小川恵一学長の「無責任発言集」(2005.12.1)

 

 

横浜市立大学“改革”(改悪)とは、“えせ市民派”中田市長の了解と指示の下に、“思い通りにならない”教員に対するかねてよりの“怨念”を晴らすべく、池田総務部長(現、泉区長)をはじめとする横浜市官僚らにより強行された、「学問の自由と大学の自治」に対する“徹底的な破壊”を指す(不純な動機:横浜市大“改革”の「ルサンチマン説」』、参照。この間に、小川学長(現、横浜市中央図書館長)が、大学の最高責任者として行った数々の所業を、時の流れの中に埋もれさせる訳には行かない。本ホームページの管理人は、小川氏と同時に横浜市大に赴任し、学問の枠を超えて交流を持った経験から、小川氏が決して“悪い人”ではなく、間違いなく“善い人”の部類に入ることを知っているが、小川氏の所業やその責任に関しては別問題であって、誰かがそれを記録に留めて追及しなければならない。

行きがかり上、ここでは、小川氏が学長として口にした多くの“無責任”発言を、資料に表れた順序にしたがって整理し、“永久保存”することにした。また、適宜、解説・コメント等をつけ加えた。これらの作業を通して、小川氏が口を開けば“無責任”発言を連発する、横浜市立大学の歴史上“前代未聞のサイテ―学長”小川恵一学長の見識のなさが混乱・紛糾の原因の第一(2003.4.16)であることを再確認した。とくに、横浜市議会における答弁では、大学事務局と一体になって、「虚偽・はぐらかし・ごまかし・言い逃れ・あいまい・歪曲・調子はずれ・ピンボケ」答弁を連発した。このほか、“対話集会”や新聞のインタビューなどでも、同様の“無責任”発言をくり返した。

 小川学長の第一の特徴は、その著しい言行不一致である。たとえば、《小学校3年生の時に終戦を迎えた私は学問の自由、その背景にある大学の自治の大切さを肌で知りました。そしてその信念は今も変わりありません》とか、《大局的判断を誤ることの恐ろしさをつくづく感じた》などとヌケヌケと言う一方で、小川学長がやったことは、要するに、中田市長から《あたたかい言葉をいただき》、前田副市長(大学改革推進本部長)からも《反対を乗り越えてまとめた》と絶賛されたように、ひたすら、市長・事務局に屈服して、学内の民主的な議論を押さえ込み、“大学が一体となってまとめた”と称する答申案(『新たな大学像』(2003.10.29)を、うやうやしく中田市長に報告したことである。

この報告を済ませた後の小川学長は、横浜市当局からほとんど“御用済み”扱いとなり、重要局面でことごとく無視される屈辱を味わされたにもかかわらず、一向に気にする様子もなく卑屈な態度に徹した。横浜市の「大学改革推進本部」が、その無知と不見識から、乱暴にも、カリキュラム編成等の教員の教学権を“土足で蹂躙”し、「数学専門教育の廃止」や「TOEFL500点以上を進学条件」とする“オンリーワン”の教育方針の決定など、横浜市大“破壊”のための“細部の詰め”に至るまでをとり仕切った際にも、小川学長はこれを座視・追認した。また、中田市長支持派で固められた市議会における殆んど“茶番”のような審議に際し、小川学長は、「公立大学法人横浜市立大学定款(案)」に関する自民党議員の“恫喝的”質問に、“縮み上がって”“ウソとゴマカシ答弁”を連発した。このほか、『東京新聞』(2004216日付)紙上で《密室で決定・いきなり公表・トップダウン》などと派手に報じられて、あわてた中田市長の東京新聞報道に対する“デタラメ反論”の“尻拭い役”を、「抗議及び善処方申し入れの書簡」、新聞のインタビュー、あるいは、市議会対応等で懸命に務めた。

『優柔不断、日和見、不誠実、問題先送り、自己保身、権力迎合を旨とする』という指摘(小川学長の即時辞任を求める声明に賛同する(2003.8.26)』、参照)は当たっている、小川学長の著しい言行不一致の根本原因は、「学問の自由と大学の自治」がなぜ大切なのか、そして、それを破壊したらどうなるのかという根本的なことを、本当は、まったく理解していなかったということではないのか。《学問の自由と大学の自治は、絶対重要ですし、もしそれを侵すようなことがあれば、私は身を挺してですね、それを阻止したい。・・・あのー、真剣です、私は。》という、学長自身の“決意表明”にもかかわらず、である。そして、かくも明瞭で根本的なことがなぜ理解できなかったのかと言えば、それはもう、権力に逆らうことなど夢にも思わない(思えない)、生まれつきの“すり寄り”人間だからと言うほかない。

こういう人物が、(市長・事務局の統制下で)組織のトップに居座り続けたため、そして、教員の“過度の臆病”も手伝って、「学問の自由と大学の自治」が制度的に保障されていたにもかかわらず、下からの民主的な要求はもとより、正式な教授会の決議、あるいは、評議会の審議すらも、平気で無視され、結局は、市長・事務局の横暴を許すことになった。学長に対する辞任要求が、教員や市民グループから、何度か出されたが、いずれも、無視された。もし、教員にもう少し“勇気”があったなら、そして、もし、学長に対する「リコール」制度が確立していたなら、小川学長を辞任に追い込むことで、中田市長、および、横浜市官僚らの横暴と強く闘うことができたに違いない。

 新たに発足した「公立大学法人横浜市立大学」は、「学問の自由」も「大学の自治」も失って、もはや大学とは到底呼べない“惨状”を呈している(横浜市立大、任期制問題 昇進と任期制切り離す件は前言撤回(2005.11.25)、参照)。つい先日も、従来のような民主的な選挙によらずに、“密室”の選考会議でストロナク現学長が再選された。再選の理由は、あきれたことに、《積極的に学長を変える理由はない》からだという。今回の学長選考が、見え見えの出来レース・茶番以外のなにものでもなかったことを、議長(松浦副理事長)自身が認めた訳である。しかも、中田市長により(実質的に)任命された松浦副理事長ほかの選考委員が、これまた、中田市長により(実質的に)任命されたストロナク氏を“密室”会議で再選した。このような“密室”方式は、全国初のケースで、松浦議長によれば、他大学のような《(民主的な)選挙では学内の候補者が有利になりやすい。選挙は学部間などにしこりが残る》から、横浜市大方式(“密室”方式)の方がよいのだという新学長はストロナク現学長に/横浜市大の“密室”学長選考 「神奈川新聞ニュース」(2005.11.29))。これでは将来に何かを期待できるはずもなく、お先真っ暗の状況に変わりはない。

(ホームページ管理人、2005.12.1 up

 

 

(注:以下に、小川学長の発言を、資料に表れた順序にしたがって列挙し、適宜、解説・コメント等をつけ加えた。小川恵一学長の“無責任発言”トップ10(2005.12.1)も参照されたい。)

 

(1)新市長の下で、市立大学のあり方を検討する懇談会が設置され、本年度末には結論が示される過程で、市大の改革の状況について報告が求められ、また、2005年には法人化の段階に入ることも予測される。・・・大学改革案策定後の教員配置に備えるため、また大学自身の改革の姿勢を外部に示すためにも、教員の欠員補充を1−2年間凍結し、全学的観点から各学部・大学院の具体的な改革の枠組みづくりを行う。

 

 02/7/17教員の欠員補充人事凍結に関する学長見解」(2002.7.17

 

(解説:一連の“学長文書”の第一号。この“学長”見解は、“事務局”見解そのものであり、これにより、事務局の“代弁者”・“あやつり人形”としての小川学長の姿勢が露わになった。この「学長見解」に対して、それまで学長を支持してきた教員グループから02/7/25緊急アピール】が出された。アピールでは、《今回の小川学長による「学長見解」は、事務局の乱暴な提案になんの抵抗も示すことなく、むしろ、それを追認するものであり、我々教員の期待を真っ向から裏切っています。(学長)選挙前の持論であった「誠実」、「公正」とは何であるか、「多くの人の意見を聞き、学内の叡知を結集する」とはどういうことだったのか、ぜひとも、原点に戻って考え直して欲しいと思います》と訴えたが、小川学長はこれに一切耳を傾けることなく彼らを平気で“裏切り”、逆に、事務局サイドに積極的に“すり寄る”姿勢を鮮明にした。なお、残念ながら、この時点では、“えせ市民派”としての中田市長の正体は未だ暴露されておらず、高秀前市長時代からの大学事務局(池田総務部長ら)が中田市長の了解と指示の下に、横浜市立大学の“解体・破壊”計画を、水面下で着々と進めていたが、このことは、少なくとも、一般教員にはまったく読めていなかった。)

 

 

(2)《平成141016日評議会で発生した異常事態の再発防止を事務局長に要請するとともに、その発生を余儀なくした原因を明らかにし、大学改革推進の礎とします。

 

 02/10/30学長声明」(2002.10.30

 

(解説:02/10/16評議会において、事務局(池田総務部長・高井事務局長ほか)が途中退席して職務放棄するという前代未聞の“不祥事”(02/10/16「捨てゼリフ」退席事件”)が勃発したが、これに対して小川学長が毅然とした態度を示すことができず、浅はかにも、この「02/10/30学長声明」という“個人的見解”を表明することで決着を図った。これにより、学内の混乱・紛糾が深まっただけでなく、学長および評議会の権威が著しく低下した。以後、事務局の横暴がなかば公然化し、“事務局に屈服する学長と評議会”という構図への転落が加速された。ことの重大さと何がおこっているのかが認識できない学長の“ピンボケぶり”と事務局への“すり寄り”ぶりを物語る文書。

 教員組合声明:「機構改革」の進め方に対する「遺憾と抗議」の表明(2002.11.19)

 第3回「市大あり方懇」傍聴記−池田理事・橋爪座長の議事引回しを許さず、民主的・公正な運営と討論を求める−(2002.12.9) 参照)

 

 

