月夜見

  蒼夏の螺旋 〜サマー・スパイラル G


        




 薄暗い中にも照り映えるような端正な白い顔には、強かそうな笑みが少しも崩れないままに浮かんでいる。何故、こうまで冷静でいられるのだろうか。彼が言うその通り、再生も間に合わない“即死”であれば、そのまま常人並みに死が訪れる身だと聞いている。怖くはないのか、それとも…素人のゾロには引き金を引くことは出来まいと高をくくっているのか。
「………っ!」
 腕を真っ直ぐに伸ばせば、銃口が相手の額へ触れかねない。そのくらいまで近づいていたサンジの、それまでずっと余裕に満ちていた表情が…ふと一瞬揺らいだのは、

  「ダメだっっ!!」

 飛び出して来た人影に気がついたから。サンジの懐ろへと飛び込んで、腕を大きく広げ、その身で庇うようにしがみついたのは、誰あろう…彼らの葛藤の真ん中で取り沙汰されていたルフィ本人で、
「ルフィ、離れてろっ!」
「やだっ!」
 唐突な組み合わせで揉み合う格好になり、サンジが引きはがそうとする手を必死で拒む。そんな彼に、ゾロもまた眉を寄せた。あまりの一途さに、この男に良いように丸め込まれ、誤解したままなルフィではないのかと感じた。間近になった懸命な顔。素直な反面、これと決めたことへは途轍もないほど強情で意地っ張りで頑固で。かつて大人たちの手をさんざん焼かせた彼が、そのまま…この手が届くすぐそこにいる。
「…ルフィ、退
くんだ。判ってんのか? 映画や小説とは違うんだぞ?」
 思わず、直接の声をかけていた。もつれた紐に難儀している子供を見かねるように、出来るものなら手早く誤解を解いてやりかった。これが“吸血鬼”などといった伝説上の化け物なら、生き血を吸われることで傀儡の身となった者は、支配者
マスターである吸血鬼が滅びれば共に滅びることとなる。だからこそ、忠誠を誓ってでもいるかのように主人を守るのであり、主人を脅かすものは自身の敵でもあるのだが、
「そいつが死ぬか滅びれば、お前は…。」

  「知ってるっ!」

 皆まで言わせず、ルフィは鋭く遮った。

「マスターが死んだりしたなら…サンジが死んだら、俺は元の身体に戻れるっていうんだろ? 知ってるよ、そんなことっ。」

   ………っ!

