《ずるずる放置しておいていい問題ではない》 “TOEFLとTOEICの区別もついていない役人がつくった制度”が破綻寸前 永岑三千輝氏大学改革日誌2006年10月30日付 (2006.10.31)

 

http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/SaishinNisshi.htm

 

 

1030日 「全国国公私立大学の事件情報」に、TOFFL問題に関する市大新聞ブログの記事が紹介されている。

英語力強化の一つの手段として、TOFFLを活用すること、平行してTOEICを活用すること、こうしたことに異論はない。まさにプラクティッシュな英語力の養成の一つの有力な手段であり、達成度確認に相応しい一つの手法であろう。しかし、やり方が大学らしいものであるかが問われる。大学の見識が問われる。本学の「オンリーワン」のやり方が、はたして妥当か。

たとえばTOFFLが対象とするのはアメリカの大学での講義を受ける前提としてであり、その試験内容、設問は、大学における学問諸分野の教養的力量を試すものとなっている。それはアメリカの大学で教育を受けるためには必要かもしれない。他方で、TOEICの場合、基本的なビジネス向けの試験問題もけっこう多い。私がこの間、市販の模試を調べてみた限りでは、株や金融に関する問題も多い。はたして、日本の大学で、たとえば理科系にすすむものにとって、これらは必要なものかどうか、どこまで検討しているのであろうか?他方、文科系に進む学生にとっては、分子生物学に関連するような設問など自然科学系のものも結構ある。その英語力があればもちろんいいが、どこまでそのような他分野に関する英語の知識が求められるのか?500点(TOEICだと600点だという)を基準として決定した人々はそうしたことを説明する責任があろう。一方における基準の画一主義と他方における大学の本来の講義の体系・やり方との整合性が問題となろう。

ブログの記事が指摘する「出席率」問題はそうした根本問題のひとつの現象にすぎないであろう。その後の出席基準の変更問題もそうであろう。

問題はいよいよに詰まってきたということであり、当初の決定のあり方、その後の一連の決定、諸措置の流れ全体が、検証される必要があろう。

ずるずる放置しておいていい問題ではない。留年という事態は、学生の一生のあり方に関係するものである。留年は、英語以外の大学の講義のあり方にも大きな影響を与えるものであり、学生諸君の勉強の計画、留学計画、休学のあり方、生活問題など広範な問題を孕んでいる。それが大量ということになれば、大学のカリキュラム体系全体への影響は計り知れない。

筋の通った合理的解決と説明がもとめられるだろう。

だが、どこで? 教授会はそもそも開催されていない。

毎月一回の代議員会では、私の知る限り、代議員側からのの問題提起はあっても、審議されることはないという。

審議決定権をもつと思われる教育研究評議会、財政的人的措置を講じる経営審議会等の責任ある対応が求められるであろう。

どのような検討が行われているのか、われわれ一般教員には知るよしもない

 

 

(関連文書)

横浜市立大、これが学生本位か 「全国国公私立大学の事件情報」(2006.10.30)

05/12/20教員集会報告 『横浜市大は立ち直れるか?―独法化後の状況を検証する』 横浜市立大学教員組合週報 組合ウィークリー(2006.1.11) より抜粋

《続いて英語担当教員から、英語教育の現状について報告しました。独立法人化された後の新入生に全員一律にTOEFL500点以上クリアしなければ、進級させないという目下の至上目標の由来は、現場担当者の立場から改めて報告されました。提案は語学の意義を必ずしも十分わかっていない人の思いつきによってされたこと、一般教員の意思を無視したこと、目標達成の無意味さをわかってありながら、突進しなければならないこと、その目標のために、学生が語学学校の会話講師を「プロ」と呼び大学の英語教員を無能に思っていたこと、などの問題点が明白になりました。この議論から、考えさせられた点は多い。市大の問題は必ずしも研究教育に関する知恵を欠けているために発生したものではありません。むしろ、これまで蓄積された知恵がことごとく無視され、否定されており、ごく一部の人の思いつきに近い提案は、正常な意志決定過程を経ないでそのまま金科玉条になったところに問題がありました。このようなシステムでは、大学はよくならないでしょう。》

 

教員集会 学生からも意見 「横浜市大新聞 ニュースブログ」(2005.12.23 より抜粋

《英語担当の岩崎徹準教授は、新一年生の問題点として、進級要件の英語のハードルの高さを指摘した。国際総合科学部が3年次への進級条件として設定したTOEFL500点は大部分の学生が到達できず、来年度には600人程度が最履修する予定だという。英語授業は出席状況が極めて悪く、状況を聞いた参加者からは「ひどい」との声も上がった。岩崎準教授は、TOEFL500点という目標は「必ずしもはっきりしたデータに基づくものではない」とも指摘。どのようなデータを基に、なぜ500点か、大学当局側から明確な回答はなかったという。》