(3)《本問題を含めて、今後このような問題が生じたらどうするか、また、生じないようにするにはどうするかを検討する全学的な委員会を立ち上げる》ことを学長が指示(2003.2.5)。

 

 「横浜市立大学"部外秘資料"ホームページ掲載問題、全学委員会で検討を学長が指示」―総合理学研究科長の発言から判明―(2003.2.6)

 

 (解説:内容的に、池田輝政総務部長の“暴言集”であり、かつ、その後の横浜市立大学改革の方向性を決定した“部外秘”指定の重要文書(「部外秘資料1および」)を、本ホームページ管理人(佐藤真彦)が自分のホームページ(理学部/総合理学研究科サーバー内の個人サイト)に掲載して、「横浜市立大学“改革”」の不当性を告発・糾弾したことに対して、“科長としての責任”を感じた榊原徹総合理学研究科長が小川学長と謀って、池田総務部長ら大学事務局への忠誠ぶりを示すとともに、批判活動を押さえ込む目的で、(検討のための)“全学委員会”の立ち上げを指示した“言論弾圧”事件)が、商学部の平智之教授・永岑三千輝教授ほかからの強い抗議を受けて、結局、《全学委員会で検討を指示したことなどなく、単に、下相談させてくださいと発言した》だけであると前言を取り消し、“トカゲの尻尾”(榊原研究科長)を切る形で断念した(“トカゲの尻尾切り”事件)。この過程で、小川学長・榊原研究科長コンビの権力に屈従する“すり寄り”と“保身”の卑屈な体質が一段と露わになった。

 

 

(4)《答申を真摯に受け止め、今後市立大学が策定する『中期目標・中期計画』に答申に掲げられた改革の具体的内容を反映させてまいります。・・・この答申を機に建学の精神に立ち返り、変革する社会の要請に応える教育研究と大学運営を目指し、大学改革を推進する決意であります。》

 

 「あり方懇」最終答申 新聞報道(2003.2.28

 

 (解説:中田市長の私的諮問機関である「あり方懇」が市長に対して答申した際(2003.2.27)、“諮問をした訳でもなく、答申を受けた当事者でもない”小川学長が、(事務局から言われるままに、)上記の“個人的な”コメントを直ちに新聞発表してしまった。本来なら、学内での民主的な議論を経た上で、大学としての正式な対応をすべきところを、無思慮にも、小川学長は、またしても、取り返しのつかない“歴史的な”愚行を犯してしまった。

 藤山嘉夫(教員組合委員長):「あり方懇」答申に関する学長への質問書(2003.3.28) 参照)

 

 

(5)《パートのおばさんに比べてずいぶん良い給与だと思いますが。》

 

 小川恵一学長の「古き良き時代」「パートのおばさん」発言と大学改革(2003.3.3

 

 (注:2002年度新学期の開始直前に、突如、大学当局は一方的に、非常勤講師に対する不利益変更(「給与支払方法の変更」:月給制(年額の月割り支給制)から時給制への変更とそれに伴う給与の削減)を通告した。これを機に、非常勤講師労働組合の結成を控えて、非常勤講師有志が小川学長と会見したが、その際、一連の“仰天発言”が飛び出した。この《パートのおばさん》発言のほかに、《古き良き時代は終わった》《市民に対するアカウンタビリティ》などがある。事務局べったりの小川学長の体質が露呈した。

 いま横浜市立大学で何が起っているか…「教員の欠員補充人事凍結に関する学長見解」の撤回を求める緊急アピール(2002.7.25)

 小川恵一学長の見識のなさが混乱・紛糾の原因の第一(2003.4.16 参照)

 

 

(6)《本日、中田市長から、市立大学の改革についてのメッセージをいただきました。・・・今後は、学内に全学的な改革検討組織を早急に立ち上げ、「市立大学の今後のあり方懇談会」の答申を踏まえて、大学間競争を勝ち抜くためにも独立行政法人化を念頭に、私が先頭に立って大学改革の具体案を検討することといたします。》

 

 学長声明(2003.5.7)

 

(解説:この「学長声明」(2003.5.7)は、中田市長から市庁舎に呼び出された小川学長が、市長メッセージ『改学宣言』(2003.5.7)という名の職務命令を受けて、《「あり方懇」答申を踏まえて、独立行政法人化を念頭にというがんじがらめの制約の下で(つまり、「あり方懇」答申の通りに)、大学改革の具体案作りを行うべく、(事務局主導の)学内検討組織(“愛称!!”プロジェクトR)を、早急に立ち上げます》という声明である。もはや、ここでは、小川学長は、市長・事務局の完全な“操り人形”と化し、ただちに、プロジェクトR幹事会という(事務局主導の)委員会に少数の“すり寄り派”教員を指名して“密室”協議を行い、大学“破壊”に邁進することになる。

なお、市長メッセージ『改学宣言』とは、“えせ市民派”の中田市長にふさわしく、「市民の視点に立って、大胆な改革で生まれ変わろう!」「まず決めるのは、大学自身です」などのキャッチフレーズとレトリックにより巧妙に粉飾されているが、実際は、全国に悪名の高い『あり方懇答申』(2003.2.27および“部外秘”扱いの“秘密文書”『市大改革の方向性』(2006.1.8内容を“示達=上位下達”した『“まやかし”宣言』にほかならない。

 ようやく公開された『部外秘資料』と市長メッセージ『改学宣言』の欺瞞性(2003.5.14) 参照)

 

 

(7)《独立行政法人化は大学の自由度が増すと思う。サイレントマジョリティー(声なき多数派)をまとめて市大を再生させたい。》 

 

小川・横浜市大学長が中田市長訪問「先頭に立ち改革推進」 「神奈川新聞」(2003.5.8

 

(引用:全学的な抗議の高まりにもかかわらず、なお、サイレントマジョリティーを結集すると強弁する態度は、白を黒と言いくるめる態度そのものであり、真理の探究を旨とする大学人の対極にある態度と言わざるを得ない。・・・

小川恵一学長とサイレント・マジョリティー3教授 より)

 

 

(8)《改革案の先頭に立って私がやりますので、まあ、何かまた、ぶっ倒れそうになりましたら、市長のお力をお借りしたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。》

 

 03/6/12NHK首都圏ネットワーク」より(2003.6.15

 

(引用:・・・NHKの報道では、冒頭で、去る5月7日の市長メッセージ『改学宣言』のドタバタ劇の際に、小川学長を市庁舎に呼びつけて滔々とまくしたてている中田市長の顔が大写しにされた。《大学が何もしなければ、このままではだめだよと言っているわけで。何もしないのだったら、こうするよと。要は、設置者(市長)としての意志を示しているわけで。・・・ていう風に何度も言ってきて、大学がしっかりと自分で考えるのも、それが基本なんだから。》さらに、小川学長の卑屈そのものに映る態度とせりふが続いた。・・・

 小川学長の発言 03/6/12「NHK首都圏ネットワーク」より(2003.6.15) より)

 

 

(9)《厳しい経済、社会情勢のもと、市立大学が生き残りをかけて、全学をあげて大学改革を進めようとしている中、従来の学部の考え方にとらわれることは非常に残念なことだと思う。

 

 一楽重雄・矢吹 晋・平 智之:小川学長の即時辞任を求める声明(2003.8.22 より

 

(解説:わずか1週間で、「あり方懇」答申に対する大学の意見をまとめて提出せよとの横浜市の指示に応える形で、浅はかにも小川学長は、またもや、自らの個人的見解を『あり方懇答申に対する要望』(2003.4.9というタイトルで、横浜市(市長)宛に提出した。この文書には、提出者の名前も宛先もなかったため、通称で「学長怪文書」と呼ばれたが、手続きとして教授会・評議会の議をまったく経ておらず、内容的にも、「あり方懇」答申をほぼそのまま受け入れるというひどいシロモノであった。その結果、一般教員からの抗議が全学的に沸き起こって、2学部1研究科の教授会決議となった。上記の発言は、教員組合との会見の席で、これらの決議文に対して発したものである。それは、学長選挙のときの『誠実、公正をモットーとし、学内の叡知を結集する』との公約などすっかり忘れて、ひたすら、市長・事務局に“すり寄る”姿勢を象徴するものであった。

 これは何か???4月9日付け,学長が市長に提出した怪文書!(2003.4.9)

 学長の怪文書批判―教員組合(2003.4.17)

続出する学長への実質的不信任決議:国際文化学部・商学部・総合理学研究科(2003.5.1) 参照)

 

 

(10)《教員は、解雇ではなく再就職の形をとる。基本的にはそういう厳しさを持って臨みたい》《今後は橋爪氏の意向に添った形のものを作りたい》《スクラップ、スクラップ、アンド、ビルドといって、2つスクラップしてひとつビルドするつもり》

 

 教員組合(浮田書記長):「第2回大学改革推進本部会議」傍聴記(2003.8.25

 

 (注:「横浜市 大学改革推進本部第2回会議」(2003.8.21)における発言。)

 

 (引用:・・・学長・市大事務局・横浜市当局側は学内意見のヒアリングを待つことなく、さっさと、8月21日に「横浜市 大学改革推進本部第2回会議」を開催して、学長・事務局側改革案大枠(「大学改革案の大枠の整理について03-8-18)を公表・記者発表している。その意図は、明らかに、学長・事務局側改革案が、あたかも、すでに承認・決定済みであるかのように主要メディアを通して一斉に報道し、あるいは、事務局が“無法乗っ取り”した「横浜市大 公式ホームページ」を通して“御用”情報としてタレ流すこと(記者発表「大学改革案の大枠整理03-8-21」参照)により、世論操作することにあると思われる。(「各紙“御用”報道03-8-22」、『“欺瞞の象徴”「横浜市大公式ホームページ」と事務局によるネットワークシステムの“無法乗っ取り”を糾弾する03-7-3 参照)

 “御用”ヒアリング:たった15分の意見聴取で済ませて,強行突破する積もりか(2003.8.30) より)

 

 

(11)《「プラクティカルなリベラルアーツ」とは、・・・14人いれば14とおりの解釈があるので、私としては今、こうだとは言えない。》

 

