“擦り寄り”の見返り


“擦り寄り”の見返り ―“欺瞞の塊り”「プロジェクトR」(2003.8.15)より から抜粋
 小川氏は、「市長改学宣言03-5-7」に呼応して、全学的な抗議の動きを完全無視した形で、“独立行政法人化は大学運営の自由度が増すと思う。サイレントマジョリティー(声なき多数派)をまとめて市大を再生させたい”(神奈川新聞03-5-8付)と記者発表している。
 同様に、「(プロジェクトR)幹事会」委員の小島謙一理学部教授も(布施 勉国際文化学部教授・馬来国弼理学部長と共に)、“「あり方懇答申」も私たちが模索してきた改革方針とほぼ一致している。改革へのサイレント(沈黙)のマジョリティー(多数派)であってはならない”(神奈川新聞03-5-9付)などと記者発表している。全学的な抗議の高まりにもかかわらず、なお、サイレントマジョリティーを結集すると強弁する態度は、白を黒と言いくるめる態度そのものであり、真理の探究を旨とする大学人の対極にある態度と言わざるを得ない。
 そもそも、「学問の自由」と「大学の自治」が、日本国憲法・教育基本法・学校教育法・教育公務員特例法等の法制度により幾重にも保障されるに到ったのも、戦前における時の権力による数多の“大学弾圧事件”を経験したことへの反省に基づくものであり、多くの先人の犠牲と努力の末に結実したものである。(伊ヶ崎暁生著「学問の自由と大学の自治」、三省堂、2001 参照)
 したがって、本来なら率先して「学問の自由」と「大学の自治」を守るべき大学人が、これを時の権力に売り渡すようなまねを断じて許してはならないはずである。ところが、実際に、小川学長以下の「プロジェクトR幹事会」の面々が行っていることは、中田市長らの権力に積極的に“擦り寄る”ことで、「学問の自由」と「大学の自治」を食い潰し、これを権力に売り渡すことなのである。その見返りとして彼らが手にするであろうものの、何と薄汚れて見えることか。

 [追記2005.9.21]
 言うまでもないが、小川学長を筆頭に、サイレントマジョリティー3教授、および、プロジェクトR幹事会委員等の学内の積極“擦り寄り”派教員は、中田市長横浜市官僚にとっては、まさにうってつけの“頼もしい味方”であり、“改革”(改悪)達成の暁には“最大の功労者”ということになるが、逆に、(良識的な)一般教員から見れば、これらの積極“擦り寄り”派教員は、許すべからざる“裏切り者”、“A級戦犯”であり、このことはいくら強調してもあき足らないだろう。
 小川学長は、1年余りの任期を残して去る3月末に、中田市長の手によってアッサリ解任されたが、それでも、定番の天下り先である横浜市中央図書館長のポストをあてがわれた。サイレントマジョリティー3教授は、いずれも、学内の重要ポストに首尾よくおさまった。研究院長(小島謙一)、副学長(布施勉)、大学院国際総合科学研究科長(馬来国弼)。ところで、小島氏と布施氏は、先の学長選の際、小川氏と共に学長の座を争った仲である。ということは、小川氏を含めて誰が学長に選ばれても、実は、全員が積極“擦り寄り派”だったわけで、結局、横浜市大が救われることはなかったことになる。そういえば、ヒドイ話だが、“もっと悪いのが学長になると大変だから”という理由で、小川氏に投票した教員も多かったらしい。長く務めた理学部長の座を馬来氏に譲って、当時、“無冠の帝王”と揶揄されていた“実力者”の小島氏は、助手時代から“学長になる”と公言し、以来、一貫して学長の座を目指したというが、こういうタイプも珍しいのではないか。人生いろいろ、学者もいろいろなのだろうが、横浜市大のような小さな村社会の中で、権力への階段を登りつめるために執念を燃やし続ける神経は理解できない。現学長ストロナク氏の任期もあと半年だということで、権力の座をめぐる擦り寄り派教員たちの熾烈な“忠誠競争”が今後も続くのだろうか。なんとも「虚しい」としか言い様がない。