「ずっと前にサンジから聞いてる。すぐに元通り戻ってしまうからなかなか死ねはしないけど、即死するような何か危険な目に遭ったなら、そのままいつでも見殺しにしてくれて良いよって。俺がそう望むんなら頭をぶち抜いても良い、俺に出来ないなら自分でやるからいつでも言いなって。」
 そうまで直接的な説明を、本人からちゃんとされていたと言い、
「…でも、そんなこと出来る筈ないし望んでない。助けてくれたんだし、ずっと傍にいてくれて、いつだって寂しそうだのに優しくて…そいで…そいで………。」
 言葉に詰まり、しっかとすがりついたままなサンジ本人を困ったように見上げる。見つからない言葉の代わりにせめて想いが伝わるようにと、どこかもどかしげに…彼のシャツの胸元へ“こしこし”と顔を擦りつけたそれから、
「それに…ゾロにだってそんなこと出来る筈ないもんっ!」
 強い語調で言い放ったルフィだ。
「…っ!」
 言葉に詰まったゾロを肩越しに振り返り、
「喧嘩だってまともにはしたことなかった。絶対勝つの判っててかもしんないけど、人を痛い目に会わせるの、大嫌いだったじゃないか。それが…誰か殺すなんて事、出来るわけないっ!」
 ルフィにとってはどちらも大切な人だ。そして、どちらのことも良く良く知り尽くしているという自負がある。出会う前のサンジの素性やこの7年間のゾロの毎日というように、知らない部分が全くないとは言わないが、それでも…自分が知っている部分はそのまま、彼らそれぞれの資質の根幹に根付いた部分であり、ルフィにとっても誇りだと思えてやまない素晴らしい素養に外ならないと信じている。サンジが皮肉屋でシニカルなポーズを取りたがるその陰で実は繊細で優しいことや、寡黙で冷静で隙がなく見えるゾロが、本質的なところでは不器用で朴訥な青年であること。殊にゾロの…さわさわと手触りのいい、強くて潔癖な木綿のような気性は、逢えないでいた7年間を越えてもなお、少しも変わってはいないと確かめたばかり。そんな彼の手を、こんなことで…自分に関わったがために血に染めさせる訳にはいかない。だが、
「…人が相手じゃないなら判らないぜ?」
 こちらもまた、そうそう言いくるめられる訳には行かないゾロが言葉を重ねた。さすがに“相手が年端もいかない子供だから”というような安直な想いからではないものの、選りにも選って助けてやろうと思っている当人が妨害に向かってくるというのは何ともやりにくい。微妙に"どちらが正しいか"という対峙ではないが、なればこそ自分の主張をこそ聞き入れてほしい。だが、切迫しているこの間合いに、すっぱりと要点だけを伝えることは難しく。しかも自分が口下手だということを重々自負していたゾロであり、どこか“売り言葉に買い言葉”ぽかったのもそのせいで、言いようを選んではいられなかった彼なのだろう。急
いたあまりのこととはいえ、そんな気短かな手を打ったものだから、途端に、
「だったらやってみろよ。」
 ルフィもまた同じように、まるで挑発するかのように顔を振り向けてそう言い放って来た。
「そんなの言うんなら俺だってもう“人”じゃないもん。俺もいつまでも年齢を取らない奴だって判っただろ? サンジと一緒で、怪我をしてもすぐに治る“化け物”だ。」
 自分の口で、蔑
さげすむようにそうと言い、
「ゾロに殺されるんならそれで良いよ。ほら、やってみろよっ!」
 見かけそのまま、子供の繰り出す駄々のように聞こえもするが、それが命を張った駄々だというのは双方互いに分かっているから壮絶だ。ひょんなことから主役が交代し、おかしなノリで奇妙な押し問答が始まってしまった訳で。
「………っ。」
 自分の身を楯にして追い詰め詰め寄るルフィの気勢に、一瞬たじろぎかけたゾロの肩先の向こう。思わぬタイミングで不意に弾けた射出音があって、

 「…あっっ!」

 ルフィの肩先でそんな声が上がった。
“…え?”
 しがみついていた身体がいきなり重い荷のようになって、力なく床へと崩れ落ちた。あまりにもあっけなくて、信じられなくて。…だが、次の刹那にはもう、ルフィの口から鋭い叫び声が飛び出していた。

「…ッ! サンジっ!」

 一方のこちらでは、
「…ッ!」
 ゾロが振り返った先、ナミが無表情なまま立っている。その、小ぶりな白い手には、銃口から仄かに硝煙が立ちのぼる一丁の拳銃。見事な腕前だった。間に重厚な楯のように立っていたゾロの大きな体躯と、標的を庇うように精一杯身を広げて縋りついていたルフィとがいたにも関わらず、それらに掠めもせず、サンジの肩口の深いところへ22口径の弾丸を食い込ませたのだから。
「………。」
 声もなくずるずると崩れ落ちたサンジに、
「サンジっっ! イヤだっ! 目ぇ開けてっ!」
 ルフィが悲痛な声を上げてすがりつく。左肩と胸板の境目当たり、シャツに鮮やかな紅の華が染めつけられ、牡丹のように芍薬のようにじわじわとその花弁を広げている。白い顔は苦痛に歪み、瞼が伏せられていて、こんなに懸命に呼んでいるのに応答がない。
「サンジっ! なあ、サンジっ!!」
 このまま生命の灯が消えるなんて許さないと、シャツの胸元へ取りすがる。帰って来て、目を開けてと、強く揺さぶる少年の手を掴まえる白い手があって、

