3
きつい流れに、上下も判らなくなるほど弄ばれて。もんどり打つように押し流されたまま、意識が薄れて何も判らなくなった。体中が冷たくて、もうすぐ夏休みなのに変だなぁ、なんでこんな寒いんだろうと、ぼんやり思った。もうすぐ日本に帰れる。ゾロに会えるんだ。一杯頑張って、英語だって喋れるようになったことを自慢してやるんだ。取り留めなく、そんなこんな考えてて………。
「……ィ、ルフィ。」
息が詰まって目が覚めると、心配そうな顔と出食わした。サイドテーブルに灯された枕灯の淡い光の中、こんな弱い光にさえ透ける金の髪と線の細い横顔が浮かび上がる。
「…サンジ。」
額の汗を拭ってくれるしなやかな指先。さらさらと心地良い感触に、目を細め、息をつく。
「またあの夢か?」
「…うん。」
日中はすっかり忘れていても、夜になると眠りの底から顔を出し、何度も何度も苛まれる。溺れかかった苦しさに息が詰まって。だが、どこかで別の狂おしさが胸を一杯にする。あの時に戻れたらと思うせいだろうか。何かを置き去りにして来たあの場所へ、あの時へ、もう一度戻れるものならと。
「………。」
黙りこくる少年にただ付き合うようにサンジも黙って傍にいる。頬に添えられた手の、乾いた温かさに気づいて、知らず、吐息が洩れる。
「…サンジ。」
ことりと。夜陰のどこかへ言葉を置くような呟きへ、
「ん?」
短く、だが、やはり静かに応じる彼を、ルフィは上掛けの陰からおずおずと見上げて来た。
「一緒に寝てくれる?」
幼い声でのおねだりに、思わず小さく微笑って見せて、
「ん、良いぞ。」
心細いのはお互い様だ。隣りにすべり込んで来た温みへそっとしがみつく少年を、長い腕が包み込むように抱き締めてやる。
「…やっぱり来ない方が良かったかな。」
男の呟きに、少年は小さく首を振り、
「ううん。少しの間でも会えて嬉しかったもん。ありがとな、サンジ。」
逢う前から想像していた通り、いやそれよりももっと、男らしくて頼もしい、素敵な大人になっていたのが、ワクワクするほどに嬉しくて。一番嬉しかったのは、7年も経つのにちゃんと覚えていてくれたこと。だからこそ、あれほどまでに混乱し、ああまで厳しい語調で自分を問い詰めた彼だったのだろう。ゾロの心の中にはまだ居場所があって、もう過去の幻なのだろうがそれでも"自分"が住んでいた。それだけでもう充分だった。
"…これでもう、忘れなきゃな。"
これまでずっと我慢して来たからだろうか、涙はなかなか涸れなくて。今も油断するとすぐにも込み上げて来そうになるけれど、今の今もこんなに間近で支えてくれている人がいる身を喜ばなければと、そう思うことにしたルフィである。どんなに泣いてももがいても、もう元には戻れないのだから…。
◇
出会いは7年前に逆上る。溺れかかっていた下級生を助けた後、河の速い流れに呑まれてしまったルフィ。幸いにして、外海へ押し流されはしなかったそのまま、岸辺に流れ着いたところを助けてくれたのは、随分と町外れの古びたコテージにたった一人で住んでいた、サンジという青年である。大きな怪我や記憶などへの障害といったものはなかったものの、2、3日は起き上がることも出来ず、口さえまともに利けなくて、何から何まで彼に世話をかけた。金髪に青い瞳の長身痩躯。間違いなく欧州人だのに、ルフィの英語が覚束無いものだと気づくと、それは流暢な日本語で応対してくれた。無愛想というのではないが、どこか表情の乏しい男で。下手に整った顔立ちをしているものだから、そんな素振りが尚更に取っつきにくい印象を強くもする。口数も少なく、何と言えばいいのだろうか…覇気というのか生気というのか、そういう意欲っぽいものを表に出さないタイプの、何につけ淡々とした青年だった。だが、ルフィにはいつだって目を逸らさずにいてくれた。温かい手、不思議な香料のようなやさしい匂い。細々とよく気がついて、傍にいてくれると訳もなく落ち着けた。
〈…それ、何だ?〉
〈パソコンだ。〉
〈そのくらい知ってるよ。〉