 御用ヒアリング:たった15分の意見聴取で済ませて,強行突破する積もりか(2003.8.30

 

(解説:14人とは、事務局主導で(“大学”側の)答申案(「大学像」(2003.10.29)をまとめた「プロジェクトR」幹事会の委員数のこと。あきれたことに、「プラクティカルなリベラルアーツ」(橋爪大三郎「あり方懇」座長の造語)は、「あり方懇答申」において、3学部を1学部に縮小・統合する際の骨格概念(教育“目標”)であったにもかかわらず、「プラクティカルなリベラルアーツ」の意味するところが「プロジェクトR」委員にも(したがって、当然、受験生にも)理解不能という理由で、結局、入試用の大学案内では一切使用しないようにし、それに代えて、(単なる言い換えに過ぎない)「実践的な教養」という言葉を使用することで統一したという。“実用的”(プラクティカル)でかつ“実用の役に立たない教養”(リベラルアーツ)という元々矛盾した概念では、どうにも説明のしようがないのは当然であろう。あきれたことに、学長自身、(65)の『東京新聞』特報:カリキュラム変更で競争力強化? 波紋広がる横浜市立大(2004.4.20では、《答申の骨格概念「プラクティカルなリベラルアーツ(実践的な教養)」に不必要に反対しても、他の教育目標がなかった。》と述べている。(55)も参照。

 御用ヒアリング:たった15分の意見聴取で済ませて,強行突破する積もりか(2003.8.30

 横浜市立大、大学改革推進本部主催 説明会(2004.10.5 より)

 

 

(12)《この改革案を実らせ、横浜の地に根ざした、世界の範となる大学となるよう、皆さんと力を合わせて育て上げる所存であります。》

 

 03.10.17学長声明(2003.10.17)

 

 (解説:改革案(「大学像」(2003.10.29)の提出期限である10月末にようやく間に合わせる目途も立ち、その提出を目前にひかえた小川学長が、この改革案で(部局長会や)評議会を突破する決意を表明した文書であるが、一般教員に配布されることはなかった。市長への“すり寄り”ぶりが余りにも露骨で、読んでいて恥ずかしくなる文書。

 

 

(13)《学生にきちんと理解させればプラクティカルなリベラル・アーツの支持率はさらに高まるだろう。》

 

(共産党関議員の質問、「学生アンケートではリベラル・アーツ一般についてたずねている。市民の会によると、市大のリベラル・アーツ大学化には80パーセント以上の学生が反対している。アンケートには正確さが必要ではないか?」に答えて)

 教員組合:横浜市会大学教育委員会報告ほか(2003.11.18)

 

 (解説:市議会を愚弄する典型的な“はぐらかし答弁”。市大生、および、教員組合が独自に行ったアンケート調査では、圧倒的多数の市大生が(市大の)“リベラル・アーツ大学化”を望んでいないことが、その当時、すでに判明していた。また、事務局のアンケート調査は、(市大の)“リベラル・アーツ大学化”という事務局の望み通りの結論に露骨に誘導する“欠陥アンケート”であることを中上総務部長が認め、《これを市大のリベラル・アーツ大学化の根拠に用いない》と明言したにもかかわらず、答申案「大学像」(2003.10.29)の付属資料の中に潜り込ませてリベラル・アーツ大学化の“根拠”に用いたという経緯がある。この延長線上に、《(リベラルアーツ教育を目標とする横浜市大では)専門としての数学は必要がないとの理由で数理科学科を廃止》するという、横浜市の大学改革推進本部による乱暴な決定がある。なお、その後、一楽教授によるねばり強い「開示請求」により、事務局の手による「アンケート調査」結果全体に、大幅な歪曲があることが発覚している。

 いったい横浜市大はどうなるの? 学生アンケート集計速報!:学生の手による、学生アンケート(2003.6.5)

 「学生の切実な訴え」 教員組合による学生アンケート結果(2003.8.7)

 教員組合:中上 直 総務部長 “欠陥アンケート”を確認し,「これを根拠として使用しない」と明言(2003.8.20)

 大学改革市民アンケート情報開示請求顛末記(その3)――事務局によるアンケート結果の大幅な歪曲,『アンケート調査票』から発覚――(2004.6.21)

 

 

(14)《人事委員会などについて、法律の観点、学問の自由などの観点から意見がでた。いろんな意見が出るのは歓迎している。名前を載せないほうがむしろ自由に意見を述べることができると考えた。

 

(共産党関議員の質問、「何人か評議員から反対意見があり、採決の要求にも応じず、また理由も示さずに、拒否した。また、議事録に名前を残すこともしなかったという。なぜか。」に応えて。)

 教員組合:横浜市会大学教育委員会報告ほか(2003.11.18)

 

 (コメント:“詭弁を弄して”という形容がぴったりの“言い逃れ”答弁。「その場限りの言い訳をとっさに思いついて言い逃れる」という学長の得意技の一つ。)

 

 (引用:しかし、当日の評議会が如何にして「議を経た」のか。「大学像」(案)を検討した1022日の臨時評議会においては多くの評議員からの反対意見や疑問の表明が行われ、採決を求める提案がなされた。にも関わらず、「慣例にない」として採決がなされなかった。さらに、この評議会において反対・疑問が集中して議論に多くの時間を費やした人事委員会問題と全教員への任期制導入問題に関して、これに反対した者の氏名を議事録に残すべきであるとする評議員からの具体的な提案をも小川学長は合理的な理由もなく拒絶した。本学の最高の意思決定機関としての評議会の議長たる小川学長は、評議会運営上の手続民主主義において重大な誤りを犯している。

 教員組合:横浜市議会予算第一特別委員会における大学当局・事務局の答弁は事実関係を歪曲するものである(2004.3.25) より)

 

 

(15)《3学部統合の是非について議論されたが、これは対立ではない。人事委員会、任期制についてもいろいろ意見があったが、最大限取り入れた。》

 

(民主党花上議員の質問、「改革案「大学像」(2003.10.29)を学長が取りまとめる過程で論議を呼んだポイントは何か?」に応えて。)

 教員組合:横浜市会大学教育委員会報告ほか(2003.11.18)

 

 (コメント:市議会で、小川学長は、“虚偽”、“言い逃れ”、“あいまい”、あるいは、“はぐらかし”などの“不真面目”答弁を連発したが、残念ながら、それ以上追及されることはほとんどなかった。この答弁もその一つ。)

 

 

(16)《教授会でも、プロジェクトR、幹事会でもいろいろな意見が出たが、なるべく養分にしながらまとめてきた。できればもっと時間がほしかった。》

 

(民主党花上議員の質問、「改革案についての今回の学内の論議をどう評価するか?」に答えて)

 教員組合:横浜市会大学教育委員会報告ほか(2003.11.18)

 

 

(17)《(改革案について、)市長から暖かい言葉をいただいた。

 

(民主党川口議員の改革案に関する質問に答える前のコメントとして。なお、前田副市長も、《今まで、6年かけてもできなかったことを現学長がやった。反対を乗り越えてまとめた。それを尊重して、やって行きたい。》と“絶賛”した。

 教員組合:横浜市会大学教育委員会報告ほか(2003.11.18)

 『自作自演の茶番劇』:03/12/01横浜市が“大学側”改革案の全面的受け入れを表明(2003.12.4)

 

 (コメント:市長から“暖かい言葉”をいただいて“大感激”したらしいが、“死んでも直らない”ナントカとはこういう御仁のためのコトバなのだろう。)

 

 

(18)《要望書を充分認識、配慮して、今後対応して参ります。》

 

 (「学問の自由と大学の自治」の立場から、医学部教授会有志が提出した「要望書」に応えて。なお、「要望書」に賛同した教授有志22名は教授会構成員の過半数であり、したがって、実質的な医学部教授会決議である。小川学長がこの約束を反古にしたことは、言うまでもないが、それにしても、出来るはずもない約束を何故したのか?

 03/11/21 医学部教授会有志の『要望書』(2003.12.10)

 

 

(19)《今日初めて聞いた。》

 

 (評議会で、「コース案等検討プロジェクト部会」設置の報告を受けて。)

 教員組合:「申込み書」は踏み絵?!、学長「今日初めて聞いた」―「コース案等検討プロジェクト部会」委員の「公募」について(2003.12.19)

 

 (引用:横浜市の横浜市立大学改革推進本部に「コース案等検討プロジェクト部会」を設置し、教員に対してこれへの「参加申込書」が配布されました。「部会」員の構成の内3名は学長推薦とし、また、大学改革推進本部が選考する「公募」4名程度については、選考にあたっては学長の意見を聴くものとされているにもかかわらず、学長への事前相談もないままに17日の評議会でこのことが報告されました。学長は、評議会において「今日初めて聞いた」と発言しています。このような推進本部のやり方は、大学の自律性を不当に侵害するものと言わねばなりません。・・・

 教員組合:「申込み書」は踏み絵?!、学長「今日初めて聞いた」―「コース案等検討プロジェクト部会」委員の「公募」について(2003.12.19) より)

 

 

(20)《12月1日に副市長に呼ばれまして、・・・基本的にですね、この「新たな大学像について」は、OKだと。この方向で改革を進めてくださいということを言われました。特に、この中でもですね、任期制の問題と人事委員会の問題は、きちんとやってください、そして、独立行政法人化もきちんとやれ。その3つをきちんとやって、あとは、大学の中でいろいろやってください。その3つですね。

 

  03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

 (コメント:本学で初めての“対話”集会(2003.12.4)において、一般教員を前にして平然と口をついて出たコトバ。“その3つをきちんとやる”と大学がメチャクチャに破壊されてしまうのだが、(『“対話”集会の記録』を全体的に検討した結論としては、)このような基本的なことすらも、学長が正しく認識していなかったとしか思えない。)

 

 

(21)《・・・そのとき私まだ、あまりそういう筋の人達とですね、今でもあまりありませんが、どうしていいかよく分からないことだったんですが。たとえば、市長とお会いしてもですね、市長はとっても厳しかった。ちゃんとやらないとだめだよみたいな、そうは露骨にはおっしゃいませんが、なんとなくそういうニュアンスで話して、・・・》

