「学問の自由と大学の自治」は、なぜ大切なのか?


野田 正彰 国立大法人化という詐術  「信濃毎日新聞」今日の視角(2002.6.14 ) より
 大学は何のためにあるのか。・・・真理の追究こそが近現代の大学の目的である。高等教育は、真理の追究の過程に触れることによって成り立つ。そして真理の追究のひとつに、社会の病理を研究し、虚偽を批判する仕事がある。これは近現代の大学が持つ最も重要な機能である。政治や経済や教育が、時の政治権力によって誤った一方向に流れるとき、その歪みを映す鏡の役割が大学に求められている。・・・

山口二郎(北海道大学教授) 都立大・短大教職組『意見広告』(2004.2.17)より
石原慎太郎東京都知事『定例記者会見』(2004.2.20)より)
  なぜ学問の自由と大学の自立が必要なのでしょうか。それは、世の中のありように対する批判的な分析と提言が、為政者を含む社会全体の健康にとって不可欠だからです。
  為政者の都合で大学を引きずり回し、為政者好みの学者に、為政者好みの研究をさせると、世の中全体がどうなるかは、すでに滅び去った社会主義国家や戦前の日本を見れば明らかです。我々にとって、都立大学の権力的改変は、決して他人事ではないのです。

国立大学法人化と教育基本法第10条 伊ケ崎暁生(元富山国際大学教授・教育学)(2002.12.23) より
 教育基本法第10条(教育行政) 「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるぺきものである。(2) 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。」
 1947年3月制定された教育基本法は、戦前の国家主義的教育の反省のうえにつくられたものです。すなわち教育制度及び教育行政が著しく中央集権化され、強度の官僚統制のもとで、教育の自主性が尊重されず、学問研究の自由が不当に束縛されていたことへの反省と教訓から導き出され、教育の本質と原理に沿って制定されました。・・・

学問の自由、 『憲法』(第三版) 芦部信喜(岩波書店、2002年)より抜粋(2006.11.20) より
 憲法二三条は、「学問の自由は、これを保障する」と定める。・・・一九三三年の滝川事件・・・や三五年の天皇機関説事件などのように、学問の自由ないしは学説の内容が、直接に国家権力によって侵害された歴史を踏まえて、とくに規定されたものである。
 学問の自由の保障は、個人の人権としての学問の自由のみならず、とくに大学における学問の自由を保障することを趣旨としたものであり、それを担保するための「大学の自治」の保障をも含んでいる。・・・
 学問の自由の中心は、真理の発見・探究を目的とする研究の自由である。それは、内面的精神活動の自由であり、思想の自由の一部を構成する。・・・
 憲法二三条は、まず第一に、国家権力が、学問研究、研究発表、学説内容などの学問的活動とその成果について、それを弾圧し、あるいは禁止することは許されないことを意味する。・・・時の政府の政策に適合しないからといって、戦前の天皇機関説事件の場合のように、学問研究への政府の干渉は絶対に許されてはならない。・・・
 第二に、憲法二三条は、学問の自由の実質的裏づけとして、教育機関において学問に従事する研究者に職務上の独立を認め、その身分を保障することを意味する。すなわち、教育内容のみならず、教育行政もまた政治的干渉から保護されなければならない。この意味において、教育の自主・独立について定める教育基本法(一〇条参照)はとくに重要な意味をもつ。・・・
 学問研究の自主性の要請は、とくに大学について、「大学の自治」を認めることになる。・・・それは、学問の自由の保障の中に当然のコロラリーとして含まれており、いわゆる「制度的保障」の一つと言うこともできる。
 大学の自治の内容としてとくに重要なものは、学長・教授その他の研究者の人事の自治と、施設・学生の管理の自治の二つである。ほかに、近時、予算管理の自治(財政自治権)をも自治の内容として重視する説が有力である。・・・
 学長・教授その他の研究者の人事は、大学の自主的判断に基づいてなされなければならない。政府ないし文部省による大学の人事への干渉は許されない。・・・
 大学の施設および学生の管理もまた、大学の自主的判断に基づいてなされなければならない。・・・

「学問の自由と大学の自治の危機問題」(旧サイト)より複製

■日本国憲法第23条(学問の自由) 
 学問の自由は、これを保障する。

■教育基本法第10条(教育行政) 
 @教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。A教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

■ユネスコ高等教育に関する世界会議(1998-10-9、パリ)、『21世紀の高等教育に向けての世界宣言:展望と行動』第2条(e)
 一組の権利と義務として理解された自由と自律性を完全に享受する一方、社会に対し完全に責任を持ち、その活動を説明できなければならない。第9条(b)高等教育機関は広い知識と深い意欲を備えた市民を育成しなければならない。それは、批判的思考力を持ち、社会の様々な問題を分析してその解決をはかり、社会に対する責任を担うような人物でなければならない。

■堀尾輝久『いま、教育基本法を読む』(岩波書店 2002) より 
 私は、学問の自由と教育の自由を共通に支える基盤が、国民一人ひとりの探求の自由であり、精神の自由であり、知る権利であって、その中に、教育の自由も学問の自由も位置づけられると考えています。
 「学問の自由」自体も、それが国民の人権規定の一つであり、大学人の特権的自由ではないことは、憲法上の構成を見れば明らかなことです。「学問の自由」は国民の真理・真実を学び知る権利と一体のものであり、「学問のすすめ」の呼びかけはすべての人間に向けられているのです。・・・

■堀尾輝久『現代社会と教育』(岩波書店 1997) より 
 私たちは主権者にふさわしい「政治的教養」を身につけるとともに、「文化的教養」を高め、労働と文化と政治の主人公となるための学習を不断に続けていかねばならない。私たちは情報に接近するだけでなく、情報がつくられるからくり、情報の流通の仕方、情報管理の仕組みについても知る権利をもっている。「知」の一部のものの独占を排し、知を「民衆(デモス)の力(クラートス)」とすることによって民衆は政治の主人、文化創造の主体となりえよう。生涯を通しての学習権の主体的行使なくして民主主義(デモスクラートス)はありえないのである。・・・

■家永三郎『学問の自由・大学自治論』(家永三郎集第10巻、岩波書店、1998年) より 
 戦前よりもかえってプレステージの低落した戦後の大学が、・・・局部的にしばしば自治を侵害されながらも、いまだ滝川事件のような正面からの直接侵害を経験することなしに今日にいたったのは、戦後の大学が、戦前と違い、明確な成文法によって戦前には与えられていなかった大幅の自治を公認されているためであると思う。その成文法とは何かといえば、それは第一に憲法二十三条の規定であり、第二には学校教育法と教育公務員特例法である。・・・

■伊ヶ崎暁生『学問の自由と大学の自治』(三省堂,2001年) より 
 学問の自由とは、真理探究の自由であり、学問的知的研究活動の自由であって、学問的見解の自由、その発表・表現の自由、学問的見解を教育することの自由が含まれる。・・・大学の自治とは、大学が政治上・宗教上・行政上その他の権力または勢力の干渉を排して、大学構成員の意志に基づいて研究と教育の自由を行使することである。それは真理の探究を使命とする大学を大学たらしめ、学問の自由が機関としてとった形態であり、学問の自由を保障するための制度的慣行といえよう。大学自治の内容には、大学の学長・教授その他の研究者の選任にあたっての自主性、研究や教育内容の自主性、大学施設や学生の管理の自主性が含まれる。・・・

2005.9.24作成)