用させ仕事を得ようとする。 たとえば... 「悪いんだけど、この日本語読んで英語に訳してくれない?」 「いいけど、何それ?」 「前に日本人の女の子に書いてもらったんだけど、日本語読めないからさあ。」 「しょうがね〜なあ。」 ・・・ 読んでみる ・・・ (だいたい↓こんな内容)
「何て書いてあった?」 「 ・・・・。 」 この女、何者なんだろう。 どのくらいの額のお金をこのタクシー(兼ガイド?)から貰ったのだろう。或いは、良くありがちな『旅行中の日本人女性(○○美)と地元の人(タクシー運転手)のアバンチュール』の末、彼のために一筆書いてやったものなのか。 こんなレターを見せられても、ますます怪しく感じるのが普通だとは思うのだが。 ちなみにこんなタイプのレターをあちこちで何度か見た。 |
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王家(ラジャ)の子孫 むかしむかし、インドもパキスタンもバングラデシュも大英帝国の植民地下にありました。しかしある山地には3つの王国があり、そこに住む民族はある程度自治を認めてもらい、言葉や伝統、習慣などを守りながら代々暮らしてきました。 ネーリはその一部族の王家の子孫。ネーリのお爺さんが最後の王だった。 現在ネーリの仕事は女性の権利を守る会のようなかたちで活動をしている。ネーリは自分たちの民族の女性だけでなくベンガル人なども含む国全体の女性の権利を社会に認めさせるように頑張っている。 またネーリは兄弟と一緒に3人でホテルの経営も行なっている。 ネーリは言う。「私たちは王家の子孫。だから普通の企業で人の下で働くことはできないの。だからホテルの経営という仕事をはじめたのよ。」 なんだか気の毒な気もする。お爺さんの代まで王家だったので、そのプライドはなかなか消すことはできないようだ。にもかかわらず、客商売であるホテルの仕事において、心を尽くした接客に一生懸命頑張っているようである。 |
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ロンジーを穿こう ロンジーとはミャンマーの腰巻。男女とも着用する。(厳密には女性用のロンジーは別の名前があるようなのだが忘れた。) 通常、ロンジーの下にはパンツを穿かないようなのだが、穿く人も増えてきたらしい。 当然、外国人である私はロンジーの下にはパンツを穿いている。穿かない方が涼しいのだけど、私には絶対必要である。 まだまだロンジーに慣れてなかった頃、ロンジーは穿くとすぐに脱げてしまったものだ。市場の人ごみの中で、見事に脱げて、山岳民族の女の子達に笑われたこともあった。あのときはパンツ穿いてて良かった! ---ここまでが『ミャンマーでの出来事』で紹介した話(ダブってました)--- さて、あるタイのミャンマー国境近くの町(ミャンマー人がたくさん住んでいる)でのこと。 夜、ビールを買おうとホテルのフロントへ行った。 ホテル内だからということで、ロンジーを穿いたままだった。しかも風呂上りということもあったので、特にロンジーの下には何も穿いていなかった。 ロンジーにはかなり慣れてきていたので脱げない自身はあったのだった。 「ねえ、ここビール売ってる?買いたいんだけど。」 「ここにはビール無いわよ。水かソフトドリンクだけ。」 仕方ないから近くのコンビニまで行くこととなった。 - 部屋に帰って、いったん下にパンツ穿いてから行こうかな。 - でも部屋に帰るのは面倒くさかった。 そのままホテルをでた。 そして、セブンイレブンの中に入る。人がたくさんいる。ロンジーはしっかりと穿けているものの、ノーパンなので何か緊張があった。 ロンジー&ノーパンはやっぱりちょっと恥ずかしいと、そのときになって感じてしまった。 ちょっとした冒険だった。 こんなこと日本人女性には出来はしまい。 そうそう、日本人女性といえば....このロンジー話は後日。 |
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シンガポール航空(SQ) シンガポール航空の客寄せとして『お土産』がある。我々エコノミー席の人にも配ってくれる。 私が今まで貰ったお土産: 『トランプ』 『くつ下(歯磨きセットつき)』 トランプは、SQのロゴ入り。だけどごく普通のトランプ。 貰って嬉しかったかというと、貰えないよりはずっと嬉しい。 それが何か役に立ったことがあるかというと、まだ貰ったきり使ったことはない。 くつ下&歯磨きセットは、くつ下の色が赤または青のもの。かかと部分が折れ曲がっている訳ではなく真っ直ぐ伸びているもの。つまりどちらが足のふくらはぎ側でどちらがスネ側か判らないタイプ。履いて外出しようとはとても思えないもの。さらに、なぜ歯磨きセットも付いているのか、その組み合わせが謎である。 貰って嬉しかったかというと、貰えないよりは一寸だけ嬉しいと思った。 それが何か役に立ったことがあるかというと、大いに役立っている。歯磨きセットは旅先で使ったし、くつ下も生地が厚くて冬に夜寝るとき履けば暖かく寝られる。貰ってすっごい良かったと後々思った。またそのくつ下のかっこ悪さがとてもいい。決して皮肉ではなく、そのかっこ悪さは味があってとても気に入っている。 さらなる面白いお土産を期待したい。 |
