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shin−pのコラム

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メディアの独占の弊害について

どんなメディアにおいても、一つでじゅうぶんなんてモノはありえない。ある一つの問題や事柄について、さまざまなメディアがさまざまな角度から意見・主張を述べることによってその問題(事柄)が明らかになることが多い。
いくら1千万の読者がいるからといって、読売新聞だけでじゅうぶんということはないし、いくら一般的に権威があるからといって朝日新聞だけでいいといった意見も「傲慢」であろう。毎日新聞日経新聞など他にも特色のある新聞があればこそ、競争の原理が生まれ、活性化していくものだ。

メディア1社に「良識」を求めることは不可能である。メディアがいくらその媒体に「良識的なこと」を報道しようとも、営利企業である限り自社の「利益」を第一に考え、自社の「シマ」が侵されようとすれば、侵そうとするモノに対して「あらゆる手」を尽くし、自社の不祥事はなるべく「ベタ」に扱うのが当然である。最近マスコミ人が紙面をにぎわしている「少女売春」騒ぎも、自社関連であればなるべく影響を少なくしたくなるのは「人情」の領域だ。また、人材を駆使して法律を盾に「自社の利益」を守ることが、逆に読者や視聴者には「汚い手」を使ったと印象づけることもあろう。
その意味でもメディアが1社で独占状態では「良識」は生まれない。多数のメディアの競争があり、その取材合戦のなかで「良識」が生まれてくる可能性があるのだ。

もちろんそれはパソコン雑誌にだっていえると思う。アスキーインプレス(InternetWatch)ソフトバンクなど「業界誌」的な「ちょうちん持ち」記事も多いが、(ソフトバンクなど流通業をやっているリーディングメーカーだから仕方ない?−それでもPCWEEKの最終面のコラムなど鋭く業界をきっているものもあった−これも米ジフ・デービス社=ソフトバンクが買収=の英語版を翻訳したものだが)それはそれで、商業的競争の原理がはたらくから「よし」としよう。

クラシック音楽のCD系の雑誌では、現在「レコード芸術」一誌がその役割を担っている。(ステレオ/音友などは同じ出版社だし、「CDJ」もクラシックCDに特化したものではない)もちろん「レコ芸」のことは私は「好き」だし、記事的にも満足のいくものだ。しかし20年前のように「LP手帳」あり「ステレオ芸術」ありという状況がなければ、やはりクラシックのCD業界は沈んでしまうのではないか。とくに「ステ芸」は読者の意見コーナーが充実しており、53年録音の「ベートーヴェン8番」をクリュイタンスのものでは?とした(昭和49年5、7月号の読者の投稿)のも、そして桧山氏が42年の「合唱」をヒトラー誕生祝賀前夜祭の4月19日の演奏とした(昭和58年2月号)のも「ステ芸」だった。
現在のレコ芸をみると、こうした読者の分析的な意見を反映するページは残念ながら少ない。前述のように「レコ芸」は好きなので批判するのではないが、もう一誌対抗するクラシックCDの雑誌が必要だ。
shin-pの発表済コラム


なぜWFか?
ところでなぜ、私はフルトヴェングラーの資料室をこのHOMEPAGEのメインにしているのだろう。もちろん、昔からクラシックが好きで、特にフルトヴェングラーはコンサートに行く機会の少ない地方人にとってはLP・CDのみで語ることの出来るアーチストであるからだが・・

このフルトヴェングラー資料室は、何も巨匠の足跡を忠実に追い続けることだけが主題ではない。聴いたのはshin−pであり、どんなに客観的に語ろうともCDやLPを聴いた時の感想は自分だけの特殊なものである。(再現芸術をおこなう演奏者が「第9のような人間臭い音楽を客観的に演奏すれば再創造などできず、交通整理になってしまう」と宇野氏はいうが、聴く側も客観性を持つこと自体、音楽を楽しむということから遠ざかってしまうように思えるが・・)

話はかなりそれるが、私の育った四国の地方都市は温暖で住みよいところというが、現実には日本の中においても特に自由度の低い土地といえよう。それはつい最近まで高校に演劇部が存在しなかった(芝居をするやつは反体制だから作らせなかった?!)ことや、日刊新愛媛という新聞を県が経済界などと組んで圧力をかけ、潰してしまったことからもわかる。(もちろん廃刊した新愛媛側にも問題は多かったが・・)
こんな民主主義的には問題の多い街であっても、私の通った高校からはノーベル文学賞受賞者も出てしまうのだからびっくりしてしまう。おそらくこうした土地柄を「反面教師」的に学んだ結果だとは思うが・・

