“官僚統制大学”化へ突き進む横浜市立大学

 

出張研究で1ヶ月余りの間留守にしていたが,その間に“官僚統制大学”[1]としての横浜市立大学の将来像がより鮮明になったようだ.この間の情報を得るのに,永岑三千輝氏(本学)[2]や片山一義氏(札幌学院大学)[3]のホームページが大いに役に立った.

 

なかでも,(1)“公立大学(法人)で初の外国人学長(予定者)!!新たな横浜市立大学の「初代学長予定者」が決まりました!”(9月3日)[4],および,(2)“「副学長予定者」「国際総合科学部長予定者」「国際総合科学研究科長予定者」が決まりました!”(9月15日)[5]の2つの記者発表が象徴的である.相変わらず,「密室で決定・いきなり公表・トップダウン」(東京新聞2004年2月16日付)[6]の強権的なやり方である.“大学の自治”の根幹である教員の選挙に基づいた現行の制度の方が,はるかに民主的で健全なことは言うまでもない.“大学の自治”を徹底的に破壊してしまおうという横浜市当局の強い執念を感じるのは,私だけではないだろう.

 

いずれの記者発表でも,“横浜市政記者,横浜ラジオ・テレビ記者 各位・・・初代学長予定者に,ブルース・ストロナク氏(前ベッカー大学学長代行)を決定しました.・・・”,あるいは,“・・・副学長予定者と,新たに設置する国際総合科学部の学部長予定者及び国際総合科学研究科の研究科長予定者を,次のとおり決定しました.副学長予定者 布施勉氏(国際文化学部教授)南睦彦氏(医学部教授),国際総合科学部長予定者 藤野次男氏(商学部長),国際総合科学研究科長予定者 馬来国弼氏(理学部長)・・・” とある.“・・・決定しました”となっているが,「いつ・どこで・だれが」決定したのかまったく不明である.

 

ちなみに,後者の面々は,昨年5月の“市長改学宣言”[7]を受けて,記者発表の席で“忠誠宣言”を行った“サイレントマジョリティー教授”[8],ならびに,その後の「プロジェクトR」・「コース・カリキュラム案検討プロジェクト部会」等において,学内外からの多くの反対意見にもかかわらず,横浜市当局に対して積極的に協力してきた“積極擦り寄り派”と見なされている人々である[9]

 

なお,その後,新学部(国際総合科学部)のコース長(1年任期)も上から任命されたという[10]

 

来年度に発足する公立大学法人横浜市立大学では,個々の教員の教育研究が,横浜市当局やこれらの人々によって逐一“評価”され,再任の有無・昇任/降格等の人事・年俸・研究費の競争的傾斜配分などに反映されることになるが,強権的で透明性を欠いた“改革”のやり口を目の当たりにして,また,“大学から求められた役割をきちんと果たしているかの視点が重要である”とする,どうにでも解釈可能な“評価の視点”(「横浜市立大学の新たな大学像について03-10-29」)[11]と相まって,あらゆる状況が一般教員の士気を阻喪させるのに十分である.とくに,教員の身分保障が失われることで,自由な批判精神や反骨精神が大学から一掃されてしまうであろうことは,致命的である[12]

 

横浜市当局は,“知の大海へ!未来へ!キーワードは「創造」”,あるいは,“21世紀の知の世界へ新たな開国!!未来をきりひらく横浜市立大学”などと空疎なプロパガンダに余念がない[13]が,“学問の自由と大学の自治”が喪失し,忠誠競争が蔓延し,また,容易に恐怖支配へとつながる新たな横浜市立大学(“官僚統制大学”)に“未来”はない[14]

 

2004年10月20日

大学院総合理学研究科 佐藤真彦

 



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横浜市立大学問題を考える大学人の会(2003.11.25):「横浜市立大学の新たな大学像について」に関する大学人の声明−「官僚統制大学」化をおそれる−

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/031125daigakujin-seimei.htm 

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/03-11/031125daigakujin-seimei.htm

 

・・・この様な世界的な大学運営の原則に照らすとき、今回発表された「横浜市立大学の新たな大学像について」(以下、「大学像」と略記する)は、旧ソ連の大学を髣髴させるような、行政・官僚統制大学化への道を開き、ひいては横浜市立大学がこれまで行なってきた世界の学術・教育への貢献のみならず、横浜市民への貢献も不可能となる事態を招く惧れが極めて大きく、深刻な危惧を抱かざるをえない。・・・

 

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永岑三千輝氏:大学改革日誌

http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/Nisshi.htm 

 

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片山一義氏:全国国公私立大学の事件情報

http://university.main.jp/blog/ 

 

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横浜市立大学公式ホームページ(2004.9.3):新たな横浜市立大学の「初代学長予定者」が決まりました!(PDF

http://www.yokohama-cu.ac.jp/daigaku/kisha/040902gakucho.pdf 

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040902gakucho.pdf

 

横浜市立大、学長にストロナク氏・公立大初の外国人(2004.9.3

http://university.main.jp/blog/archives/001755.html 

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040903katayama-gakucho.htm 

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/04-09/040903katayama-gakucho.htm

