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デリー空港:印を結んだ掌がデザインされているところがインドらしいですね。 |
ジャマー・マスジット:イスラム系のモスクで、インドでは最大級のものです。両端には二本のミナレットが。 |
入り口は三つありますが、1857年の大反乱の時には、この石段を反乱軍の死体が埋め尽くしたとか。 |
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建物内部 |
上はちょっとした広場のようになっています。赤い砂岩と白い大理石の組み合わせがきれいですね。 |
ミナレットからの眺望です。ドームがすぐ下に見えますね。デリーの街も一望できます。 |
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ムガール帝国の壮大な遺産の前に広がるのは泥棒バザール。盗まれた車が翌日には分解されて売られていることも。得体の知れない川魚や皮を剥いだ羊などが売られていて、時に物乞いの姿も見られます。この国の格差を目の当たりにする思いですね。 |
その格差をなくそうと立ち上がったのがガーンディーです。ここはガーンディーが火葬された場所、ラージ・ガートで、周囲は公園として整備されています。 |
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美しい建物ですね。一見してお城かと思ってしまいますが、これはフマユーンというムガール帝国第2代皇帝のお墓なんです。インド・イスラム建築の傑作とされ、1993年に世界遺産に登録されました。建物内中央に置かれた白い大理石の棺は仮のもので、遺体はその真下に安置されているそうです。 |
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パリの凱旋門? と思ってしまいますが、これはインド門。第一次世界大戦で戦死した兵士たちの慰霊碑だそうです。 |
観光客に現地の子が何かねだっているのでしょうか |
高さ42mの門の壁面には戦没者1万3500人の名前が刻まれています。 |
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ちょっと危ない光景:運んでいるのはガス |
紅茶を売る店 |
この店に久保田利伸さんの写真(一番下)がありました。こんなところまで来たんですね。 |
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デリー郊外にあるクトゥブ・ミーナール:北インドで初めてのイスラム政権、奴隷王朝(13世紀)のスルタン、クトゥブッディーン・アイバクが、ヒンドゥー教徒に勝利したことを記念して建てたものだそうです。高さ72.5m。 |
一層目は円形と三角形の断面が繰り返す造りになっており、コーランの章句が刻まれています。 |
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すぐ隣にアイバクが建設した最古のモスクがあります。ここには破壊したヒンドゥー教寺院の石材が転用されており、かつては漆喰で塗り固められていたそうですが、今は剥がれ落ちて彫刻の跡が見えています。 |
中庭にはグプタ朝(3〜4世紀)に造られたとされる鉄柱が建っています。サンスクリット語の文字が刻まれた純度100%の鉄柱は錆びないのだそうですよ。何故かインド人には人気があるとか。 |
塔の残骸のように見えますが、これはアラーイーの塔と呼ばれる造りかけの塔。ハルジー朝のスルタンがクトゥブの2倍の高さにしようとしたのだそうですが、途中で暗殺され、そのままになってしまいました。 |
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デリー周辺を案内していただいたタクシーつきガイドさんに、最後は駅まで送って頂き…。乗り物は総じて格安ですが、日本では考えられないような交通事情だそうで、クラクションも鳴りっぱなしとか。 |
デリー駅から |
夜行列車でバナーラス(ヴァーラーナスィー)へ |
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ホテルはまずまずでしたが… |
インドといえば象と思いがちですが、町に溢れているのは野良牛。ヒンドゥー教では牛は神聖な動物なので食べません。で、野良牛が町を闊歩しているので、排泄物の臭いがたまらないそうです。 |
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そしていよいよ聖なるガンガー(ガンジス河)へ |
各地から巡礼者たちが訪れ、沐浴しています。 |
巡礼者たちのために造られたガートと呼ばれる沐浴場が、河に沿って84も並んでいるのだそうです。 |
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ガンガーはあらためて訪れることにして、まずはオートリクシャーと呼ばれる乗り物で市街へ。 ここはリクシャーの町。行き先を伝えて料金交渉さえきちんとすれば、結構格安で便利な乗り物なのだそうです。 |
赤い外壁のドゥルガー寺院。本堂はヒンドゥー教徒しか入れません。 |
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ラームナガル城と呼ばれる旧藩主のお城。一部が博物館になっていて、ムガール帝国時代の武具や服飾品が展示されています。 |
敷地内にあるヒンドゥー寺院からはガンガーの流れが見渡せます。まるで湖のようですね。 |
町にはこんなサイクルリクシャーも。暑いので大変そうです。 |
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ホテルで仮眠をとって夜はガンガーでのショーを見学 |