 

05/12/20横浜市立大学「教員組合集会」の報告 永岑三千輝氏『大学改革日誌』(2005.12.21

 

横浜市大の進級制度、“TOEFL500問題で破綻――制度設計の責任者二名は、水道局に栄転で知らん顔 AND 次期学長候補? 「公立大学という病」更新雑記(2005.11.2 より抜粋

《最近、複数の市大の関係者から、TOEFL500点をとらないと3年に進級できないとした新学部での方針が破綻しつつあるとの話を聞いた。まあ、無理もないであろう。TOEFLTOEICの区別もついていない役人がつくった制度なのだから。市大時代の最後の頃に、新学部のカリキュラム作成委員として作業にたずさわらされていたとき、上(現副学長と当時の企画課長)からの方針だとして、TOEFL700点以上でないと進級させないという案が下りてきた。委員一同、唖然とした。600点で米国の一流大学もパスできるといわれるTOEFLで、700点はありえない。これはTOEICの間違いのはずだ。ちゃんと確認してくれと皆が騒いで、次回にはTOEFL500点に訂正されて帰ってきた。市大生なら500点位は大丈夫かなと思っていたのだが、教授会か何かの席で、英語の先生が、「500点だって留年する学生が多数でるだろう」と反対の声をあげていたのも覚えている。大学教育や、市大生の水準とかを全く知らない連中が作った案が、中期目標や中期計画として大学に押しつけられる。確か、TOEFL700点をぶちあげた役人は、その後水道局あたりに栄転されたそうだ。奴らは中期目標を達成できなかったとしても責任を問われることもない。大学の教員にその尻ふきをさせればよい位にしか思っていない。なんともお気楽な商売だ。

 

横浜市立大学教員組合週報 組合ウィークリー (1)学長候補者への公開質問状、(2)全大教の研究集会でTOEFL 問題の報告:「一体これからどうするんですか」(2005.10.28 より抜粋

《私は、横浜市立大学の改革の基本的性格とその経過を簡単に報告した後、現場教員の反対を無視して強行された今回の「TOEFL500点進級条件を前提とした英語教育」の現状について報告しました。都立大学の方も含め参加者からの反応は、「一体これからどうするんですか」という、驚きの声でした。ただただ飽きたといった反応とでも言ったら良いでしょうか。 私は、現場を無視してこの方針を強行した当局こそが責任ある対応をすべきこと、組合としては、現場教員の責任追及にはさせない立場を貫くことを確認していると発言し、参加者から強い支持と励ましの言葉をいただきました。》

 

横浜市立大学教員組合週報(組合ウィークリー) (1)第二回の団交を申し入れています、(2)学長選考・任命に当たっての教員組合の見解、(3)いわゆる「TOEFL500点問題」について、(4)時間外労働に関する労使協定の更新(2005.10.11) より抜粋

教育現場の専門家の常識では、週3コマの授業で、従来の横浜市立大学入学可能な語学力水準の学生全員にTOEFL500点を突破させるというのは,現実的な想定であると言い難いものです。しかも今回の制度では、学生の出席が義務付けられず、成績も評価されないため、学生の出席率は予想外に悪く、3分の1程度のクラスもまれではなかったようです。 このような条件の下での目標達成が極めて困難だと分かっていながらも、英語の先生方は、学生のためと信じ、必死に学生の出席を促し、さまざまな努力を繰り返してきました。予想外の事態が続き、多くの英語教員の事務作業量も激増しています。「もう疲れ果てたというのが本音だ」と漏らす先生もおられます。しかし、一部には、「このプログラムがうまくいかないのは、英語教員の教育能力や方法に問題があるからだ」という心無い声も聞こえてきます。とんでもないことです。

 

横浜市立大学、現場の教員に単位認定権を与えず外部試験を進級・卒業要件にすることの問題性 永岑三千輝氏『大学改革日誌』(2005.10.5)

 

横浜市立大学教員組合週報  組合ウィークリー(2005.8.2) より抜粋

英語教員の教育活動に対して大学教員にふさわしい権限(単位認定権、成績評価権)を与えるべく改善策を提示することをもとめる。・・・現在英語教員は、現場の反対を押し切った「改革」に基づく授業を担わされ必死の努力を行っている。「改革」そのものを見直すことについて、今後現場の声を聞いて送球に検討されるべきである。それはさておき、大学教員に単位認定権、成績評価権を与えずに強制されている現在の教育労働は、大学教員の教育活動に対する尊厳の無視に当たり、早急に改善策が示されるべきである。