 

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横浜市立大学公式ホームページ(2004.9.16):副学長予定者、国際総合科学部長予定者、国際総合科学研究科長予定者が決まりました!(PDF)

http://www.yokohama-cu.ac.jp/daigaku/kisha/040916kisha.pdf

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040916kisha.pdf

 

横浜市立大、役職者人事 上意下達の行政組織の原理 大学の自治は死滅同然(2004.9.22

http://university.main.jp/blog/archives/001882.html 

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040922katayama-nagamine.htm 

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/04-09/040922katayama-nagamine.htm

 

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『東京新聞』2004216日付 こちら特報部:『改革』に揺れる横浜市立大 学部統合 全教員の任期制 研究費ゼロ

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040216tokyo.htm

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/04-02/040216tokyo.pdf

 

・・・密室で決定 いきなり公表 トップダウン 公立大学改革の方向性は、設置者の首長の志向が色濃く反映される。宮崎教授は「市大、都立大の改革内容はほぼ同じで、手法も密室審議でいきなり公表するトップダウン方式だ。中田市長と石原知事の類似性を示している」と指摘する。「大衆受けするパフォーマンス的政策を打ち出す点で両者は似ている。反権威主義で、エリートや学歴に対して強い反発を持っている。両者とも自己を礼賛する者しか評価しないポピュリズムの権化で、不採算部門の学問・芸術の存在が邪魔になる。その延長線上に大学改革がある」久保教授も「中田市長は市民派を看板に掲げるが、改革案で会見を申し入れても、会ってくれない。煙たい市民には会わない“えせ市民派”だ。十人十色の意見があってまとまらず、業界団体のない大学が一番、経費削減の標的にしやすかっただけだ」と悔しがる。・・・

 

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佐藤真彦(2003.5.14):ようやく公開された『部外秘資料』と市長メッセージ『改学宣言』の欺瞞性

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/giman030514.htm 

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/03-05/030514giman.htm

 

・・・今回の市長メッセージ『改学宣言』は,「市民の視点に立って,大胆な改革で生まれ変わろう!」「まず決めるのは,大学自身です」などのキャッチフレーズとレトリックにより巧妙に粉飾されているが,実際は,“独裁官僚”池田輝政氏(前横浜市立大学総務部長・理事,現泉区長)と基本的に同様の考えの持ち主と思われる中田 宏市長が,池田氏に指示・丸投げし,かつ,かねてよりの自らの“ブレイン”の中から「あり方懇」の主要メンバーとして,橋爪大三郎氏(東京工業大学教授)および森谷伊三男氏(公認会計士)をそれぞれ座長および財務分析担当委員として指名すると共に,大学改革戦略会議(幹事会)における池田氏の“生(なま)発言”を追認し,最終的に,これに学外の“有識者” (「あり方懇」)および学内の“叡智”(「大学改革戦略会議」)の検討を経たという“民主的”な擬装を施してオーソライズしたものである.したがって,市長メッセージ『改学宣言』は,全国に悪名の高い『あり方懇答申』および“部外秘”扱いの“秘密文書”『市大改革の方向性』の内容を“示達=上位下達”した『“まやかし”宣言』である.・・・

 

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佐藤真彦(2003.8.15):“欺瞞の塊り”「プロジェクトR」

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/030815katamari.htm 

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/03-08/030815katamari.htm

 

・・・また,小川氏は,「市長改学宣言03-5-7」に呼応して,全学的な抗議の動きを完全無視した形で,“独立行政法人化は大学運営の自由度が増すと思う.サイレントマジョリティー(声なき多数派)をまとめて市大を再生させたい.”(神奈川新聞03-5-8付)と記者発表している.(http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/giman030514.htm 参照)同様に,「幹事会」委員の小島謙一理学部教授も(布施 勉国際文化学部教授・馬来国弼理学部長と共に),“「あり方懇答申」も私たちが模索してきた改革方針とほぼ一致している.改革へのサイレント(沈黙)のマジョリティー(多数派)であってはならない.”(神奈川新聞03-5-9付)などと記者発表している.全学的な抗議の高まりにもかかわらず,なお,サイレントマジョリティーを結集すると強弁する態度は,白を黒と言いくるめる態度そのものであり,真理の探究を旨とする大学人の対極にある態度と言わざるを得ない.そもそも,「学問の自由」と「大学の自治」が,日本国憲法・教育基本法・学校教育法・教育公務員特例法等の法制度により幾重にも保障されるに到ったのも,戦前における時の権力による数多の“大学弾圧事件”を経験したことへの反省に基づくものであり,多くの先人の犠牲と努力の末に結実したものである.(伊ヶ崎暁生著「学問の自由と大学の自治」,三省堂,2001

http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/daigaku_jiti_rekisi.html 参照)したがって,本来なら率先して「学問の自由」と「大学の自治」を守るべき大学人が,これを時の権力に売り渡すようなまねを断じて許してはならないはずである.ところが,実際に,小川学長以下の「プロジェクトR幹事会」の面々 http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/meibo2+.pdf

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/meibo2+.pdf  が行っていることは,中田市長らの権力に積極的に“擦り寄る”ことで,「学問の自由」と「大学の自治」を食い潰し,これを権力に売り渡すことなのである.その見返りとして彼らが手にするであろうものの,何と薄汚れて見えることか.・・・

 

・・・・・・・・・・・

なお,その後(20041025日),小島謙一氏(総合理学研究科教授)および奥田研爾氏(副学長・医学部教授)が,それぞれ,研究院長および副研究院長として就任する決定が,横浜市 大学改革推進本部事務局(市大事務局大学改革推進部)より通知された.

