月夜見
  
 
初夏緑条A “蒼夏の螺旋・後日談”


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 室内にいる分にはまだカーディガンが手放せないような、春寒の名残りのような…ともすれば肌寒いくらいの体感温度だったりもするのだが、陽射しの中へと飛び出せば、軽く炙られるような初夏独特の暑気に包まれる。少しばかり体を動かせば、すぐにもうっすらと汗ばむほどの、いかにもな初夏の陽気。都心であっても街路樹の梢などには、眸に目映い様々な緑・翠・碧…が弾けんばかりの瑞々しさで揺れていて。ユキヤナギや馬酔木の可憐な白い花々との拮抗も鮮やかだ。行き交う人々のいで立ちにも、くっきりとしためりはりの利いた配色がどんどん増えてくる。闊達で溌剌としたそんな季節が、黙ってたって訪れつつある、そんな今日この頃。まだ通勤時間だというのに、もう既に"爽やかな涼風"が負けかかっている初夏の熱気に気がついて。
"…そういや、もうすぐルフィの誕生日だよな。"
 年にもよるが、大体ゴールデン・ウィークの最終日前後。五月五日の"子供の日"が、あの少年の誕生日だ。再会したのは去年の七月だから、こうして一緒に暮らすようになってから初めて祝うこととなる記念日で。
"どこか連れてってやるか…。"
 いつもの伝で一泊旅行をと思ったが、今からではどこも予約で一杯だろう。そんなこんなと、考えようによってはなかなか不埒なことを朝っぱらから考えていた彼だったのだが、だからと言って誰ぞに迷惑をかけるでなし、罰が当たるほどのことではないと思う。だからして、

   「よお。」

 その人物が進路の真正面に立ち塞がっていると気づいた時の、彼の驚きようは………傍目からは全く窺い知れなかったものの(笑)、秒速100メートルくらいの暴風がザンッとばかりに体の中を吹き抜けて行ったかのような衝撃が…あった、らしい。
「…よお、じゃなかろうが。」
 ついつい何度も目をやって確かめたが、自分が向かいかかっているこの道の先に聳
そびえているのは、間違いなく勤め先の某商社だ。その大きな建物の前、来賓や重役たちが乗って来た大型車のまま直接乗り付けられるよう、小ぶりなロータリー状になっているご立派なエントランス前に、気さくそうな笑顔で立っていたのは、紛うことなく…見覚えのあり過ぎる顔。
「何で此処に居る。」
「何でって。メールでご挨拶はしたろうよ、近いうちに日本に行くよって。」
「一口に"日本"ったって広いんだよ。」
 ああ、この付け足しは意味のない"死に駒"になったなと、言った傍から自分でも気がついたゾロだった。この男にとって、日本はイコール"可愛いルフィの居るところ"以外の何物でもないのだ。
(笑)だから、日本に行くという言いようは彼に会いに来ることと同義であり、例え…財界きっての稼ぎ頭や影の世界を牛耳る首領クラスの大物との商談や会見の予定があったとしても、まずは可愛いルフィに会う。何の予定が狂おうが、どんな緊急の事態が差し迫ろうが、とにかく会う、何がなんでも会う。何故ならそれは彼にとって、税関を通過すること以上に当然のことでもあるから………なのらしい。(他のサイト様だったらシャンクス辺りがやりそうなこと、と言ったら想像しやすいかも知れないかも…/笑)
「………。」
 早い話、一皮剥けば単なる"親ばか"男だのに。
(笑)相手の余裕が気になって、ゾロとしては…ここは自分のホームグラウンドだというのに調子が狂って仕方がない。ふふんと鷹揚そうな笑みを浮かべるところがまた、何となく気に障る。見様によっては"この暑いのに"と辟易されかねない相変わらずのダークスーツ姿だが、長身痩躯とでも言うのだろうか。よく撓しなう鞭のように強靭そうな、隙なく強かに引き締まった体つきには、そのスーツもむしろ涼しく映るほどなかなかに似合っている様子。蜜をくぐらせたような甘い光沢のあるダークブロンドを、直毛のそのまま撫でつけずにぱさりと流していて。アクアブルーの眸の映える白い面差しは端正に引き締まり、甘く微笑ったりシリアスに悩ましげな眼差しになったりと、表情豊かで演技の達者なところがまた、
