月夜見

  蒼夏の螺旋 〜サマー・スパイラル F


        




 これで"追跡者たち"は全員片付けた。無論、一人たりとも殺してはいない。一方的に、それも立派な凶器付きで襲われたのだから、何も遠慮をすることはないのだが、こちらにはとある逆ハンデがあることからついつい加減をする癖がどうしても抜けない。それに、相手の非道さと同じレベルに降りていってやってまでして、相手と同じ穴の貉
むじなにわざわざなってやる必要はないというのが、こういった事象へのサンジなりのポリシーでもある。それはそれとして、では、どこの筋の者で誰の依頼かを確かめることも一切しない彼でもある。面倒がってのことではなく、突き止めたところで意味がないからだ。判ったからとて、一般人でない自分にはどうしようもない。警察などの公安関係に頼れる身でもなく、こちらからリベンジに打って出ても最終的には何らかの後塵を引くだけ。所詮は自分で自分を守るしかないのだし、警戒にしても始めれば限きりがない。そのため…いざという時に困らないよう、人間関係にせよ仕事上での統括や管理にせよ、いつでも身一つになれるよう…つまりは後腐れなく切り捨てられるよう、出来るだけ身軽にと心掛けてきた彼であり、今は今で、ルフィだけを守り切れればそれで良いからと、自分の身さえ“切り捨てる側”に計上しているほどだ。昏倒させた手合いたちは、それなりのツボを叩かれているため、そう簡単には目覚めぬよう意識を奪われてもいる。人事不省状態の"猟犬たち"を後に残して、
「表に出るぞ。飛行機に間に合わなく…。」
 ルフィにかけたサンジの声が、だが、立ち消えるように中途でふいっと途切れた。少年が、何に気を取られてか、その大きな眸をなおも大きく見開いていて。その視線を辿った先。洗車場の一番端、初夏の陽射しに白っぽく晒された屋外へ向かって大きく開かれたままなシャッター口の辺りに、誰か、人の気配があった。
「………っ!」
 今まで見て来たスーツ姿とはガラリと変わった、どこかミリタリー調に近い、動きやすそうな服装でいる"彼"が立っていたのだ。黒地のTシャツに、浅い生成り色の、サファリパンツだろう大きめのボトムとワークブーツ。こういう格好の方が、短く刈られた髪や分厚い胸板、逞しい肩や二の腕といった、均整の取れた肉置きがよく映えて見える。よくよく鍛えられたそれだろう上背のある身体つきは、スーツ姿が決まっていたシャープな印象を完全に払拭していて、無駄なく引き締まってはいながらも格闘家ばりに荘厳な迫力を帯びているのが、何とも頼もしい限り。
「…ゾロ。」
 唇がほぼ動かない、譫言
うわごとのような力のないルフィの声がぽつりと落ちる。何故、どうして、こんな場所に、こんな時に現れた彼なのかが判らない。ルフィも随分と注意して振る舞っていて、彼には何の手掛かりも与えなかった。人の目をはぐらかす逃避行に慣れた自分たちを、単なるサラリーマンに過ぎない、素人もいいところな筈の彼が、追跡出来よう筈がない。
"…こんな時?"
 サンジが眉を寄せた。ここは、彼とルフィとが逢っていた街とはかなり離れている。しかも、あまり人には知られていなかろう寂れた場所であり封鎖された施設だ。加えて…自分たちにとっても“予定外”のこんな特殊な場所にいるとまで、完璧に察知することがそうそう出来るものだろうか。…と、
「久し振りよね、サンジくん。」
 そんな声がした。若い女性の声だ。
"………え?"
 大柄なゾロの背中の陰にその全身がすっぽりと隠れていた、すらりとした女性が一人、横手へ体を一歩分ほどずらしてその姿を現した。オレンジ色に近い亜麻色の髪をうなじから肩先辺りで揃えたショートカット。瞳の大きな、若々しくて快活そうな、それでいて品のある理知的そうな女性。
"…あ。"
 今度はルフィが我に返ったようにサンジの顔を見上げる。いつもいつも彼がついつい目で追う女性の特徴を、彼女は全て持ち合わせてはいないか? 現に、
「…ナミさん?」
 まるでさっきまでのルフィと入れ替わったかのように呆然としている彼であり、名前まで知っているということは、
“サンジ?”
