まずは萩。萩といえば松陰神社の中にある 松下村塾です。ここで高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文たち維新の立役者が育っていきました。彼等の師、吉田松陰を祀る松陰神社の境内には歴史館や松陰幽囚の旧宅もあります。  
     
 松陰神社(工事中だったのは残念です) 吉田松陰幽囚の旧宅  講義室 
     
 すぐ近くには伊藤博文の旧宅や別邸もあります 伊藤博文旧宅。木造茅葺平屋建てのこの家で14歳から13年間を過ごしました。  
     
 伊藤博文別邸。明治40年(1904年)に東京の大井村に建てられた別邸の玄関、大広間、離れの三棟が移築されています。  
     
 東光寺。大照院と並ぶ長州藩毛利家の菩提寺で、奇数代藩主と夫人の墓所があり、藩士が奉納した石灯籠が500基も並んで立っています。  三門や総門、鐘楼と大雄宝殿は国の重要文化財に指定されています。  円政寺。高杉晋作や伊藤博文が幼少時に学んだ寺院で、彼等が遊んだ神馬などが残されています。
     
萩城城下町。タイムスリップしたような街並み。ここに幕末の志士たちの暮らしがありました。   木戸孝允(たかよし)旧宅。孝允の生家で、生まれた当時の部屋や庭園が残されています。
     
 菊屋家住宅。萩藩きっての豪商、菊屋の邸宅。約2000坪の敷地があるそうですが、公開されているのはその一部、主屋と蔵、庭園を見ることができます。珍しい民具や美術品も。  高杉晋作旧宅。生家の約半分が現存し、産湯に使われた井戸も残されています。 
     
萩から南へ下って 秋芳洞(あきよしどう)へ  秋芳洞入り口。秋吉台の地下約100mの地底に広がる鍾乳洞で、雨水が地下水脈となって流れ出しています。何といっても日本最大級のものですから総延長は10km近くにもなるそうですが、公開しているのはその一部。最大幅120m、高さは40mに達するところもあるそうです。 
     
 傘づくし。天井から垂れ下がる鍾乳石が傘の柄のように見えるところからこの名がついたとか。  黄金柱(こがねばしら)。高さ15m、幅4mの大石灰華柱で、かつては滝だったと想像されます。 百枚皿。斜面を流れる水が石灰成分を沈澱させてできた石灰華段丘。数は500枚を超えます。 
     
 3億年前には海だったといわれる秋吉台。日本最大のカルスト台地です。地下にたくさんの鍾乳洞があり、秋芳洞は東洋一ともいわれますが、他にも大正洞、景清洞など。  秋吉台のお手軽散歩コース若竹山 
     
 秋吉台を縦走する カルストロード。石灰岩の野原をカレンフェルトと呼ぶそうですが、若草の頃は緑と白のコントラストが綺麗でしょうね。  大正洞。「牛隠しの洞」とも呼ばれるこの洞窟は、高天原2層と極楽・地獄・奈落の合わせて5層が竪穴でつながる立体的な石灰洞です。  景清洞。平家の武将・平景清が壇ノ浦の戦いに敗れた後潜んでいたと伝えられる洞窟で、サンゴや海藻などの化石も多く見られます。 
     
 下関です。ライトアップされた海峡ゆめタワー。 地上143mの展望室から見る夜景   左が日本最古の現役郵便局舎・下関南部町郵便局。明治33年の建築だそうで、歴史を感じますね。右が旧秋田商会ビル。 
     
 朝! もう少し晴れて欲しかったですね。  海辺に細長く広がるみもすそ川公園。壇ノ浦古戦場や関門橋を一望できます。園内には源義経と平知盛(とももり)像や二位尼(にいのあま)辞世の歌碑が立っています。長州砲のレプリカも。 
     
 赤間神宮。安徳天皇を祀る神社です。水天門はまるで龍宮城のよう。海底の都ですね。  平家一門の墓(七盛塚)。境内には安徳天皇阿弥陀寺御陵や宝物殿もあります。   七盛塚の隣には「耳なし芳一」の木像が安置されている芳一堂も。 
     
 武家屋敷や練塀が続く長府の城下町  功山寺。元治元年に高杉晋作が功山寺挙兵(回天義挙)を行った場所として知られています。  長府藩毛利家の菩提寺でもあり、仏殿は鎌倉期の禅宗様式として国宝に指定されています。 
     
 こちらは長府の毛利邸。明治36年に第14代当主元敏(もととし)が建てた邸宅で、滝のある池泉回遊式庭園や立石を中心にした枯山水庭園、苔と飛び石の配置の妙が楽しめる書院庭園などが見られます。明治天皇が宿泊された部屋の一部も公開されています。  
     
 関門海峡を渡って、門司港レトロ地区にある旧門司三井倶楽部へ。三井物産の社交クラブとして誕生し、迎賓館的役割を果たしました。アインシュタイン博士夫妻も宿泊したそうです。   旧大阪商船。貿易の拠点のひとつとして、1階は航路の待合室として使われました。オレンジ色のタイルやアーチ型の窓が美しいですね。大正6年に建てられたものです。   高いビルは門司港レトロ展望室。一般住居用高層マンションの31階にあって、レトロ地区や関門海峡が一望できます。黒川紀章の設計とか。 
     
 下関へ戻って、今度は巌流島へ  もちろん、慶長17年(1612年)に武蔵と小次郎の決闘が行われたところです。正式名称船島。   武蔵が島に渡った船を再現したもので、もとは山陰で使われていた伝馬船だそうです。
     
 宮本武蔵と佐々木小次郎の像。まさに決闘の瞬間という臨場感を感じますね。  下関にある火の山公園からの眺望。歴史を思うと、感慨深いものがあります。

2013年11月記

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