内部者の受容の仕方 重本直利・龍谷大学教授:大学破壊の構図と大学人の抵抗(『市民の科学』第2号、2010年6月)より(2010.10.23)

 

 

●「いつまでガタガタ言ってんだ、この野郎!」(伊藤公一・企画課長;池田輝政総務部長ほかの横浜市官僚 参照)

●「教授会がごちゃごちゃいわなければ、すんなり決まる。その辺をはっきりするということだ」(池田輝政・総務部長;池田輝政総務部長ほかの横浜市官僚 参照)

●「あの人(池田輝政・総務部長)はなかなかものを良く知っている人だ。よく考えてもいる」(馬来国弼・理学部長)

●「学問の自由だとか大学の自治が大切だということは百も承知です」、「それを侵すようなことがあれば、私は身を挺してですね、それを阻止したい」(小川恵一・学長;小川恵一学長の“無責任発言”トップ10 参照)

●「改革への賛同者がサイレントマジョリティであってはならない」(“サイレントマジョリティ”三教授=小島謙一(理学部教授)・馬来国弼(理学部長)・布施勉(国際文化学部教授;小川恵一学長とサイレント・マジョリティー3教授 参照)

 

 これらは、重本直利氏(龍谷大学経営学部教授)が、評論:「大学破壊の構図と大学人の抵抗――吉岡直人著『さらば、公立大学法人 横浜市立大学―「改革」という名の大学破壊―(下田出版 2009年)を読んで――(『市民の科学』第2号、2010年6月、市民科学研究所発行)のなかで取り上げた、横浜市立大学破壊を積極的に推進したキーパーソン6人の発言の一部である。これらの発言のなかに、横浜市立大学“改革”=大学“破壊”の問題点が凝縮されている。

 

とくに、『池田氏の言葉の延長に、彼の「側近中の側近と噂されていた伊藤公一・企画課長」の公共交通機関の車内での本書筆者吉岡氏への次の暴言は、まさに横浜市立大学の改革の本質が吐露されていると言える。「いつまでガタガタ言ってんだ、この野郎!」。この言葉は日本のすべての大学の「改革」に通底する言葉である。トップダウン強化の現実においては、反対意見・批判的意見(これらは大学の存在の根幹を支えることだが)に対して「いつまでガタガタ言ってんだ、この野郎!」の声がリアルな響きで聞こえてくる』(重本氏の評論『大学破壊の構図と大学人の抵抗』より;下記の抜粋を参照)。

 

 その後、これらのキーパーソン諸氏は、横浜市立大学“破壊”の功績が認められ、“めでたく”、横浜市の要職を歴任した。

 

●伊藤公一(大学事務局企画課長):水道局を経て、現在、消防局危機管理担当理事、市民活力推進局副局長。

●池田輝政(大学事務局総務部長):泉区長を経て、現在、交通局長。

●馬来国弼(理学部長):副学長を経て、定年退職。

●小川恵一(学長):横浜市立中央図書館長を経て、退職。

●小島謙一(理学部教授):研究院長を経て、定年退職。

●布施勉(国際文化学部教授):副学長を経て、定年退職。その後、横浜市立大学顧問、横浜市代表監査委員、現在、横浜市立大学学長。

 

“サイレントマジョリティ”三教授のうちの一人、布施勉・現学長の評判に関しては、横浜市立大学教員組合報(組合ニュース、2010年10月18日付)からの、抜粋を下記に挙げておこう。

 

 「【抜粋】 きちんとした大学人に支えられた学長なら、まともな判断を下すわけである。教員からの最低限の推薦集めにすら失敗しながら学長になったりするから、支持基盤も全く無く、唯一持つ生命線である派遣役人のマリオネットになる。地に足を付ければ一般教員の怒りの炎に焼き打たれるだけに、空虚に踊り続けるしかない。横浜市派遣職員が権力の完全掌握を行う前、彼は、多様な管理職にすら選ばれなかったそうだが、全くの人望無き傍迷惑な権力亡者が、たまたま八景キャンパスの片隅に存在してしまっていた大禍は計り知れない。」

(以上、ホームページ管理人による)

 

 

【内部者の受容の仕方 重本直利(龍谷大学経営学部教授):「大学破壊の構図と大学人の抵抗――吉岡直人著『さらば、公立大学法人 横浜市立大学―「改革」という名の大学破壊―(下田出版 2009年)を読んで――(『市民の科学』第2号、2010年6月、市民科学研究所発行)より抜粋(p.47-50)』

 

3.内部者の受容の仕方

 

小川恵一学長はじめとした大学執行部は、その基本的姿勢から「設置権者」である横浜市長といった行政権力に対して、憲法第23条の「学問の自由」およびこれに基礎づけられた「大学の自治」に基づくという、大学人としての社会に対して負っている直接的責任といった視点が大きく欠如している。「設置権者」を媒介にした間接的な社会に対する責任にしか過ぎない。政治・行政権力を通してしか大学の社会的責任を果たせないとしたら、これまでの「学問の自由」の意味あるいは大学の歴史を全くふまえていないということになる。いや、そもそもこの事態が憲法第23条違反である。小川学長は大学人として失格である。小川学長および大学執行部は「設置権者」に対する姿勢は「臆病」・「卑屈」という以外にない。

 

