「学問の自由と大学の自治」を破壊する「全員任期制」 永岑三千輝氏(横浜市立大学教員組合委員長)大学改革日誌(2007.3.20)

 

http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/SaishinNisshi2007/SaishinNisshi.htm

 

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資料

『部外秘資料』が語る,横浜市立大学の"独裁官僚"と似非民主制(2003.1.28) 

不純な動機:横浜市大“改革”の「ルサンチマン説」 

「全員任期制」の強要などという、戦前の大学弾圧の一時期にさえ見られなかったような横浜市当局の“暴挙”は、下記の池田輝政総務部長(当時)の“暴言”に象徴される横浜市官僚(および、大学行政を彼らに丸投げ・承認した中田宏横浜市長)の「学問の自由と大学の自治」に対する無知・無理解、および、大学教員敵視の“怨念”に由来する。

また、「学問の自由と大学の自治」の憲法理念に背反する「全員任期制」を、“人事制度の根幹”として“今後も堅持していく”という横浜市当局の“方針”では、教員組合が希望するような“合理的・合法的で納得のいく制度の提案”など出てくるはずもなく、このままでは、非協力的な教員に対しては“処遇面、教育支援方法等での差をつけます”とあるように、不利益待遇をちらつかせての卑劣な恫喝が今後も続くのではないか。このような当局のやり方に対しては憤りを禁じえないが、永岑三千輝委員長の基本的立場、すなわち、“大学自治の原則に基づいているかどうか、したがって、「学問の自由」を保障する制度設計になっているかどうか、それが決定的に重要である”という視点から、教員組合は断固たる態度でねばり強く交渉することを期待する。

 

池田輝政総務部長(当時)の“暴言”(ほんの“さわり”)

・教員は商品だ。商品が運営に口だして、商品の一部を運営のために時間を割くことは果たして教員のため、大学のためになるのか。

・教授会がごちゃごちゃいわなければ、すんなり決まる。その辺をはっきりするということだ。

・人事を誰が握るかですべてが決まる。私立の理事会のように、決めたものを拒否できるシステムを作るべきであろう。

・教員は横浜市に雇われているという意識がない。設置者がつくった制度を知らないで議論している。権限の構造がどうなっているかを教員は知らなければいけない。

・大学教員はパーマネントで、教員を管理している人が誰もいない。そういうものを作らない限り、よくやっている人が馬鹿を見ることにもなると思う。

(ホームページ管理人)

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3月20日 任期制に関する法人(経営)当局の最新の態度は、昨年12月末の新給与体系説明冒頭に置かれた副理事長文書にある。

それによれば、まず次のように言う。

 

任期制は法人化と大学存続に当たって対外的に約束してきたことであり、今後も堅持していく方針であり、人事諸制度の根幹としていくことに変わりありません。」

 

    それでは、その「任期制」とは、何なのか?

 

大学存続を打ち出したのは「あり方懇」答申における一つの選択肢としてであったが、その段階では、大学教員の任期に関する法律はあっても、きわめて限定的なものであり、決して全員にたいする任期制を容認するものではなかった。

 

          法人化直前の段階には、労基法14条改正が行われ、それによって、有期契約の条項ができ、「全員任期制」という方針を適用できるものとして利用された。しかし、その労基法改正は、大学のような組織全体の中心的に担い手全員を有期契約にすることを促進するためのものではなく、対象はあくまでも例外的なものであった。そのような、本来大学教員の全体に適用するようなものとして改正されたものではない法律条項をしゃにむに適用しようとした。

 

そうした無理は、就業規則の意味不明の継ぎ合わせの条項(一方で大学教員任期法を「精神」として掲げ、他方で労基法を適用しようとする条項)として、現在も残っている。

 

つまり、「任期制」ということの内容が、法人サイドにおいては明確に定式化されていなかったし、現在も定式化されていない、という状況にあると考える。

 

そのような状況であるから、教員組合は、弱い立場の個々の教員(教員は一人一人の立場に立てばきわめて弱い存在である)を守る見地から、また教育公務員特例法時代からの身分継承の論理から、全員一律の有期契約強制に反対し続けている。合理的合法的で納得のいく制度の提案であれば、教員組合は交渉の場に着く、ということになろう。

 

つぎに、

 

       「任期制同意者、非同意者については、今回の給与制度の見直しに伴い、処遇面、教育支援方法等での差をつけます。その内容については、今後何らかの形でお示しします。」としている。

 

「任期制」の明確な制度設計が示されていない段階で、「処遇面」での差別がどうして可能なのか、それは、「今後、何らかの形で」示されるという。

この文章が意味することは何か?