 彼の知り合いだということになる。
「今度こそ鳧
けりがつきそうよね。私たちの“鬼ごっこ”にも。」
 こちらもやはり活動的な、Tシャツに軽い素材のジャケットと、サスペンダーで吊ったサファリパンツというスタイルでいるナミが、口許だけを柔らかくほころばせた。いかにもな余裕が感じられる、鷹揚そうな表情の滲ませ方で、
「まずはそちらの坊やを渡しなさい。これ以上振り回しちゃあいけないわ。」
「…っ!」
 一方的な、ともすれば命令口調な言葉にサンジが息を引く。だが、
「やだっ!」
 彼より早く、ルフィ本人が答えていた。
「何でお前なんかに命令されなきゃなんないんだっ! 俺は自分からサンジと一緒にいるんだ。そんな勝手なんか聞かないんだからなっ!」
 噛みつくような言いようをし、すぐ傍らのサンジのジャケットの裾を掴む。すぐ傍ら、同じ空間にあるゾロの存在が気にならない訳ではなかろうに、無理から無視をしてサンジの背に顔を伏せた。普段からこうまで攻撃的な子ではない。だが、奇襲を受けたばかりだという興奮状態の名残りと、これ以上はない混乱とが相俟
あいまって、こんな乱暴な態度を彼に取らせたのであろう。何が何だか、こうと運んだ展開が自分にはまるきり判らないが、でも、大丈夫。サンジならこんな場面も、先程までの活躍よろしく、あっさり振り切ってくれるという信頼あっての啖呵でもある。とはいえ、
"………。"
 当のサンジとしては、実のところ、初めての焦燥感を覚えていた。これまでにも何度か、彼女の目前で身を翻して逃走したことは何度もあったが、今回はシチュエーションも道具立ても、そしてこちらの抱えた条件もまるきり違う。過去のいずれも、身一つという何も持たない身軽さであればこそ躱せて来られた対峙であったが、今の自分は、もはやルフィを置いての逃走を選べない。彼の身を、生き方を歪めた責任者であり、それをおいても離れ難いと自身に認めた対象だ。だが、相手方には例の"従兄殿"がいる。彼女だけなら躱せても、この男はなかなか手ごわそうだと見るからに分かる。腕っ節もそうだろうし、かてて加えて自分は彼を怒らせたばかりだ。彼の大切な思い出を手ひどく踏みにじり弄んだ者として、その胸中に煮えたろう怒りはいかばかりか。それに…ナミから“話”を聞いているのなら、大切な従弟を取り返すためにと、彼女の助っ人の“ハンター”として自分の前に立ちはだかった彼だという解釈も出来て、
“振り切るには、こいつも蹴倒すしかないって事か。”
 内心で溜め息をつきつつ、サンジはネクタイをゆるめ、ジャケットを脱ぐと、そこにしがみついていた少年へそれらを託しながら、
「離れてろ、ルフィ。」
 軽く押しやる。傍から離れるのは心細いのか、
「だって…。」
 ルフィは少しばかり躊躇の色を眸に浮かべた。そんな彼へ、
「お前が傍にいると、あいつが本気を出せないんだよ。ただでさえこっちが有利なのに、それじゃあ不公平だ。」
 わざわざ顔を見てやって笑って見せる。それを余裕と取ることで少しは宥められたか、ルフィは言われた通りにし、彼らから少しばかり離れた。
“………。”
 対峙のために向かい合うと、それまでほとんど…気配さえなかったゾロから何かしら強い“意識”がこちらへと放たれたのが伝わって来た。先程はただのサラリーマンで素人だと評価したが、どうしてどうして、この、気魄のような“闘気”の鋭さと分厚さは大したものだ。ルフィから聞いていた各種の格闘技は今でも続けている彼なのかも知れない。
「…っ!」
 先に動いたのはサンジで、砂利混じりの地面を蹴立てて真っ直ぐ突っ込んでゆく。必要外の肉身を削ぎ落としたような痩躯が、風に溶けるかと思うほどの加速に乗っていて、やや低くなった前傾姿勢のそのまま掴みかかってでも来るかと身構えたゾロだったが、
「…っ。」
 不意に視野の中から相手の姿が消えてぎょっとする。ああまでの加速がついた身を、違うベクトル…上や横という別な“力方向”に乗せ換えることはそうそう出来ることではない筈だ。だが、
「哈っ!」
 間際で宙空へ…それも半端ではない高さへ飛び上がりざま、身を捻って大きくぶん回して来たサンジの足蹴りを、