「落ち着きなさい。
 急所は外れているのだから、このくらい、すぐに再生されます。」

「…あ。」
 そういえばそうだったと、ルフィも思い出す。だが、そうと判っていてもそうそう平気でいられることではなかろうにと、これは…こちらも少なからず驚いたゾロの胸中での感慨だ。落ち着いた足取りで自分の傍を通り過ぎ、ルフィにそんな言葉をかけて、仰向けに倒れたサンジの傍らへとサファリパンツの膝をついて屈み込んだナミは、
「起きなさい。聞こえる? サンジくん。もういい加減に観念なさい。」
 静かに言い放った。言葉は固いし、態度も至って冷静だが、声には…どこか優しい響きがあって、
「あなた、何か誤解してない? 私はあなたを元に戻してあげたくて追っているのよ? 連れ戻そうの、口を封じようのって思ってのことではないのよ?」
 そうと告げた途端、サンジはふっと目を開き、
「判ってましたよ、何となくね。」
 呟いた。しっかりした声であり、どうやら銃創は塞がりつつあるらしい。
「…じゃあ、なぜ逃げ回る必要があるの。あなたがいた国も既
とうにこの世にはない。任務遂行の義理を立てる相手もいない。なのに、何故?」
「さあ。ずっと追いかけててほしいからかも知れません。」
 彼女の白い顔容を見るたびに、思い出すのは…闇の中に拮抗するかのように間断無く降りしきっていた白い雪。謎の一族の秘密を探れという密命を受けて、単身で訪れた北欧の隠れ島。だが、嵐に遭った船が座礁し、大怪我を負って打ち上げられた。そんな彼を、丁度サンジがルフィを助けたのと同じように救ってくれたのが、他でもないこのナミだったのである。
「あなたには“マスター”がいた。だから、傍らには居られなかった。切っ掛けはただそれだけの話なんですがね。」
 当時、某王国の諜報機関の人間だったサンジは、もともとナミが住まわっていた城の住人たちを探りに潜入を図った身だった。立場や身分の大きく違う二人だったその上に、
「この人の“マスター”って…?」
 ルフィが訊くと、
「彼女に不老不死の能力を与えた人さ。彼女も一族の人間ではないと、そう言ってた。ということは、誰か“マスター”が居るということになるだろう?」
 雪の中で見た、毛皮のボアに縁取られたフードに包まれていた小顔は、どこから見ても東洋系の人間で。一族の人間ではないのに、当主の一粒種である、同世代の実の娘と同じほど貴き待遇で扱われている少女。…となれば、主人格の誰かに愛しさからの特別扱いを受けている身であることは明らかで。マスター…つまりはパトロンがいた彼女だと知ったことで、これはますます手の届かぬ女性だと思い、身を引くように彼女の前から姿を消したサンジだったらしい。
「元に戻りたければ、マスターであるあなたを殺
あやめなければならない。普通の人間では再生能力のある者をそうは滅ぼせないが、俺はそっちの筋の熟練者でもある。そんなことは出来ないと判っていたけれど、何が起こるか、どう魔が差すかも知れないから、自分が怖くなって逃げたんですよ。」
 なのに、ナミは追って来た。当初は一族の秘密を守るため、サンジを消すか連れ戻すのが目的かとも思ったが、あまりに長い追跡に…だんだんとその理由や目的なぞどうでも良くなった。いつの間にやら詮索するのは辞めていた。自分をと追って来る彼女の存在が、独りぼっちではないのだという証しのような気がして。ただ…捕まってしまったが最後、連れ戻されるにせよ処分されるにせよ、もう彼女とは会えなくなるのは確かだとそう思った。
「あなたがこうやって俺を追うのは、それが任務、使命だからでしょう? 捕まったなら、国へ戻って…俺は処分されるか、良くても監禁か永久隷属か。もしかしたら元に戻してくれるためなのかもなと思いもしましたよ。強硬手段ってのを取らないから。」
 情報化の進んだこの時代ならではな方法を駆使すれば、人ひとり追い詰めるのは実は容易
たやすい。実際に追い回すよりも簡単な方法が幾らでもある。だというのに…元々“社会的なID”を持たないサンジが巧妙に立ち回る“裏の世界”へ追跡の網を広げて来ない彼女を、ずっと怪訝に感じていた。専門外だ、なんてのは理由になるまい。その道のエキスパートを雇えば済むことだ。先程サンジが文字通り蹴倒した輩たちを雇ったようにだ。そんな彼女の側の事情はともかく、
「けれど、どっちにしてもあなたとは二度と逢えなくなる。」
 それを唯一拒んでの逃亡だったと、サンジは言う。淑
しめやかな声での告白に、ナミは“ふう”と小さくため息をつき、彼の顔にかかっていた長い前髪を、その細い指先でそっと払いのけてやる。
「確かに…言ったわよね。マスターを殺すしか影響力を断てないって。」
 くっきりとした声だ。間違いのない事実のその重さを、僅かにも多からず少なからず、極めて正確に相手へ伝えんというなめらかな響きを伴って放たれた声。その同じ声が、
「でもね、もうひとつ方法はあるの。それももっと穏便なのがね。」
 そうと続けた。
「はい?」
「もう一度同じ人、マスターからエキスをもらえば、中和されて効力は消えるわ。」