 

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

 (コメント:これが、ムスコほども歳の離れたシチョーを相手に、しかも、そのオトコのせいで破滅へと追い込まれようとしている大学の最高責任者の口から出たコトバとは・・・。小川学長には、「学問の自由と大学の自治」がなぜ大切なのかがまったく分かっておらず、時の権力者からそれを死守すべき闘いの最前線に、今まさに、自分が立たされているのだという自覚もなかったのだろう。したがって、「学問の自由と大学の自治」を守るために、権力からの侵害に抗して闘い抜く気概などあろうはずがない。その一方で、舌の根も乾かぬうちに、《「学問の自由と大学の自治」は、絶対重要ですし、もしそれを侵すようなことがあれば、私は身を挺してですね、それを阻止したい。・・・》などと、ヌケヌケと言うのである。(31)を参照のこと。)

 

 

(22)《で、その後ですね、いろいろ、私もいろんな、なんて言うんでしょうか、いろんなことをして、議員さんとかいろんな方と話をしているうちにですね、だんだん好転してきて、そして5月の7日ですね、市長の大学へのメッセージというものがございました。・・・私はもっとひどいことを言われるのだとばっかり思っていたんですが、非常にトーンがここで変わりました。そして、ただしですね、前提として、「あり方懇談会の答申」を踏まえるんだよと、・・・》

 

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 ようやく公開された『部外秘資料』と市長メッセージ『改学宣言』の欺瞞性(2003.5.14)

 

 (コメント:「あり方懇答申」(2003.2.29)から「改学宣言」(2003.5.7)までの間の、根本的におかしい小川学長の状況認識。学長の“ピンボケ”ぶりを如実に物語る発言。以下のように、学長の“ピンボケ”ぶりは全開で続いた。)

 

 

(23)《・・・そしてこの「横浜市立大学の新たな大学像について」という冊子を、大学の案として10月29日に市長に提出した。というまあ、だいたいそういう経緯です。そしてその後ですね、市長は精査するという、つまり、そのままいただいたということを言ってもらえませんでして、精査するという、ま、なんと言うんですか、リザベーション。その時の印象はですね、そんな悪くはなかったです。まあ、かなりやったんじゃないかというような感じの、市長からの表情から、そういうことが読み取れましたけれども、いま精査するというそういう意味で。それが、12月1日に、この考えでいいんじゃないかと、まあそんな経緯で。

 

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

 

(24)《教授会はですね、これは独立行政法人化の基本的な考え方とも合うんですが、学生の身分なんかについて、主として学生に関することを、教授会で決定すると。学位もそうですね。・・・》

 

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

 (解説:新しい横浜市立大学(2005.4.1発足)の教授会では、人事権はおろか(カリキュラムの検討などの)教学権すらも保障されないことを平然と説明している。現実は、さらに厳しく、横浜市当局発表(2005.3.18)の組織図では、教授会は「全体会」(全教員が出席する、“通常”の教授会のこと)と「代議員会」に区分され、「全体会」は、定期的に開かなくてもよいシステムになった。つまり、“通常”の(人事権や教学権等を有する)教授会は、実質的にも形式的にも消滅した。こうして、横浜市立大学から「学問の自由と大学の自治」が“完全消滅”した。これらの“功績”を理由に、小川学長は(事務局の了解のもとに、)“名誉教授”の称号を望んだが、評議会はこれを“僅差で”否決した(2005.3.17)。

“懲りない面々”による「恥の上塗り」:こんどは、部局長連名での「小川学長の名誉教授推薦」案が評議会で否決(2005.3.17)

 05/3/18横浜市 大学改革推進本部: 「法人組織説明会資料」及び「参考資料」(2005.3.30)

横浜市立大、4月からの教授会自治解体の組織図(2005.3.31)

 横浜市立大新学則、評議会は廃止 教授会の実質的な審議権は一切ない すべて「代議員会」 05-4-2

 

(引用:小川先生は学長としても難しいときに大変な努力をされ(名誉教授推薦の筆頭提案者であるS副学長(柴田悟一商学部教授))、学者としても学長としても大変立派な方(O副学長(奥田研爾医学部教授))

一楽重雄(理学部):「3月評議会私的報告」 横浜市立大学の未来を考える 『カメリア通信』第33号(2005.3.17) より)

 

 

(25)《で、教育研究に関する責任と経営に関する責任の明確化。・・・中の議論ではですね、結局これも、非常に意見が分かれたんですが、最終的には、ここは2つの病院を抱えていて、非常に経営のウエイトが重いので、学長がですね両方やるということになると、それは結局無責任体制になるというのでもって、分けることになりました。

 

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

 

(26)《そして、任期制については、・・・普通、ごく普通に、大学で、大部分の皆さんはそうだと思いますけれども、授業だとかですね、研究に役立っている方は、決してこれに不安になることはない。そういう任期制にいたします。で、まあ、たまたま幸か不幸かですね、いろんな意味で、ああ、あの人は問題があるなあと、中の多くの方が感じるような方が、いま、仮りにいらっしゃったとすると、そういう方にはですね、少し頑張ってくださいよと、ということになって、それでもダメだということになってくると、それではっていう、まあそのぐらいのことで、任期制については考えたいと思います。普通の人はむしろ、全然問題にならないと。そして、むしろ評価してもらえてですね、任期制になったときはそれだけ自分の実績が認めてもらえたんだというふうになって、そんなシステムにしたらどうかなということを、いま、私は考えております。で、年俸制も、働けばそれに報われるという、そういう年俸制ということです。まあ、ちょっと時間が少しオーバーしましたけれど、そんなところで。どうも。

 

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

 (コメント:危機意識がまったく欠落している上に、市長・事務局の操り人形と化しているという自覚もない。任期制・年俸制について、《決してこれに不安になることはない》《働けばそれに報われる》などと、根拠を欠いた楽観的な説明を行った。信じられないことだが、本人は、本当にそう思い込んでいるらしいだけに、どうしようもない。

 

 

(27)《ひとつは私なんかも悩むのは、ひとつは横浜市が、換骨奪胎なんていう言葉を市長が、市会の全委員長が集まる会のときに、市長は換骨奪胎ならばそれは改革と認めないという発言をされたわけですね。・・・その辺もあってですね、とにかく変えるっていうことを求められているわけですね。で、人事委員会のところも、今までと同じパターンだとですね、認めてもらえないということなんです。実を言うと。・・・》

 

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

 

(28)《あの、総意っていう意味がですね、どういう意味だか、ちょいと分からない。満場一致という意味ですか、それは?》

 

 (「これだけの機会があったのに、久しぶりですねとおっしゃって、どちらを向いておられるのかよく分からない。だけど、総意を尽くしていないんですよ。・・・」の質問に応えて。)

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

 

(29)《「あり方懇談会の答申」を踏まえてということで、・・・私は、「市大が飛躍するという」、「そこを足場にして市大が飛躍する」と、そういう意味で「踏まえて」をとらえて、この大学改革というのは、「新しい大学像」をつくるようになったと、そういうふうに思っておりますので、あの、そういう意味では制約は受けていない。・・・》

 

 (《・・・学長と理事長を分離することについても・・・設置者側の意向というのはどういう形で、プロジェクトRの方には伝わっていったんでしょうか。あるいは、設置者側の意向は制限にならなかったのかどうか?》の質問に応えて。)

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

(コメント:小川学長のこのセリフは、新聞記事などで何度も目にしたが、要するに、「あり方懇答申」を前提にして、さらに、それ以上に市長に“すり寄る”という意味に、小川学長が受け取ったということだろう。その結果、《市長から暖かい言葉をいただき》、前田副市長からも《今まで、6年かけてもできなかったことを現学長がやった。反対を乗り越えてまとめた。それを尊重して、やって行きたい。》と絶賛されたのではないのか。にもかかわらず、《制約は受けていない》などと言い逃れようとする見苦しさ。そもそも、「プロジェクトR幹事会」のメンバーのうち、半数の7名が事務局員で、残りの半数が“積極すり寄り派”教員なのだから、“市長サイドから強制された”などと答える訳がないし、そう思いもしないのだろう。(17)参照。)

 

 

(30)《私は、自由というのはですね、まったく、無人島でひとりでしゃべっているみたいなものを自由かといえば、それはそうかもしれない。だけどそれは不可能でしょう。こういう団体でですねえ、ある組織の中で生活している以上は。無人島でひとりで話しているのとは違うわけですから。そういう意味の制約はある。そういう意味です。

 

 (「自由にできなかったということは、どういう意味で使ったんですか?」の質問に応えて。)

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

(コメント:“市長サイドからの強制”があったのかどうかの質問に対する回答であるが、「その場限りの言い訳をとっさに思いついて言い逃れる」、あるいは、「あいまいな議論に誘導して煙に巻く」という学長の得意技が炸裂したらしい。しかも、これは、意識的・マキャヴェリ的にやっているのではなく、とっさに無意識的に出るらしいので、余計に始末が悪い。(29)参照)

 

 

(31)「学問の自由と大学の自治」は、絶対重要ですし、もしそれを侵すようなことがあれば、私は身を挺してですね、それを阻止したい。いま、○○さん、笑ってますが、私、○○さん以上にそういうこと思ってますから。あのー、真剣です、私は。 

 

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

 (コメント:実際にやっていることとまったく矛盾した“決意表明”の大見得を切って、満場の失笑を買った“仰天発言”。「学問の自由と大学の自治」がなぜ大切なのかを理解していないにもかかわらず、そのことを自覚していないがために、《私は身を挺してですね、それを阻止したい。・・・あのー、真剣です、私は。》などとヌケヌケと言う。詳しくは、下記の文書を参照。)

 小川学長の「虚ろに響く“決意表明”」(2003.12.22)

 

 

(32)《私はそんなに束縛されるなんて思わない。思わないんではなくて、全然ならない。むしろいいことだ。》

 