「く…っ!」
 こちらも咄嗟に顔の前でガードに立てた、両腕の手首で受けて喰い止めた。あの加速を殺しもせぬまま垂直方向へ飛び上がれるとは、恐ろしいほどのバネの持ち主で。そして、そうと気づいてからの用意では間に合わなかったであろうから、ゾロの側が見せたのは恐らく反射的な防御だろう。だのにも関わらず、まるで楯並みの頑丈さであり、
「…っ!」
 サンジはそのまま横へと薙ぎ払われ、身体ごと押し戻された格好になった。
「成程ねぇ。伊達にいい身体つきをしている訳じゃあないんだ。」
 こちらこそ、並の人間だったなら…少なくとも彼ほども細い相手なら、吹き飛ばすくらいの勢いを込めたつもりのゾロだったが、押し戻されながら、自分に押し込まれた力の方向を読み取ったサンジなのだろう。無理をせず逆らわずに力をいなしたそのまま、難なく着地して見せる余裕が憎々しい。
「ルフィからさんざん聞いてるよ。剣道と合気道を修めていて、高校生の段階で既に国内に敵なしって身だったそうじゃないか。」
 腕っ節のほどは予測済みだったらしい。最初からただのサラリーマンだとは思っていなかったと評されて、
「だったらどうした。」
 ここに来て初めて放たれたゾロの、それはそれは低い声。ルフィが思わずその冷然とした感触へ身をすくめる。
“…ゾロ。”
 ルフィには、一体どうして彼が自分たちに立ち向かおうとしているのかが判らない。彼から放たれている、きんと張り詰めた怒りの冷たい気配はルフィにも伝わっていて、正視しているだけで圧されるほどに重く、その重さの分だけ身が凍るほどに辛い。澄んだ眸のその深色をなお研ぎ上げたような鋭い眼光に、きつく顰められた眉。口許も重く引き締まり、とてもではないが友好的な縁
よしみを結びに来た風情ではない。さんざん馬鹿にされたと腹を立ててだろうか? それとも、何かを知っていそうなあの女性から、自分たちの正体を聞いて、人ならぬ者たちを退治しなければならないと感じてやって来たのだろうか? 自分が先程サンジにすがったことを思えば、彼がどんな心持ちでいても詰なじれる立場ではないのは重々判っている。だが、こうやって間近に姿を見、鮮やかに躍動を見せる、相も変わらぬ切れの良い身のこなしなぞを目の当たりにすると、昔あれほど好きだった、そしてつい先日まで逢うたびに胸をドキドキさせていた“想い”が、隠しようもないくらいふつふつと身の裡うちに沸き起こり、されど…そんな彼から存在を拒まれている身の切なさに居たたまれなくなる。あんな冷たい声など聞きたくはない。こんなこと、早く鳧をつけてほしい。でも、それはどちらかが倒れることでもあって、
"………っ。"
 抱えた上着をギュッと抱き締めて、苦しげに息を詰めたルフィだった。そんな彼が見守る先、
「…っ。」
 身体を半身
はんみに…斜めに構え、ゾロは腰を深く落とした。全国一位の実力を誇るほどの剣術に長けている身だのに木刀の一振りも携えていないのは、丸腰のサンジと条件を同じにしているつもりなのだろうか。慣れぬ格闘に臨むとあってか、下手に掴みかかっては来ず、こちらからの攻勢を受け止め、それへと対応する“受け身”で対処しようとしているのが判る。腕はさほどに仰々しく構えず、ただ足元だけは固めたという観のある体勢。踏み締めたブーツの底が、打ちっ放しのセメントの床の上、細かい砂を咬んでジャッと耳障りな音を立てる。
"…へぇ。"
 まさかに"睨み合いで時間切れ引き分け"という訳にはいかない対峙だ。サンジとしても逃げで躱し通すつもりはない。隙あらば容赦なく貫
き通すつもりで相手の態勢をじっと見据え、
"どこからどう突っ込んでも対応出来る…か。"
 そういう構えだと見て取った。馬力があって打たれ強そうな、がっちりした重々しい体躯だが、どうしてどうして先程の反射は素晴らしいものだったし、切れのある身ごなしにも隙がない。だが、
"優等生の模範的な答えではあるが…。"
 そこに…活路を見いだせそうなポイントの欠片
かけらがあると気がついた。こちらは長年の“実戦”で命を張った綱渡りをこなして来た身。なればこそ持ち合わせる“感覚”の差であろう。