そして夜明け前に再びガンガーへ |
ガンガーでは早朝に沐浴する人が多いのだそうで、さまざまな階層の巡礼者たちが続々と集まってきています。 |
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手漕ぎのボートはちょっとした観光船。これに乗って、まずは太陽を見に行きます。 |
太陽が昇ってきますね。幻想的な風景です。 |
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そして河からガートを眺めるとこんな感じになります。ガートとは岸辺から階段になって河に没している堤なのですが、沐浴場以外にヒンドゥー教徒の火葬場として使われることもあるそうです。遺灰はすべて河に流され、あらゆるものを飲み込んだ大河は海へと注ぎます。そして天に戻って再び水源となるんですね。ここでは現世での差別を離れ、聖河に抱かれたいという思いだけが人々を結びつけています。このガートにはガンガーに捧げるための花を売る女たちや、物乞いも多く存在します。玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)がインドを訪れた時、目にしたのはどんな光景だったのでしょうか。 |
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バナーラスの町から北東約10kmのところにある仏教徒の聖地サールナート。ここはブッダが初めて説法をしたところ(初転法輪の地)であり、インド八大聖地のひとつです。そしてこの建物はムールガンダ・クティー寺院。内部にはブッダの生涯を描いた日本人画家による壁画があるそうです。 |
こちらはタイ寺院ですね。仏教信仰のある国では、この聖地にお寺を建てるのだそうです。 |
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タイ寺院にある巨大な仏像(2011年3月完成) |
ネパールのお寺 |
日月山法輪寺。日本のお寺ですね。 |
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これはサールナートの巨大なストゥーパ、「ダメーク・ストゥーパ」です。ストゥーパとはサンスクリット語で土を盛り上げたものを意味しますが、多くは「仏塔」の意味に転化して使われています。内部には仏舎利が納められており、五重塔や卒塔婆(そとば)の起源にもなっているそうです。 |
再び列車に乗って、いよいよアーグラーへ。アーグラーはデリーから約200kmほど下った地方都市。インドの象徴ともいえるタージ・マハルのあるところです。 |
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アーグラーのホテル |
ここはラクダの乗り物が多いようです |
タージ・マハルの正門 |
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正門をくぐると白亜のドームが見えてきます |
お馴染みのタージ・マハルです |
マハル(宮殿)と呼ばれていますが、王宮ではなく、シャー・ジャハーンが愛妃のために造ったお墓だったんですね。 |
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インドは幾度か他宗教の国に支配されましたので、多数の宗教が存在します。でもやはりヒンドゥー教徒が最も多く、人工の82%、イスラムが11.6%を占め、発祥地でありながら仏教徒は0.8%に過ぎないのだそうです。他にキリスト教、スィク教、ジャイナ教などが存在します。ここアーグラーはイスラム(ムガール帝国)文化の栄光を偲ばせる古都。写真左はタージの入り口、右はシャー・ジャハーンの愛妃ムムターズ・マハルの棺です。 |
正門からタージへと続く道。今歩いてきた道ですね。タージ・マハルから見る、上の写真と逆方向からの眺めです。 |
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タージ・マハルから望むヤムナー河 |
敷地内にあるモスクです |
もう一度美しいシンメトリーを(裏から見たタージ) |
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タージ・マハルの近くにアーグラー城があります。ここはムガール帝国第3代皇帝アクバルが築いた権力の象徴ですが、第5代皇帝シャー・ジャハーンが幽閉されたところでもあります。 |
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宮殿内部の庭 |
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妃ムムターズ・マハルを溺愛したシャー・ジャハーンは、息子によってここムサンマン・ブルジュ(とらわれの塔)に幽閉され、74歳の生涯を閉じます。 |
とらわれの塔からシャー・ジャハーンが眺めていた景色は、ヤムナー河の向こうに見える愛妃ムムターズのお墓、タージ・マハルだったんですね。 |
ここでは野生のリスや猿にも出会えます |
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アーグラーには宮殿のようなお墓がたくさんあります。これはヌール・ジャハーンが父母のために建てた墓所。白大理石の透かし彫りが美しいですね。この技法はのちにタージ・マハルにも受け継がれました。ムガール時代の壮大な建造物を見ていると、インドは豊かなように見えます。でもそれは一部に過ぎません。底辺で生きる人たちは過酷なまでの暑さや飢えと戦っています。それを忘れてはならないでしょう。 |
まだまだ見どころはありますが、今回はここまでです。今の日本はいろいろ問題を抱えていますけれど、ここへ来れば日本人に生まれたことを幸運と思えるかもしれません。 |