でも、こうして批判はしていても故郷が嫌いなわけではない。いろいろあってもやっぱり好き−という感じだ。たまに帰って旧友会うのはホント楽しい。

話はもどるが、WFのことを知ろうと多くの書物を読んだ。ナチスの時代、その国を捨てて国外へ逃れることがベストかどうかはわからない。ドイツを捨てられず国内にとどまったのも苦渋の選択であったろう。しかしナチスに結果として協力することになったのは間違いない事実だ。問題なのは「クリーンさ」のみを基準にものを考える単純な論理だ。こういうミステイクをしてもそれはそのひとの個性の産物であり、その個性によって別の素晴らしい偉業も達成した−という考え方はないのだろうか。WFに対して好意的な層は巨匠のしたことはすべて善意からだといい、批判的な層はすべて悪意だとする。そうした立場は永遠に変わることがない。
巨匠の言いたかったことはすべて「音楽」に詰まっていると思う。人間何か自分を表現したい時はやはり一番得意な「方法」で行なうが、フルトヴェングラーは音楽で自己の立場を含めたすべてを表現しつづけたと考えるべきだ。1943年11月のベートーヴェン第7アレグレットから聞こえてくる悲しみの波のような音色、1942年3月の第9のコーダに見るヒステリックなまでの加速−などから各人が判断すべきだ。
私もこのインターネットのこのHPを使っていろんな自分が表現できれば・・と思っている。(ぺ)

坊ちゃん文学賞受賞・敷村良子さんのHP
エッセイふだん冒険記47回は「問題意識」を持ってこの街をみつめています)
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私の「クラシック」履歴書


小学校のとき歌謡曲に夢中になったshin−pがなぜクラシック音楽を聴くようになったか?それは、近所(といっても同じ屋根の下)に住む同級生KN氏の影響だった−
(年代については記憶頼りのため、若干の矛盾かあるかも・・)

◎1972年 秋 中学1年、クラシック最初のLP「アンチェルの新世界」(フォンタナFG1=千円)を松山・ダイエーのレコード売り場で購入。その後カラヤンのさっそうとした演奏に夢中になる。ある時ヒンデミット「画家マチス」のカラヤン〜BPO盤(EMI60年頃録音)で「この曲をカラヤンが演奏することに疑問」といった趣旨の演奏評を読み、「音楽と政治の問題」を知る。(・・といっても中学生の考えることだから−)
◎1973年 冬 もう一人の同級生O氏が学校に持ってきた当時の新譜「WF/ストックホルムpoのベートーベン第8」を聴かせてもらう。まったくこの演奏の貴重さはわからず。
◎1973年11月3日 大阪フェスティバル・ホール(中之島・朝日新聞前)でカラヤン指揮BPOの生演奏を聴く。(飛行機にも初めて乗る)それまで、中学の音楽教師がコンマスをしていた愛媛交響楽団というアマオケや、「ゴールドブレンド・コンサート」(ネッスル=現・ネスレ日本=が提供で全国を回る公演)や「オーケストラがやってきた」(TBS系日曜昼放送されていた全国を回る公開録音)で新日本フィルハーモニーなど国内オケはきいていたが、この世界最高のオーケストラの音量には圧倒された。曲目はモーツアルト41番とチャイコ4番。特にチャイコはLPで聴いたままの緻密な音が目前(4列めだったと記憶している)で、しかもその数十倍の音量で迫ってきた・・
◎1974年 冬 当時初のWF千円盤として出たフォンタナFCM50「ウラニアの英雄」を購入し衝撃を受ける。
◎1975年 春 高校1年、NHK−FMでバイロイトの第9を聴き感動!。以降1978年まで国内発売されたすべての巨匠が演奏した合唱のLPを購入。これがディスコグラフィーにも関心を持ちはじめるきっかけとなる。

以降大学在学中はクラシック音楽はほとんど聴かなくなる。

◎1983年 秋 社会人となり、ヌヴーのブラームスVnコンを聞く機会から再びクラシックの主にヒストリカルレコードに関心を持つ。
◎1984年 秋 ディジタル・リマスタリングで蘇ったCDのバイロイト第9を聴き、再びWFのCD集めの日々に突入!

しかし、またしても85年結婚、86年長女が生まれ大変な日々を過ごすうちに、クラシックを聞かなくなる。

◎1994年 冬 P’パルコにタワレコがオープン。SFBにロシアから返還されたDG盤(ベートーベン第5&7)を発見し購入。LPとは違った音のよさに感動!再びWFを聴くようになる。
◎1996年 9月13日 念願のHP開設!

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