"…さて。"
 やはり先んじて動いたのはサンジの方で、
「呀っ!」
 一歩一歩踏み込みながらの旋回による連続回し蹴りを繰り出した。休みなく高々と蹴上がる脚は、まるで鋭い刃物のように、隙のない切れ味でこちらの懐ろの深みへと容赦なく突っ込んでくる。擦り足で後退しながら、一蹴り一蹴りを先程と同じく顔の前に立てた腕の背で受け止めて、
「…っ!」
 何発目かを、向きを変えた腕の先、つまりは手のひらにがっちり受け止めたゾロだ。そしてそのまま…手荒だったが、伸び切って無防備となった膝の裏に、容赦のない正拳を一発お見舞いした。
「ぐあっ!」
 咄嗟に、立っていた方の脚で地を蹴って後方転回…バック転をし、またぞろ力を上手く受け流しながら、逃がれるように身を引いたサンジだったが、それでもかなりのダメージを与えた筈だ。筋を傷め、数日はまともには歩けないほどの。
"…まともな人間だったら、の話だが。"
 期待もなく見やる先。傷一つない白い顔にぱさっと金色の髪が覆いかぶさり、着地地点で一瞬眉を寄せたものの、ほんの数刻の間をおいて、すっくと立ち上がる様子にはやはり大したダメージが感じられない。
"やはりな。"
 これほどやりにくい相手もない。ただでさえ、完膚なきまで相手を叩きのめすという対決の経験がないゾロだ。子供の頃から籍を置いていた道場が堅く私闘を禁じていたせいでもあるし、時折言い掛かりからの喧嘩を吹っかけられても、たいがいの相手は適当にいなすだけで倒
せるほどの実力差がある身だった。そこいらで因縁を吹っかけて来るような手合いは、猛るばかりで中身のない隙だらけな奴ばかり。正当な試合・立ち合いで当たる相手こそ、立ち合いの駆け引きに長けた、油断出来ない奥行きを持つ実力者たちであり、真剣に立ち向かう価値のある存在だった。だが、そういう立ち合いはといえば、審判がいたり"ルール"があったり、もっと判り易い点を挙げるなら、防具をつけていたり"寸止め"があったりと、早い話が"スポーツ・競技"の域を出ない代物。現在のこの国の一応の"平和"にあっては、本気で生命を懸け合ってまで叩き伏せ合う戦術・戦法を身につける必要がないのだからそれもまた仕方がない。そこに加えて、この対戦相手には常人の数百倍もの回復力が備わっている。どんな怪我も疲労も、あっと言う間に完治し持ち直す能力。
「哈っ!!」
 今度は初めて殴り掛かって来たサンジであり、腕の楯を掻いくぐって懐ろへ、見事に隙をついて絶妙な角度で飛び込んで来たストレートを、
「ぐっ!」
 故意に胸板で受け止めたゾロは、そのまま手首を掴み取る。
"ちっ。"
 サンジが蹴り技ばかりを使っていたのは、こうやって捕まると…急所の多い頭部や胴体部を、楽々と射程内へ引き寄せられたり固定されたりしかねないと考えたからで、それだけゾロの腕っ節へ敬意を示してもいた訳で。危惧していたその通り、強引に引き付けられると次の瞬間、楔
クサビのように鋭い肘撃ちが繰り出され、みぞおちへ深く食い込んだ。
「ぐぅっ!」
 息が詰まったそのまま、膝を落としつつ、身を折り込んで床へ崩れ落ちかけたところ、下がりかけた顎を狙って容赦なく蹴り上げられた。顎の骨がこめかみに直結しているのはご存知だろう。そのため、カツンとぶつけただけでも目眩がするほど頭に響く箇所でもある。膝に抱っこしていた小さな子供がひょいっと顔を上げた拍子にごつんと頭がぶつかっただけで、大の大人がのたうち回ることがあるほどで、
「が…っ!」
 跳ね返るように仰向けにのけ反ったそのまま、痩躯が背後へ倒れ込む。情けや手加減なぞ微塵もない攻勢だ。どれほど場慣れしている屈強な輩であっても、ここまでで充分に人事不省となっているところ。頭をセメントの床に思い切りぶつけたろう、ごつっという生々しい嫌な音がして、砂混じりの埃が舞い上がり、
「…っ!」
 まるで我が身への痛みを感じたかのように、ルフィが苦しげに息を引いた。それでも目は背けない。辛いだろうに決して目を逸らさず、もうやめてくれと飛び出しそうになる身を、何とか必死で押さえていると判る。腕の中には力任せに抱き締めたサンジの上着。それがなければ、自分の指を…喰い千切るほど咬みしめていた彼に違いない。そんな彼の見守る中で、