こうした内容は本書で具体的に紹介されている。学長は“対話"集会(2003年12月4日)で、「教員の自主性はなるべく尊重しながら、だけど設置者もこれならいいと言ってもらえる線はどの辺だと、そういうかなりポリティカルな選択をしないといけない立場に、私としては陥ってしまったんですね」(103)と述べている。また、「学問の自由だとか大学の自治が大切だということは百も承知です」(107)、「それを侵すようなことがあれば、私は身を挺してですね、それを阻止したい」と言いながら、実際は「設置権者」(行政権力)のいいなりになっていく。この学長の心性は一体何であるのか。小川学長だけではなく、今日の日本の大学人に共通する心性であろう。本人は矛盾と思うこともなく、二枚舌でただ粛々と行政権力の行う「実際」に加担していく。そして次のような理由づけを行うことになる。

 

「今もって反対派の教員が、大学をとりまく厳しい社会経済情勢等、現状認識をしていないのは大変残念であり、評議会の議を経て決定しているにも拘わらず、一部の教授会がこのような対応をとったことは極めて遺憾である」(113)。

 

「一部に反対する動きがいまだにあるが、教員の意識改革を図るとともに、教員をまとめるべくリーダーシッブを発揮し、設置者の改革推進本部に協力し、引き続き全力で取り組む」(l13)。

 

「設置権者」の中田宏市長〈当時〉の意向を受けた池田輝政・大学事務局総務部長の発言が紹介されている。

 

「教授会がごちゃごちゃいわなければ、すんなり決まる。その辺をはっきりするということだ」、「教員は横浜市に雇われているという意識がない。設置者がつくった制度を知らないで議論している。権限の構造がどうなっているかを教員は知らなければいけない」、「教員は商品だ。商品が運営に口だして、商品の一部を運営のために時間を割くことは果たして教員のため、大学のためになるのか」(261)。

 

この池田氏に対して、馬来理学部長は、池田氏を評して「あの人はなかなかものを良く知っている人だ。よく考えてもいる」と言い、他の教員も「池田さんのようなやりかたでないと、ものごとが進んでいかないのは事実だ」(262)という始末である。

 

この他に、「改革推進有志の会」として3人の有力教授(国際文化学部の布施勉教授、理学部の小島謙一教授、理学部長の馬来国弼教授)が、「市立大学改革について――大学への市長のメッセージ――」に対して、わざわざ記者会見まで開いて声明を発表した。

 

「私たちは、このメッセージを厳粛に受け止め、さらに議論を深めて改革に取り組んでいきたい、と考えています。(中略)私たちは、横浜市立大学に身を置くものとして、市長からのメッセージに応えるべく真剣に改革を推進するとともに、この改革の実現に向けた取り組みに教職員がそれぞれの立場で積極的、建設的に参画するよう呼びかけるものです」(66)、また「改革への賛同者がサイレントマジョリティであってはならない。有志の会を積極的、建設的な参加への手段や場としていきたい」(66)と述べた。

 

しかし、この「改革推進有志の会」のパフォーマンスは、この後、改革の推進の「手段」の設定や「場」の実態がないままに推移した。ただのパフォーマンスであった。

 

先述の池田氏の言葉の延長に、彼の「側近中の側近と噂されていた伊藤公一・企画課長」(36)の公共交通機関の車内での本書筆者吉岡氏への次の暴言は、まさに横浜市立大学の改革の本質が吐露されていると言える。

 

「いつまでガタガタ言ってんだ、この野郎!」(37)。

 

この言葉は日本のすべての大学の「改革」に通底する言葉である。トップダウン強化の現実においては、反対意見・批判的意見(これらは大学の存在の根幹を支えることだが)に対して「いつまでガタガタ言ってんだ、この野郎!」の声がリアルな響きで聞こえてくる。

 

横浜市長・中田宏以下、横浜市立大学の「改革」を推進した行政権力の「暴力性」は、21世紀のものとは信じがたい。だが、これは一横浜市立大学の「暴力性」ではなく、今の日本の大学改革の共通することであると思える、国立大学法人、学校法人、公立大学法人の、「設置権者」によるこの間の暴力性(特にトップダウンの強化からくる、理性の府にあるまじき一方性・暴力性、その端的な例は多発する懲戒事案である)は、程度の濃淡はあるものの日本の共通する大学病理と言える。

 

歴史における現れはその形態を変えるが、その本質は変わっていないと言うべきであろう。過去においての絶対的「設置権者」は天皇であった(教育勅語)。日本の大学の現状は、「設置権者」に反対する者・異論を差し挟む者に、過去においても現在においても「いつまでガタガタ言ってんだ、この野郎!」という状況にあると言わざるをえない。私には、この「伊藤の言葉」にみられる異常さが、重大な警鐘をわれわれに発しているように思えてならない。かつてのナチス政権下での「ユダヤ人の豚野郎!」という言葉とかさねつつである。

 

篠原三郎氏の次の短歌が想い起こされる(篠原三郎『歌集キャンパスの四季』みずち書房、1991年より)。

 

“南京もアウシュビッツも戦後まで知らざりきいまなにを知らざる"

 

この間の日本の大学全体を蔽う政治・行政権力の介入による「大学改革」に対する大学人の受容は、一体何を受容しているのだろうか。理性の府たる大学・大学人は、あらためて、この問いに答えなければならない社会的責任がある。