 (《評価システムのところで、「大学から求められた役割をきちんとはたしているかが重要なポイントになる」とあるが、この文章が残ったままでも、学問の自由が保障されているというふうにお考えなのかどうかを聞きたい。》という質問に応えて。)

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

 

(33)《今まで、あまりそういうことを、正直言って考えてませんでした。・・・あの、まあその辺は大丈夫かなというふうに、私は思っていたんですが、・・・あの、たとえば、私の任期が3年だとすると、3年目ぐらいに何らかの、いい論文が少なくなってくるね、みたいなことになって、人事委員会でけしからんと、そういう形の評価しか想像していなかったです。》

 

(《人事委員会は学長の諮問機関なんですが、人事委員会をチェックするシステム、評価するようなシステム、たとえば、イメージとして最高裁判事の特別審査のようなシステムを、ご検討する予定はありますか。》の質問に応えて。)

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

 

(34)《・・・だけど、僕の今の考え方ですとね、多少の、なんていうんですか、不正確さはあるかもしれないけれども、やはりいい論文は、みなさん読んでていい論文なんですよね。私、そのことを少しでも表せるように、努力してそういう評価制度を少しずつ育てていくと。・・・》

 

 (《数学の場合、いい仕事をしようと思ったら、任期3年とか決めたら落ち着いて仕事に取り組めないというのがあるんです。たとえば、最近幾何の問題で、3次元ポアンカレー予想というのが解けたらしいというので、センセーショナルな話題になっていますが、それを解いたロシア人は、ここ7〜8年論文を書いていないんですね。そういう特殊事情をどうお考えになっておられるのか、お聞きしたい。》という質問に応えて。)

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

 (コメント:「あいまいな議論に誘導して煙に巻く」という学長の得意技が、また、炸裂した感があるが、人事を最終的に決定する権限を持つ人事委員会の構成は、学長が理事長と協議して、教育研究審議機関、経営審議機関、および、外部有識者の中から決定する仕組みになっており、(ほとんど、もしくは、すべて)非専門家で構成される。こういった非専門家が原著論文(まして、質問にあるような数学の最先端を扱った論文)など読めるはずがないし、したがって、きちんと評価できないのは自明ではないか。必要に応じて、専門家から成る下部組織で検討したとしても、行政から独立した最終決定権が保障されない人事制度の下では、公正な人事や評価など初めから無理で、世界標準となっている現行の制度(独立した人事制度の下で行われる、専門家によるピアレビュー)による方が、学問の発展のためにはるかに良いことを、素直に認めたらどうだ。

 

 

(35)小川学長:《いやあ私も、○○先生と同じ悩みっていうんでしょうか、本当にその通りだと思うんです。ただ、ひとつはっきりしているのはですね、非常によく頑張っている人とそうでない人、仮りの話ですよ、人がいた場合に同じ給料、年俸でいいのかどうかという問題がひとつありますね。・・・私は、やっぱり初めに導入するのはですね、たとえば1000万円ならば、900万とか950万はベースにしといて、上の50万円だとか100万円を出来高制っていうんですか、いろいろ分からないんですが、成果に反映するとか。つまり、まず少しやってみると。・・・悪ければ悪かったで、元に戻してしまえばいいんですから。・・・》

一般教員:《そこはいいんですが、それをどこがどう決めるのかという質問なんです。》

小川学長:《だからそれは、これから考えなければいけない。作っていかなければいけない。(笑い)・・・》

 

 (注:真剣な一般教員とまるで他人ごとのように気楽な小川学長との間の、年俸制に関する、どうにもかみ合わなかった質疑応答の場面。小川学長は、満場からの苦笑もまったく気にすることなく、“絶口調”の様子であった。)

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

 

(36)一般教員:《小川先生と柴田先生に言っておきたいんですが、われわれは情報なんて全然与えられていませんよ。テレビとか新聞でしか知りません。ほとんどここの人は、だいたいそんなもんですよ。全然下の方に伝わってきていない。大学院では突如、数理情報が消されて、ナノと環境生命の2つになった。数理情報はナノに含まれるというバカなことを書く人がいるわけです。それは、われわれは認めるわけにはいかない。そこを説明していただきたい。》

小川学長:《あの、まったく○○先生のご指摘のとおりでして、・・・きちっと見直します。数理はですね、分かりにくいことのないように、必ずいたします。》

 一般教員:《あ、それじゃあ、ぜひお願いします。》

 小川学長:《はい。私、数学はたいへん重要な学問だと思っていますから。》

 

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

 (解説:大学院の教育・研究から数理科学が“消された”ことに怒りを覚えた数理科学科教授との質疑応答。ここで、小川学長は見直しを確約したが、数ヶ月後には、この約束は完全に反古にされ、大学院はおろか、学部からも数理科学の教育・研究が完全消滅することになった。それを決定した市議会大学教育委員会(2004.6.30)において、自民党横山議員の質問:《数理科学の問題は、基本的で学問への姿勢の問題で重要である。学長の見解は?》に対して、小川学長は、《数理科学は重要。教養として幅広く分布させた。専門家の養成はしない。と、平然と答弁した。鉄面皮の極致と言うほかない。もちろん、“教養として・・・”や“専門家の養成はしない”とは、大学院はおろか、学部でも数理科学の“専門教育”が不必要なことを意味する。下記の文書を参照。)

 『コース・カリキュラム案等報告書』の記者発表にいたる関連文書の一覧(2004.3.29)

 国際総合科学部(仮称)コース・カリキュラム案等の報告書に対する数理科学教室の意見(2004.4.3)

 『大学改革に対する数理科学教室の主張』(2004.4.9)

 『カメリア通信』弟22号:日本数学会理事長声明 横浜市立大学における数理科学の教育について(平成 16 年 5 月 25 日)(2004.6.5)

小川学長答弁:『社会が成熟しているので,学問の自由や大学の自治を犯すことはない』――横浜市議会大学教育委員会傍聴記 理学部 一楽重雄――(2004.6.30)

 

 

(37)《一言でいうと、独立行政法人化になぜ取り組んだかというと、唯一の理由はですね、やっぱり大学に裁量権が増えるという、それだけです。そのことが欲しいために、いってみれば、裁量権が増えれば、各大学に個性が発揮し出す。ちょっと、それだけ。

 

 (「独立行政法人化の根本の理念はなにか。要するに、そういう基本的なことを考えてほしい。」との質問に応えて。)

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

 

(38)《あの、この問題は設置者との関係もあって、大学だけで自由にならない、ということだけちょっと。》《要するに、あの、意向があったかどうかというよりは、うまく言えないんですが、要するにそういう、いろいろな問題がからんでいて、そういう関係でそうなった。

 

 (注:「木原生物学研究所の(実質的)廃止が設置者の意向によるものなのかどうか」という質問に対する、シドロモドロ回答。

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

 

(39)《・・・(事務)局長は存亡の危機なんて言い方をしますが。そういう状況です。それはですね、なんとかこういう形で、ま、ご不満もあるかと思いますけれども、なんとか、それ(注:廃校や民営化)はなくなったと。で、いわば、私よく、例で、柱を立てると言うんですが、家でいえば柱が立ったと。だから、外から風が吹いてもですね、外力がきても、柱は大丈夫だと。次はです、中身にいこうというふうにとらえるわけです。まあ、家でいえば内装だとか。そこをきちんとすれば住み心地のいい大学になるわけですね。環境が整うわけですから。・・・今までとこれからでは、やり方をもう、まるでスイッチしてやりますので、元気の出る大学になるようにスイッチしていきたい。》

 

 03/12/04 『学長との対話集会』の記録(2003.12.22

 

 (注:直ちに誤りであることが判明した、今後の横浜市大“改革”に関する、小川学長の甚だ甘い見通し。その後、横浜市当局は、乱暴にも、カリキュラム編成権などの教員の教学権を平気で蹂躙・剥奪する“暴挙”(違法行為)に出た。)

 『自作自演の茶番劇・2』:神奈川新聞2004年1月30日付報道―コース設定を論議へ 横浜市大改革で専門委を設置―(2004.2.3)

 国際総合科学部(仮称)コース・カリキュラム案等の報告書に対する数理科学教室の意見(2004.4.3)

『大学改革に対する数理科学教室の主張』(2004.4.9)

 

 

(40)《小学校3年生の時に終戦を迎えた私は学問の自由、その背景にある大学の自治の大切さを肌で知りました。そしてその信念は今も変わりありません。・・・》

 

 『学長との往復書簡』―伊豆利彦氏のメールより― [1] 学長の返事03-12-27 [2] 学長への第1信03-12-25 [3] 学長への第2信04-1-8 (2004.1.11)

 

 

(41)《この新しい形の問題の解決には中田市長も主張されているように大胆な大学改革を進め、その過程で大学改革の横浜モデルを打ち立てるしかありません。そのためには市民、市当局、そして何より大学の構成員である教職員と学生からなる「大学」という複雑系の最適化を図るしかないと考えています。

 

 『学長との往復書簡』伊豆利彦氏のメールより2004.1.11

 

 (コメント:また出た!!小川学長の得意技、「あいまいな議論に誘導して煙に巻く」。

 小川学長の「虚ろに響く“決意表明”」(2003.12.22) 参照。)

 

 

(42)《「最初に市大改革ありき」ですとか、「密室で決定」「いきなり公表」「トップダウン」などという進め方は、横浜ではされていません。》

 

 04/2/20小川学長の書簡:『東京新聞』2月16日付記事に対する抗議及び善処方申し入れ(2004.5.11 uppdf版)

 

(引用:・・・『東京新聞』216日付記事(「こちら特報部:『改革』に揺れる横浜市立大 学部統合 全教員の任期制 研究費ゼロ」)の中で、「密室で決定」「いきなり公表」「トップダウン」などと大きく報じられて窮地に陥った中田市長の、『《東京新聞報道は“完全に誤報”発言》(2004.2.19)』を受けて,ただちに学長名で《抗議及び善処方》を申し入れる(2004.2.20とともに、横浜市議会において自民党議員の質問に答えるかたちで、市長を擁護するための証言を行い(2004.3.11市大事務局および小川学長の中田市長に対する忠誠ぶりを示す・・・