「………。」
 いくらなんでも今度はかなり効いたらしくて、床へと肘を突いての身の起こし方こそ随分と痛々しかったが、
「どうしたよ。俺が何者なのかは、そこの彼女から訊いて知ってるんだろう? 遠慮してんじゃねぇよ。」
 上体を起こして顔へとかぶさる髪を梳き上げ、大儀そうながらもふらふらと立ち上がるサンジであり、
「それでなくとも、あんたの攻勢は行儀が良すぎて甘い。持ってる力の半分も出してない。相手に情けをかけてばかりで、深手を負わせることはあっても止めを刺したことが一度もないんだろう? そんな半端な攻撃じゃあ、タフさ比べになればスタミナがある方が勝つぜ?」
「………。」
 さすがは実戦派で、既
とうにそこへと気がついていたらしい。肘撃ちを食らった腹部を右手で抑えながら、じわりじわりと傍まで歩み寄って来つつ、
「遠慮なんか要らない。彼女から託されてる筈だ。あっちの奴らとは違って、特別な武器をな。」
 そうと告げ、大きな吐息を一つついた途端、体勢がしゃんと持ち直し、足の運びがスムーズな…ゆとりのあるものへ戻った。寸前まで多少なりともダメージを負っていたことが、質のいい演技であったかのようだ。
「きっちり…身を抉
えぐるほどの深手を負わせないと、こっちはすぐさま回復出来んだぜ?」
「………。」
 勿論、その点についてはゾロも聞いている。手足がもげるほどの代物でもない限り、回復に一カ月はかかるだろうダメージも一瞬で帳消しに出来る、言わば"化け物"だと。だからこそ、手加減なぞ要らないと。だが、そうは言われていても簡単に割り切れることではない。相手は自分と何ら変わるところのない姿をした"人間"だ。まして…長年に渡って武道に馴染みがあって、なまじ怪我にも縁がある身だから尚更に、相手に及んだ痛みのレベルが判ってしまい、ついつい制御がかかってしまう。だが、
「同情か? そんな立場じゃねぇだろうがよ。」
 少しでも大きな声になれば吐息がかかりそうなほど接近して、サンジは煽るように言葉を重ねた。上背のあるゾロの、男臭い顔を覗き込み、
「あんたの大事なルフィを、またしても掻っ攫われても良いのかよ? もう二度と日本の土は踏ませねぇつもりでいるんだぜ?」
 そうと告げた低い囁きに、
「…っ!」
 ゾロの…まだどこか熱を放たぬ、無表情に近かった顔つきが、一気に覚醒して鋭い冴えを帯びる。
「可愛いやさしい、いい子だよなぁ。オマケに世間知らずだったから、すぐに丸め込まれて。」
 薄く笑っての挑発するような言いように、かぁっと頭へ血が昇った。先程からずっと、大きな眸を見開いて、自分たちの戦いを片時も目を逸らさずに見守っている少年。さっきこの男にすがりつき、自分の意志から彼の傍に居るんだと言い切った時、得も言われぬ…怖気にも似た何かが背条を這い上がったのを思い出す。何も知らぬままこの男の言いなりになって、今日まで良いように引き摺り回されて来たルフィなのかと思うと、言葉にならない怒りが沸き起こる。誰かに対する怒りや憎しみを、こうまで…目が眩むほどふつふつと直接的に感じたのは初めてだ。
「…このっ!」
 殴り掛かろうとした腕のリーチ分をひょいっと躱して避けたサンジをきつく睨みつけたまま、腰の後ろ、ベルトに差していたらしいものを掴み出すゾロだ。屋内の薄暗い光量の中で黒光りするそれを見て、
「………あっ。」
 ルフィが思わず抱えていた上着を取り落とした。拳銃という、彼にはあまりにも不似合いなアイテムだったからだ。今の時代の日本人が、まずは一生の内、一度たりとも本物に触れぬままに過ごすだろう危険物。だが、サンジには予測があったらしい。薄い唇を歪めるように笑って、
「きっちり狙えよ? 当たり処が良けりゃあ、回復する暇もない“即死”ってのを呼んでもらえるかも知れん。」




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