いつも家にいて、最初は自分の看病のためかと思ったがそうではなく、ライン上での経営コンサルタント事務所を運営しているらしくて。テーブルに開いたノート型のパソコンの画面には、沢山のグラフや細かい数字の居並ぶ表が展開されていて、日に何時間かそれへとチェックを入れるのが仕事ならしい。後で判ったことだが、その筋では結構有名な敏腕なのだそうで。こちらから顧客クライアントを選べるほどの実力と実績を、世界的なレベルでの政財界で密かに認められてもいるのだとか。とはいえ、当時のルフィには意味も判らなかったし、関心もないことだった。それよりもずっと大きなインパクトを彼に齎もたらしたのが、
〈そろそろ普通の食事も食べられるだろう。〉
そう言って彼が用意してくれた料理の数々だった。"食欲"とか"美食"などという、生活力やバイタリティに直結しているような言葉にはおよそ無縁そうな、淡々とした見かけを裏切って、料理の腕前は飛び切り素晴らしく、お世辞にも旨いとは思えなかった現地の料理が、同じメニューに違いないのに目を見張るくらい美味しくて。
〈…どっちの味付けが正しいんだろう。〉
ぱくぱくと気持ちいいほどの勢いで平らげながらそんな言い方をしたルフィに、サンジは初めて声を立てて笑ったのだった。
「…あっ。」
"それ"にはひょんなことから気がついた。だいぶ元気になって、こじんまりと整えられた前庭くらいになら出られるようになり、初夏の陽射しに様々な種類の瑞々しい緑が眩しい中を歩いていた時だ。庭先の柵に出ていたクギの先に引っかけて、思わぬほど深く刺した筈の指先が、見る見る内に元通りになった。かなり深く切った筈だのに、一滴だけの血の雫をこぼした傷口は、皮膚の中へと吸い込まれるように一瞬にして掻き消えたのだ。
"…え?"
自分の目で見たことだのに、信じられなくて。痛かった筈のその場所さえ判らなくなった不思議に、見張った目が…ふと、テラスに立ってこちらを眺めていたサンジの上へと留まった。眸が合うと少しだけ笑ってくれるようになった彼の顔が、これまでにないほど堅く凍りついていて、
「サンジ…?」
自分の指先から消えた傷よりも、彼の蒼白になった顔色の方が心配になって歩み寄ったルフィを、物も言わずに強く抱き締めるものだから、
「サ、サンジ?」
何が何だか判らなくて、ますます混乱する。そんなルフィへ、彼は…サンジは一言こう言ったのだ。
「………すまない。」
ルフィの指先から傷が消えたのは目の錯覚や気のせいなどではなく、彼の体質が…彼自身が変化してしまったからだと、サンジは言った。数日前にこのコテージ近くの川辺に流されて来たのは本当だが、その時にはもう、心拍数も呼吸もほぼ止まりかかっていて手の施しようがなくて。どうしようかとさんざ迷ったが、
〈………。〉
あまりに幼いルフィをこのまま逝かせてしまうには忍びなく、その白い指先を顎を縁取るおとがいの深みへと滑らせると、探り当てた血脈へと唇を埋めたサンジだった。
「それって、じゃあ…サンジってもしかして"吸血鬼"なのか?」
ただ何でもなく語られただけなら、何を馬鹿なことを言うのだと冗談話として片付けてしまえもしたが、現に傷が消えたという奇跡を目の当たりにしている。深紅の血がぽったりとこぼれ出したほどの傷というと相当深かった筈だと、そのくらいはルフィにだって判る。それが今は跡さえ判らないだなんて…実際に痛みを感じたからこそ、あり得ない不思議、奇異なことが、だが現に起こったのだと、百の説明より千の否定より明白な事実として把握出来た。その上での先の言葉でもあった訳だが、
「何かで聞いたことがあるもん。吸血鬼って怪我してもすぐに治って死なないし、仲間を増やすことも出来るんだろ?」
特に怖がったり錯乱したりはしない、妙に落ち着いているルフィであることがサンジとしては、救いなような…少々気が抜けたような。後で聞くと、
〈だって、慌てたって取り乱したって始まらないもん。それに、助けてくれたことには変わりないんだし。〉
そんな風に言って、あっけらかんとしていた彼だった。それからの歳月を経て、滅多に泣かない強い子だと、少しずつ判って来れば来たで…痩せ我慢には違いないと思いもしたが。
「似てはいるが"吸血鬼"だとかいうものではないよ。」