教員組合が一貫して反対してきたことの正当性を証明するものである。これまで、明確なことが示されてこなかったことを明らかにしているからである。

いまだ、任期制と非任期制の差に関して、明確な概念規定、基準、求められることの違いなど、制度設計の内容がはっきりしていないことをこの文章は示しているからである。

 

まさに、そのような不明確な内容の制度を、無理やり押し付けようとしてきた態度、内容は不明確なままで、「法人化と大学存続に当たって」同意させようとしてきたこと、これに教員組合は一貫して反対してきたのである。

弱い立場にあって、非常に不安な教員たちは、身の処し方に関して、教員組合に委任状を提出して、集団として身を守るしかなかった。

 

そして、弱い立場の教員の結集する教員組合の態度は、「大学像」を検討する段階で、商学部教授会をはじめとする教授会決議等で主張されたことを継承するものであった。

 

法人・経営サイドの「任期制」の制度設計がいまだ不明確であり、大学自治・学問の自由を脅かす危険性を持つことは、次の文章からも明らかである。

 

「皆様からご質問の多い、再任時の基準ですが、教育・研究内容について改善が困難で、社会貢献や組織運営にもあまり協力が得られないなど、本学の教員としての能力と意欲が達していない方以外は再任可とします。もちろん、改善の働きかけにより、改善される見通しがつけば、再任することはやぶさかではありません」と。

 

       この文章を表面的に読むと、なんの問題もないかのように見えるしかし、

 

        「教育・研究内容について改善が困難で、社会貢献や組織運営にもあまり協力が得られないなど、本学の教員としての能力と意欲が達していない方」というが、誰が、どのような機関(どのようにして選ばれた人々・組織)が、どのような基準で判断・判定するのか?

 

       「大学自治・学問の自由」の憲法的要請からすれば、まさに、その判断主体・判断機関が、大学自治の原則に基づいているかどうか、したがって、「学問の自由」を保障する制度設計になっているかどうか、それが決定的に重要である。

 

現在の学則、現在提案されている教員評価制度は、大学自治の原則、学問の自由の原則をきちんと守ったものなのか?

 

たとえば、今回の教員評価制度の提案において、第一次評価者や第二次評価者となっているもの、そして学長などは、大学自治の原則によって選ばれたものか? 

評価される教員たちの管理職に対する評価は、可能となっているか? 選挙制度であれば、信任しないものは白票なり、別の候補者なりに票を投じて意思を表明できるが、それはあるか? 不信任決議の制度などはあるか?

 

第一次評価者や第二次評価者は、管理職として任命されたものだが、多岐に渡る研究教育分野の個々の教員の学問内容を評価する能力を身に着けているのか?

 

人事権・任命権を持つものが、予算も掌握する行政当局であり、その行政当局によりに任命されたものであるとすれば、自治は存在しないと同じである。その根本問題が、ここに関わってくる。

 

大学教員が、「上から」、「外から」任命されたものによって人事・予算を握られた場合、教員たちは自治能力欠如とみなされているわけで、そうした見下された人間が「意欲」を失うのは当然ではないか?

 

自治の担い手としての権限(したがって責任)を与えられないで、自治の担い手たりうるか?

 

地方自治を例にとれば、市長や県知事が国家による上からの任命制であった場合、すなわち、市民や県民が自治の担い手としては権利・権限と責任を失っていれば、それは地方自治破壊というのではないのか?

 

現在、任期制非同意となっている方の中には、評価制度がどうなるかわからない、将来支給される給料額がどうなるか不安で応じられないという考えの人もいると聞いておりますが、これまでに評価制度の大枠を示しておりますので、今回の給与制度の提案とあわせて、早い時期に新たに同意についての確認を行ってまいります」と。

 

       ここでも、任期制非同意者の態度が、正当であったことが証明されている。

すなわち、「評価制度の大枠」は、やっと提示されたばかりであり、法人化の段階や「大学の存続」が問題になる時点では、その大枠すらはっきりしなかったのである。

まさに、「現在」、やっと、「評価制度の大枠」を、昨年の9月以降の「試行」を踏まえて(?)、検討しようという段階に差し掛かったばかりである。

 

この間、教員組合は、昨年11月の団体交渉において、9月に「大枠」が示された教員評価制度()に関しても、さまざまの根本的な問題点を指摘し、当局と団体交渉記録の確定をめぐって折衝を続けてきたところである。

 

目標の設定は誰が、どのように、その説明責任は?

評価の主体は?

 

こうした不安・不明確な段階で、「任期」への同意を求められても応じられないのは、とりわけ、幾多の悲劇的な事例を見ている教員には、また、とりわけ文化観、社会観、歴史観、価値観等の多様性と相互の対立を内包する文科系諸分野の教員には、当然のこととなる。(本日の「全国国公私立大学の事件情報」にも、産業能率大学の不当解雇問題が掲載されている。)

 

本日、八景キャンパスにおいて、第一回目の教員評価制度の説明会が開催される。他のキャンパスではすでに2回ずつ、説明会が終わっている。

 

一般教員はどのような質問・疑問を出すのか?

教員組合が団体交渉で出していたような疑問を提出することになるのかどうか。

 

教員組合の求めにより、当初は本日一回しか設定されていなかった八景キャンパスでも、27日に2度目の説明会が開催される。八景キャンパスの教員は、いずれかの説明会に必ず出席し、質問を具体的にし、その場でできなくても、当局へ、そして組合へ、意見・疑問を寄せられることを期待したい。