遠藤淑子

 好きな漫画家を上げろと言われると、何人かの名前が思い浮かぶか、その中から一人を選べと問われたら、今はやはり遠藤淑子の名前を上げるのが順当だろうと思う。私の最も支持する作家の一人である。
 遠藤女史は、白泉社発行「花とゆめ」を中心に活動される、伝統的な区分に従うならば少女漫画家というカテゴリーに属される漫画家である。
 女史の作品と私の出会いも、随分昔のことになる。高校時代、というともう10年近くも前のことだ、時間の流れは恐ろしい、それはともかく、クラブの先輩に、「これはきっと小町君の趣味に合うから」と、貸していただいたのが「王室スキャンダル騒動」「南からきたインディラ」「ヤマアラシのジレンマ」の3冊。そして、引き続き「ハネムーンは西海岸へ」「スイートホーム」等を貸していただくうちに、その先輩の言うとおり、私もすっかり遠淑ワールドにはまっていってしまった。
 遠藤女史は、絵はそんなに上手くないと、よく言われる。「マダムとミスター」等の最近の作品は措くとして、初期の女史の作品の絵は、素人の私が見ても稚拙な感じがする。私も当初は、絵があまり好みに合わない気がした。しかし、そのようなことは遠淑ワールド相対の魅力の前では、ほんのささいなことである。私は何より、その作品群の持つ、鮮烈なメッセージ性に強く惹かれるのである。

 個々の作品解説や、キャラクターの魅力なんかについては、すでに偉大な先達がおられるので、詳細はそちらにお譲りします。ここでは、私の感じる遠淑ワールドの魅力の一端を、好き勝手に不定期連載していこうかと思います。

「何か書いたら載せておくページ」


第1回目(1999年6月12日) 現実に対する態度

第2回目(1999年6月24日) 家族、それも、常態でない

第3回目(1999年7月11日) エッシェンシュタインを探せ! その1


第1回目(1999年6月12日) 現実に対する態度

 遠淑ワールドを貫く一本の太い梁、それは、目の前のどうしようもない「現実」、時にやるせなく、自分の力では抗しがたい「運命」の存在と、しかしなおかつ、それに対して決して流されない、前向きに生きようとする人たち、しかし、決してその人はスーパーマンなんかではなく、ごく自然体で、本質的にきっと私たちも持っている、「生きたい」という率直な願いに向けられる優しい視線。その、不器用だけれども「生きる」ことに一生懸命な人物と、作者独特の饒舌な語り口(「説教臭い」と評される)とが、読者である私たちに語りかけ、心の琴線に触れる。遠淑マンガを読んで、励まされるという評は、このような性格から出ているものだろう。

 「だが、気に入らない運命には立ち向かってゆくしかない。その為には強くならなくてはと思って」(「故郷の人々」)

 弱音をもらす俳優に対するエヴァ姫のひとこと。遠淑世界の女主人公たちは、それぞれがいろいろな世界を背負って生きているが、みなその世界に対して前向きである。エヴァ姫しかり、グレースしかり。グレースの一言も載せておこう。

「でもいずれ、幸福は来るのよ、それは必ず。ありふれた、皆が言う言葉だけど、経験上皆そうだったから言うんだわ。あたしだってそうだったもの」(「マダムとミスター」第12話)

 そして、前向きなのは人間だけではなくって、例えば、

「ほら元気出して一歩だけ、そして残った足でもう一歩」「足は動く、手だって動く、動くでしょう? そうしたら何だってできる、きっとうまくいく」(「ポトスの恩返し」)

 植物や動物や(動物については後に触れよう)妖怪や、プラス思考の登場人物が多い。楽天的に過ぎる、という批判もあるかもしれないが、この現代の閉塞状況の中、世界の隅々にまで管理の枠が嵌められ、夢や希望が持ちにくい今、このメッセージは乾いた心に素直に響くのである。

「お願いだから、階段登るのやめないで。なかなか星はつかめないけど、少しは近づいているんだって思おうよ」(「星の階段」)

「私と遠藤淑子」第2回目

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