サンジはそう言って、出来るだけ判りやすくと説明してくれた。相手の血や生気を吸い取るなんてとんでもなくて、逆にこちらがとある生体エキスを分け与えることで不老不死の仲間にする。その"不老不死"という性質があまりに神憑りであったがために、科学よりも教会が絶対の権力を持つ時代や土地にあっては、根拠もないまま魔物のように恐れられたりもしたのではなかろうかと、彼は言った。その手の伝説が生まれた舞台となった中世と言えば、残虐な領主や王も少なからずいただろうから、そんな連中の所業を間接的に誹謗するという意味合いで生まれた怪物や物語もあったに違いない。それらと、現実の奇跡を身につけた彼らとが一緒くたにされて、今日に至っているというところか。
「ただのフィクションならこうも語り継がれるものではないからね。」
嘘のような現実と実まことしやかな虚構とが、誰かの勝手な都合から合体させられてしまう例は結構ある。いい例がやはり中世の欧州で行われたという"魔女裁判"で、あれは教会よりも地方地方の領主たちが主だって進めたという真相が明らかになりつつあるという。最初の内こそ、疫病や飢饉に見舞われた人々による一種の恐慌、ハーブや薬草を操る西洋版"漢方医"への誤解から始まったものらしいとされているが、後になってくると様相は一変する。その才能や勤勉さから財を成し、人望を集めていた豪農などを煙たく思った地方領主が、地元の教会の人間を丸め込んで彼らを魔女やその仲間と判定させ、無理から処刑し、財を奪ったというものが殆どだそうで、中央の教会はそのような"魔"に属するものが実在すると認めてはそれこそ権威にかかわると、むしろ"浅はかなことは辞めるように"と、再三にわたって注意や警告を発したらしい。…話が逸れたが。
「俺も実を言うとそんなに詳しくはないんだよ。」
一通りの説明をしていたサンジは、ふと、語調を変えるとそんな事を言い出した。
「? 自分のことなのにか?」
キョトンとし、大きな眸を見張るルフィへ、
「ああ。」
伏し目がちになり、薄い唇を歪めるように苦く笑った。
「俺もマスターに…この能力を持ってた人に助けられた側だからな。元からそういう一族の人間だったって訳じゃないんだよ。」
そんな風に言うサンジへ、
「…ふ〜ん。」
語尾を妙な伸ばし方にするルフィであり、それを怪訝に思って、
「なんだ?」
眉を上げつつ短く訊くと、屈託のない舌っ足らずな声が応じた。
「だって、サンジって"そういう雰囲気"あるからさ。元からの吸血鬼かと思った。」
「…だから"吸血鬼"じゃあないんだって。」
微妙に"人ならぬ身"となってしまった以上、人々の中に紛れるのは良いが馴染むことは出来なくなる。時が止まった身。そんな素性を知られたら、異端の者ということで好奇の目を集め、あるいは恐れられ、まともに暮らしていられなくなるからだ。幸いと言って良いものか、留学していた学校からそれとなく情報を得てくれたサンジが言うには、ルフィは行方不明のまま溺死か凍死してしまったものと思われているらしく、ならばと名乗り出もせぬまま、ほとんど誰も訪ねては来ないサンジのコテージで最初の2年を過ごした。見た目以上の長い歳月を生きて来たらしいサンジは色々なことを良く知っていて、英会話やフランス語、車の運転にコンピューターの操作法、ちょっとした歴史や地理の話、天気や雲、気温からの天候の読み方、世界各地の民話や伝説、花の名前や鳥の生態、作法やマナーなどなどと、気の向くままに様々なことをルフィに教えてくれたため、ちっとも退屈はしなかった。そんなある日、
「旅行?」
「ああ、此処にも飽きたしな。」
ルフィが同居するようになる数年ほど前から住んでいたという川辺のコテージ。たいそう静かで、自身の物静かですっきりした佇まいにそれは似合うシックな住まいだのに、ここから離れると急に言い出した彼であり、
「俺が居るからか? ちっとも育たない子供が。」
さすがに気が引けたような顔になるルフィの頭をポンポンと軽く叩いて、
「気にするな。これまでだって何年かおきには移動を繰り返していたよ。それに、一人でいた頃は億劫なばかりだったが、二人連れだと何かと楽しめる。」