04/2/20小川学長の書簡:『東京新聞』2月16日付記事に対する抗議及び善処方申し入れ(2004.5.13 up より)

 

(注:(75)の『東京新聞』特報:カリキュラム変更で競争力強化? 波紋広がる横浜市立大(2004.4.20では、《改革が進むなら中田市長のトップダウンで構わない》と“中田市長のトップダウン”であったことを正直に認め、上記の『04/2/20小川学長の書簡』の内容が虚偽であることを明かしている。

 

 

(43)《市長は、負債を理由として、市大改革の必要性を言及していません。》

 

 (「累積負債について、『そのほとんどが・・・』と反論したところ、市長は負債のことを口に出さなくなった。最初から『市大改革ありき』で、負債は口実に使われただけだ」との報道に対して。)

 04/2/20小川学長の書簡:『東京新聞』2月16日付記事に対する抗議及び善処方申し入れ(2004.5.11 uppdf版)

04/2/20小川学長の書簡:『東京新聞』2月16日付記事に対する抗議及び善処方申し入れ(2004.5.13 up

 

 (注:小川学長の主張:《市長は、負債を理由として、市大改革の必要性を言及していません。》が“真っ赤なウソ”であることは、下記の文書を参照されたい。        )

 佐藤真彦:中田市長の “東京新聞報道は 『完全に誤報』 発言” を検証する(2004.3.3)

 中田市長は,“官僚的不誠実回答”をいつまでくりかえすのか?(2005.4.12)

 

 

(44)《教員の移籍に関しては、大学相互の人事交流の活発化を図る割愛(教育公務員特例法)等、さまざまな理由によると考えられ、一概に大学改革によるものとは考えられません。

 

 04/2/20小川学長の書簡:『東京新聞』2月16日付記事に対する抗議及び善処方申し入れ(2004.5.11 uppdf版)

04/2/20小川学長の書簡:『東京新聞』2月16日付記事に対する抗議及び善処方申し入れ(2004.5.13 up

 

 (注:「逃げ出す教員「隠れFA」も」との報道に対して。しかし、(71)の学生のインタビュー(2004.8.4では、小川学長自身、《市大改革の内容への反発から出て行かれる方もいるだろう。また行き先がなくても、辞職された方も何人か聞いている。》と『東京新聞』報道が正しかったことを認めている。

 小川惠一学長インタビュー 特集:市大改革 「横浜市大新聞オンライン」(2004.8.4)

 

 

(45)《市長に関する記述は、他大学教授や市大OB教授の言葉を借りて、市長に対する個人批判の結論ありきの構成となっています。・・・今回の記事に載せられている写真は、大学改革とは無関係の、「みなとみらい線の開通イベント」の際に市内ではなく、都内で撮影されたものであり、その意図が甚だ疑問であります。

 

 (注:「市長に関する記述」とは、『中田市長は市民派を看板に掲げるが、改革案で会見を申し入れても、会ってくれない。煙たい市民には会わない“えせ市民派”だ。』『自己を礼賛する者しか評価しないポピュリズムの権化』などのことを指す。このような中田市長を懸命に擁護する卑屈な姿が浮き彫りになって、小川学長は恥ずかしくないのだろうか。それとも、“あの書簡は事務局が書いたもので、自分は署名しただけだ”などと、無責任に“言い逃れる”つもりなのだろうか。)

04/2/20小川学長の書簡:『東京新聞』2月16日付記事に対する抗議及び善処方申し入れ(2004.5.11 uppdf版)

04/2/20小川学長の書簡:『東京新聞』2月16日付記事に対する抗議及び善処方申し入れ(2004.5.13 up

 

 

(46)《『大学像』は私から設置者である市長にすでに渡してあるので、新たなコースとカリキュラムの枠については設置者により決定するものと考えている。・・・そういった面でも設置者に協力・支援をしていきたいと考えている。

 

 教員組合:311日横浜市会「予算特別委員会」傍聴記(2004.3.15

 

(注:教員組合による反論。《以下に述べる理由により、その発言の撤回を要求する。

1)大学における教育・研究の内容とそれを支える諸制度や慣行は、人類の平和と繁栄を真理の探求と継承を通じて行うため、時の権力者や外部者から一定の独立性と自律性を大学に与えている。このことは数知れぬ人々の血を流して人類が到達した現代社会の叡知の一つでもある。

2)「新たなコースとカリキュラムの枠」という言葉をどのように解釈するにせよ、その意味するところが大学の教育・研究の根幹であることに疑いはない。

3)その大学の教育・研究の根幹について、大学の構成員ではない設置者が100パーセント決定権があるかのごとく、議会という公の場で発言することは、学長自らこの人類の叡知を踏みにじることに等しい。

4)ゆえに、学長の議会における発言は、本学における大学改革ばかりでなく、全国の大学の改革に悪影響をもたらすであろう。その発言の撤回を要求する。 

 教員組合:横浜市議会予算第一特別委員会(2004年3月11日)及び朝日新聞(神奈川版、2004年3月16日朝刊)における学長発言に対する抗議文(2004.3.23)》)

 

 

(47)《・・・「大学像」は評議会の決定に基づき、私自らが先頭にたち、大学が一体となって検討を重ねてまとめ、最終的に評議会の議を経て決定し、私から市長に報告した。したがって今もって反対派の教員が、大学をとりまく厳しい社会経済情勢等、現状認識をしていないのは大変残念であり、評議会の議を経て決定しているにも拘わらず、一部の教授会がこのような対応をとったことは極めて遺憾である。》

 

 (自民党田中議員の“恫喝”的質問:「大学自らがきめた「大学像」に対し、いくつかの学部教授会では反対をしているようだ。どの部局が反対をしたのか?・・・大学が一丸となって改革に取り組まなければならない時期に、このことは非常に残念。・・・今のことに関して学長の意見は?」縮み上がって答弁して。

 教員組合:311日横浜市会「予算特別委員会」傍聴記(2004.3.15

 

(注:教員組合による反論。《傍聴記録によれば、小川学長は、「大学像」を「大学が一体となって検討しまとめた」ものであることを強調している。しかし、このような答弁は事実関係を歪曲するものであり、断じて看過し得ない。「あり方懇」最終答申が提出されてから1年を経たが、この間、「大学像」およびその原型となった諸改革案に関して、ほとんどすべての学部、研究所から20件を超える反対決議、意見、提言、疑問などが提出されてきたこの事実は、「大学が一体となって検討しまとめた」ものとは認めがたく、全学の総意を結集しているとは言いがたいことを雄弁に物語っている。・・・

「大学像」(案)を検討した(2003年)1022日の臨時評議会においては多くの評議員からの反対意見や疑問の表明が行われ、採決を求める提案がなされた。にも関わらず、「慣例にない」として採決がなされなかった。さらに、この評議会において反対・疑問が集中して議論に多くの時間を費やした人事委員会問題と全教員への任期制導入問題に関して、これに反対した者の氏名を議事録に残すべきであるとする評議員からの具体的な提案をも小川学長は合理的な理由もなく拒絶した。本学の最高の意思決定機関としての評議会の議長たる小川学長は、評議会運営上の手続民主主義において重大な誤りを犯している。

このように疑問の多い学長の評議会運営に対して教授会が遺憾表明することは、決して批判さるべきではなく、むしろ、真理探究を旨とする大学という組織として合理的で見識ある意思表明であるといってよい。

 なぜ臨時評議会において、多くの反対意見や疑問の表明がなされたのか。そして、なぜ学長は採決をすることなく、強引に「議を経る」体裁を整えようとしたのか。また、小川学長は、「一部に反対する動き」があると述べて、ことさらに、「大学が一体となって検討しまとめた」のであり、反対する教員は一部であるかのように描き出そうとしているが、それはなぜか?

それは、「あり方懇」答申以来、多くの教授会から提出された決議、意見が存在しているという先の厳然たる事実が極めて重く否定しようもないがゆえである。すなわち、教授会という合議体が決議や意見を示すということは、当然のことながら、それを支持する教員の分厚い層が存在していることを事実として示しているのである。したがって、学長の答弁は事実関係を意図的に歪曲するものと言わねばならない。

教員組合:横浜市議会予算第一特別委員会における大学当局・事務局の答弁は事実関係を歪曲するものである(2004.3.25)》)

 

 

(48)《・・・改革は一刻の猶予も許されない。一部に反対する動きがいまだにあるが、教員の意識改革を図るとともに、教員をまとめるべくリーダーシップを発揮し、設置者の改革推進本部に協力し、引き続き全力で取り組む。》

 

自民党田中議員の“恫喝”的質問:「・・・どのような問題意識をもって改革に臨むか、学長の決意は?縮み上がって答弁して。

 教員組合:311日横浜市会「予算特別委員会」傍聴記(2004.3.15

 

 (コメント:ひたすらへりくだって、設置者(市長)への協力と教員の意識改革を初めとする“改革”(改悪)に全力で取り組む“決意”を述べる異様な光景。

 

 

(49)《・・・私は24歳のときアメリカの大学院で学ぶ機会を得た。サンフランシスコに到着してまず感じたことは、このような大きな国となぜ戦争したのだろうか、ということであった。大局的判断を誤ることの恐ろしさをつくづく感じた・・・自己の確立を促す教育を受けること、新しい環境に自ら飛び込む勇気をもつこと、当を得た大局的判断を下すこと、以上が大人としての人間養成に不可欠であると考える。》

 

 (自民党田中議員の“恫喝”的質問:「自己の確立が重要と思うが、自分の経験をふくめて学長はどう思うか?」縮み上がって答弁して。

 教員組合:3月11日横浜市会「予算特別委員会」傍聴記(2004.3.15)

 

 (コメント:“大局的判断を誤ることの恐ろしさをつくづく感じた”、その経験を生かして、今回の横浜市大“改革”(改悪)では、“当を得た大局的判断を下す”ことができたとでも思っているのだろうか。)