  ……………………………。


  「「「…はあ?」」」


 入り口近くにだけ初夏の乾いた陽射しが覗く、薄暗くてがらんどうな洗車場に、男性陣の…少々間の抜けた声が見事に重なって響いた。サンジとルフィだけではなく、ゾロまでもが付き合いよく呆気に取られたような顔になっているところを見ると、彼もまたそこまでの真相は知らされてはいなかったらしい。後々になってナミが言うには、
『だから、彼を殺すしかないってくらいのことは言っとかないと、あなたって、非情に徹し切れないタイプだと思ったのよ。それでなくとも、今時の日本人って危機管理意識が低くて甘いし、素人のあなたに丸腰の相手を撃てるかどうか…。』
 現に…不死身の相手だから即死させるしかないという説明されていたにもかかわらず、足止めの弾丸を撃つことさえ出来ないでいたほど、手をこまねいてましたもんねぇ。まあ、後日談を今持ち出すのは気が早いからおくとして、
「何でそっちを先に言わなかったんですよ。」
 だからこそ…切羽詰まった自分が彼女を殺すことになりはしないかと、そういう関係に苦悩し、それを恐れて逃げたサンジだというのに。あまりに呆れてか呆れる余りにか、ここは一つしっかりと彼女を問い詰めたくなったらしく、むくっと身を起こしたサンジであり、先程までのしっとり神妙だった雰囲気もどこへやら。確かにまあ、尋常ではない身の上となったその上に、気が遠くなるほどの長い歳月に渡る、途轍もない逃亡生活を送ることを余儀なくされたのだから、これほどの人騒がせはないぞと、そりゃあ思うところだろう、普通。皆の…特にサンジの胸中を察して余りあるらしいナミは、だが、
「だって、身分が違うとか何とか、あなたちっとも私の話を聞いてくれなかったじゃないの。」
 こちらもどこか…開き直りなんだか、やけっぱちなんだか、ぶつけるような口調に変わっていて、
「パトロンなんて誤解よ、誤解。あたしは伯爵の孫娘さんの話相手に選ばれただけの身分だったの。言わば、年貢の変わりに差し出された身を不憫に思われた、一種の雇われ者だったのよ。」
 な、なんか『アナスタシア』とか『トスカ』とか、オペラの題材にでもなりそうな、もしくは壮大な歴史ドラマが一本書けそうな背景とか回想シーンが、ど〜んとせり上がって来そうですが。北欧が舞台なら、さしずめ某ドラム島のような豪雪や吹雪の中での、一大大河ドラマでしょうか。でもって、結末がこれってのは、何ともかんとも………う〜ん。
「それにしたって…。」
 どう考えてもどうにも納得が行かないサンジであるのも無理はない。そこまで安直で安易で無難な手段がありながら、どうしてまた…そっちを後回しにし、その剣呑さから悲劇を恐れるあまり、世界を股にかける逃亡劇を選んでしまうような方を、それしか手がないかのように打ち明けた彼女であったのか。ともすれば非難するように、尚も言いつのろうとするサンジの声を遮って、

 「好かれてるなんて思わなかったから、だよね?」

 不意に放たれた声があった。見やるとそこに居たのはルフィで、二人の会話に気圧
けおされてか、少し離れかけていたその場から、
「だって、サンジもいつだって俺に“すまない、すまない”って顔してた。」
 むずがりたそうな顔でそんなことを言い出す。
「俺、全然そんなこと思ってなかったのに、勝手なことをしたってずっとずっと思ってたろ。それを思えば分かった筈だよ? 感謝なんかされてる筈がないって、むしろ恨まれてるかも知れないってこの人が思ってたって。だから、それならいっそ憎しみや恨みからででも良いから、私から離れないで、私を意識していてって、そう思ったんでしょう? ナミさん。」
 松任谷由実さんの『青春のリグレット』という歌がある。そこにもそういうフレーズがあって、