サンジは微笑って見せた。この2年間の同居で彼が変わったところを挙げるとしたら、口数が増えて、よく笑顔を見せるようになったことだろう。付け足しのようなそれではなく、ルフィを安心させるためだったり、少年の屈託のなさに釣られたりして身についたもの。たった一人で、息をひそめるように、若しくは人の世への傍観者として暮らしている時には必要ではなかったもの。そんな笑みを向けられて、
「そっか。」
にっかと笑い返したルフィに、サンジもますます目許口許を和ませる。それと知らぬ内に、失いたくはない家族のような間柄となっていた二人だったのかも知れない。例えそれが、独りぼっち同士が身を寄せ合ってのものだとしても、なればこそその温もりは何にも替え難い宝物になった。
◇
人々と交われぬ逃避行の中、身体の時が止まったままなルフィは、物の見方や考え方…所謂"心"もいつまでも子供のままだった。子供の皮をかぶったまま老成するのだろうかと思っていたが、
〈それは無理だな。〉
サンジが小さく笑って、
〈大人になるにはそれなりの体験を積まなきゃいけない。何かや誰かに責任を持つ立場に立ったり、それこそ子供と向かい合って自分が大人なんだとしっかり自覚したり。その姿でそんなことを経験するなんてことは、まずはなかろうからな。〉
ただ年齢を食えばいいというものではないと、そう言うサンジに"ふ〜ん"と納得し、
〈じゃあ、サンジは大人なんだ。〉
〈? なんでだ?〉
〈だって…俺の保護者だもん。〉
決めつけたような言い方をしておきながら、違うの?と伺うような顔になるのが何とも愛らしくて、ついつい小さく笑う。
〈そうだな。俺も随分と立派な大人になれそうだ。〉
そんなこんなで、奇矯な筈だのに奇妙な安定感に満ちた二人っきりの生活は、特に大きな破綻もないまま、7年という歳月をあっと言う間に消化した。そして、
「…日本へ行くの?」
そういう話が飛び込んで来たのが半年ほど前。
「ああ。クライアントがやたら頭の古い年寄りでな。ネット上のやりとりだけでは不安か不満か、とにかく一度でいいから実際に会ってくれと言って来てな。」
「それって…。」
これまでなら、その手の接触をしようとする輩とは、下心があろうがなかろうがすぐさま手を切って来た彼だった。彼の特殊な身の上を隠し通すためには必要な用心からのこと。、自分へも"そういうものには気をつけろ"と口うるさかった彼だのにまたどうして…と怪訝そうな顔をするルフィへ、
「老い先短い爺様でな。あちこちに顔つなぎしてもらったっていう、ちょっとした義理もあるんだよ。」
サンジは口の端を小さく持ち上げてシニカルに笑い、それから、
「どうするね。」
「え?」
「ついて来るか?」
サンジがわざわざ訊いたのは初めてのことだった。仕事での旅行やお出掛けでは、その長さや向かう先によって、ルフィを連れて行くかどうか、本人に聞きもせずに決められて来たのが常だった。それが海外でも、そういうルートに顔が利く彼はルフィの分もパスポートを入手出来たにもかかわらず、短い滞在だからとか、治安が不安な土地らしいからと言ってはお留守番をさせられることもしばしばで。ルフィの側でもよほど長い間の事でもない限り、不平も言わず仮の住まいのホテルやマンションで大人しく待っていた。だのに、何故? と小首を傾げて怪訝そうな顔をしていると、
「日本だ。お前の故郷だろう?」
「…あ、うん。」
そういえばそうだったと思い出すほど、すっかり遠くなった国だった。二度と知己たちとは会うことも出来ない、この世で一番遠い場所。だが、
「7年も経っているんだ。親御さんやよほど親しかった人間でもなけりゃあ、思い出せはしなかろう。お前、ムービースターだった訳じゃないんだろう?」
「まあね。」
サンジの言いたいことは判る。芸能人か指名手配犯でもない限り、日本という国の隅々にまで顔が知れ渡っている筈はなく、しかも7年という短くはない歳月も経っている。知り合いでも見過ごすかも知れないくらい、実は問題のない土地なのかも。
「俺も羽根を伸ばしたいしな。ゆっくりした滞在を組んでるんだ。だから、一緒に行こうや。」
にっこり笑って言うサンジだったが、
「…うん。」
当のルフィはどこか表情を曇らせてついつい言葉を濁すものだから、
「? どうした?」