 

 

(50)《明らかに事実と異なった点があったと認識している。・・・「密室で決定」「いきなり公表」「トップダウン」などとあるが、・・・「密室・・・」などは市大改革にかんするかぎりされていない。

 

 (自民党田中議員の“恫喝”的質問「東京新聞の記事は市長は「誤報」だと言っている.誤りがあったのか?」縮み上がって答弁して。

 教員組合:311日横浜市会「予算特別委員会」傍聴記(2004.3.15

 

 

(51)《評議会が教員のみで構成されており、迅速性を欠いていたこと、今後は教員・職員の協働,パートナーシップが重要である》ことを強調した。

 

 (民主党高梨議員の質問「どうして評議会が機能しなかったのか?」に答えて。)

 教員組合:311日横浜市会「予算特別委員会」傍聴記(2004.3.15

 

 (コメント:「教育基本法」第10条(教育行政)を持ち出すまでもなく、現在もなお、「学問の自由と大学の自治」への最も危険な侵害者は行政であり、権力に対する批判者としての使命を大学が果たすべく期待されていることを、少しでも理解していたなら、このような答弁は出てこなかったはずである。ということは、やはり、小川学長は、「学問の自由と大学の自治」がなぜ大切なのかという根本的なところが分かっていなかったことになる。)

 

 

(52)《一部教員、教員組合が不安をあおるような宣伝をしているのは遺憾である。任期制により教員の意欲を高めることが出来る。理解が得られるよう働きかける。

 

 (自民党田中議員の任期制に関する“恫喝”的質問に縮み上がって答弁して。

 教員組合:311日横浜市会「予算特別委員会」傍聴記(2004.3.15

 

 (コメント:(全教員)任期制が教員の意欲を阻喪させ、理解を得られるハズもないことを知りながら、(おそらく、事務局のブリーフィングを受けた)“虎の威を借る狐”議員による、“恫喝”的質問に縮み上がってこのように答弁し、ひたすら媚を売る態度は、大学の最高責任者としての見識も誇りもない卑屈そのもののアワレな姿というほかない。)

 

 (注:教員組合による反論。《以下に述べる理由により、その発言を撤回し、横浜市立大学教員及び教員組合に対し謝罪することを要求する。

1)横浜市立大学教員及び教員組合が任期制に関する見解を公表してきたことは、憲法の保障する言論の自由、表現の自由の視点からして、違法なことではなく、正当な権利の行使である。

2管理職である学長が公の場である議会で教員及び教員組合の任期制に関する見解公表が何か問題であるかのごとく発言したとすれば、それは個々の教員の言論の自由への介入、組合活動への介入となる。

3)さらに、学長の上記発言が事実であれば、大学における自由な討論を通しての真理の追究という大原則を学長自ら崩すことになる。議会という公の場におけるその発言は、本学だけに留まらず、全国の大学における改革に負の影響をもたらすであろう。

4)ゆえに、上記学長発言を取り消し、横浜市立大学教員、同教員組合、及び全国の大学関係者に謝罪することを要求する。

なお、任期制に関しては、法的に疑問が残る「全教員任期制」について、学長や大学改革推進本部が具体的制度設計を今に至るまで提案していない事実こそが教員(潜在的教員応募者を含む)に大きな不安を与えている。この点について学長の自己反省も求める。

教員組合:横浜市議会予算第一特別委員会(2004年3月11日)及び朝日新聞(神奈川版、2004年3月16日朝刊)のおける学長発言に対する抗議文(2004.3.23)》)

 

 

(53)《1+1を2ではなく、3にも4にもしたいために分離した。》

 

 (民主党花上議員の質問「学長と理事長を分離したからといってうまくいくとは限らないのでは?」に答えて。)

 

 教員組合:2004/3/17横浜市議会・大学教育委員会傍聴録(2004.3.23

 

 

(54)《教授会は専門性の高い集団である。(全学的な視点に立った)意見がまとまりにくいといった側面もある。

 

 (公明党和田議員の質問「現行の教授会の利点と課題は?」に答えて。)

 教員組合:2004/3/17横浜市議会・大学教育委員会傍聴録(2004.3.23

 

 

(55)《(プラクティカルなリベラルアーツ(実践的な教養教育)という教育目標は、)あり方懇の答申の骨格的な概念で、真っ向から反対する教育目標を打ち出しても、実りは少ないと思った。

 

 『朝日新聞』(神奈川版):横浜市大・改革案を検証(2004.3.16

 

 (注:実際は、“プラクティカルなリベラルアーツ”の意味が、学長はじめ14名のプロジェクトR幹事会委員にも分からず、学長自身「14人いれば14とおりの解釈があるので、私としては今、こうだとは言えない」と言い、しかも、「プラクティカルなリベラルアーツ」の意味が、「プロジェクトR」委員にも(したがって、当然、受験生にも)理解不能という理由で、結局、入試用の大学案内では一切使用しないようになった。(11)参照。)

 

 

(56)《市大でも、「誰が見てもよく頑張っている教員」は例えば10%、「誰が見ても問題がある教員」は10%。・・・問題教員には、まず「注意してください」とイエローカードを出す。それでも駄目なら契約を打ち切る。》

 

 『朝日新聞』(神奈川版):横浜市大・改革案を検証(2004.3.16

 

(注:教員組合による反論。《以下の理由により、この発言を撤回することと訂正記事の掲載を要求する。

1)学長という公的立場(肩書き)でマスメディアに対して発言すれば、それはどのような断り書きを入れようが私人の発言ではなく、その代表する組織の公式見解と理解されるのが常識である。ゆえに、学長の上記発言は、大学外の人々にとっては、横浜市立大学が『誰が見ても問題がある教員』は10%いると公式に認めたと理解される。

2しかし、教員をどのように評価するかの具体的基準や制度設計について、とくに、任期制や年俸制との関連で、本学では公に議論されたことは一度もない。また、大学として正式に何らかの統一的教員評価方法を決定し実施したわけでもない。さらに、上記記事では評価基準や10%という数字の根拠について(他の組織の場合も含めて)一切ふれていない。

3)これらの結果として、大学を取り巻く厳しい状況下では、「横浜市立大学には『誰が見ても問題がある教員』が10%もいる。」という言説が、その正当性や客観性を全く欠くにもかかわらず、独り歩きする状況が作りだされた。この正当性や客観性を欠く言説の流布は、今後の任期制や年俸制の具体的制度設計の議論において著しく不公正となる。

4)ゆえに、上記学長発言の撤回と訂正記事の掲載を要求する。

教員組合:横浜市議会予算第一特別委員会(2004年3月11日)及び朝日新聞(神奈川版、2004年3月16日朝刊)における学長発言に対する抗議文(2004.3.23)》)

 

 

(57)《「(理事長と学長の分離に関して、)予算がないのは理事長の責任、研究・教育の成果が出ないのは学長の責任、と明確化を狙った。

 

 『朝日新聞』(神奈川版):横浜市大・改革案を検証(2004.3.16

 

(注:教員組合による反論。《・・・では、なぜ国立大学独立法人では学長が理事長を兼ねる制度になっているのか?この質問はすでに理事長と学長の分離案がプロジェクトRの「大枠」で示されたとき以来問われ続けているが、未だ何ら具体的な、そして分離が必然となる理由は示されていない。さらに、「実質的には学長が経営にほとんど関与していない現行制度よりも----」と述べるに至っては、現行法制下でも学長が経営に関与している他の大都市公立大学があることを忘れ、自己の責任を棚上げにしているように見える。

教員組合:横浜市議会予算第一特別委員会(2004年3月11日)及び朝日新聞(神奈川版、2004年3月16日朝刊)における学長発言に対する抗議文(2004.3.23)》)

 

 

(58)《実質的には学長が経営にほとんど関与していない現行制度よりもパワフルな大学になる。任期制、年俸制などを上手に使って、大学を活性化することで、市からの大学の自由を担保できる。

 『朝日新聞』(神奈川版):横浜市大・改革案を検証(2004.3.16

 

 

(59)《市長からは、「(あり方懇の)答申を踏まえて」と求められた。「忠実に実行しなさい」、「答申を踏み越えてもっと良いものを」という二つの意味があると思った。》

 

 『朝日新聞』(神奈川版):横浜市大・改革案を検証(2004.3.16

 

 

(60)《あらゆる人から無限の時間をかけて意見を聴くのが民主的というならば、その方法は採っていない。》

 

 『朝日新聞』(神奈川版):横浜市大・改革案を検証(2004.3.16

 

(注:教員組合による反論。《・・・議会発言や新聞記事には、真理の探究を旨とする大学を代表する学長として許しがたい兆候が現われています。それは、奇弁を弄し、議論を避け、自己の誤り・責任を認めようしないことです。・・・極限的な理想状況が実現可能性を持たないことはどのような事柄でも明らかであり、その意味では現実的でないと批判をかわすことが可能となります。現場の当事者たちに、議論を公開し、議論に参加してもらう機会や時間をほとんど与えない状況が民主的でないことは誰にも明らかです。

教員組合:横浜市議会予算第一特別委員会(2004年3月11日)及び朝日新聞(神奈川版、2004年3月16日朝刊)における学長発言に対する抗議文(2004.3.23)》)

 

 

(61)《問題点が出尽くした時点で議決を経ずに、評議会の議を経た大学の改革案として市長に報告することを了承し、評議会を閉じた。議決で決めようとすると、角がとれる。時代を切り開くには多少、角がある案がいい。

 

 『朝日新聞』(神奈川版):横浜市大・改革案を検証(2004.3.16

 

 

(62)《学生の意見を十分聴いたとは言えない。ただ、説明会でも大学の未来像を語る学生はいなかった。そもそも大学のような高度な機能について、学生に全体像を描かせることは無理だ。

 

 『朝日新聞』(神奈川版):横浜市大・改革案を検証(2004.3.16

 