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バングラデシュからやってきた バングラデシュから帰国したあとの話ではあるが。 バックパックの付近を歩いている生き物を発見。 人の小指ほどの体長を持つ黒い生物。ゴキブリだ。 でもそのゴキブリ、ちょっと変。普通のゴキブリと違って、妙に厚み(腹部-背部)があるし、動きに品があるというか、のんびりしている。 そう、ここ日本のゴキブリではない。バングラデシュでよく見たあの間抜けなゴキブリだ。 どうしてあっちのゴキはあんなに動くのがノロいのだろう。暑くて、人から逃げるのも面倒なのか。いやいや、暑くて退治するのが面倒だからと誰からも攻撃されず、天敵ナシの生活に甘んじて来たためだろうか。(?) それにしてもいつの間に私のバックパックに忍び込んだのか。ホテルからなのか、空港からか。そんなことより、外の環境からやってきた生物というものは、(ここ |
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ロン・ミエル 酒類はそれほど好きではなかった頃の話。 初めてキューバへ行ったとき、帰りに空港で『ロン・ミエル』というお酒を買った。 ちなみにロンとはラム酒、ミエルとは蜂蜜のこと。とても甘い味がするお酒。 当時、ストレートでラム酒を飲むことなどまったく出来なかった私は、何かで割らなくては飲めなかった。 ///ラム酒を何で割るか/// 1.まずは、定番のコーラで割ってみる。 甘過ぎ! ただでさえ蜂蜜(ミエル)入りで甘いのに、コーラで割ったら甘くなり過ぎて気持ち悪くなった。 2.それならばと、若干甘味の薄いダイエットコークで割ってみる。 それでもやっぱり甘過ぎだった。ただ、気のせいか少しは良くなったかもしれない。 3.次は、駄目もとで、はちみつレモン。 結果は同じ。ラム酒(ロン)にレモンの風味をつけてダイキリに近づけようと思ったが、甘過ぎて飲む気がしない。 これまでの中では、ダイエットコークが最も適しているように思えた。 しかし満足なレベルじゃないので、甘くないものを更に考えてみた。...牛乳? 4.試しにちょっとだけ牛乳を。 あれっ、なんか美味い。甘さが程よくてジュース感覚で飲める。 ということでそれ以降はずっと牛乳で割って飲んだ。 ///二度目のキューバ旅行で/// 街中ではロン・ミエルは全く見ることができなかった。もしかしてロン・ミエルというのは一般的なものではないのかもしれない。そう思った。 そんなとき、たまたま入ったBarでのこと。 そのBarはミツバチをイメージした店。ミツバチや蜂の巣など(作り物)の飾りが店内に取り付けられている。 もしかして...。カウンターの席に座り、メニューを見る。しかし、ロン・ミエルは記載されていなかった。 それでも、すっとぼけて注文してみた。 「ロン・ミエルをお願い。」 「ロン(ラム酒)・ミエル(蜂蜜)? 了解。」 無いって言われるかと思った。やっぱり存在するんだ。 注文してからだいぶ時間が経っている。 店の人が私に言う。 「ちょっと時間が掛かるようなんですが、しばらく待っててください。」 「は〜い。」 かなり待った後で、やっと注文したロン・ミエルを持って来てくれた。 グラスをみると、蜂蜜がラム酒に溶けきってない。 店の人は言う。 「これ以上は溶けないようです。」 「....。」 飲んでみる。少なくともあのときのロン・ミエルとは別物。 きっと店の人がもしかしたらできるかもしれないんじゃないかと思って、試しに作ってみただけなのだろう。店の人もこれで蜂蜜はラム酒に溶けにくいことがはじめてわかった筈だ。私もわかった。 結局、失敗。 私が首を長くして待ってる間、ずっとグラスの中をかき混ぜてくれていたのだろう。美味しかったかどうかは別として、一生懸命作ってくれたお店の人に感謝。 |
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もしもこんなガイドがいたら もしもこんなガイドがいたら嫌だ。 犬を怖がる: 山岳少数民族の住む集落に行くとしよう。 集落の細い通り道で犬が吠え立てる。 ガイドは怖がり、それ以上先に進めない。 あ〜あ、なにグズグズしてんだか!とイライラしてしまう。 やたら写真に写りたがる: たくさんの山岳少数民族の写真を撮りたいと思ったとする。 民族によっては、なかなか写真を撮らせてくれないこともある。何とか了承を得て、いざシャッターを切ろうとする。するとガイドが割り込み一緒に写ろうとするのである。しかたないから一枚写真を撮り、今度はガイドが写らない状態でもう一度写真を撮らせて欲しいと頼む。しかし二度も嫌だと断られる。ああ、ガイドが割り込んでこなければ貴重な写真が撮れたのに! 道を間違える: ....暑いのに。 バングラデシュのスリモンゴルでガイドを雇って山岳少数民族の集落へ行ったときの話。こんなガイドに実際に出会ったのだった。 el25/05/2006