不審に感じた。懐かしいだろうと、少しは喜ぶかなと思っていたのに、これでは正反対なリアクションではないか。向かい合って腰掛けていたソファーから立ち上がり、すぐ傍らへと移って顔を覗き込むと、ぽそんとこちらの肩口へと凭れて来る。
「…覚えてないかな。父さんや兄さんくらいでもないと。」
くぐもった声が紡いだ呟きに、
「何だ? 覚えててほしい人でもいるのか?」
それは初めて聞く話だと、サンジも心底意外だという顔になる。彼が知己の話をするのは恐らく初めてのこと。もう逢えない人たちなのが自分でも辛いからか、それが肉親のことであれ、話題にしたことはこれまで一度もなかったのだ。7年前というと…今も見た目はそうだがまだ中学生だった彼であり、その当時の知己だとして、同い年なら二十一歳。大学進学したにせよ就職したにせよ、もうすっかり大人になって社会に出ている年頃。微妙にまだ子供だった頃の友達を、そうそう覚えているものだろうか。そんなこんなと思うのはルフィの側とて同じであるらしく、
「うん。従兄で…俺より二つ年上だったから、もう大人になってどっかに勤めてるかもな。」
「従兄? それって男の子の親戚だよな。」
会話の引用が…日本語からの置き換えが間違ってないかを確認するサンジであり、
「そうだよ? ゾロって言って、凄くかっこいい、とっても優しい従兄の兄ちゃんだったんだ。」
一瞬、これまでサンジが一度も見たことがないほど、甘く華やかな笑顔になったルフィで。…だが、
「でも…うん、もう覚えてないだろな。」
すぐさましゅんと萎しぼんでしまった。
「7年っていえば、失踪届けとか出されてたら死んだことにされちゃうくらいの長さだし。」
日本では、法規上、遺体の確認をした病院なり警察なりの証書というものが添付されていなければ、死亡届は受理されないが、事故や遭難もしくは失踪などによる行方不明で遺体が見つからない場合は、その旨を届け出て7年以上経つと、死亡扱いとなって戸籍などが処理される。見かけはともかく、サンジの傍で世間を一通り見ては来ただけに、そういうことも多少は知っていた彼であるらしい。
初めて口にした、彼が一番懐かしいと思った知人の名。よほど大事に大切に胸の中で温めていたものらしくて、一度堰を切ると止まらず、何かにつけ"ゾロ"という名前が彼の口から出るようになった。いかにやさしかったか、どれほど男らしくて頼もしかったか。まだ学生という年の頃から寡黙で落ち着きがあって、周囲の大人たちからの信頼も厚かったとか、そのくせ面倒見が良くって、年下だった自分といつもいつも煙たがりもせず遊んでくれたとか。そして…その従兄をどんなに好きだったルフィだったのかは、言葉にされずともそれらを語る彼の顔から簡単に察することが出来て。
「何なら会ってみるか?」
サンジがそんな風に言い出したのは、日本での商談が全て済んだ日の夜のこと。
「…え?」
「どうせただ覗き見るだけでは足らんのだろう? それなりのセッティングをしてやるから、会ってみないか? その"ロロノア=ゾロ"たらいう従兄によ。」
面白い悪戯を思いついた…というような顔で言う。
「大丈夫、相手はお前を他人の空似くらいにしか思わない筈だ。年齢矛盾に気づいてな。いつもお前が言ってるような、聡明な兄ちゃんなら尚更にだ。」
随分と言葉をはしょった言い方をするサンジだったが、言いたいことはルフィにも判った。彼の前に姿を現しても、行方不明となってからの年数をすぐさま想起出来る聡明さがあれば、本人だと気づかれることはまずはなかろうと、そう言っているサンジであり、
「…でも、ホントに気づかないのかな。」
「なんだよ。気づいてほしいのか?」
問われて複雑そうな顔をする。それでは困る筈だのに、覚えていてほしい、気づいてほしいという気持ちの籠もった、むずがる一歩手前のような顔だ。
「いくら骨休めに来たとは言っても、日本ここにもそう長いことは居られないからな。」
どうするか、早く決めとけよと暗にそう言うサンジへ、ルフィは小さなため息をつくと顔を上げた。
『蒼夏の螺旋 〜サマー・スパイラル』Cへ
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