(注:教員組合による反論。《・・・学生の意見を聴いていないという自己の誤りの極小化を試み、あたかも学生側に責があるがごとく述べている。・・・上記の学生に関する発言は、自己の誤り・責任を糊塗する結果、本学学生・院生の潜在的能力をマスメディアにおいて見下す表現となっており、本学学生・院生に謝罪すべきである。

教員組合:横浜市議会予算第一特別委員会(2004年3月11日)及び朝日新聞(神奈川版、2004年3月16日朝刊)における学長発言に対する抗議文(2004.3.23)》)

 

 

(63)《学生、教員が改革を不安がるのは、理解力不足にすぎない。》

 

『東京新聞』特報:カリキュラム変更で競争力強化? 波紋広がる横浜市立大(2004.4.20

 

 (コメント:このセリフが本心から出たとしたら、小川学長は何も分かっていなかったことになるが・・・。)

 

 

(64)《(六年前ごろからの)市大内の議論では学部ごとのセクション意識が強すぎて、改革案がまとまらなかった。その弊害を乗り越えるにはトップの実行力が必要だ。学外から異質の考え方を入れると、多少ピントはずれでも緊張感のある議論の素材になる。改革が進むなら中田市長のトップダウンで構わない

 

 『東京新聞』特報:カリキュラム変更で競争力強化? 波紋広がる横浜市立大(2004.4.20

 

 (注:(42)参照。)

 

 

(65)《市長の指示は答申を忠実に実行した上で、それを踏み越えた良い案考えるという意味に受け取った。答申の骨格概念「プラクティカルなリベラルアーツ(実践的な教養)」に不必要に反対しても、他の教育目標がなかった。

 

 『東京新聞』特報:カリキュラム変更で競争力強化? 波紋広がる横浜市立大(2004.4.20

 

 (注:(11)、(55)参照。)

 

 

(66)《答申を踏まえて自由な議論ができた。市長とは人格と人格のやりとりでまとめた改革案で、間違いない。「競争力のある大学」に生まれ変わる。新しい動きに批判はつきもので、結果で証明するしかない。》

 

『東京新聞』特報:カリキュラム変更で競争力強化? 波紋広がる横浜市立大(2004.4.20

 

 (引用:大学管理本部が主導する大学破壊に(都立大学の)茂木総長が大学人としての筋を通した声明を出して抗ったのに対して、市大の前学長は「市長とは人格と人格のやりとりでまとめた改革案」(『東京新聞』04420日)などと平然と言い、首長に対して媚びへつらう態度に徹した。

 「横浜市大の前学長あてにこのブックレットを送ってあげたい」 公立大学という病 更新雑記(2005.9.24 より)

 

 

(67)《社会が成熟しているので、中間案のように行っても、学問の自由や大学の自治を犯すことはない。》

 

 (共産党関議員の質問、「評価プロジェクト委員会の中間案について。国会の付帯決議にもあるように、学問の自由、大学の自治について配慮したのか?」に応えて。なお、この“はぐらかし”答弁に対して関議員は、《そんなことはない、問題だ。》と応酬した。)

 横浜市議会大学教育委員会傍聴記 理学部 一楽重雄――2004.6.30

 「社会が成熟してるから」(2004.7.23

 

 

(68)《 ・・・・・・・・・ 》(学長は答えられなかった)

 

(解説:評議会(20046月)における一楽教授との質疑応答。《・・・大学ではなく市が改革を進め、人事の公募などをするのは、大学の自治の侵害である。学長は「大学の自治の侵害に対しては身を挺する」と言ったけれど、この点どう考えているのか、私と意見は異なるかも知れないけれど、学長の考えを聞かせてほしい」と質問したところ、「これまでの大学は、社会の期待に十分は応えていなかった、そこで、よい大学へ大学改革をしているわけで…等々、…一楽さんの質問には答えられない」という、ある意味正直な回答がありました。私は「答えられないのですね」ということで、それ以上の追求はしませんでした。・・・》

 『評議会報告』6月(2004/7/2up)学長は答えられなかった(2004.7.2)

 永岑三千輝氏『大学改革日誌』2004年7月5日付「・・・大学の自治や学問の自由が何か評議会で答弁できない人が、他方で、大学の自治や学問の自由を「犯すことはない」と断定的に判断できるというのである。これは論理的に整合するであろうか。これは何も考えていないことの証明ではないか。・・・」(2004.7.5)

 小川学長の「虚ろに響く“決意表明”」(2003.12.22)

 

 

(69)《この方が分かりやすいだろう。》《評議会には新大学のことを議論する権限がないとして、これまでやってきた。》《そういうことですか、それならば、そのとおりです。一楽さん、そんなことでよいのですか。》

 

 (注:評議会(20047月)で連発した“マヌケ”答弁。一楽教授の嘆き:《私は、頭にきて学長の無責任さをなじったが、O(注:奥田)副学長の「もう、評議会を閉じましょう」という発言で今日の評議会は終わった。確かに、これ以上議論しても意味はなかったろう。》)

 『カメリア通信』第27号2004年7月22日付:「記憶がぼけたのか意図的かはわからないが、学長は自分の言ったことも忘れてしまっている」(2004.7.22)

 

 

(70)《もはや大学は昔のように『象牙の塔』ではいられない。アカデミックなテーマだけを扱っていては社会のニーズを満たしているとは言えない。独立行政法人化法が通り、急がなければならなかったので、時間がなかったのは認める。

 

 小川惠一学長インタビュー 特集:市大改革 「横浜市大新聞オンライン」(2004.8.4)

 

 

(71)《いろいろある。純粋な向上心で出て行かれる方もいれば、市大改革の内容への反発から出て行かれる方もいるだろう。また行き先がなくても、辞職された方も何人か聞いている。ただ、学生への影響もあるので薄くなった部分は積極的に補充していく。》

 

 (「教員が市大から大量に流出しているが、原因は?」の質問に応えて。)

 小川惠一学長インタビュー 特集:市大改革 「横浜市大新聞オンライン」(2004.8.4)

 

 (コメント:(44)の発言:《教員の移籍に関しては、大学相互の人事交流の活発化を図る割愛(教育公務員特例法)等、さまざまな理由によると考えられ、一概に大学改革によるものとは考えられません。》は、ウソだったことを認めたらしい。)

 

 

(72)《選抜の仕方は改革推進本部が決めた。選抜は私も関与したが最終決定権は事務局長になる。

 

 (「コース案等検討プロジェクト委員会の委員の選抜の仕方、または実際に選抜したのは誰か?」の質問に応えて。)

 小川惠一学長インタビュー 特集:市大改革 「横浜市大新聞オンライン」(2004.8.4)

 

 

(73)《少なくとも私の視点でそういう選び方はしなかった。ただ、やはり決定をスムーズに進めるため、市側は改革推進に理解のある人を意図的に選んだのではないか。

 

 (「穏健派ばかり選抜されているとの見方もあるが。」の質問に応えて。)

小川惠一学長インタビュー 特集:市大改革 「横浜市大新聞オンライン」(2004.8.4)

 

 (注:まるで、他人ごとのように聞こえる、無責任極まる発言。学長は、廃止された数理科学教室教員の悲痛な訴えを思い出すべきである。『教員に最も関わりのあるカリキュラムでさえ自分達で作ることができないということは、大学として異常ではないでしょうか。・・・学長は行政主導で作られたコース案とカリキュラム案を最終的に決定する役目を担う一人です。・・・学長は、我々教員に行政主導で作ったコースやカリキュラムを黙って認めろ、というのでしょうか。』

『大学改革に対する数理科学教室の主張』(2004.4.9 『学長への問い』 04/03/09 より

 

 

(74)《評議会は“新”大学に対して権限がない、したがって、評議会では話し合わない。》

 

 『カメリア通信』第30号 一楽重雄(理学部):2004年9月,10月評議会――私的報告(2004.10.21)

 

 

(75)《来ている学生の数は非常に少なかった。ここに来ている人が総意を反映しているのか。》

 

横浜市大新聞オンライン(2004年11月4日付) 特集:市大改革 学生向け改革説明会を開催 質疑応答で混乱も(2004.11.4)

 

(引用:(学生向け説明会を)就職説明会と同じ時間帯に開催しておきながら、小川惠一学長は「来ている学生の数は非常に少なかった。ここに来ている人が総意を反映しているのか」と記者に話したそうである。なんと姑息な。

なんと姑息な(2004.11.10) より)

 

 

(76)《私は任期制については素人だが、運用次第でどうにでもなるでしょう。》

 

 (引用:私は怒りがこみあげてきた。全教員を不幸のどん底につき落す決定を下しておきながら、この時点になってもまだ「素人」と言い逃れする学長の無責任さにあきれはてた。本当に最高責任者なのであろうか。自らの下した決断が無知に基づいたことであったことを、さも我関せず風に答えられる学長のいいかげんさが許せなかった。・・・

 学長という病 2005.2.15 より)

 

 

 

(77)《 ・・・・・・・・・ 》(学長は、何も答えてはくれなかった)

 

(引用:・・・「私はこの大学が好きだったが、この改革のせいでやめていくのです。学長も良心が残っているのなら、市議会で嘘の答弁をするのは辞めてください。もし多くの教員が辞めていく理由がわからないというならはっきりと申しておきます。少くとも私はこの改革が嫌で辞めていくのです。」彼は神妙な顏をして聞いていたが、何も答えてはくれなかった。

 学長という病 2005.2.15 より)

 

 

(78)《吉田さんに言われたことは胸にしまって、考えておきます。

 

 (引用:・・・去り際に、学長は「吉田さんに言われたことは胸にしまって、考えておきます。」と言ったが全ては遅すぎた。私が話した程度のことさえ、学長は知らなかったとでも言うのだろうか。

 公立大学という病:横浜市大時代最後の経験(2005.2.16 より)

 

 (コメント:例によって、「その場限りの言い訳をとっさに思いついて言い逃れる」得意技が炸裂したらしい。その後、T年半以上が経過したが、“胸にしまって、(じっくり)考えた”ことを聞かせてもらいたいものだ。