"むかつく野郎だよな、実際。"
 人間関係というものへはあまり感情的にはならない淡々としたところのある、よく言えば自制心の強い、悪しざまに言えば人への関心が薄いゾロがこうまでむっかりくる相手。恐らくは"悪い奴"ではないのだろう。ひょんなことから連れ合いになってしまったルフィを、傷一つつけるものかというノリで、7年もの間、そりゃあもう大切に守り続けてくれた青年だ。ただ、その反動というやつなのか、ゾロに対してまでルフィについた害虫扱い。何かと突っ掛かるような、若しくはからかうような態度や言動ばかりを取ってくれるため、ゾロからすれば後からやって来た"小舅"みたいなもので、充分"いけ好かない奴"でもあったりするのである。………と、
「……ん?」
 彼の背後にあたる正面玄関の中が、ざわざわと泡立つように騒がしくなったのが、彼の肩の向こうに見えた。ついつい描写を怠っていたが、丁度、渓流の中に突き出した岩場よろしく、向かい合って立ち尽くしている二人を避けて、人々の波が二手に分かれては吸い込まれていたそのエントランスは、よく磨かれた巨大な強化ガラスを正面の壁代わりにした、よくある構えであったのだが、とゆことから外から中の様子がよく見える。
"…あ、そういえば。"
 今日は月曜で、朝礼の場に社長からの訓示が社内放送によって流される日。よって、他の社員と同じ時刻に出社しておられたらしい社長が、秘書を引き連れ、専務や重役たちとこちらへやって来るのが見えた。
「やば…。」
 何の用事か外出なさるお歴々であるのなら、こんなところに突っ立っていては邪魔だろう。いや、もしかして、会社前で不審人物と対峙していたことへのお叱りを、下されにいらした方々なのかも? これは面倒なことになりそうだと、事態の蓋が開く前からうんざりしてしまったゾロだったが、
「いやすみません。」
 向かい合う彼らの真横辺り。社長を中心の雛檀型に組まれた陣形がぴたりと横づけされて、手前にいた海外事業部の部長がやおらというノリで声をかけて来たのだが、その相手は………そう、社員であるゾロではなく、不審な外国人であるサンジの方だったから。
"? …あ、そうか。"
 遅ればせながら、ロロノア青年にも何となく気がついたことが一つほど。
「失礼ですが、もしかして…エコノミー・エージェントのサンジェスト様ではありませんか?」
 そうと話しかけた傍らから、美人秘書が滑らかな英語で通訳をする。そうだった。このサンジ兄さん、経済界では知る人ぞ知る"達人オブザーバー"なのである。…とはいえ、表立ってはさほど有名な活動はしとらんと言ってなかったかなと、思い出しかかったところへ、
「ハイ。社長サンデスネ。今回はお招きアリガトです。」
 いかにも不慣れなイントネーションの日本語が飛び出して、
「………☆」
 ゾロがその頼もしい肩を"がくくっ"と傾ける。
"な…っ。"
 つい先程までの舌戦(というほどのものでもなかったが)からもお解りのように、この男はどうかすると日本人よりも日本語に長けている筈なのに。
"何でまた?"
 たどたどしい振りをするのだろうか? 訳が判らず唖然としていたところへ、
「ワタシ、彼ニ、にほんご? ナライマシタ。」
 そんな風に会話の中へと引っ張り込まれたものだから、
「おおう、それはそれは。」
「えっと、君は確か企画2課のロロノアくんだったね。」
 ただの通りすがり、若しくは背景モブの一部としてしか把握されてはいなかった筈の彼が、突然"登場人物A"という格付けをいただくこととなってしまった。
"この野郎、白々しいことを…。"
 ちなみに、この後、社のトップたちからの覚えも目出度く、一目置かれてしまうこととなってしまう彼である。