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/041025kenkyuincho.pdf 参照

20041026日加筆)

 

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佐藤真彦(2003.12.4):『自作自演の茶番劇』03/12/01横浜市が“大学側”改革案の全面的受け入れを表明

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/031204chaban.htm 

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/03-12/031204chaban.htm

 

 

佐藤真彦(2004.2.3):『自作自演の茶番劇・2』神奈川新聞2004130日付報道―コース設定を論議へ 横浜市大改革で専門委を設置―

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040203chaban2.htm 

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/04-02/040203chaban2.htm

 

横浜市立大学改革推進・プラン策定委員会(通称,プロジェクトR)幹事会名簿

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/meibo2+.pdf 

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/meibo2+.pdf

 

[10]

横浜市立大、新学部のコース長(1年任期)も上から任命(2004.10.4

http://university.main.jp/blog/archives/001969.html 

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/041004katayama-nagamine.htm 

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/04-10/041004katayama-nagamine.htm

 

[11]

プロジェクトR報告書『横浜市立大学の新たな大学像』提出される(2003.10.29

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/031029aratanadaigakuzo-houkoku.htm 

 

横浜市立大学公式ホームページ(2003.10.29):横浜市立大学の新たな大学像について

http://www.yokohama-cu.ac.jp/daigakukaikaku/daigaku/daigaku_kaikaku/daigakuzou.html 

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/031029houkokusyo.pdf 

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/03-10/031029houkokusyo.pdf

 

[12]

04/03/28「大学人の会」≪任期制・年俸制シンポジウム≫『報告集』

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040328houkoku.htm 

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/04-03/040328houkoku.htm より

 

阿部泰隆(2004.3.28):大学教員任期制法の濫用から学問の自由を守るための法解釈、法政策論―京都大学井上事件をふまえて―

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040328abe.htm 

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/04-03/040328abe.htm

 

・・・任期制は多数派による少数派弾圧手段 任期制は、身分保障に安住した怠慢な教員を追い出し、大学を活性化する手段だ等と思っている人が多いが、実は逆で、任期制法が適用されると、失職か再任かを決めるのは、当該大学(教授会、あるいは理事会)である以上は、怠慢な教員が追い出されるのではなく、学内派閥の少数派は、どんなに業績を上げても、追い出されやすい。多数派の身分が保障され、少数派の身分が害されるだけである。そこで、多数派に隷従するか、むしろ、自ら多数派になるしか、学内では生きることができない。同じ大学で、競争講座をおいて、あえて学説の対立を現出することによって、学問の進展を図ることなど、およそ夢の又夢になる。これでは、教員の学問の自由が侵害され、大学が沈滞することは必然である。したがって、教授の任期制を導入するまともな国はない。任期制が一般的な韓国でも、それは副教授以下に限っているから、日本のしくみは国際的にも異常である。私は、これまで幾多の闘争をしてきた。それは学問を発展させたと信じているが、それが可能となっているのは、わが同僚からは追放されない保障があるからである。もし同僚と意見が合わないと、追放されるリスクがあれば、私は「毒にも薬にもならないお勉強」をするに止めたであろう。・・・

 

[13]

『国際総合科学部』紹介のパンフレット(平成17年度大学案内)(ただし,概要部のみ)

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040730pamphlet.pdf  

 

横浜市立大学公式ホームページ 受験生のみなさんへ 大学案内 デジタルパンフレットを見る

http://www.yokohama-cu.ac.jp/jyuken/jyuken_top.html  

 

大学案内(p.2p.5のみ)

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/040826pamphlet(p2p5).pdf  

 

[14]

佐藤真彦(2003.1.10):徹底論証―学問の自由と大学の自治の敵,橋爪大三郎「あり方懇」座長の危険性と国公立大学独立行政法人化の行き着く先―

http://satou-labo.sci.yokohama-cu.ac.jp/page035.html 

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/03-01/030110ronshou.htm

 

・・・横浜市大で懸念されるのと同様の事態が,全国的な規模で,ただし,"辣腕"官僚支配下にある横浜市大ほどあからさまでないかたちで,進行することが大いに懸念される.そのような状況下では,真理を追究するための"批判的な懐疑の精神""自由の精神"は(ほぼ)完全に"死滅"し,"忠誠競争の激化""しめつけの強化"という大学にとって甚だしくふさわしくない雰囲気がキャンパスを支配することとなり,これではもはや大学とは到底呼ぶことはできず,"大学の死"の到来と言うべきであろう.・・・