京都駅構内  八条口 シャトルバスで二条城の隣にあるホテルへ
     
 翌朝ホテル内見学 ロビーの茶房  二条城復元模型 
     
 ロビー出入り口付近  早速二条城見学。東南隅櫓がきりりとした佇まいで迎えてくれます。二条城の外堀の四隅には見張り台としての隅櫓があり、普段は武器庫として使われていました。   東南隅櫓から東大手門を望む
     
 東大手門前  東大手門。二条城の正門にあたり、現在は重要文化財に指定されています。  二の丸御殿の正門にあたる唐門。切妻造り、檜皮葺の四脚門で、豪華絢爛な極彩色の彫刻で飾られています。
     
 お馴染み二の丸御殿。遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟からなり、部屋数33室、800畳余りもある武家風書院造の内部は残念ながら撮影禁止です。 大広間・将軍対面の場(写真集より)
最後の将軍・徳川慶喜が大政奉還を上奏した場所として有名 
     
 二条城近くにある神泉苑。もとは東西220m、南北440mという大規模な禁苑で、桓武天皇や嵯峨天皇が行幸されたこともあります。  この法成池には龍が住まい、龍の水飲み場ともいわれています。  願い事を念じて渡ると必ず叶うといわれる法成橋。 
     
 京都御苑 。御所を囲む約65haの国民公園ですが、あまりに広いので今回は御所を集中的に見学しました。  京都御所の築地塀  宜秋門(ぎしゅうもん)。清所門から入って最初に見えてくる門で、西面の宮門です。 
     
 御車寄(おくるまよせ)。公卿など高位の貴族たちが儀式や天皇との対面のために使用した玄関。  諸大夫(しょだいぶ)の間。公家や将軍家の使者の控えの間。身分に応じて部屋が決まっており、身分の低い者は御車寄せではなく、この建物左にある沓脱石(くつぬぎいし)から入りました。   月華門。紫宸殿を囲む回廊にある西の閤門(こうもん) 。
     
 建礼門。御所を取り囲む築地塀に設けられた正門。南正面に立つ宮門です。かつては天皇だけに開門されました。現在、葵祭や時代祭の祭列は、この門前からスタートします。  紫宸殿。公事や儀式が行われる御所の正殿。南殿(なでん)とも呼ばれ、最も格式の高い殿舎です。御所は幾度も火災で焼失し、これは安政2年(1855年)に造営された建物ですが、ここで明治、大正、昭和の天皇の即位の礼が行われました。南庭(なんてい)と呼ばれる白砂の庭には左近の桜、右近の橘が植えられています。(マイブログ「京都御所」)
     
 殿上の間(公卿・殿上人の伺候する所)の横を抜けて清涼殿へ。  清涼殿の昼御座(ひのおまし)。天皇の日中の御座所です。 清涼殿前、東庭にある呉竹の台。 
     
 清涼殿全景。天正18年(1590年)に御常(おつね)御殿に移られるまでは、天皇の日常のお住まいとして使われました。左に見えるのが漢竹(かわたけ)の台、右が呉竹の台です。  建春門。東面の宮門です。 御池庭(おいけにわ)に架かる欅橋 
     
 小御所。鎌倉時代以降建てられるようになった御殿で、将軍や諸侯との引見、儀式の場として用いられました。王政復古の大号令が発せられたあと、「小御所会議」が開かれたことでも知られています。  御池庭。池を中心とした回遊式庭園で、前面は州浜になっており、その中に舟着きへの飛び石が置かれています。右手に見えるのが欅橋。   御学問所。清涼殿から独立した御殿で、御読書始(おどくしょはじめ)や和歌の会などの行事に使われました。慶應3年(1867年)、明治天皇が親王・諸臣を引見され、「王政復古の大号令」を発せられた場所でもあります。 
     
 御内庭へ  御常御殿(おつねごてん) 。清涼殿の中にあった常御所が、豊臣秀吉による御所造営の祭に新設されたもので、以来天皇はここで日常生活を送られました。すべて畳敷きになっています。  これより先立入禁止。見学できるのはここまでです。 
     