  
―― 私を許さないで 憎んでも覚えててね

「俺だってサンジのこと恨んでなんかない。でも、ゾロを仲間に引き入れるって手もあるぜって言われた時、それは出来ないって思ったもん。矛盾してるけどどっちもホントだ。」
 ややもすると言葉の足りない言いようだったが、ナミはこくりと頷いて見せた。足りないどころか余りあるほどに、全く彼の言うその通りだったのだろう。
「だから…インパクトの大きな方の“戻れる方法”をまず話しておけば、私から離れられなくなると思ったの。元に戻りたいだろうから、ならば私を滅ぼせば良いわって言っておいた。それから、でもねってこっちの話を教えようとしたら…。」
「恐れをなして逃げ出していた。」
「そうよ。お陰で何十年追っかけたと思ってんの?」
「…少なくとも2つの大戦を乗り越えてますよね。」
 凄げぇ〜。それってもしかして3桁の大台に乗るほどの歳月なのでは? それまでの…凜と鋭く余裕たっぷりに毅然としていた様子はどこへやら。どこか恥ずかしそうに、居たたまれないというような顔になっているナミへ、サンジはふと“くつくつ…”と喉を鳴らすようにして小さく笑った。
「…何よ。」
「いえ。物凄い時間の無駄遣いをしてたんだなぁって。」
 それが笑って済んでしまうことなのかどうかは、賛否分かれるところだと思うが、とりあえず、当事者の一人には“笑うしかない”事実だったようで。
「俺も、ルフィが言うようにね、恨んでなんかいませんよ。妙なもんですよね。だのに、ルフィには“済まない、済まない”って思ってた。」
 向かい合ってすぐ傍らに座り込んでいるナミの手を取ると、まるで宝物のように押しいただいて、その真白な甲にそっと口づけた彼だった。


 さて、一方。

 あまりの急展開にただただ呆然となり、状況から取り残されたようになっていた。ナミの言い分の後押しをしたことでようやく何とか我に返れたものの、
「………。」
「………。」
 ふと…彼と隣り合う位置に立っていることに気がついた。
「…えと。」
 彼を拒絶するような色々な啖呵を切ったことが、いやいや、こんな身でいる自分を、選りにも選って彼の前へ晒しているのが、何だか居たたまれないで戸惑うルフィへ、
「ルフィ…か?」
 ゾロが…わざわざの声をかける。え?と顔を向けると、まだどこか信じられないのか、
「ルフィだよな? そうだよな?」
 確認するように訊くから、
「…うん。そだよ。俺だよ、ゾロ。」
 小さく頷いて応じたが、
「ルフィなんだよな?」
 下手に扱うと今にも消えてしまう幻か何かのようにでも思ってか、またぞろ訊く。こんなにも頼もしい彼が、だからこそ…相手の脆さに竦
すくんで怯えて、自分から手を伸ばすことさえ出来ずにいる。猛々たけだけしく凛々しい彼の、年齢を経たことで剛の落ち着きを得た雄々しさだが、その本質にあった“朴訥で温かいやさしさ”はやはり変わってはいなくて。
"………。"
 そんな彼の顔が、視野の中でじわじわと歪んでしまったのは、知らず込み上げて来た涙が、いつもの悪い癖で頬にあふれまいと目の縁で頑張っていたから。だけど、
「うん。ルフィだよ。俺、俺…ずっとずっとゾロに会いたかったよ?」
 微笑って見せたらあっけなく涙はポロポロとこぼれて、そこから先は何も言えなくなってしまったルフィだった。


 肩を抱かれた。
 頭を抱え込まれて、そのまま長い腕でぎゅってくるみ込まれて、
 温ったかくて懐かしい匂いのする、深くて広い懐ろに掻い込まれた。
 それから、小さな声で名前を何度も呼ばれた。
 長いこと呼ばなかったのを取り返すみたいに、何度も何度も繰り返し。
 外国の人じゃあるまいし、
 それでなくても照れ屋で、こういうこと苦手なゾロだったから、
 だから…凄っごく凄く嬉しいんだって、よく判って、
 オレも凄く凄っごく嬉しくなった。



       ***

  「なあ、ところで“パトロン”って何だ?」

 幼い声でそうと訊いた当人の頭の上、見交わされた一対の眼差しがあって、

 「………。」−A
 「………。」−B

 それぞれを翻訳いたしますと。

 A“お前、もしかしていつまでも子供のまんまでいるようにって、
   わざと偏った教育しとったんじゃねぇのか?”

 B“こういうジャンルに限っては、
   会った時のあの年齢で知らなかったことへ俺の責任はねぇ筈だぞ。”

 あらあら、あんなに仲悪かったのに、以心伝心、眸と眸で語り合えてんですか? あんたたち。






 
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