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大和撫子 in Bangladesh ある男が話した。 『今までに仲良くなったジャパニーズ・ガールが3人かいるんだ。 でもジャパニーズ・ガールは身持ちが堅いよな〜。 3人うちの1人とはベッドまでこぎつけたんだけど、あとの2人は駄目だった...。 ヨーロピアン・ガールは余裕だぞ。 ○○人や××人、△△人....(→いちいち国名覚えてない)のガールは、云々。』 なんて男だ。 それにしても、今まで日本人女性旅行者について海外で少々オープンになりすぎになるなんてことを聞いたことがあったけど、本当はそんなことないんだぁ〜とちょっと思ったのでした。 el25/05/2006
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京成線・空港第2ビル駅(成田) 帰国時に京成線の特急で上野・日暮里方面へ帰る際のちょっとした隠れ技。 特急・上野行きをホームで待っているとする。 そのとき特急・上野行きが来たらそのまま乗ればいいが、逆方向の成田空港駅行き(すなわち第1ターミナル方向)が来たら、それに乗るべき。 そこで座れる席を確保するのだ。実はその列車が終点で折り返して最も早く上野・日暮里方面へ行く特急になる。 但し、ときどき特急・西馬込行きになってしまう。その場合は青砥駅で各停列車に乗り換え。 el07/09/2006
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言葉通じないのに メキシコをはじめラテンアメリカ(の西語圏)を旅行すると、気さくな地元の人たちに話し掛けられることが多々ある。 彼らはこちらが西語を解せようがなかろうがお構いなし。きっと必死に話せば解ると信じ込んでるかの如く。 旅行者が西語が解らないとハッキリ伝えても、彼らの西語攻撃(?)は止むことがない。 中国もそうだった(....といっても旅行したのは殆ど雲南の徳宏州のみ)。 「私は日本人です。中国語話せません。」と何度言っても大抵効き目なし。 でも、こちらが現地の言葉がわからなくても諦めずにコミュニケーションを取ろうとしてくれる姿勢は大感謝。こういう人たちが居るから旅行がしやすくなるし楽しくなる。 ただ困ったのは旅行社ガイド攻撃。 こちらが、言葉が通じないからガイド要らないと言っても、なかなか諦めてくれない。 →たまたま発見した撃退(?)方法。(in 雲南省徳宏州) まずガイド勧誘の人が名刺を持って話し掛けてくる。実はそのとき着てたTシャツがミャンマー語の文字の入ったもの。私はTシャツに指を置く。彼らは「緬甸!」と言ってあっさりと引きさがる。2度目、3度目....何度やっても成功。 この威力には驚いた。 el10/09/2006
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ある民族の過去 バングラデシュの首都・ダッカに独立戦争博物館がある。当時東パキスタンと呼ばれていたバングラデシュが、民族のアイデンティティーを守るため西パキスタン(現在のパキスタン)と戦い独立を勝ちとった歴史の資料が展示されている。 数々の死体の写真。 家や両親を失ったのかコンクリートの土管で生活している子供たちの写真。 そしてイスラム圏でこのような写真を展示してよいのか、上半身はだけた美しい女性の写真。パキスタン軍に捕らえられ暴行を受けたあとに殺されたのだという...。 凄愴な過去の歴史である。 しかしこれら写真の惨憺たる光景は、バングラデシュにおいて過去の歴史のものだけではない。 国の東南部・チッタゴン丘陵地帯(CHT)では似たような事件が起きている。 パキスタン人-ベンガル人の関係が、ベンガル人-ジュマ民族に置き換わるが。 暴力で強引にジュマ民族を同化政策で圧迫し、ジュマ民族に対する殺戮・放火・略奪・暴行といった事件を起こさせた政府関係者に、ここに展示された写真を一枚一枚じっくり見て欲しいと思った。 el17/09/2006
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中国(雲南省)の英語 短い中国旅行の中で感じたのだが、中国は英語が実に通じにくい。 バングラデシュ、タイ、ビルマ以上に英語が通じにくいのではなかろうか。 例えばホテルでのこと。 泊まった宿では部屋にテレビ、シャワーからはお湯。 バックパッカーにとっては高級感のあるホテルであった。 そんなホテルでもチェックインのとき、ホテルスタッフがパスポートを確認した。 すると、ホテルスタッフから質問を受ける。 『これ何?』 生年月日の欄の記載されていた言葉である。 その言葉は"SEP"。 英語のSeptemberを知らないのか? 或いは省略してSEPになっていたから判らなかったのか? とにかく凄いと思った。 ところで、ホテルではパスポートのチェックの最初の頁のみで、入国等の頁のチェックはなかった。ということは、仮にミャンマーから旅行者が密入国で入ってきたとしても宿泊できる可能性もあるということだ。でも悪いことだから絶対ダメ。 逆に、ミャンマーはVISA番号などチェックが厳しいから、仮に中国から密入国してきてもホテル等には宿泊できないだろう。 el02/06/2007
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