   晴明神社。陰陽師・安倍清明を祀る神社です。ここは晴明の屋敷があったところで、御所の西北に位置しています。晴明は天文博士として6代の天皇に仕え、死後も神秘化されて多くの伝説を生みました。また千利休終焉の地とされているのも興味深いものがあります。(マイブログ「伝説の清明」) 
     
 境内には晴明が使ったとされる式神を隠した一条戻橋が再現されています。  拝殿 安倍晴明公像と一緒に記念撮影 
     
 晴明井。安倍晴明が念力で湧き出させたという井戸で、洛中名水の一つとして諸病平癒の信仰があります。千利休もこの水で茶会を催し、秀吉に振舞ったとか。井戸の上部に彫り込まれているのは、晴明の紋である桔梗印。  ホテルで一休み 
     
 伏見稲荷大社。全国に約3万社もあるといわれる「お稲荷さん」の総本宮。和銅4年(711年)に鎮座し、以来1300年にわたって信仰を集めています。  参道脇にはお店があると思っていたのですが、何もありませんでした。   立派な楼門です。魔除けの朱が境内の緑によく映えますね。狐は稲荷大神のお使いだそうです。 
     
 外拝殿。奥に本殿が見えます。  本殿横 白虎社・奥宮・千本鳥居へ続く階段 
     
 伏見稲荷大社境内案内図  ここから千本鳥居が始まります。 鳥居の多くは崇敬者から奉納されたものです。
     
 ここからは小さめの鳥居が二列になっています  鳥居の数は1万基ほどにもなるそうです。 奥社広場。これから先は稲荷山へと続きます。 
     
 山登りは回避して奥社広場から引き返します。  鳥居の裏には奉納した人や企業の名前が刻まれています。  楼門から参道を望む 
     
 浄土真宗本願寺派の本山西本願寺です。この御影堂門(みえいどうもん)は重要文化財に指定されています。  御影堂は隣にある阿弥陀堂とともに国宝に指定されています。西本願寺は平成6年(1994年)に「古都京都の文化財」として「世界遺産」に登録されました。  御影堂内。びくともしない頑丈な造りです。親鸞聖人の木像が安置されています。他にも日暮(ひぐらし)門と呼ばれる唐門を見たかったのですが、台風の影響で修復中のため見学できませんでした。残念!
     
 トロッコ嵯峨駅。トロッコ列車の始終着駅です。  トロッコ列車の沿線沿いには保津川が流れていて、風光明媚な景色が楽しめます。まわりの山には台風21号の影響で倒木があり、保津川下りは中止になっていました。  トロッコ列車(記念写真より) 
     
 再び嵯峨駅から、徒歩・自転車・人力車・タクシーの中から選択し…  人力車に乗って竹林散策へ。車夫のお兄さんのガイドもとても良かったですよ。
(マイブログ「嵯峨野の風景と台風21号」)
     
 竹林にも多くの外国人観光客が…  竹林を抜けたところに落柿舎(らくししゃ)があります。松尾芭蕉の門人向井去来(きょらい)の草庵で、芭蕉が『嵯峨日記』を書いたところとしても有名です。
     
茅葺の屋根が印象的です。(マイブログ「芭蕉と弟子の庵」)  落柿舎から望む小倉山。歌枕ですね。 
     
 天龍寺にある曹源池(そうげんち)。嵐山・亀山・小倉山を借景にした雄大な庭園で、平成6年(1994年)、世界文化遺産に登録されました。 大方丈の横にある書院   渡り廊下
     
 手前が曹源池。左手奥が大方丈。天龍寺は臨済宗天龍寺派の大本山。暦応2年(1339年)、後醍醐天皇の菩提を弔うために足利尊氏によって創建されました。夢窓国師を開山としています。  お世話になったホテルにお別れです  京都タワーより京の町を一望。手前に見える瓦屋根の建物が西本願寺。これで京の町ともお別れです。台風が来ないうちに帰途につきます。

2019年3月記

 
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