            ◇


 今日は特別出勤扱いにしよう、社にとっての大切な方だから、その辺を重々心得て"おもてなし"を頼むよ?と、日頃声さえ聞いたことのない重役さん方から言い置かれ、社内一のプロポーションと色香を大多数の男性社員たちから注目されている"切れ者"美人秘書が手配して回したらしい、高級ハイヤーが乗り付けられると、ささ、ホテルまでご案内差し上げてと、一緒くたに押し込まれ、

 ………今は、
「〜〜〜〜〜っ、あはははははっ!」
 声もないほど息を引き付けてはお腹を抱えて笑い転げているルフィの前にいる。ソファーの上で文字通り"転げて"いて、目尻に涙まで滲ませていて、
「見、見たかったな、ゾロの顔っ。」
「おいっ。」
 逗留予定のホテルとやらにわざわざルフィを呼んだのではなくて。ここは彼らの生活するマンションのリビングルームだ。重役様の仰有った通り、いつも彼が使っているという高級ホテルとやらへまずは向かったのだが、あまりに急な"飛び込み"の来訪だったために、部屋が空いていないと言う。
『申し訳ありません、サンジェスト様。明日になりましたなら、いつもご利用いただいておりますお部屋の方もご用意出来るのですが。』
『そうですか。』
 何せ連休直前という季節柄。混み合うところへ出向くのは嫌いだという早めの有給族などが一足早い休暇に入っていたって不思議はない。
『そうか。日本はゴールデン・ウィークとかいうバカンスシーズンだったんだな。』
 結構そういった事情には通じている人物だと思っていたのだが、そこはやはり人間で、実は思わぬところに大穴が空いていたというところか。例えば、ネットの上では24時間態勢もザラで、いまだに"時差"などというアナログなものを"障害物だ"と数えているよな悠長な構えでいると、プロトタイプ扱いされてしまうことがある。昔はそれを念頭に置けるような機転を必要とされていたのが、今はもっと先に進んだ余り、逆転していたりするあれやこれや。そういった訳で、何かとぼこぉっと抜けているというのかズレているというのか、そういったところがこの彼にもあったらしい。
『他のホテルじゃ不味いのか?』
 新たに…今度は普通のタクシーに乗りつけようと、乗り場へ向かいながらゾロが訊くと、
『まぁな。仕事に必要な特別な回線を使えるんだ、あのホテルのインペリアル・スィートはね。』
 成程、単なる高級志向だとか格の問題ではなかったらしい。………で、寝るだけならどこでも条件は同じだからと、別のホテルを探そうとした彼をとりあえず自宅に連れ帰ったところが、
『うわ〜〜いっ! 久し振りだよう!』
 再会の喜びに尻尾を振り振り(雰囲気的な描写です)抱き着いて甘え倒したルフィが、
『一晩の話なんだろ? だったらウチに泊まれば良いじゃん。』
 そう言い出して。
『良いだろ? ゾロ。』
『まあ構わんが。その代わり、世話はお前が見ろよ?』
『…俺は預かりものの座敷犬かい。』
というよな会話があって。今、その本人様はルフィが勧めてお風呂に入っているところ。
「でも、どうして日本語が不得手な振りなんかしたんだろうね。」
「あまり通じてると可愛げがないからだとさ。」
 先に同じことを本人に訊いたのだろう。ゾロはどこか憮然とした表情で応じた。
「…何? それ。」
「海外の、奴の本拠地で会うのなら、日本の言葉やら風習やらに詳しい方が相手を安心させられるけど、逆にな、日本を舞台にすると、日本語がぺらぺらな外国人ってのには、日本人は…特に年のいった世代は妙な違和感を感じるらしいんだな、これが。」
 そこから何かしらの警戒心を抱かれないようにするためと、ついでに相手を油断させるために、どこか拙い、手をかけさせる部分をこしらえて、優越感を持たせた方が良い…のだそうな。
「勿論、直接の交渉だの会見だのをする相手となれば、話は別らしいがな。」
「ふ〜ん。」
 笑いの発作が収まったらしいルフィは、ふと、手を伸ばすと、傍らに立っていたゾロの長い腕を掴んで引き寄せる。
「んん?」
「んん。」
 引っ張られるに任せてすぐ隣りへと腰を下ろすと、男の大きな胸元へしがみついてくる少年であり、
「どした。」
「ん、だって。」
 そっと眸を伏せる彼に、そういえばまだ"ただいま""お帰り"のコミュニケーションを済ませてなかったことを思い出す。すぐ傍らにあの保護者がいたのでルフィの気が逸れたせいなのだが、その本人が求めているのだから、ある意味、順は踏んでいて。前髪の隙間から額に軽く唇を触れさせると、くすぐったげに肩を震わせ、
「…へへvv」
 このくらいのことなのになと、それでも堪え切れずに嬉しそうに微笑う顔が、何とも言えず愛おしい。そんな笑顔へと吸い込まれるように、今度は愛らしい口許への接吻をと近づきかかったところが、
"…あ。"
 バスルームのドアの音。チッとついつい舌打ちをするゾロに、眸を瞑っていて彼がどうしたかったのかという状況が少々判らないでいたルフィが小首を傾げたが、スリッパの音にやっと察して、どこか幸せそうな、先程の延長という観のある笑みを見せた。
「お先に。」
 きちっと。髪もしっかり乾かして出て来たサンジは、だが、彼もまた…どこか苦笑が絶えないという顔をしていて。
「? どしたの?」
 まさか風呂に居ながらこの居間でのやりとりが見えたのか? と。余計な先読みをして怪訝そうな顔をしているゾロの傍ら、愛らしくも直接訊いてきたルフィへ、
「いや、なに。」
 手に持って来ていたものを差し出して、
「何でまた、風呂場にあんなに玩具が置いてあるんだ?」
 くつくつと笑って見せる。彼が手のひらに乗せていたのはソフトボールくらいの大きさの黄色いアヒルの人形だ。他にもイルカやら船やらジュゴンやらという、浮かせて泳がせて遊ぶものから、小型拳銃大の水鉄砲が3つとか(そのうちの一つはシャボン玉を作って飛ばすもの/笑)、お湯に浸けると色が変わる縫いぐるみが数個に、金魚すくいや釣り遊び用の、小さな魚たちと網や釣竿のセットなどなどが、風呂場の片隅、バケツに満載になって置いてあったのだ。
「あ、それ、ゾロがくれるんだ。」
 悪びれもせずにケロリンパと。ルフィは事もなげに答えたが、

  
「…よもや、いけない遊びのお道具じゃああるまいな。」

 ぼそっと呟いた声はゾロにだけ届いて、
「ば…っ、何を言ってやがる。あれは全部、取引先の玩具メーカーの開発部長さんから、モニターを頼まれて…。」
 突然真っ赤になって焦りまくっている彼に、聞こえていたとしても意味は分からなかったろうルフィが、
「ゾロ?」
 ますますキョトンとして見せていたのであった。


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